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性的なスタンス

 風呂に湯を張り、再びどうしたものかと思案する。


 背負ってみてわかったが、女の子の体温が低い。風呂に入れたほうがいいのは明白だ。しかし、なぁ?

 服を着せたままというのはよくないだろう。でも、脱がすのはさすがに、どうなのか。

 まずいよなァ~? 眠っている女の子の服を脱がすのは、さすがになァ~?


 でも、目を覚ますまで待っていたら、女の子の体温は下がる一方だ。


 仕方がない。

 これも救命行為なのだ。

 最悪、少年法は僕の味方だ。

 と、いうわけで。僕は手を合わせ、いただきますと呟いた。


 唾を飲む。なんだこいつ超可愛い。

 どうやって脱がすのだろう? ワンピースなので僕が服を脱ぐようにはいかない。よく観察すると、背中にファスナーがある。身体を起こしてゆっくりと手を伸ばし、少しずつファスナーを下ろしていく。


「何やってんの?」


 二の腕が波立つくらいに驚き、全身の血液がサッと冷めていった。恐る恐る振り向くと、そこにいたのはエンジェルたんだった。

 エンジェルたんは僕の妹で、今は学校にいるはずだった。


「あ、エンジェルたんか。学校は?」

「それやめて。ちょっと調子悪いから早引けだよ……って、何やってんの……?」

「あ、いやこれは」

「つ、ついに犯罪を……け、警察」

「待つんだエンジェルたん。それは違う」


 エンジェルたんの腕を掴んで携帯を取り上げ、胸ポケットに入れた。


「返して!」

「お兄ちゃんはね、ただこの子の服を脱がそうとしただけだ」

「変態!」


 これは異なことを言うエンジェルたんだ。


「それは違う。それだけで変態なら世界中の非童貞が変態になってしまう。お兄ちゃんは正常だ。ちょっと興奮するのは仕方がないことだ」

「馬鹿じゃないの! 兄の性癖なんてどうでもいいよ!」

「まあ待つのだエンジェルたん。お兄ちゃん、頼みがある」


 家電から警察へ連絡しようとしたのだろうが、先回りして廊下を塞いだ。


「どけ変態!」

「僕の手で行うのが気に食わないのなら、エンジェルたんが入れてやってくれ」

「はぁ? どんなプレイなのそれ……もういいよ、犯罪じゃないのはわかったから」

「本当に? ふっ、普段の僕の紳士ぶりが功を奏したということか」

「普段見てるからこそ犯罪だと思ったんだけど……」

「え、じゃあなんで? 土壇場で兄妹の絆を思い出したの?」

「ていうか」


 エンジェルたんは指を指す。


「彼女めっちゃ笑顔だし」


 見る。

 ほんまや。

 二度見。

 女の子が、めっちゃ笑顔で僕の隣に立っていた。


「うおお!?」

「不登校のくせに、いつの間に彼女作ったの? もう、うちであんまり変なことしないでよね」


 エンジェルたんは僕の胸ポケットから携帯を取り返すと、呆れ顔で去っていった。数秒、無言の時が流れる。女の子のほうからアクションはない。僕はどうにか声を出すことに成功した。


「あ」

「あの……」


 発声が被る。男がリードせずにどうする。


「……あ、風呂沸かしたから、とりあえず入るといいよ」

「え?あ、はい」

「あ、着替えは後で持ってくるから! その服は洗濯機に入れといて!」


 言い捨てるように早口で伝えると、僕は自室に逃げ込んだ。

 しばし悶々と思案する。ここは大事な場面だ。いまだ何が起きたのかさっぱり理解できていないが、重要なのはそこじゃない。今の僕は、すげー非日常っぽい。


 着替えを用意して、そそくさと風呂場に戻る。

 ノックして。


「あのぅ」

「はい」

「着替え持ってきました」

「はい、どうぞ」


 許可が出たので扉を開ける。僕もびしょびしょなので風呂に入りたい。


「あの、着替えは僕のだけど、ここ置いてお……」

「ありがとうございます」


 蒸気の熱に満たされた、換気扇の回っていない脱衣場。シャンプーの甘い香りが鼻を右フックで殴打する。妹が使っている物の匂いなはずなのに、受ける印象はまるで異なっていた。

 女の子はそこに立っていた。

 全裸で。


 身長は僕より小さい。目の位置に頭頂部があった。白みがかった金色の髪は濡れて真っ直ぐに落ちていて、首筋に貼り付く様がいやらしい。顔は人形のように端正で、ザクロのように真っ赤で大きな目は、白い肌に映えていた。細い首から鎖骨までの道のりは二筋の星のようで、やや撫で気味の肩には丸い皮膚の柔らかさと、骨ばった固さが同居している。腕はなんのためらいも無く滑り落ち、指先は百合の花のようになまめかしく整っている。胸部の膨らみは平均と比して大きく、頂点の突起は梅と桜の中間色をしていた。肋骨の輪郭から尻へ流れ落ちるラインはこの世に存在する曲線の中で最も理想的な造形を象っていると断言できる。へそのへこみは浅く、縦に長い。へそから辿って下に行けば、無駄な装飾の無い、ふくりと膨らんだ三角形が遠慮がちに顔を覗かせていた。太股には適度に肉があり、左右のそれの間には、ほんの僅かな空間が存在している。一筋の筋肉が膝に向かって手を伸ばし、つるりと傷一つ無い可愛らしい膝小僧が待っている。頭頂から爪先まで、一塊の大理石からまろびでたようななめらかさだった。色白だけれど、白人のような顔立ちをしているわけでもなく、かといって日本人でもあり得ない。造形としては、どの人種にも似つかない。


「あの、タオルはこれを使えばいいのでしょうか?」

「あ、うん」


 隠すこともなく髪を拭う仕草に釘付けになる。なんだこいつは。襲ってくれって言ってるのか? そういうことを気にしない人もいるだろうけど……。


 やおら手を伸ばして胸に触る。


「やっ!」


 プルンと揺れて、波紋のように皮膚を伝わる。

 おお~。


「もう、ダメですよ」


 胸を隠したが、怒らない。というか、なんだかちょっと嬉しそうですらある。


「あ、これ、着替え」

「あ、ありがとうございます」


 女の子は服を受け取り、笑顔を見せた。

 違う。

 これは、なんだか違う。

 僕の求めるエロとは、そういうものじゃない。恥じらう姿にこそ、真のエロスは宿るものだ。


 眼福ではある。あるが、これは芸術作品を見る時の感覚に近い。滅多に実物を見ることのできない絵画や彫刻。複製やテレビ画面では幾度となく見てきたそれらを現実に、網膜に写した歓喜。それはそれで尊いものではあるのだけど、今この時に求めていたものとは隔離している。


 例えるなら、ヌーディストビーチだ。若いお姉ちゃんが全裸で遊び回る姿を見るのは楽しい。しかし、その場にエロスは存在しないし、してはいけない。現実にその場に立った時に僕が躍動するリビドーを抑えられるかは別にして、それはエロスと別物だ。隠すからこそエロスなのだ。おっぱいはいいものだが、もしも世界中の女の子が全員おっぱい丸出しだったなら、それに魅力を感じなくなるだろう。裸族はおっぱいに性的欲求を抱くことはないんじゃないか? まるっきりの全裸と見えそうで見えない着エロでは後者のほうがより強いエロス力を宿すのは、数多いるエロソムリエの先達が証明している。


 だけれど。

 それがどうした。

 今は無いものをねだるよりも、目の前の眼福を余すことなく享受することこそが重要である。状況が最善でないのなら、己が手で造り上げればいいのだ。


 真っ裸よりも服を着た状態のほうを好むのなら、そうせざるを得ない状況に持ち込めばいいのだ。

 まさかこんな事態を想定していたわけではないけれど、僕が用意したのは僕の使い古しのパンツとジャージの上。ポイントとなるのはサイズの違いと、紺色のブリーフだ。


 胸囲を除けば、この子は僕よりもワンサイズは小さい。それは男物の服を身に付けることで擬似的なミニのワンピース状態を作り出せるということだ。だから下はあえて用意しなかった。泊まりにきた彼女が彼氏の服を着るというシチュエーションの疑似体験も兼ねることができ、要するに裸ワイシャツの類だ。僕は学生であるが故にまだその域に達しておらず、学生のアイコンの一つであるジャージを使用するのは理に叶っていると言えよう。さらに言えばこのジャージの首もとはダルンダルンになっている。


 ユニクロで買った紺色のブリーフはジャージとの合わせ技で視覚的にブルマーを想起させるのみならず、男物故に前面はゆったりと余裕のある造りで、サイズも大きいときている。使い古したパンツのゴムは、決して締め付けるような真似はしない。僕が身につけた時には、ともすれば大事なものがラナウェイすることもあるのだ。防御力は皆無に等しい。


 現時点で可能な限り完璧な布陣であると断ずるに、些かの迷いも無い。

 妹の服ではリスクが高すぎるし、使用後に回収することも不可能だ。買ってくるという手もあったが、金を出すと言われてしまえば終わりだ。彼女が身に付けた服を入手するには、僕の服を使うこと。これが最善であると判断する。


 さらに僕は、彼女が服を着る様を見ることなく服を脱ぎ、着ていたものを洗濯機に叩き込むと、すぐさま風呂場に入った。


「洗濯が終わるまで僕の部屋で待ってて。階段上がって左手の部屋だから」

「あ、はい」


 有無を言わさず、当然のことであるかのように言った。

 いかに完全な状況をお膳立てしても、彼女がそれを受け入れるかは未知数だ。用意された着替えはそれしかなく、既に風呂に入った僕に別の服を用意させることも不可能。彼女の言葉遣いからは教養を感じる。まさか勝手にタンスを開けるような真似はしないだろう。つまり、着るしかないのだ。僕が最もエロスを感じるそれらを。


 不自然を孕まないエロスの、そのギリギリを攻める。こんなに頭を使ったのはいつぶりだろうか。シャワーを浴び、とことんまで汚れを落とす。まだ僕には、残り湯という至宝が待っている。





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