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クラウスからはお礼を市長からは明日の攻城戦の支援要請をうけたベルはクラウスたちの住む家へ戻る。
クラウディアとも打ち解け、抵抗はあったがクラウディアの強い希望とあって一緒に寝ることになった。
ベルも見た目は同じくらい、なんとか仲の良い姉妹で通る。
「ベルちゃん明日、本当に行っちゃうの?」
そうベルに尋ねるクラウディアの言葉からは本当は行ってほしくないという気持ちが全面に押し出されていた。
「うん、たとえ命にかえてでも行かなければならない」
「命より大事か……じゃあここで行かないって言わないと死んじゃうとしたらどうする?」
物騒なことを言うなあとベルは思うが、それほどまでにベルを危険にさらすことを拒んでいるようだ。
しかしベルもそう簡単には引かない。
「行かないって言えばいいんだよね。じゃあ行かないって言ってこっそり家を抜け出すかな」
「それは卑怯だよベルちゃん。どこにでも常にルールがあるんだからそれは守らないとだめだよ」
「それをディアが言うの?」
クラウディアからルールと言う言葉がでることに違和感をベルは感じる。初めて会った時からクラウディアはベルの中のルールを破壊し続けていた。
いきなり接触プレーである。スポーツだとしても完全に反則をきられてしまう。
しかし、それでもクラウディアを許せたのはそこに悪意が感じられなかったからだ。
もともと悪意には疎いベルだが、この世界に来て無法の中の法を知った。
弱者は強者に従わねばならぬ、使えるものは何でも使えだとか。元の世界ではありえなかった。
かといって本当に無いわけではない。今までベルが気付かなかっただけである。
ベルは世界を取り巻く見えないルールに気づいた。一方で、この世界で誰も気がつかないベルと他に三人しか知らないルールに思いを馳せる。
この世界では決着をつけなければならない。
決着とはなにか、ある争点に一定の解決をもたらすことである。
それをこの世界に適用するならば、なんだろうか。
ベルはいくつかの可能性を吟味する。
まず、明日の戦いに勝つこと。
市長の言う城の占拠、まるでテロリストである。が、これが決着条件だとするならば難しい。
今日一日街をみて回ったが、まさに痩せた街といったところだろう。土地も痩せていれば街も痩せるのである。
かろうじて見受けられる活気は明日の戦いに備えている男たちである。
街としても明日が最後の戦いなのだろう。敗れれば次は無い。
あるいは教団が囲う、破壊の象徴とされているキヨをどうにかすることかもしれない。
こちらは非常に射程の短い戦いである。
決着機による戦いはその世界での決着を得ることだと言われている。
決着屋が陥る落とし穴の一つで、相手方の依頼人をみてすぐに倒したが結果として負けることがある。
必ずしも相手方との決着をつけることがこの世界での決着であるとは限らないのである。
そのことを加味して考えればやや弱い選択なのかもしれない。
どちらか確定できない以上、手がかりはまだ足りていないと考えるべきだろうとベルは結論する。
手がかりがあるとすれば最後の当事者、相手方の決着屋であるコニシがいまだ舞台に出てきていないことである。
情報収集としてコニシを知らないか街で尋ねてまわったが収穫はなかった。
「そうだね、例えばお父さんとお母さんには逆らえないね」
はにかみながら言っているのが顔をみなくてもわかる。
そういうものなのだろう。親と交流の少ないベルはそう思う。
親子の関係とは密接で人情味のあるものだと何かの資料にあった。
クラウディアが親に逆らえないのが人情からか社会道徳的なものなのかベルには判断がつかなかった。
「二人には私も頭が上がらないなあ。明日がすぎてここに居させてもらえるなら恩返ししていかないと」
「ベルちゃんそんなこと考えてたの? たぶん二人とも気にしてないよ。二人はベルちゃんが居てくれるだけで嬉しいんじゃないかな」
それにと、続けようとしていたクラウディアだがベルが口を挟む。
「リソースは常に限られているのに、そうはいかないよ。私には一応能力はあるんだし何かはさせてほしいよ。例えば、そう、ホルストさんにはこれから何度でも挑戦して認めさせようと思うんだ」
リソースって何? と思ったクラウディアだったが特に言及することもしなかった。
「そうなんだよ! ベルちゃんは私と違って能力があるんだから使えばいいんだよ」
「ディアにだって良いところはあるよ。優しいんだしヘルマンさんとこでも手伝いから初めてみたらいいのに。ディアのいる店だったらみんな毎日行くんじゃないかな」
ベルはクラウディアの本質はその包容力にあると思っていた。自分のようにわかりやすい可視化された力。
魔法とはそもそもそういうものなのだが。
それとクラウディアの包容力を比べることはできない。何よりベルには持ちようの無いその能力に羨ましく思ったこともあった。
それも当然である。ベルは相手を受け入れて先に進むことは出来ない。
こうしてクラウディアと仲良く話しているようでもその関心事は別にある。
常にベルにとって対人関係とは取引関係や利害関係に裏打ちされたものだったからだ。
この世界でクラウディアたちの優しい人間関係に迎え入れられた。と、してもそれはベルにとっては借りとしか認識していないのである。
それがベルにとっての常識だったのだ。
ずっとそうしてきたのだ。これからも変わることはないだろう。
「人は優しいだけでは生きていけないんだよね。そう考えるとホルスト先生もしかたなくああなっちゃったのかもね」
ふうと息をつくクラウディアに「実力主義だなあディアは」とベルも応える。
この世界は無情すぎる。生きるために力を必要とする。
息をして食事をして寝るだけでは許されないのだ。生まれる世界が逆ならこれほどわかりやすい話はない。とベルは考える。
今やホルストもベルから見ればただの上司である。
明日の戦いに支援として、駆り出されるベルはもはや組織の一員としての活躍を求められている。
どんなに憎かろうと上司の命令には従わなければならない。それが明日、ベルが戦いに参加できる条件だからだ。
傷つけられたとしても、その損害はその加害者によって補填された。
ベルにとっては既に貸しも借りもないのである。
そうしたホルストに対して偏見のないベルにとって、クラウディアの言わんとする『ホルスト先生はしかたない』とは実力者として認めているという解釈なのだ。
「実力者として言うなら断然お父さん。この街で一番強いんだよ」
「さては、ディアはお父さん大好きなんでしょ」
「あたりまえだよ。ちょっと恥ずかしいけどね」
照れくささを表に出さないように言うクラウディアに、ベルもこの世界の親子関係のあり方について認識を深める。
お父さん大好きか、そういうものが自分にも昔はあったのだろうか。愛という観念について辞書的な意味は知っているベルだが、それを身近に感じることはなかった。
食事への愛も味や見た目、匂いなどの知覚されるものに対するものである。特定の個体へのものではない。
つまり代替性のある愛である。
そうした思いに、やはりベルはクラウディアに対して自分に無いものを持っていると確信した。
二人の間に沈黙が流れる。お互い眠くなってきていると感じる。
しかし、これだけは話しておかねばとクラウディアは切り出す。
「明日、絶対に帰ってきてね」
デリアと同じことを言うのか。この人たちはやはり親子なんだなとベルに実感させる。
「ディアだって私の力は認めてくれてるんでしょ? だったら安心してよ。必ず生きて帰るよ」
悪意を持った嘘である。決してクラウディアを不安にさせない、させたくない。そうした意図を持った嘘。
本当は自らの目的のためならばこの世界での命など知ったことではない。
死に瀕したならばそのとき生存欲求は湧き上がるだろうが、今はそうではない。
冷静な状態でこの世界での死を持って決着がつくと確信したならば、ベルはそれを実行に移すだろう。
そういえば生きて帰るとデリアにも言った気がする。
二人に申し訳ない気持ちがあふれてくるのをベルは感じる。
反故にするかもしれない。そう考えるだけで申し訳ない気持ちが喉の奥を針で突くような痛みが走る。胸からは鈍痛。
感情の渦というものがこれほどまでに辛いとは思ったことはなかった。
教団に責めることだけを目的とした尋問を行われたときとは異質の、優しさに応えられないかもしれないという心の痛みである。
優しさを向けられることが極端に少なかったベルにそれは重すぎた。
重圧に耐えかねたベルは、それから逃避するように眠った。
ベルの目元が濡れていることに気づいたクラウディアだが、あえて声をかけるのは憚られたため「大丈夫だよ」と耳元でささやいて抱きしめるにとどまった。