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ディータは今まで自分の中にこんな力が眠っていた事を知らなかった。

それとも人間、やるべき時に、やれるだけの力を常日頃から温存しているのだろうか。

そんなどうでも良い事が何故か頭の中を駆け巡った。


「うう、うっうゆ…えぐ…」


涙やら鼻水やら涎やら、とにかく顔からありとあらゆるものを出しながらディータは走りに走った。

そうしなければならなかった。

たびたび折れそうになる心を励ましながらとにかく走った。

どこへ向かえばいいのか、どうすれば良いのか、全然わからない。

しかし足を止めてはならない。


「あぐっ…ひっ…く」


何故か景色はゆっくりと過ぎていく。

自分の心はこんなにも急いでいるというのに。

突然ディータは足の痛みを感じた。

気がつけば息も出来ない。

たまらなくなって、ディータは近くの扉を開けて、中に転がり入った。


「た、たすけ…て、くださいィ…ひ」


ディータが薄れゆく意識の中で助けを求めてその足を掴んだのは、背が高くてすごく目つきの悪い人だった。



突然店の中に転がり入って来た男はウルフの足にしっかりと捕まったまま気絶した。


「…なんだこれは」

「うひゃひゃひゃひゃ!」


目の前でウルフと話していた男は急に大爆笑を始めた。

おかげでウルフのイラつき度はマックスでメーター破壊しそうな勢いだ。

足にしがみついた男はどんなに足を振っても蹴ってもまったく目を覚まさないし、しかも離れない。


「ひひひひひ、知ってるよ、そいつ」


男は腹を抱えて涙流しながらの大爆笑で若干震えながら、横たわる男を指差した。

笑い方がものすごく癪に障る。


「そいつ、教会員だぞ。昨日、教会で馬鹿みたいに震えてるのを見た」

「お前は…酷い奴だな」


心底呆れた顔で笑い転げる男を見た。

おかげさまで怒りは収まったが。


「とりあえず、介抱してあげようではないか。何か良い事あるかもよ」

「…嫌な予感しかしないが」


が、そんなウルフの話を聞くわけもなく、男は勝手に宿屋の一室を借りてそこに倒れた男を寝かせた。



宿屋の二階の一室で、男が起きるまで二人は待機していた。


「で、お前どういうつもりだ?」

「どういうつもりかねぇ」


貴族の男は適当な相槌を返しつつ窓の下を見た。

何やら外が騒がしいが。


「ところで、君、名前はなんと言うんだ」

「…ウルフだ。アンタは確か…グライリッヒだったか」

「グライリッヒは家名だけどね。名はロマン。ロマン7世子爵だ」

「なんで貴族のくせに怪盗なんてやってんだ?」


ロマンは窓の外から目線を外さないし、ニヤリ笑顔も崩さない。

何がそんなに楽しいのだろうか。


「怪盗では無く、盗賊ね。先祖代々からの家業だよ。貴族より長くやってる」

「…つまり、貴族が盗賊やっているのではなく、盗賊が貴族をやっているという事か?」

「まぁ、そんなところ。わが一族の初代ロマンは元々名うての義賊集団の頭だった。それはそれは民衆に大人気だったらしいのだが、時の国王がそんな彼に敬意を表し、爵位を与えたそうだ。まぁ、そのあとも我が一族は盗賊を止めないというのが条件であったがな」


その事実にウルフは驚いた。

何せ彼がやっている事は国王公認だと言っているのだから。


「そんな話本当か…?」

「不思議な事ではあるまい。やってはならない、と決められた事が状況により覆るのはよくある事だ。

戦争だってそうだろう」

「…確かに」


ウルフだって別に法に背く事を何一つやってはならんと言っているわけではない。

状況により、臨機応変に、それが世界の、考える事を止めない人が求めるあり方だと言う事をわかっている。


「じゃあ、お前達はなぜ盗賊を続ける?」

「神との約束を果たすため。人と神が真意に近づくため」

「なんだそれは」


ロマンは何故か声を出して笑った。

何かよくわからない事を言われた挙句に、笑われる謂われは無い。


「意味なんて知らない。あっても興味が無いからな」

「ああ、そうかい」


聞いておいて何だが、自分も大して興味が無かったので、適当な相槌を返しておいた。


「う、う…う」


声にもならない唸り声が聞こえて、振り返ると、ベッドに横たわる男がぴくりと動いた。

苦しそうに眉や顔じゅうを顰め、ゆっくりと瞼を起こした。


「う、うご…」


どうやら喉が張り付いてうまく声が出せないらしい。

男はゆっくり首をまわして、しばらくぼーっとしていた。


「おい、起きてるのか?」


ウルフがぞんざいに声をかけた。

男は視線だけをウルフに向けて数度、瞬きをした。


「あ、あだ…」

「とりあえず起きて水を飲め」


言いながらウルフは水を差しだした。

男は言われるがままにゆっくりと起きあがって緩い動作で、しかしためらい無く水を受け取った。

そしておそらく、本能の従うままにいっきに水を飲み干した。


「…ところで、あなた誰ですかァ?」

「それはこっちのセリフだ。お前、いきなりおれの足に捕まって助けてくれとか言ってただろ」


男はしばらく何も言わずにぼさっとウルフの顔を見ていた。

しかし突然手の力がふわり、と抜けたようにコップを真下に落とす。

コップはベッドの上に着地して割れずにそのままころり、と転げ、てーん、と床に落ちた。

そしておもしろいくらい、わかりやすく顔色が変わっていく。


「う、ううああああぁぁあ!!」

「五月蝿い」


何を思ったか、ロマンは突然青ざめて恐怖する男の顔を真正面からこぶしで殴った。

黙らせるにしてももっと他にあるだろう。


「痛いですゥ…ひどいですゥ…泣きたいですゥ…」


言いながら男は顔を押えながら本当にしくしくと泣き出した。

そして涙はぼろぼろと、ベッドのシーツに消えていく。

気がつくと男はもう自分でも抑えきれないという程、泣き崩れていた。

喉の奥から出るのは嗚咽とよくわからない言語ばかり。

ついに男の身体は崩れ落ちて、顔を白いシーツに押し付け泣いた。


「ワアーンうぉぉお、うぐぐぐうぃーーー!」

「…おい、どうすんだよ、この事態」


ロマンは至極面倒くさそうな渋面で男に近づく。

そして高く足を振り上げたかと思うとそのまま男の頭上に勢いよく振りおろした。


「ぐげっ」


男は変な声をあげてから、動かなくなってしまった。


「…何をやってるんだ」

「いや、面倒だったからもう少し寝ていてもらおうかと思って」


ウルフは頭が痛くて仕方なかった。


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