ふたりきりの冬の童話祭
中学3年生の冬、僕は学校のコピー機を利用していました。
2台のコピー機が並べて設置されているその部屋は大きく、それ故に物置部屋としても利用されていました。現在のコピー機と違い、図体が大きく場所を占有し、動作音も騒々しいコピー機はその物置部屋に放り込まれていたのです。
部屋は昼だというのに薄暗かったです。ゴミ同然の物を明るく照らしても意味がないので、電灯が点かない設定にされていました。電灯が点くのは部屋の入口付近だけ。入口付近に並べて設置されている2台のコピー機だけが明るく照らされていました。
ひとつの部屋に明と暗がハッキリと両立していました。
そしてそのもう1台のコピー機を清雪先生が利用していました。
清雪先生は20代後半の独身女性でした。担当は音楽。ショートヘアで背が高く細身で色白でした。外国人の血が混じっていたのでしょうか、日本人離れしたエキゾチックな美人でした。ハーフかクォーターか。瞳も色素が薄かったように思います。
僕はこの清雪先生が苦手でした。
いつも「なめんなよ!」と言わんばかりに威圧的な目で眉間にシワを寄せ、ヒステリックに生徒を怒鳴り付けます。僕は清雪先生を恐怖していました。音楽の授業を恐怖していました。
その清雪先生がコピー機を利用しながら、突然僕の顔を覗き込むようにして甘い声で話かけてきました。
「ねぇ、紀ノ川君。個人授業しよっか?」
僕はその時の清雪先生の顔に驚きました。
目が違うのです。
いつもの目と全く違うのです。
瞳をいたずらっぽく輝かせ、やさしい笑みを浮かべている紅潮したその顔は、恋する乙女そのものでした。
僕は清雪先生のそんな顔をはじめて見ました。
「個人授業」というタイトルのHな映画がある事は知っていました。が、見た事はありませんでした。それでもそのタイトルから内容は想像出来ました。
と同時に疑いも浮上しました。
つい先日、クラス全員の前で吹かされるリコーダーの実技テストがあったのです。思春期特有の自意識過剰に支配されていた僕は、指と歯と息が震え醜態をさらしたのです。
僕の後ろには実技テストの順番待ちのクラスメイトが並んでいました。そのクラスメイトが思わず漏らした失笑を今でもハッキリと覚えています。
「先生が教えて、あ・げ・る」と甘美な言葉で誘惑し、放課後の音楽室に連れ込むと、僕の下手糞なリコーダーの腕前を徹底的にしごくのではないかと疑いました。
瞬時に以上の事が僕の頭の中を駆け巡りました。次の瞬間、清雪先生は自分の操作しているコピー機へと体の向きを戻しました。無言で口元に笑みを浮かべたまま。
その後、清雪先生とふたりきりで話す機会は無く、僕は中学校を卒業しました。
それから30年近い時間が、コピー機から吐き出される紙の如く、積み重なりました。
僕は今でも独身で童貞です。
あの時、清雪先生に向かって一歩踏み出し、彼女の両肩に僕の両手を乗せ、
「チュ!」
と軽く唇を重ねておけばと悔やまれてなりません。
ふたりきりの秘密に言葉は不要です。
あの時、清雪先生の言葉にキスで答えてさえいれば……
以上「ひとりきりの冬の童貞祭」でした。