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どうせ幽霊部なんだし、いいじゃん

「だからヒロシは馬鹿だというんだよ」

 繁殖期のウシガエルのようなゲップを(とが)めた俺に向かって御陵(みささぎ)未亜(みあ)は言った。

「ボクのように可愛い女の子でも、鼻クソをほじるし、ウンコもするし、オヤジのように尻をボリボリと掻きながら屁も放くの」

「いいや。それはお前だけだ。幡枝さんならしないね。絶対にしない」

「へっ」

 反論する俺を未亜が嘲笑う。

「ヒロシは女子に幻想抱きすぎ。幡枝先輩だって便秘がひどい時には肛門に指を突っ込んで、ヒーヒー言いながらほじくり出しているに違いないのだ」と今度は周りに聞こえる大音量で言い放った。

「声がでかいって」

 声を潜め思わず辺りを見回す。何人かの客が迷惑そうにこちらをチラ見していた。しかし未亜は意に介する様子もなく、トレイの上に散らばったポテトを平然と頬張った。ここはマクドナルドの店内なのだ。

 自身を「ボク」と呼ぶ少々イタいこの女は、自分で言うだけのことはあって実際見てくれは悪くない。あまり認めたくはないが、世間一般では可愛いと分類される女子だろう。整った小さな顔にネコ科の動物を連想させる大きな目。身長は百四十センチメートル台と小柄だが、それなりのメイクとファッションで原宿(俺が唯一知っているオシャレそうな東京の街の名前)辺りを闊歩(かっぽ)すれば、春の陽気に当てられた三流芸能事務所のスカウトマンが一人ぐらい声をかけるかもしれない。

 なのにだ。なぜこいつは飲食店において、肛門などと言う単語を平然と口にすることができるのだろう。そして女の子に対し幻想を抱くことの何がいけないというのだ。俺とて日々暖かくなるにつれ、街ゆく女子の服装が軽快になっていく様子が嬉しい年頃の、普通の男子高校生なのだ。

「で、あれは何なんだよ」

 俺の問いかけに未亜が面倒臭そうに答える。

「何が?」

「何がじゃない。さっきの部活紹介会だ。部員が集まらなかったらどうするんだ」

 松ヶ崎高校では毎年新一年生向けの部活紹介会が、学校行事の一環として盛大に行われる。体育館に集められた新一年生の前で、各部が勧誘合戦を行うのだ。去年の二学期に発足したばかりの我が漫画研究部も、文化部の末席にその名を連ね七分の時間を割り当てられた。ところがその七分を未亜が台なしにしてしまったのだ。

「どうせ幽霊部なんだし、いいじゃん」

 松ヶ崎高校漫画研究部部員は現在全四名。三年で部長の幡枝薫さん、同じく副部長の榊田憲二さん、そして二年の俺こと篠原広志と御陵未亜で構成される。未亜が言うように実質的な部活動を何ひとつ行っていなかった俺たちは、与えられた時間を定型句的部員募集と現部員の自己紹介で乗り切ることにした。余った時間は質疑応答に回し、新一年生の挙手がなければ時間前に即時撤退という計画である。踊りや寸劇などのパフォーマンスを何日も前から練習し披露する情熱大陸的な部には誠に申し訳ないプランだ。

 俺たちは一人三十秒のノルマ(三十秒がこんなに長いとは!)を辛うじてこなしていったのだが、最後に口を開いた未亜が自己紹介のあと、そのまま延々としゃべり続けたのである。

「漫画研究部では地球防衛軍隊員の募集も同時に行っています。みんなの地球をエイリアンの脅威から守りましょう」

 しばらくの静寂のあと、新一年生たちがざわつき出すのがわかった。

「エイリアンの宇宙船が地球に到達するまでもう時間がありません。衛星軌道に乗られたらおしまいです。我々はこれを断固阻止しなければなりません」

 それは現在地球に接近しつつある小惑星が、実はエイリアンの侵略宇宙船であるといういつもの電波話だった。既に先遣隊が地球に潜入し、アメリカ政府首脳を洗脳しているという。

「パイロット経験者優遇。未経験の方にもシミュレータにて充分な指導を行います」

 滔々(とうとう)としゃべり続ける未亜の気迫に押され、俺たちはその様子をただ眺めているだけだった。三分で終了するはずの漫画研究部の紹介は、持ち時間をきっちり使い切り終了した。

「漫研で地球防衛軍の隊員募集をしてどうするんだ。地球防衛軍はお前個人の活動だろうが。こんな怪しげな漫研に誰が入るっていうんだ」

「幡枝先輩は笑っていたよ?」

「あれは苦笑いだ」

「榊田先輩も時間が埋まって助かったと誉めてくれたし」

「それは皮肉だ。そもそもパイロット経験者って何なんだ?」

「シューティングゲームとかでネ申(神)と呼ばれている人」

「やっぱ、そう言うレベルかよ」

「あー、馬鹿にしているな。アメリカ軍だってオンラインゲームで、有能な兵隊をスカウトしているんだぞ」

 ここで未亜が言うところの「地球防衛軍」について説明しておこう。理解する必要は一切ない。バックグラウンドだけ知ってもらえればそれでいい。

 結構な騒ぎになったので覚えている人も多いと思う。数年前、とある新聞に掲載された「小惑星地球に衝突か」という見出しに端を発するあの事件だ。記事は軌道が交差しているだけで小惑星はぶつからずに通過するというものだった。ところが限りなくバラエティーに近いテレビの自称科学番組が、「地球最期の日」などと無責任にこの記事を取り上げ(あお)ったのだ。センセーショナルなフレーズは当時一部人々のパニックを引き起こした。ネット上で構築された様々な終末論がリアル世界にも拡散し、これに乗じた詐欺事件の横行が社会問題化したのだ。政府が大々的に否定することで事態は収束したが、未だできていない人間が今俺の目の前にいる。

 小惑星がエイリアンの巨大宇宙船だとする説は、当時の似非科学番組においても紹介されたものだ。騒ぎの絶頂期でさえ電波扱いのトンデモ説をもとに、未亜は去年の秋頃から地球防衛軍設立活動を一人進めているのだ。もちろん彼女が言うところの地球防衛軍は、彼女の脳内にしか存在しない。

「一人入部したし、いいじゃん」

 未亜がカップの底に残ったコーラを、耳障りな音を立てストローで吸い上げる。

「あれは幡枝さんの知り合いだ。もともと漫研に入る予定だった子だ。今日の部活紹介会には一切関係ない」

「うるさいなぁ、もう。オシッコしてこよぉーっと」

 未亜は大きな声で宣言し立ち上がると「オシッコ、オシッコ」と叫びながらトイレへと消えた。周囲の視線が、痛い。


 商店街内のマクドナルドをあとにして、麗らかな春の陽射しの中を歩くこと十数分。自宅近くの児童公園までやってきた。桜はとうに見頃を過ぎ葉桜となっている。短縮授業のためか珍しく小学生たちがたむろしていた。三、四年生ぐらい。

「あ、師匠だ!」

 小学生の一人がこちらを見て声を上げる。どうやら未亜の知り合いらしい。

「師匠!」「隊長!」と口々に叫びながら、五人の小学生が未亜をたちまち取り囲む。

 古今東西のアニメや特撮、ゲームに精通する未亜は、近隣小学生たちの間でカリスマとして崇められる筋金入りのオタク女子だ。女子高生ながら小学生相手に、本気の「戦隊ごっこ」や「ライダーごっこ」に興じることも珍しくない。

「師匠、ダイキが」

「取り戻して」

「トレカ盗られた」

「中学生が盗った」

 一斉にしゃべり出した小学生たちを制し未亜が言った。

「ええい、要領を得ん。ダイキ、お前が説明しろ」

 さっきまで泣いていたのだろう。ダイキと呼ばれた男の子は目と鼻を赤くしていた。未亜に促され、ぽつりぽつりと話し出す。トレカのファイルを持って友達の家に遊びに行く途中、中学生二人組がファイルを見せて欲しいと寄ってきたという。嫌がるダイキから強引に奪い取ると、中で最もレアなトレカを引き抜き「トレーディングな」と二束三文のトレカ数枚を押しつけ去って行ったのだ。未亜の顔にみるみる浮かぶ憤怒の表情。

「どっちへ行った? 何分前だ」

 ダイキが指さした方角は、さっきまで俺たちがいた商店街だった。時間はわからないという。

「よしダイキ、その二人の顔は覚えているな」

 言うやいなや未亜はダイキの腕をつかみ走り出した。他の小学生もあとに続く。

「おい、どうするつもりだ!」

「トレカを取り戻す!」

 小さな頃には信じて疑わなかった「戦隊ヒーローもの」における勧善懲悪。明解な物語は少年の正義感を刺激してやまなかった。だが小学生も高学年になると、これが社会的法律的に整合性を欠くものであることになーんとなく気がつく。そして自然とこれら「戦隊ヒーローもの」から卒業してゆく。ところが未亜はその過程を経ないまま現在に至ってしまった。彼女は今もなお、戦隊ヒーロー的勧善懲悪こそ社会正義の規範であると信じて疑わないのだ。結果彼女の取る行動は、取るに足らない些細な揉め事を高度に複雑化させる。そして今その複雑化が進行しようとしている。

 慌てて俺も後を追う。未亜はしばらくダイキを引きずるようして走っていたが、途中で背中に担ぐと猛ダッシュをかけた。

「つかまれれダイキ、加速装置!」

 短距離走レベルの速度で未亜が住宅街を疾走する。あの小さな身体の、どこにこんなパワーが隠されているのだろう。空に近いカバンしか持っていない俺が着いて行くのがやっとなのだ。追いかける小学生たちが次々と脱落していく。

「あれ、あの二人……」

 商店街の入口が見えたところで、ダイキが未亜の背中で指をさす。その指の先には制服こそ着ていなかったが、明らかに高校生以上と思われる年齢の二人組がいた。

 小学生の目撃証言、当てにならねぇ。ちょうど商店街から出て来たところだ。未亜はダイキを背中から降ろすと制服のスカートを(ひるがえ)し、躊躇(ためら)うことなくその二人に近づいてゆく。そして立ちはだかると、推定身長差二十五センチの男二人を見上げ言った。

「ダイキのトレカを返しなさい」

 俺はまだ肩で息をしているというのに、呼吸が乱れている様子は微塵もない。

「はぁ? 何言ってんの、この女。意味わかんねぇーし」

「ちょっと可愛いじゃん。後ろにいるのは彼氏?」

 二人連れは制服姿の俺と未亜を交互に見比べ、ヘラヘラと笑った。まるでマニュアルにでも書いてあるかのような典型的不良の態度。未亜が最も嫌うタイプの人種だ。これはまずい、止めなければ……と思った時には遅かった。

「もう一度言う。ダイキのトレカを返しなさい」

「知らねーよ」の「よ」の音が発せられる前に、未亜のコブシがぐしゃりと男の鼻柱にめり込んだ。微塵の迷いもない渾身の一撃。

 そう。彼女は実力行使を持って勧善懲悪を実践する人間なのだ。

「ぶあっ」

 悲鳴を上げ、顔を押さえた男の両手から血がしたたり落ちた。

「てめえ……」と言いかけた相棒の股間に、今度は未亜のつま先が突き刺さる。

「ぎゃっ!」

 反射的に股間を押さえ前屈みになったところに、カウンターの飛び膝蹴りが男の顔面を襲う。あとは地獄だった。

「肉食系パンダの未亜様をなめるなぁ!」

 意味不明な言葉を口にしながら、未亜は休むことなく効果的に急所を攻撃する。顔面、金的、腹、脇、首……容赦なしだ。

「いてっ」

「やめっ」

 二人とも鼻を強打され涙で前が見えないらしく防戦一方だ。顔をかばえば腹に蹴りが、腹をかばえば顔にコブシが次々と繰り出される。強烈な先制攻撃からの急所責めは未亜が得意とする戦法だが、男子高生二人相手に反撃の暇さえ与えないとは……。喧嘩は体力よりも場慣れした方が強いとは言うけれど、こいつ、ここまで強かったっけ?

 ようやく追いついた小学生四人とダイキが未亜に声援を送り出した。彼らには戦隊ごっこの延長に見えているようだが、とても洒落にならない状況だ。

「やめろって。二人とも無抵抗だぞ」

 羽交い締めにして止めると、未亜が鼻息も荒く唾を飛ばしながら叫んだ。

「止めるな! こういう性根の腐った連中は、とことん懲らしめるに限る!」

 その隙をみて二人組が逃走を図る。一人を辛うじて取り押さえたが、もう一人には逃げられてしまった。

 トレカの件を二人で改めて問いただした。口を濁す男の態度を見て再び殴りかかろうとする未亜、それをなだめる俺。昔の刑事ドラマを彷彿とさせるやりとりが功を奏し、鼻血と鼻水と涙でぐしゃぐしゃになった男が口を開いた。

「ショッピ(・・・・)で売りまひた」

 男を先頭に商店街内のショップ(・・・・)へ向かう。その後ろに小学生五人がゾロゾロと続く。お買い物に訪れている上品な奥様方の好奇の視線が集まる中、未亜が「キリキリ歩け!」と男の尻を蹴った。ホント勘弁してくれ。

「そう言われてもね。そっちのトラブルはウチには関係ないしね。こっちは適正価格で買い取っているだけなんだけどね」

 話が(こじ)れないよう、未亜に代わって俺が店長に事情を説明したのだがこの応対である。盗品だと訴えているのに取り合おうとしない。そう言えば表にマジコンがどうのこうのって張り紙があった。おそらく真っ当な業者ではないのだろう。未亜の目が怒りに燃えている。肉食系パンダの店内再暴走は避けたいところだ。

「この人は未成年です。未成年からの買い取りには親の同意書が必要なはずですよね。場合によっては消費生活センターに相談しようと思うのですが」

 効果てき面だった。「警察に届ける」と言わなかった俺の機転も素晴らしい。お互い警察にはあまり係わりたくない。「一方的な暴行」で事情を聞かれるのは俺たちかも知れないからだ。買い取り金額の三千円(売値は一体いくらになるのだ!)を男に支払わせ、トレカが無事持ち主の手に戻った。ダイキ満面の笑顔。過程はともかくも悪くない気分だ。

 鼻血がようやく止まった男の名前と学校名、自宅の電話番号(もちろん電話して確認)を聞き出し解放してやった。だが肉食系パンダの怒りは未だ収まらず、過剰分泌されたアドレナリンの矛先が今度は俺に向いた。

「なんで止めたんだよ、一人逃がしちゃったじゃん! どうするんだよ!」

 俺のスネをガシガシと蹴り出した。やむを得ない。

「よーし、全員にアイスを奢るぞ!」

 この俺の一言に、未亜は小学生五人と共に歓声を上げた。

 六人を引き連れ児童公園まで戻り、公園向かいのコンビニに入った。未亜が当たり前のようにハーゲンダッツの並ぶ奥のガラス戸へ直行する。

「うふふふ。これのチョコチップクッキーが最高に美味いのさ」

 ガラス戸を開けようとする未亜の首根っこを摑み、出入り口近くのアイスボックスまで引き戻す。一人一個ずつ好きなものを選ばせた。予定外の出費が痛い。

 児童公園で開かれるささやかな祝勝会。

「エイエイオー! エイエイオー!」

 勝ち鬨を上げる小学生五人が、上気した顔で未亜を見つめていた。まるで降臨した女神でも目の当たりにしたかのように。これが彼らの「何かしらの刷り込み」にならなければ良いのだが。

「さっきの肉食系パンダって何だ?」

「パンダも希に肉食するって知ってた? 能あるパンダは牙を隠すってね」

 全くもって意味不明。だが。

「おい。その手、大丈夫なのか」

 アイスバーを持つ未亜の手の、コブシが擦りむけていることに気付く。

 どれだけ強く殴ったのだ!

「こんなの(つば)つけておけば治る」

 本当に傷口を舐めようとする未亜の手をつかみ、水飲み場で洗ってやる。特に痛がる様子はないので大した怪我ではなさそうだ。

「ヒロシの手の触り方、エロい。なんかエッチなこと考えてるだろ」

「考えるかボケ」と言いつつ未亜をよく見ると、制服の袖やスカートに血が点々と飛び散っているのが確認できた。肉食系どころか血まみれパンダ。恐ろしいヤツだ。絶対敵には回したくない。

「すぐクリーニングに出さないとシミになるぞ」

「今時のクリーニング屋さんは、どんな汚れでも綺麗に落とすから大丈夫。この間、テレビでやっていた」   

 ああ言えばこう言う。

「隊長と付き合っているのか?」

「チューしたのか? チュー」

 何かしらの勘違いをした小学生たちがはやし立てる。未亜がハンカチで手を拭きながら適当なことを言った。

「チューぐらいするぞ。大人だからな」

「おお!」と小学生一団が色めき立った。

 もちろんそんな事実はない。あってたまるか。

「大人のテクニックというものを見せてやろう」と未亜がアイスバーを卑猥に舐めだした。

「ほらほらヒロシ、こんな感じ?」

 小学生たちがポカンと見つめる中、アイスバーを下から上へゆっくりと舐め上げる。いたいけな小学生の前で何をしてくれるのだ!

「やめんか、このエロパンダ」

 アイスバーを握っている手をつかみ口もとから引き離すと、アイスが棒から外れボトリと地面に落ちた。

「あーっ! 何をする! もったいない!」 

 未亜は地面に落ちたアイスを手で拾い上げると水飲み場で洗い出した。しかし水の勢いが強すぎたのだろう。

「うわぁ! ヒロシ、ボクのガリガリくんが溶けてなくなったぁ!」

 半泣きする未亜を爆笑する小学生たちが取り囲んでいる。さっきまでの惨劇がまるで嘘のよう。


 ホームルーム前の教室で、クラスメイトの黒田が話しかけてきた。

「ゴリョウさん、昨日の部活紹介会でぶちかましたらしいな。見たかったなぁ」

 未亜は校内において「ゴリョウ」と呼ばれている。「御陵」を「みささぎ」と読める者などいるはずもなく、誤読がそのままあだ名となったのだ。この呼び名は小学校高学年以降に発生したもので、それ以前は「みゃーちゃん」と呼ばれていた。幼稚園以来の幼なじみである俺が、彼女を「ゴリョウ」ではなく「未亜」と呼称するのはこのためだ。

 家も近かったこともあり未亜とは家族ぐるみの付き合いだ……と言うと美少女ゲームのシチュエーションを連想し、羨む諸兄もいるかも知れない。しかし現実世界における男女の幼馴染みなどというものは、中学生にもなると趣味嗜好友人が変わり、自然と遠ざかってしまうものだ。とりわけ未亜の場合は特殊である。俺もガチの「戦隊ごっこ」に、いつまでも付き合ってはいられないのだ。

 久々に会話らしい会話をしたのが同じ高校を受験すると知った時。そして登下校を共にするようになったのが高校一年二学期の始業式の日……。

「大人しく黙っていれば、そこそこランク高い女子なのにねぇ。どこで道を誤ったんだろうねぇ。そもそも地球防衛軍ってどんな活動しているの?」

 同じくクラスメイトの松本だ。二人とも帰宅部なので部活紹介会に縁がない。

「ただの設定遊びだよ」と俺は答える。答えるようにしている。

「たしか前に光線兵器の射程がどうのこうのと言っていたよねぇ。遮蔽物のない宇宙空間では、巨砲巨艦主義が復古するとかなんとか。とても女子の発想じゃないよね」

 むしろ彼女の中に女子的要素を見いだす方が難しい。

「俺は巨根巨乳主義が良いけどな!」

 俺と松本が冷ややかに見つめる中、黒田が自身の下ネタで一人爆笑している。朝から実に暑苦しいヤツ。未亜なら一緒に爆笑しているところだろうが、幸いクラスは別だ。

 実際未亜の地球防衛軍設立活動は「設定遊び」としか言いようがない。設定をひたすら紙に書き連ねては一人悦に入っているのだ。だがどうせ遊びならば、もっと弾けたものにすれば良いと思う。彼女の地球防衛軍には一隻の宇宙戦艦と三機の宇宙戦闘機しか出てこない。普通何十隻かの大艦隊を考えそうなものだが、これではあまりにも地味だ。そのくせ搭載される兵器などはやたらと設定が細かい。

「その(こだわ)りって何なんだろうね」

「俺に聞くな松本。興味があるなら本人に直接聞けば良いだろ?」

「下手に聞くと巻き込まれそうで怖いよ。僕は篠原のようにはなりたくない」

 俺と未亜が登下校を共にするようになって七ヶ月あまり。しかし誰一人として「付き合っている」と考える者はいない。むしろ「いつも大変だね」と同情を買う。なぜなら俺はこの半年の間に、未亜の「お客様相談窓口(カスタマーサービス)」としてすっかり認知される存在になってしまったからだ。

 彼女が何かしらの問題を引き起こすと、その報告は全て俺のもとへ届けられる。俺は必要に応じてその対処を行うのだ。先日のトレカ事件の事後処理も、実はこれら業務の一環にすぎない。最近では授業中における未亜の不規則な言動に頭を悩ます一部教師陣から、「未亜の取り扱い」について相談を受けるまでになった。

 ただし本人の名誉のため、これだけは言っておこう。未亜はすこぶる頭が良い。もともと成績優秀だったが去年の秋頃から拍車がかかり、期末試験において全科目満点という偉業を成し遂げた。授業中の不規則な言動というのも、実は教師のミスや不適切な言い回しを指摘する行為がほとんどだ。指摘する内容そのものは的確らしいがあの性格である。あとに続く余計な一言二言が教師のプライドを著しく傷付けるのだ。

 ちなみに彼女は塾に通っているわけでも、夜遅くまで勉強をしているわけでもない。信じられないことに(羨ましいと言うべきか)ほとんど根拠なく頭が良い。あえて言うなら遺伝であろうか。御陵家は父、姉ともに大学教授という学者一家なのだ。


 部活紹介会から一週間。俺が予測するまでもなく、漫研の入部希望者は一人だけだった。

「ほら見ろ。来年も入部がなければ部員は三人。部の規定人数に足りないからサークルに降格になるぞ」

「地球防衛軍も入隊希望者ゼロだから痛み分けだね。で、サークルに降格すると何か困ることがあるの?」

 サークルに降格すると部室がなくなる。部室がなくなると顧問の城崎(きのさき)先生の居場所がなくなる。居場所がなくなると城崎先生の機嫌が悪くなる。……あれ? 城崎先生が困るだけの話か。なんだ、大した問題ではないな。それに大挙して新入部員におしかけられても、それはそれで俺たちも困ってしまうわけだし。

 今日の部会で新入部員の歓迎会が開かれることになり、俺と未亜は部長の命を受け学校近くのコンビニに買い出しに来ていた。未亜が「ピッピッピッ」と言いながら手当たり次第に菓子類を、俺が持つカゴの中に放り込んでいく。

 子どもか、お前は。

「ちゃんと計算して入れろよ。予算は二千円。紙コップも買うんだからな」

「ちゃんと計算しているよ?」

 未亜は一通りのものをカゴに放り込むと「これでチョッキリ二千円」と言った。

「嘘をつけ」

 まさかと思いつつレジに行くと、驚くことに税込み二千円と出た。

「お前、いつフラッシュ暗算ができるようになったんだ?」

「バーコード読めば簡単じゃん。二千円チョッキリになる組み合わせを十七種類算出、その中のベストセレクションが……」

 はいはい、聞いた俺が馬鹿でした。

 学校に戻り、埃っぽい下駄箱から部室棟に繋がる渡り廊下に出る。グラウンドの香りとともに金属バットの打撃音が聞こえてきた。体育会系では新一年生を交えた練習が既に始まっているようだ。渡り廊下から先は、昭和の風情漂う木造の旧校舎が部室棟として使われている。一応耐震補強工事を施してあるそうだが、一歩進む度に床がギシギシと不気味な音を立てた。

「買い出し戻りました」

「ご苦労様」

 漫画研究部と書かれた小さなプレートが貼られた扉を開けると、部長の幡枝さんが労ってくれた。これが人前では絶対にゲップをしない幡枝さんである。野暮ったいセルフレームメガネに隠れているが、実は超美形であることを俺は知っている。百七十センチに迫る長身とスレンダーなボディ。小さな顔と長い手足はまるでファッションモデルのよう。背中に届く美しいロングヘアーはいつも緩い三つ編みにしており、大人の女性を彷彿とさせる物静かな佇まいも実に魅惑的だ。ところが漫研の部長という先入観と、日頃の理屈っぽいしゃべり方が仇となっているのか、校内男子の評価は「のっぽのメガネ女」というのが一般的だ。しかしそれで良い。幡枝さんの魅力を知る男は俺だけで良い。

 あれは去年の秋。とある土曜の午後に俺が珍しく市立図書館に訪れていた時のことだ。

「その本、何の役にも立たないよ」

 声のした方を見ると、幡枝さんが穏やかな笑みをたたえ立っていた。ちょうど俺が「精神分析入門」という本を棚から取ろうとしていたところだった。

「少し時間ある?」

 誘われるまま図書館一階の小さな喫茶店に入った。入ってから女の人と二人だけで喫茶店に入るのが初めて(未亜は数に入らない)であることに気がつく。漫研も発足間もない頃でお互いほとんど話したこともなかった。緊張しているのを悟られないよう、さりげなさを装うが返って緊張が増す。

「さっきの本は篠原君の趣味?」

 幡枝さんはホットコーヒーに砂糖もミルクも入れず口をつけた。

「趣味というわけでは……」

 俺も真似をしてブラックに挑戦するが想像以上に苦かった。砂糖だけでも入れておけば良かったと後悔するがあとに引けない。思わず「苦っ」という顔をしてしまったが、幡枝さんは気にとめることなく話を続ける。

「ゴリョウさんのため?」

 夏休みの間、御陵未亜に何かあったらしい……。当時そんな噂が全校に広まっていた。休み明け数週間の鬱状態と、地球防衛軍設立宣言後の躁状態との落差は、マリアナ海溝とチョモランマほどもあり、校内の少なくない人間が振り回された事実は隠しようがなかったのだ。もともと目立つ生徒であったことも災いし、影で悪意ある中傷をする者もいたという。しかし躁状態に転じた未亜の勢いは凄まじく、それら噂を一月ほどで一掃させている。実のところ俺も彼女に何が起きたのか、今も詳しくは知らない。

「私はゴリョウさんのことを知らない。だから私がとやかく言える立場にないのは重々承知している。でも形だけとはいえ、同じ部の先輩と後輩になったのは何かの縁だと思うの。余計なお世話かも知れないけど、意見させてもらっていい?」

 ゆっくりとした回りくどい口調に、正直この時俺は「面倒くさそうな人」と思った。

「どうぞ」

「人の心は専門家でさえ理解するのが難しい。素人がにわか勉強してどうこうなる問題ではないの。篠原君にできることは話を聞いてあげること。ただそれだけ」

 目から(うろこ)が落ちる思いだった。この頃の俺は当時情緒不安定(今が安定しているという意味ではけしてないのだが)だった未亜に対し、「何かしてやらなければ」と焦っていたのだ。そうだ。俺ごときに何ができると言うのだ。「何かしてやらなければ」など烏滸(おこ)がましいにもほどがある。それに気がついた時、少し肩の荷が軽くなるのを感じた。

「ゴメンね。なんか偉そうなこと言っちゃって」

 幡枝さんがメガネを外し、ポケットから出したハンカチでレンズを磨く。

 目の覚めるような美形がそこにいた。

「それとさっき篠原君が手にしていた本。フロイトは精神分析のパイオニアとして有名だけど、現在ではその理論のほとんどが実践とはかけ離れたものとされているわ。精神分析入門は古典として読むべき書物なのよ」

 近眼特有の、やや焦点の定まらないトロンとした目が俺を見つめていた。安いヤツだと笑ってもらって構わない。俺は幡枝さんに恋をしたのだ。

 俺は思いきった。

「あの」

「なに?」

「未亜のことで時々相談に乗ってもらってもいいですか」

 未亜をだしに使うのは気が引けたが、幡枝さんと二人だけで会う絶好の口実だった。

「私で良ければ喜んで」

 幡枝さんがしっとりと微笑んだ。

 その後俺と幡枝さんは月に一、二度、市立図書館の喫茶店で話す間柄になった。このことは誰も知らない。俺と幡枝さんだけの秘密(なんと甘美な響きだろう)なのだ。

「二千円ちょうど? 偶然? それとも合わせたの?」

 レシートを見た幡枝さんが驚く。

「偶然ですよ、偶然。たまさかです」

 俺のスネに蹴りが入る。未亜だ。

「偶然じゃない。ちゃんと計算した。棚のバーコードを読んで!」

「痛てぇな。じゃ、これ読んでみろ」

 俺はポテチの袋に印刷されたバーコードを指さした。

「はい、それまで。ここはゴリョウさんの勝ち。実際二千円ちょうどなんだし」

 幡枝さんが子どもの喧嘩を仲裁するように言った。

 くそ、お前のせいで俺が大人げない人間だと思われてしまったではないか。睨むと未亜が俺に向かって舌を出した。なんてむかつく女! そんな未亜に副部長の榊田さんが声を掛ける。

「ゴリョウさん、宇宙戦闘機のデザインできたけど、見る?」

「え、ホント? 見せて見せて」

 たちまち笑顔になった未亜が榊田さんに駆け寄り、小さなスケッチブックを覗き込む。榊田さんに発注していたメカデザインが上がったらしい。

「あ、すごい、カックイイ!」

 榊田さんは美少女とメカを描かせたら天下一品だ。俺も何枚かスケッチを見せてもらったことがあるが、プロ級と言っても過言ではない。スケッチブックを埋め尽くす煌びやかな美少女にアニメチックなメカの数々。軍の装備とかにもやたらと詳しい。だが所謂「オタク臭」を感じさせるタイプではない。表向きは学業、スポーツとも無難にこなす爽やか系男子だ。漫研に入る前まではそこそこモテたと聞く。逆に言うと漫研に入り素性がばれ、モテなくなったと聞く。なぜ榊田さんは二年生の二学期という中途半端な時期にリア充を捨て、わざわざ茨の道を選択したのだろう。未亜は今までに宇宙戦艦をはじめとする幾つかのメカデザインを榊田さんに発注している。彼女の脳内宇宙艦隊の進宙式も、そう遠い未来の事ではないだろう。

 さっきから一言も発さず、幡枝さんの隣でお客様然としているのが新入部員の岩倉だ。身長は未亜と同じぐらいだが、思わず「ちゃんと食べてる?」と声を掛けたくなるほど痩せている。それに加えショートカットであどけない顔をしているので、「小学生です」と紹介されれば、それを疑うものはいないだろう。何回か話しかけたが異常なまでの人見知りと無口さで、他人とのコミュニケーションを頑なに拒否している。ここ何日かの接触で俺が彼女から聞き出した情報といえば、工場見学系のテレビ番組が好きということぐらいだろうか。

 彼女、下の名前を「ともみ」という。名前についてはこれ以上触れない。彼女は物心ついてからの何年かを、この名前で苦労したに違いないからだ。彼女の無口さはその名前に要因があるのかも知れない。

「はぁあーい、遅くなってゴメーン!」

 ガラガラと勢い良く部室の戸を開け、賑やかに現れたのは顧問の城崎(きのさき)ミサキ先生である。漫研の創設者でもある城崎先生は、日系アメリカ人の英会話講師だ。派手な顔立ちにポッテリとした厚めの唇。妙に肉感的で悩ましい肢体と容貌は、松ヶ崎高校男子生徒百人中九十三人までがS系女教師モノのAVを連想させるという。

「なぁんだ。まだ準備できていないのぉ? ほら、コップ配って、お菓子広げてぇ!」

 このハイテンションな日系三世だか四世だかの英会話講師は、生まれも育ちもアメリカながら日本語は完全なネイティヴだ。日本のアニメと漫画の大ファンで、アニメのセリフを丸暗記することで日本語を覚えたという。

 アニメの中で描かれる日本のハイスクール生活にあこがれるあまり大学卒業と同時に来日。民間の英会話教室でアルバイトをしながら特別非常勤講師枠を狙うこと三年。去年の二学期から念願かなって松ヶ崎高校勤務にたどり着いたという経歴を持つ。

 ところが着任早々「ファックなんとか」「ファッキンなんとか」を職員室で連呼した挙げ句、なぜか関西弁で校長室に怒鳴り込んだという。

「日本のハイスクールに漫研がないとは、どないなってんねん」

 よりによって松ヶ崎高校には漫研がなかったのだ。日本のすべての高校に、漫研やアニメ研が存在するものと思い込んでいた城崎先生にとって、これは想定外の一大事だった。これでは苦労して非常勤になった意味がない。頭に血の上った城崎先生は「なぜあなた方日本人は自国の文化に対し誇りと敬意を持たないのか」と校長先生に対し小一時間説教をしたらしい。

「それでは城崎先生に一任しましょう」

 校長先生の丸投げ宣言で漫研は発足した。松ヶ崎高校漫研は城崎先生の、城崎先生による、城崎先生のための部なのだ。

 また城崎先生による現部員の選抜には謎が多い。幡枝さんと榊田さんは尋常なく絵が巧いが、当時この二人が漫画を描くことを知る者は校内に皆無だったという。それにもかかわらず城崎先生はこの二人を名指しで入部させているのだ。

 これに対し俺と未亜の入部はその経緯が極端に異なる。残暑厳しい九月下旬の校門で、地球防衛軍隊員募集のチラシを二人して配っていたところをスカウトされた。城崎先生はチラシにあった未亜のイラストを絶賛していたが、今考えてもそれは小学生レベルの拙いものだったとしか思えない。当時の二人の会話を再現してみよう。

 先生「あなた才能あるわ。漫研に入らない?」

 未亜「地球防衛軍と掛け持ちでもいいですかぁ?」

 先生「もちろん」

 ちなみに俺に絵心はない。犬と猫の絵を並べて描いても、その判別は描いた本人にも不可能というレベル。そんな俺が漫研に入る理由なんて限られている。それは有無を言わせない城崎先生の一言だった。

「あなた暇そうだから入りなさい。部を作るには四人以上の部員が必要なのよ」

 俺をはじめとするこの部の部員の、積極性に乏しい姿勢がこれで分かって貰えたのではないだろうか。

「それではぁー、岩倉さんの入部を歓迎してぇー、カンパーイ!」

 城崎先生の音頭で乾杯が行われた。一人の入部しかなかったが上機嫌だ。城崎先生にとっての漫研は、オタク話ができる憩いの場であればそれで良いのだ。実際未亜の部活紹介会の一件についても何も触れない。未亜に対し意見することの無意味さを、この半年で学習したのかもしれない。

「それでは改めて自己紹介をしましょう。まずは新入部員の岩倉さんから」と幡枝さんが切り出した。ところが。

「こちら龍池中学出身の岩倉ともみさん。好きな漫画はハガレン。アニメはルルーシュ」

 自己紹介と言いながら、紹介したのは幡枝さんだった。岩倉はただ黙って座っているだけだ。

「定番よねー。ルルーシュでは誰が好きなの?」

 城崎先生の質問に「スザクくん」と幡枝さんが答える。

 岩倉、お前は古代帝国のお姫様か。

 一人ずつ自己紹介が進み、残り未亜一人となった。

「お前の番だって」

 黙々とスナック菓子を口の中に詰め込んでいた未亜が顔を上げた。口の周りに食べカスを付けキョトンとしている。こいつ、何も聞いていなかったな。

 未亜はおもむろに立ち上がると岩倉を指さし言った。

「岩倉はトモミン!」

 咀嚼(そしゃく)中のスナックが辺りに飛び散る。どうやらあだ名をつけたらしい。

「トモミンって響きが可愛い」と幡枝さんが早速岩倉のことをトモミンと呼び出した。

 会は「いつものように」城崎先生が最近見た深夜アニメの感想を下校時間ギリギリまで話し、お開きとなった。聞くところによると未亜は後日、二時限目の休み時間に岩倉の教室に乱入し「今日から岩倉はトモミン!」と宣言したそうだ。その後岩倉のクラスで「トモミン」という呼称が普及したかどうかは確認が取れていない。


「正直、あこがれるな」

 幡枝さんがコーヒーカップをソーサーに静かに置く。ここは俺と幡枝さんが密会(これまた甘美な響き)を重ねる市立図書館一階の喫茶店。

「現実にそんなに強い女の子が存在するなんて。まるで漫画みたい」

 先日のトレカ事件の話を受けての感想だ。

「あこがれる、ですか?」

 幡枝さんのように上品で可憐で清楚な人が、未亜にあこがれを抱くなんて思いもしなかった。たしかに未亜を支持する女子は多い。日頃の歯に衣着せぬ言動と態度に爽快感を覚えるという。だがその一方で嫌う女子も少なからず存在する。

 以前未亜のクラスでとある女子に対し、生理をからかう発言をした男子(まぁ最低なヤツだよな)がいたという。未亜はこの男子をひっつかまえ、クラス全員の前で生理の(わずら)わしさや生理痛の苦しみを克明に説明し、その男子に謝罪させた。この未亜の行為に対する女子の評価は割れた。男子の前であからさまに生理を語る行為そのものを、セクハラと感じた女子も多かったのだ。

「でもいつかしっぺ返しを食らいそう」

 幡枝さんが憂いながら言った。

「いくら強いと言っても所詮は女の子。不用意に敵を作りすぎ」

「実は既にそのしっぺ返しを食らっちゃったんじゃないかと……」

 俺の言葉に幡枝さんが眉をひそめ、メガネを中指でツイッとあげた。

「女の子に『そういった疑念』を向けてはダメ」

 俺は当惑した。何か間違ったことを言っただろうか。

「一番信頼を寄せている篠原君に疑念を持たれたら、ゴリョウさん傷つくどころでは済まないよ」

 未亜が俺に対し信頼を寄せているかどうかは別にして、幡枝さんの言うことはもっともだった。これではかつて興味本位に未亜の噂話をしていた(やから)と変わらないではないか。

「そんなつもりじゃなかったんですけど」

「知っているよ。篠原君がそんな人じゃないことを。でもね、女の子は篠原君が考えている以上に不条理な精神構造を持つ生き物なの。良く覚えておいてね」

「はい」

「よろしい」

 幡枝さんがしっとりと微笑んだ。

「ところでゴリョウさんってどうして自分自身をボクって呼ぶの? 何かのアニメの影響? 初めは一時的なものかと思っていたんだけど、ずっとだよね」

「ああ、あれはですね。小学校四、五年の頃に、それまで一緒に遊んでいた男子連中から、ある日突然『女とは一緒に遊ばない』って言われたんです」

「ヒーローごっこ」を生き甲斐とする未亜にとって、その宣言は死刑判決にも等しいものだった。未亜はその日からスカートを履くのを止め、髪を括り、自身をボクと言いだした。男子になりきろうとしたのだ。だがその努力の甲斐なく、彼女は男子グループから追い出されてしまう。同類を求め行き着いた先が小学校低学年の男子グループだった。彼女はここでカリスマとして開花し現在に至るのだ。

「なんかそれ、切ないね」

「切ない?」

「男と女って性差とは異なる部分でも区分けされていくでしょ。趣味嗜好的な事とか。編み物大好き男子がいたっていいと思うのよ私は。そういった憤りって感じたことない?」

 幸い俺自身は感じたことがない。未亜は何かしらの息苦しさを感じながら生きているのだろうか。それでも小学生相手に本気の「ごっこ遊び」に興じる女子高校生は、編み物男子と比較しても遙かに少数派だろう。

「で、その時篠原君はどうしたの?」

「どうしたの、とは?」

「他の男の子と同じように、女とは遊ばないって言ったの?」

「……言った記憶があります」

「ゴリョウさんの反応は?」

「ラリアットで伸され、電気あんまを食らい、死ね馬鹿! と言われました」




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