みすたー奴隷ちゃん
案内されたのは、イウコティの部屋だということだった。怪しげなインテリアでもあるのかと思いきや、意外に普通の部屋と変わらない。ベッドにタンス、本棚にテレビ。やけに立派なコンポとスピーカーがある以外、普通の部屋だ。大きな窓があって、その光景だけは普通ではなかった。雲に浮かぶ島々がド迫力で見えていた。
「きみは日本人だったね」
イウコティは壁に吊るされたCDケースからなにやら選んでいる。すごい量のCD。百や二百ではないだろう。
「溶け出した硝子箱、坂本九、ギターウルフ、ゆらゆら帝国、POLYSICKS、村八分、ブランキー・ジェット・シティー。私のお気に入りはこんなものかな。好きなのあるかい?」
「全部知らねぇ」
僕が好んで聴くのは、女ボーカルの曲だけだ。
「嘘だろ? スキヤキ……上を向いて歩こうくらい知ってるだろ?」
怒鳴るイウコティ。なんで怒られてるんだ僕。
「ああ、その曲は知ってるけどさ。音楽ってAKBとジャニーズしか無いんじゃないの、今」
「オオウ……今時の若者!」
天を仰いで額に手を当てる。欧米人みたいに大袈裟な動作だった。
「日本の音楽はねえ、歌詞なり曲なりパフォーマンスなり、ちょっとヒネた奴等が多くていいんだ。で、ヒネてるから万人向けじゃない。好きなバンドの一つでも作って、ライブ行くなりCD買うなりして支えろよ! 日本の音楽死ぬぞ!」
「万人向けじゃないの薦められてもなあ……可愛い女の子が歌ってれば聞くけど」
「じゃあこれとか、これとかこれとか!」
「可愛い……のか?」
ピンクだったりオレンジだったり、ものすごい頭をした女のジャケット。
化粧濃すぎで原型わからんようなの見せられても反応に困る。どうしてみんな真顔なんだろうか。
「いいや、僕は興味ない」
「ぐっ……そ、そうかい?」
悔しそうだ。着エロの魅力をわかってもらえなかった時の自分を思い出せばだいたい近い気分なのだろう。全裸派の短絡的な友人と本気で殴りあった日を思い出す。
「で、音楽が何か関係あるのか?」
「趣味だ」
「あ、そ」
趣味を押し付けるのは大概ろくでもないが、そう言い切られるといっそ気持ちが良い。
「さて、本題にうつるとしよう」
イウコティは一枚のCDをコンポに入れた。ジャカジャカペキペキボォンドンパッと、得体の知れない音楽が大音量で流れ始める。
「――――」
「聞こえねえよ!」
何か言ってるみたいだが、音楽にかき消されて全く聞こえない。停止ボタンを押す。
「というわけで、きみには教師になってもらうよ。なに、教師といっても難しいことはない。小学校レベルのことを教えてもらうだけさ」
「どういうわけだか全く聞こえなかった」
「では、何か質問は?」
山ほどあるに決まってる。言ってやりたいのを堪えて、質問を考えた。まず、状況把握が先決だ。
「ここはどこだ。空の上?」
「意識の海」
イウコティは言って、少し間を開けた。
「きみ達のいる空間よりも、一つ上の場所だ。浮いているのではなく、降りられないのだよ。ここに我々の仲間が千人ばかり暮らしている。主要産業は人身売買だ」
「じんし……ファンタジーみたいな、異世界ってやつなのか?」
「異世界、とは少し違うな。結局は同居しているからね。あくまで一つ上の場所。完全に離れるのは不可能だし、そうする理由も無い」
「一つ上ってのはどういう意味だ?」
「言葉で説明するのは難しいな。二次元に対する三次元。三次元が二次元に高さと奥行きを加えたものなら、ここは三次元に○△×を加えたものだ。無数の三次元時空が連なりできた空間の一つ」
何言ってんのか全然わかんねぇというか、聞き取れねえ。
「えっと、つまり、ここは四次元空間だとでも?」
「まあ、その認識で構わないよ」
四次元、ねえ。
もうここまできたらなんでも信じるけどさ。そろそろ脳味噌の許容量越えそうだ。
「シラもここにいるのか?」
「あれは私達とは別に行動している。そこはきみ逹の世界と一緒で、一枚岩ではないのだよ」
「あー、外国とかなー」
領土に経済、核ミサイルがどうのこうの。
「んじゃ、魔法ってなんなの」
「魔法?」
「シラが言ってた。飛んだりビーム撃ったり」
「ああ……魔法ね。魔法なんて便利なものじゃない。大昔、生態系の頂点に立つ為に使われた能力だ。今は平和だからほとんど使える者はいないのだが、条件次第で目覚める場合もある」
「条件ってなんだよ」
「教えない。悪用されては困るから」
「僕にも使えるのか?」
「無理だね。才能ってやつだ。でもダメ、教えない。はい、他に何か質問は?」
元いた世界に帰れるのか、とか。
訊かなくていいか。帰るつもりもない。では、何を訊けばいい? それ以上は思い付かなかった。
「今のところ、もう無い」
「そうか。では、早速仕事に入ってもらうよ。あとは道々話そう」
イウコティがくるりと身を返して部屋の外に出たので、僕もついていく。
なんの為にここに来た。CDの自慢でもしたかったのか? というか、早速?
「え、いきなり働くの? マジで?」
「働かざるもの食うべからずって言うだろ。忠告しておくが、妙な真似はしないほうがいいよ」
「妙な真似ってなんだよ」
「きみの処遇は微妙なんだよ。すぐに処分したほうがいいって意見もある」
「え、僕死ぬの?」
「そうなりたくないなら、変な気は起こさないことだね。逃げられないのはもうわかったろ?」
島の端に着く。縄と木でできた橋が目の前にあるが、これを渡るのか? 今にも落下しそうじゃないか。
「そりゃあな。飛行石でもないと、ここから飛び降りるのは無理だ」
下を見れば、そこにあるのは雲。その下がどうなっているのかは窺い知れない。
「あ、それアニメだろ? 私も観たよ。久石穣が好きなんだ」
こいつの日本音楽に対する親和性はいったいなんなんだ。
イウコティは臆することなく悠々と橋を歩く。恐々、僕も続いた。
「ここの生活って割とここだけで完結しているのだけど、技術面はともかく、娯楽とか創作の面ではどうしてもきみ逹に勝てないんだよね。分母が違うって言えばそれまでなんだけど」
「はあ……」
前を行くイウコティがなにかしゃべっているが、橋が風で揺れていてそれどころじゃなかった。ようやく隣の島に着いてため息を吐く。そこには割と大きな建物があって、観音開きの扉がついていた。
「だから、きみ逹の世界は切り離せない。特に、日本の娯楽は人気が高くてさ、日本かぶれも結構いる。勿論、きちんと金は払っているよ。でも、日本は物価が高いからね。そこでどうするかっていうと」
扉が開く。中には教室のような机と椅子が並び、二十人程の少年少女が座っていた。
「さっきも言ったが、人身売買。私達はそうして、外貨を稼いでいる」
くらくらと目眩がして、僕は危うく意識を失いそうだった。