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「それから肩に重いものを感じて元の世界に戻されたのだ。その瞬間ほどあの世界の再生魔法を使いたいと思ったことはないな」
ベルはそうして「ふう」と息をついてぬるくなってしまったコーヒーに口をつける。
かと思えば舌を出してまずそうにする。淹れたてでないとお気に召さないようだ。
語りの余韻に浸るベルに香は質問を投げかける。
「それって何が解決したの? テロは失敗。だけどあなたたちは生きている。どこが決着ついているの?」
結末に満足できない香は抗議に近い、責めるような調子で言う。
「私たちの間ではよくあることだな。そうやって訳のわからないまま決着がよく終わるのだよ」
「え?」
「ただし、この決着はその限りではなかった。決着は明確についていたのだよ」
香からしてみればよくある、と言われても決着屋のことなど知ったことではない。訳のわからないまま終わるのであれば決着とは何なのか何もわからないままである。
「あえて言語化するならば、死と生の寓話といったところだろう。殊、コニシの戦意喪失が大きいだろうが」
もちろんあくまで解釈のひとつなのだがとベルは軽く付け加える。
たしかに破壊魔法の使い手コニシと、再生魔法の使い手ベルの対立構造を基礎とした話である。
それでも香にはわからなかった。
「コニシさんと戦ったことまではわかるよ。けれどそこには決着はついてないよね?」
「いや、あれは寓話であるからこそあれで決着がついたのだよ。相手としては破壊しきるところまで、つまり死を与えることが決着条件だ。こちらは私が生き残りさえすればそれでよかった」
「それってベルさんにとって有利すぎるんじゃないの?」
「そんなことはない。目的達成の能力はコニシのほうが高かった。広範囲に広がる炎の魔法に、高速で撃ちだされる見えない風の弾丸。正面撃ち合いになってよく逃れられたものだ」
完全に運が味方しただけだとベルは言う。
「対して私に与えられた能力は後手の魔法。攻撃を受けても生きていさえすれば死なない。ただそれだけの魔法なのだよ。最後は持ちこたえたが、不意打ちであれば魔法も使えなかったかもしれない。あるいは別の、例えば天井を崩して落とせば仮に即死を免れても瓦礫ごと追い打ちをかければそのまま即死だろう」
即死即死ってぶっそうなと香は言う。
「物騒な世界だったのだよ。弱肉強食のヒエラルキーの設定された世界。国につかえる彼女はまさに頂点。私は身元もわからないさしずめ家出少女、最下層だな」
自嘲気味に笑うベルからは哀愁が漂っていた。
コニシは国につかえていた。は、あくまでベルの推測である。根拠はキヨを守るようにしてベルを待ち受けていたコニシである。
それだけで、ベルと同じように依頼人から魔法の源を得ていると直感した。
また、街の人たちと一緒に城内に入っていたのだってどこかですれ違えば、コニシは面が割れているのだからベルもすぐに気がつくはずである。
「それでそのベルちゃんたちはその後どうなるの? 顔は見られてるんだからずっと城下町に潜んでいるわけにはいかないよね」
ベルは「誰がベルちゃんだ」と不服そうにする。香と話に出た決着機の世界の人とでは扱いが違うらしい。
「現実の話として決着がついた時点ですべては無に帰することとなっている。それでもその世界が存在すると仮定して話を続けるならば」
ベルにもクラウディアたちをただの決着機がつくりだした架空の人物だと信じ切れない時期があった。
彼女らはそこにいてそこでの生活があった。割り切れる感情ではない。
だからベルは決着機はひとつの可能世界を創造する装置だと勝手に結論づけた。
この場合、偶然ある世界のベルという名前のある少女にベルの記憶と人格が宿る。その事象の起こった世界をつくりだす。
「私は生き残った二人、クラウスとホルストで街のみんなを連れて移動だな。大急ぎで。移り住んだ場所で新しい生活の基板を立てなおしつつ、城で捕まった街の人たちを処刑などが行われる前に……いや、行われてもその時の私の力を持ってすれば生き返らせることができるかもしれないな」
「なるほどね、そうやって街を再生させていくわけだベルさんが」
それからそれからと、子供のように続けていくベルをみて香は人間味を感じていた。
香から見たベルは話し方といい第一印象といい、それらは宇宙人然としていた。
決着機にしてもそうだ。一昔前の未確認飛行物体のような印象をあたえるなめらかな表面といいまさに宇宙人そのものであった。
ここにきて空想を口にして語る様子は人間の子供を思わせる。
香はベルをどのカテゴリに分ければよいのかわからなくなってしまった。宇宙人か子供か女か。
いずれにしても、香が取り組まなければならない謎解きは決着機なのである。
「それにしてもよくわからないまま決着がつくってどういうことなの? それって絶対的な折衷案を出す決着機なのに納得は無いよね」
「実質的には決着機の世界で起こること、体験すること自体には意味はないのだよ。それはあくまで折衷案を出す仮定にすぎない。理解だけを優先するならば、個人差の激しい人の脳をスキャンする過程がそのような体験をさせているようなものだ」
正確ではないのだがなとベルは付け加える。
「人の脳を読み取る過程ならその世界でする決断に意味はないんじゃないの?」
「時間だけ経てば良いというものではないのだよ。脳にいろんな刺激を与えて、それに対する脳の反応を見て判断が下される。つまり正しい決断をし続ければ結論が有利に働く可能性もあるということになり、我々決着屋にもお声がかかるという仕組みだ」
そういうものか。もはや香にはそれを嘘と見抜く手立てはない。
実際に決着機の世界だと言われて異世界らしき場所に放り込まれた。
目の前ではベルと名乗る男だった少女が滔々と能書きを垂れる。異常なことが起きているのが眼前につきつけられているからだ。
「それより新しいコーヒーを淹れてくれないか。冷たいコーヒーならまだしも、ぬるいコーヒーを楽しむ趣味はないのだ」
「また飲むの!? 自分で淹れたらいいじゃないですか」
「見てわからないのか! 私の身長ではシンクに手が届かないのだ……」
ベルは憤慨するが、シンクに手が届かないという情けない事実に段々と声が小さくなる。
「ああ……わかりましたさっきと同じでいいですよね」
哀れみながら席を立つ香に「いやちょっと待ちたまえ」とベルが引き止める。
「お湯はさっきより五度ほど下げてくれ。蒸らしはもう十秒プラスだ。それから豆もさっきのもののふたつ右のを使ってくれ」
それからそれからと、偉そうに細かすぎる注文をつけるベルを見て香は宇宙人らしさを感じていた。