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びーーーーむ

 風呂に入っていた十数分、具体的にどんなアクションを起こしたのかは詮索しないでいただけると有難い。一つ言えることは、彼女が入った時よりも水量は減ったということだけだ。


 洗濯機を回してしまったことを後悔しながら回収した長い金髪を丁寧に拭ってジップロックに収納すると、自分の部屋に向かった。自分の着替えは忘れていたので腰にタオルを巻いた格好だ。

 扉を開ける。彼女は思惑通りの姿で、僕の部屋に佇んでいた。


「あ、おかえりなさい」


 自分の部屋に家族以外の女の子がいる光景は、予想以上のトキメキをもたらした。普段、僕がゲームをする時に座る座布団に、彼女の尻が乗っている。折り畳んで枕にしたり眠る時に股に挟んだりする座布団だ。間接的に、僕の尻顔股と彼女の下半身が接触したことになる。なんと羨ましい座布団だ。僕と替われ。


「お待たせ」


 僕はベッドに腰掛ける。タオルを巻いているとはいえ、ほぼ全裸で女の子と同じ空間にいる。それはある種の快挙であり、本能を揺さぶる麻薬のように思われた。ともすれば持ち上がりそうになるタオルを必死で押さえ込む。


「服は着ないのですか?」

「はい、僕はできる限り服は着ない主義です」


 そんな馬鹿な話はない。そうであるなら、今彼女の身を包むそれの存在を否定する。しかし、彼女はそれを疑問に思うことはなかった。


「そうですか」


 なんだろう、この人。頭のネジが何本か抜けているのではないか。愛してしまいそうだ。


「さっきの方は?」

「ああ、エンジェルたん? あれは僕の妹だよ」

「妹さんですか。可愛いお名前ですね。あ、名前!」


 女の子は慌てて頭を下げた。


「ご挨拶が遅れました。私、エム・シラ・ビナクと申します」


 やはり外人。日本人ではないのはわかるが、何人だろうか。そして、どこが苗字でどこが名前だ。


「介抱していただいただけでなく、お風呂までいただいてしまって……大変なご面倒をお掛けしまして、お詫びの言葉も」

「いえ、ウィンウィンの関係なので」

「はい?」

「いや、なんでも」


 今の状況だけ見たって僕の大勝ちだ。

 目論見通り、エム? シラ? ビナク? シラがそれっぽいのでシラと呼ぶ。シラは体育座りで、両手を膝に乗せていた。それはつまり、足の付け根に当たる箇所の前面および側面からのガードが疎かだという意味だ。


 今の僕は哲学者なので、殊更にがっつく訳ではない。だけれども、ここでチャンスを逃すことは許容できない。タイムマシンが実現されたら、明日の僕に殺される。


 こんな時にどうして手元にビデオカメラが無いんだ! 携帯のムービーは明るさの調整が難しいし……。

 ああ、窃盗の証拠提出なんてしなければよかった。データだけでいいのにどうして本体ごと押収されるのか。さっさと警察から取り返しに行ってさえおけば! せめて、せめても、写真くらいは撮らなければ、僕はきっと生涯、この日の自分を罵り続けるだろう。後悔。それは最悪の字面だ。


「シラさんはどこから来たの?」

「あーっ!」


 あ?

 唐突に、シラは大きな声を上げた。


「ど、どうしたの?」

「間違えて本名言っちゃいました……」

「あー……」


 抜けているのだろうか。


「どんな偽名を使うつもりだったのさ」

「鈴木花子です」


 まさかその顔で日本人を名乗るつもりだったのか。アホでもありそうだ。


「あー、あー、なんで私ってばいつもこう……せっかくいろいろ設定考えたのに……」


 大袈裟に落ち込む姿が可愛らしい。期せずして四つん這いになってくれたので、後方のベストアングルから写真に納めた。さすがにフラッシュは炊けないから光量が不安だ。できたら顔込みで身体を写したいが、正面からは難しい。ちらりと窺う。

 可愛いなぁ、もう。


 この子が普通じゃないことはわかる。あの水柱を皮切りに、意味不明な言動、セクハラに対する反応、世界中どの人種にも似つかない容姿。引っ掛かることはたくさんあるが、重要なのは、シラがとびきり可愛いということだ。シラが頭のおかしい人だろうと、もしか本当に非現実的な存在だろうと、それだけで僕は全てを受け入れる用意がある。


 頭をフル回転させて、どうすればシラとお近づきになれるのかを考える。やはり設定というのがキーワードだろう。


「いいよ、さっきのは聞かなかったことにしてノッてあげるからさ、その設定っての話してみなよ」

「本当ですかぁ!?」


 やっぱりチョロい。むしろ彼女のこの先が心配になってしまう。

「で、鈴木さんだっけ?」

「はい! 鈴木花子です!」

「で、その鈴木さんはどうして川で溺れていたの?」

「えっと、えーっと、その、悪い人さらいと戦っていたから?」


 疑問系で言われても。悪くない人さらいもいるのだろうか。


「人間をさらって売り飛ばす悪人をですね、懲らしめるのが私の使命なんです」

「さらうって、ヤクザとか?」

「いえ、あの、異世界から来た悪人です」

「異世界って?」

「あう、その、異世界です」


 設定ダルダルじゃないですかー。

 もう少し練りましょう。


「そっかー、異世界かー。そんな悪人と戦う鈴木さんは何者なの?」

「えーっと、魔法の国からやってきた魔法戦士? みたいな」


 魔法戦士て。RPGじゃないんだから、魔法少女とか言えばいいのに。


「そっか、すごいなぁ。人々の為に戦う正義の鈴木なんだね」


 言葉の選択を誤った気がした。悪の鈴木もいるのだろうか。まあどこかにはいるだろう。


「魔法って、どんな魔法なの?」

「あ、簡単に言えば身体能力の向上なんですけど」


 なにそれすごい地味。


「媒介を使って、すごく早く走れたり、すごく力強くなったり、空を飛んだりビームを出したり」

「ビーム!? マジかよかっけえ!」

「あ、今は出せないんですけど」

「なんだ……」


 そういう設定じゃあ仕方ない。何事も設定ありきの話なのだ。


「こうやって指差すとですね、そこに向かってビームが……」


 シラが窓に指を向けた、その瞬間。

 ビシャウゴウと、聞いたことのない音が耳に届いたと同時、空気が震えた。


「えっ……」


 シラの指先に血みたいな色の光が集まり。


「あっ」


 呆気ない声と共に、現実の光には無いわざとらしさで、辛うじて目に見える速さで、赤い光が駆け抜ける。

 光は通り抜け、窓には野球のボールくらいの穴が開いた。


「…………なんで」


 それは僕の台詞だ。


「すっげ……」


 茫然自失。遥か遠くに逃げていった光は、もうとっくに見えなくなった。

 ギャグじゃない。

 確定。これは、非日常だった。

 陳腐な物語のような、ありがちな設定。僕が出会った女の子は、普通じゃない。

 心のどこか片隅から、歓喜の震えが沸き起こる。

 あんなに望んだ非日常。バカの一念、岩をも通す。

 僕は今、非常識を目撃した。


「あの……」


 感激にうち震えていた僕は、シラの声で我に返る。指差すのは丸い穴の開いた窓。


「あーっ! つうか窓! 穴が!」

「ご、ごめんなさいッ!」

「うん許す!」

「はっ、えっ?」

「そんな場合じゃねーっつーの!」


 窓なんて段ボールでも貼っときゃいい。今はそんなのどうでもいい。


「シラ、お前、すっっっっげぇな!」

「あ、えっ? はい?」

「マジモンの超能力者かよ! 今の何!? どうやったん!?」

「わ、わかりません」

「マジかよ! 魔法戦士の設定どうしたんだよ!」

「あの、ですね。こんなことをしておいて、非常に言いにくいのですけど」

「ん? なになに」

「私、異世界から来たんですけど」

「うん、言ってたな!」

「その、あの、ええっと、私、敵を追いかけるにしても当てが無いし、情報を集めようにも、拠点になる場所が無いんです……」


 ッシャオラッ!

 心の中でガッツポーズ。


「え、じゃあ、ここに泊まる!?」

「いいんですか!?」

「いいとも!」


 むしろこっちがいいんですか!? 僕のテンションがヤバイ。

 うちには昼間、誰もいない。親は食事も基本的に外食で帰りも遅い。朝は早く出て夜はとっとと寝るだけで、二階に上がることはまずない。エンジェルたんはシラを僕の彼女だと思い込んでいる。エンジェルたん以外で僕の部屋に入るやつはいないし、隠し通せる公算は高い。

 なら、行くでしょ。


「ありがとうございますっ!」

「ありがとうございますっ!」

「え?」


 こうして、あえて何一つ理解しないままに。

 僕の非日常的な生活が幕を開けたのだった。




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