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ベルはある人物に会うために集合場所で待っていた。
時間は五分前である。すぐに来てもおかしくない。
ベルはいつになったら来るのか腹立たしげにヒールでコンクリートの床をコンコン鳴らしていた。
ベルは待つことが苦手である。
元の世界では水はワンタッチで、食べ物もいくつか好みを選んでスイッチを押すだけの簡単な仕組みである。
そんな環境で育ったベルにとって、待つという行為はなにも行っていないのにもかかわらず、待つという労働を無理やりさせられているようなものである。
さらに公共の場、つまりこの待ち合わせ場所には多くの人が通りかかるのである。
行く人々が自分を見ているようなそんな錯覚に陥る。それはベルにとって少なくないストレスを与えた。
自ら目的を持って衆人環境に身を置かなくてはそのような体験ができない社会であった。
そのため、この世界の何をするにも人目のあるという状況にベルはうまく適応できるか不安である。
慣れない衆人環境から逃避するように思考の世界に入っているベルだった。
しかし電話が鳴ったためそれを取ろうとした。
その瞬間後ろから肩を叩かれ驚いて振り向く。
「ベルちゃん待った? んで調子はどうなの」
軽々しい印象を与える明るい茶髪の男。彼が今回の依頼人のコリンらしい。
ベルがこの世界に来て一週間ほど経ったが、まったく決着の気配がしない。といってもベルは初仕事の魔法の世界で決着をつけてから、五十回ほどの決着をしてきた。
そのため決着条件のよくわからない世界に送り込まれることにも慣れていた。
脱新人には程遠いが、仕事において迷うことは無くなったベルには異世界での日常を楽しむ余裕があった。
その地域性や時代によっても食事の内容というのは目まぐるしく変わる。
多少過酷な決着世界であってもその食へのこだわりは捨てなかった。
今回の場合はその逆、つまり平穏な決着世界であり食事には困らない。
時には核戦争目前の世界に放り込まれ、三日間呑まず食わずの不眠で核の発射を止めた。
あるいは銃撃戦のまっただ中に丸腰で放り込まれ、敵だ味方だとその場を惑わし命からがら抜けだしたこともあった。その時は国防軍に保護されて出された温かい食事がとても美味しく感じられた。
ベルの今いるこの世界の食事情は円と呼ばれる通貨による交換が主流のようだ。
両親が存在して猫かわいがりのように愛され、いろんなものを食べさせてもらっている。
その猫かわいがりにも理由があって、またもやベルは女性としてそこにいた。
ベルは女性として決着機の世界に送り込まれることが毎回になっていた。
初仕事に関してはせいぜい小柄な人間という属性で決着機に判断されたのだろうと思った。
決着機との相性の話で、相性のよい属性でその人の姿形を決定する。
例えばコニシは毎回元の世界と同じ姿で入るらしいが例外である。
イーなどはおそらく癒やしだとか再生だとか粘り強さだとかの言葉に関連付けられている。彼のどこが癒やし系だっただろうかとベルは今では思う。
つまりそれは運によってはイーがベルとまったく同じ役割を当てられる可能性があったということだ。同じ役割とは再生魔法の使い手としてである。
そうやって性質で人を属性分けをする決着機である。
ベルは五十回ほどの決着をする中で身長、肌や目や髪の色などの違いはあれ、すべて女性として決着機に入った。つまり、ベルに女性という属性を割り当てたのである。
ベルとしてはまったく意味がわからなかった。
偏見や思い込みをできるだけ排除して考える。
自分に女性的な部分があるとも思わない。性差という文化で考えても、ベルの世界では化石化された古い考え方である。
性的に中性化された社会であるから強いこだわりは生じ様が無い。
こうして考えてはいるが、反発したり不服があるというわけではない。なぜ自分がそのように判断されたのか確認する作業なのだ。
ベルがこの世界に来て探索を試みたが、過保護な両親に阻まれ門限などという時間的成約をかけられて途方に暮れていたときの話である。
四苦八苦しながら使い方を学んだ携帯電話が鳴り、それをとる。
ディスプレイには電話帳に登録済みなのかコリンとあった。
それだけを見てベルは依頼人からの連絡であることをすぐさま理解した。
この世界における名前は田中だの佐藤だのと、漢字の名前しかない。
ベルの携帯には同姓の、つまり女友達の名前が多く登録されている。
さらに性格なのだろうか、すべてフルネームできっちり整理されているのである。
よってコリンなどという名前はこの世界の外から来たベルたち、決着の参加者でしかありえない。
その世界では珍しすぎる名前になってしまうこともある。
しかし変わった名前だと言われることも無かったので、おそらく普通の名前として認識されるようにフィルタリングされているのだろう。
『あーあー、コリンだけどそっちたぶん決着屋のベルさんだよね?』
ベルの耳に電話のスピーカーを通してコリンの声が聞こえる。
「そうです」
ベルは短く艶のある声で答える。
『おや、そちらは女性になったのかな。なにか決着と関係があるのか‥‥』
自分の決着とあってどうにか勝とうと思案しているコリンだが、理由を知っているベルは答えを述べる。
「いえ、私は決着するとき女になる体質なんです」
『そうなんだ、僕はちょっと若返ったぐらいだけどそっちは大変そうだね』
コリンは元の世界で会った時よりもハリのある声で言う。
ベルはコリンもこの世界を楽しんでいるということがわかった。
「まあ慣れてますので」
『じゃあベルちゃん。とりあえず電話越しで長話も何だし、とりあえず実際に会おう』
連絡によってお互いを確認したベルとコリンは駅に集合ということになった。
決着機の世界では近々で困らないための装備を持たされることがある。知識としては言語や生活環境など。
持ち物としては地図やその世界で平均的に持っているような物など。
生活環境としては学生や社会人といった活動の引き継ぎがなされる。当然それらはベルたちがこの世界に来るまでずっとやっていたことになっているので自然とできる。例えばベルなら女性として送り込まれて困るであろう生理なども迷わず対処できた。
それによってお互い迷うこともなく駅で再開できたというわけである。
「コリンさんですか。体の調子は良いんですが、仕事の方は情報不足ってところですね」
「なるほど、たしかにそんな風に見える」
とコリンはベルの容姿を一見する。
夏らしく白でまとまったふんわりとした印象のチュニックに、青いデニムパンツを履いている。足元は明るいブラウンのヒールサンダルで活発さをアピールしている。
その若々しい印象からこの世界でいう大学生といったところだろうか。とコリンはあたりをつける。
「情報不足は目に見えないでしょう。そんなことより情報です」
「じゃあ決着についてだけど何かある?」
コリンとしてはプロであるベルに丸投げしたい気持ちであった。
「そうですね、目に見えてわかる戦争や重大な社会問題は無いようです。ですからこれからの指針としては、負けないように死なないことと問題を起こさないことになります」
コリンは「消極的だねえ」とつぶやくように言うが、情報がないのだからしかたない。
死んだからといってすぐに負けるということではないが、死ぬとそれ以降は世界への影響力が皆無になる。なので相手が大きく判断を間違えない限り決着は負けとなる。
また、問題を起こすとそのことが争点となって決断を迫られる可能性がある。この場合も決断を失敗すると負けてしまう。
「攻めようとしても相手方の情報が無いので仕様がありません」
「だったら情報を探しにいったほうがいいんじゃない? もしかしたら僕らの知らない争点があって話が僕ら抜きで進んでいるのかもしれない」
「それは死んでしまった場合にしか起きません。まだ肉体という世界に干渉できる力がありますから、それがある限り争点が起これば必ず私達も巻き込まれます」
「だとしても巻き込まれてからじゃ後手だよ。不利なんじゃないの」
始めから情報差のある状態では不利ではないか。コリンはそう言う。
「あまり自分から動くのはリスクがあるという話です。それでもコリンさんが望むなら情報収集をするのも手ですが」
ベルもプロである。依頼人の注文にはできるだけ答えるのが筋である。
幸い、そこまで意固地になるようなリスクでもない。
「うーん、ベルちゃんはあまり乗る気じゃないみたいだし、僕だけ情報収集しておこうか。何かわかったら携帯電話があるし」
「そうですか。でしたらそのように手配しておきます」
手配といってもせいぜいが携帯電話の電源を切らさないようにしておく程度なのだが。
プロとしては私も手伝いますというのが筋なのだろうが、ベルにはそうもいかない理由がある。両親に設定されてしまった門限と未だ慣れぬ衆人環境である。
一方コリンはこの世界で言うところのホスト崩れのような格好をしている。それに聞けば一人暮らしだと言う。行動に時間も距離も制限は無いだろう。
よって情報収集はコリンが適任であるという結論にいたった。