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明日の戦いに備えた打ち合わせと称してクラウスに市長に会わされる。
「そこのちっちゃい子がベルくんか」
市長はそう言ってベルを値踏みするように見つめる。
「ホルストさんから聞いてるよ。あまり向いてないと聞いたがどうなんだね」
診療所での一件を言っているのであろう。ベルはすぐに感づく。しかし、事実であるため言い逃れはできない。
かと言ってここで引いてしまうと攻城戦には参加できず、教団との決着の機会も巡ってこないだろう。
ひとりで対決の場を用意するにもやや荷が重い。
たしかにベルが手も貸さずに、かつ確実に城を制圧してくれるとあれば教団にも手を打ちやすくなる。
攻城戦とは守りが有利である。
情報も不足しているため何を原因としてどれほどの人員が割かれるかもわからない以上、この人たちに丸投げしておくわけにはいかない。
やはり、プランとしては制圧具合を見て負けそうならば教団の地下へ押し入る二分作がマシに思えた。
「ホルスト先生のは突然だったからです。これから戦場へ行くと覚悟ができているならあんなに取り乱したりはいたしません」
ベルは凛として答えた。
言ったことも別に間違いではない。実際に面接として顔を合わせに言っただけで斬りつけられるなどだれも考えはしないだろう。
市長が言っているのは伝聞であり、実際のベルを知っているわけではない。つまり付け入る隙はあると考えた。
「そうだぞ、それにベルちゃんは俺の歩けないほどの傷を一瞬で直したんだ。そこらの再生魔法とじゃ比べ物にならないほどの力だろ」
ベルの強い意思を読み取ってクラウスも加勢する。
クラウスの発言力は破壊魔法も使えるとあって相応にはある。
しかし街一番の再生魔法の使い手のホルストによる判断である。再生魔法による治療を一番理解している者による使い手の判断にはクラウスではまだ足りなかった。
「クラウスさん。明日のが遊びじゃあないことぐらいわかるだろう。あなたが言うようにこの娘がとても才能のある娘だとしよう。だとして他の者が納得して任せてくれるかね、連れて行くだけでも批判されるのは君じゃなくて私なんだよ」
この男も明日より先を見据えて行動しているのだ。
すでに失敗したときのための退路もつくっているのだろう。そう思わせるほど市長の言葉は世間体を意識したものだった。
「批判がなんだと言うんです。明日勝たなきゃ次はないんですよ。そもそも国と戦おうというなら批判どころじゃないでしょう。何を恐れているんですか」
「君たちにはわからない事情があるんだよ」
ベルの言葉も市長には届かない。断絶をより大きくするだけにしかならない。
クラウスにも流れの悪さが分かった。ベルの必死さはクラウスに居心地の悪さを感じさせた。
クラウスのベルへの恩はとても強い。ベルは交換条件のつもりであったようだが、クラウスにとっては泊めても食事を振る舞っても足りない。
放っておけば死んでいたはずの傷である。交換条件を出された時も小娘の再生魔法程度で歩けるようになるような怪我ではないと思っていた。
傷はホルストを呼んでもらおうかと思ったほどだ。
それなのにベルという少女は一瞬で直した。ここまでの魔法の使える者をクラウスは見たことがなかった。
クラウスとしてはホルストなど目ではないと主張したかったが誰がその言葉を信じるだろうか。
大方、お前が大げさだったんだろうと嘲笑われるだけである。
もちろん、嘲笑われようともベルのためになるのであれば主張するだろうが、少なくとも今は効果的ではないだろう。
ベルには教団と再び対峙させてやりたい。それが彼女の望みだし、その資格もあるとクラウスは思った。
ベルのためではない、自分のため、恩を返すため送り出さなければならない。
かといって市長相手に無理強いをして家族が不利になるのも嫌だ。
しばらく考えた後、クラウスは覚悟を決める。
どうしようも無い平行線をたどるベルと市長、二人の言い争い。
ベル自身も自分がここまで食い下がるとは思っていなかった。
決着屋の仕事なんかはどうでもよかった。失敗しようが自分の責任ではない、それが依頼人イーの運命だったのだと言い逃れようと思っていた。
事実そうなのである。決着機による結果は絶対的である。
どんなに良い決着屋をつけようとも相手との相性などを含めれば絶対に勝つ方法など存在しないのだ。
それでもどうにかしたいと、前に進みたいのだと市長に詰め寄る。
そうしてベルと市長の視界から自分の姿が完全に外れたときを見計らってクラウスは動き出す。
ベルの背後で聞いたことのある爆音が聞こえる。
室内だったこともあって部屋全体を揺らすようにあちらこちらを音が跳ねまわる。
音の源に目を注ぐ。いつか見たクラウス、いやそれよりもひどかった。滾々と湧き出すように胸から血を流し、倒れている。白い床に赤い血が映える。
「どうしました!」
槍を持った衛兵が駆けつけてくる。
事態の把握、市長は衛兵に診療所から魔法医師を連れてくるように指示する。
ベルも市長の指示する声に正気に戻るとクラウスに取り付く。手に握られた猟銃は練習として家の裏にもって上がった猟銃だった。
破壊魔法は自らを害することはできない。
もしこれがいつも携帯している魔法銃ならばこうはならなかった。
この後、またやり方を教えると言って持ってきたものだ。
ベルは自らの責任を感じるが、迷っている暇はない。心臓近くを撃ちぬいているが脈が感じられる。息も苦しそうではあるがかろうじて耐えてはいないようだ。
まだ間に合う。そう確信したベルはイーに願う。クラウスを治してほしい、治さなければならないのだと。
クラウディアとデリアには優しくしてもらった。それに出会わせてくれた友人、ベルにとってクラウスはより近い存在だった。
ベルからすれば同姓であり、元の肉体年齢から言っても同じくらいであろう。その話し方も特別気を使わないでいられた。ベルがいつもどおりでいられるのはクラウスといるときだった。
河原でもあのままいればベルは凍えていた。
今ならわかる、クラウスは治療されなくても自分を保護しようと努めてくれただろう。ベルもまた、クラウスを恩人と慕っていた。
決して死なせるわけにはいかない。
市長はクラウスに飛びついたベルをみて哀れみを覚える。馬鹿で愚鈍な男におだてられ、振り回されたその少女。せめて診療所の精鋭がくるまでの場つなぎ程度になればよいが。
胸に一発、銃の暴発だろう。
クラウスの銃に対するこだわりは強い。客観的にはそう映っている。
街中で軍でもないのに銃を持ち歩く男などクラウス以外にはいないからだ。皆、口には出さないがクラウスを恐れていた。
抜身のナイフを手にうろうろしていては「何もしない、使う気はない」と主張したところで誰が信じようか。
猟銃、それを弾は入っていないと言って持ち歩いていたクラウスは街にとって脅威であった。
魔法も使える、国からの監視役かとも疑われていた。なぜ魔法が使えてこんな田舎にいるのかと。
食料不足も喫緊の問題ではあるが、そのためにも団結である。
そのためクラウスは市長にとって目障りだったのだ。
食料不足は国の陰謀だと考えていた。教団はどこからその力を集めているのだろうか。
もしかしたら大地の力ではと考えだしたのだ。
暴発ならばしかたない、私も医師を呼ぶ努力をしたし少女も全力を尽くした。市長は偶然に起きた好都合な事故に歓喜していた。
その頃、ホルストは明日の治療の準備をしていた。
物資は足りなくなることはあっても余ることはない。運べるだけ運ばねば助かる命も助からない。
ホルストは医師として誰一人死なせるつもりはなかった。
医療の現場は常に万全を期しなければならない。だから昼に来た少女も実質門前払いしたのだ。
今思っても正しい判断だったと自画自賛する。
そうしているとホルストはけたたましいサイレンのような声で呼び出される。
何事かと男たちに連れられて聞いてみれば、昼の少女が応急処置をしているから市長の部屋で倒れているクラウスを治せというのだ。
負傷箇所は急所近くだと言う。
もう無理じゃないか。行く意味はあるのか。そう思いながら現場に向かう。
意味がなかろうと足を止めるわけにはいかない。市長の呼び出し命令には最優先で対応せよと国から言い渡されている。
ベルという少女を取り巻く環境はどうなっているのだろうか。ホルストにとって都合の悪い難題ばかり押し付けてくる。
苛立たしげに扉を開け放つ。
そこには楽しげに談笑する少女とクラウスと市長がいた。
「おい、急患はどこだ。市長の無理に応えて来たのにどうなってるんだ」
わけがわからなかった。
もうどうしようも無い傷を負ったと聞いたはずのクラウスは振る舞われたお茶を美味そうに啜っているのだ。
話に聞いたような傷を終えば仮に治療が成功しても意識が戻るのは何日先になるかわからない。
そうでなくともこの場で怪我を終えばなんらかの痕跡がのこるはずである。
それがここには何もない。匂いさえも。床は綺麗な白で血など垂れようものなら掃除したぐらいでは隠せないだろう。
自分を馬鹿にしている。ホルストはそう考える他なかった。
「やあ、ホルストさん。あなたもお茶、どうかね」
へへ、と市長は自分のミスを悪びれてか恥ずかしそうに笑いながら言う。
「それより事情を説明してください」
ふざけた相手に逆上して接するのは賢くない。とホルストはすまし顔で言う。
「いや、そこの少女ベルくんが治してくれてね。あなたも人が悪い。こんな使い手を隠して診療所の手駒にしようとでも考えてたのかね? 悪いが明日は彼女を連れて行くよ」
「そうですか……」
そのふざけた雰囲気もあって、真偽をはかりかねたホルストはひとまず飲み込むことにした。
急所だったかどうかはともかく、衛兵の話では多量の血が既に流れ出しているという話だった。
そのことから考えても簡単には治らない。流れだして失われた血は並大抵の再生魔法では補えない。
ホルストがその場にいたとしても輸血の準備もなしにクラウスを救うことはできないだろう。
さらにこの少女である。銃弾が貫通したような傷を治せるのであれば昼のような浅い傷で動揺するはずもない。
慣れた再生魔法の使い手ほど自分の回復限界を超えない傷や痛みに対して鈍感になるという特徴がある。
ホルストも血が流れだす前なら、槍で自らの腹を割かれようとも苦もなく治せる。
しかし、昼のあの少女の動揺は演技などではなかった。今まで苦しむ患者を見てきたホルストにはそれがわかる。
ここで結論は出せないと感じたホルストは「明日の準備があるので帰ります」と言って部屋を後にする。
「ああ、すまなかったホルストさん」
市長は顔をひきつらせながら見送る。
「この埋め合わせはまた」
ホルストもただでは起きない。これを貸しにして都合よく使ってやろう。そう考えながら診療所の路につく。
「明日だ。そう明日になれば少女の能力はわかる。治療班は私が取り仕切るのだからベルという少女も私の配下につくことだろう」