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「…何か用か」
「君、娘に頼まれてワタシを追ってきたのだろう」
まさか、ズバリの確信を突かれてウルフは飲んでいた水を吹きかけた。
「……ゴホッ」
「別に隠さなくても良い。娘にもワタシの居場所を言ってもいいぞ」
「…なんで」
「昨日、君が娘と会って話しているのを見た。あと使用人のセリム」
男はなんでも無い、という風に料理を食べ続ける。
見られていたのか。
ウルフはなんとなく恥ずかしくなったが、態度には絶対に出さなかった。
「居場所を言ってもいいって…」
「ああ。言ったところでワタシはすぐに行方を眩ます」
「娘から逃げてんのか?」
ウルフが何気なく聞くと、男はようやく少し顔をあげた。
「なんでワタシが娘から逃げなきゃいけないんだ」
「知るか。だったらなぜ、娘に教えてやらん」
「知られて困るから。しかしいずれ知る時も来る。早くても遅くてもいけない」
そんな事はウルフの知った事では無い。
だが、依頼が完遂できなければ飯を食うのも困る。
「大人しく娘に捕まれ」
「まぁ、ワタシもそろそろかな、とは思っているケド。それはともかく、君はこの街の自警団に所属しているのだろ」
食事を終えてナプキンで丁寧に口を拭く男。
ウルフも食事をしたかったが、お金があまり無かったので自重した。
「質問をさせてもらっても良いか」
「…おれは今、腹が減って気分が悪い。断る」
「なんだ、金が無いのか?では情報提供の代わりに御馳走しようではないか。それでどうだ」
男は真剣な顔で言った。
実際に腹が減っていたウルフにとっては願っても無い事だ。
なのであっさりと了承した。
男は自分が食べていたものと同じものを注文してウルフに寄越した。
「それで、質問だがね。ワタシが見る限り、この街は人も減り、道徳も失われつつある。もうダメだと思う。正直、貴族院もこの街の扱いに困っている。そのため国では、他の街への移動を推奨、協力するつもりであるが…この街の者はどうもノリ気では無い。なぜだ?」
「なぜ?故郷を簡単に捨てられる者がそんなに多く無いってだけだろ」
「背に腹は代えられないと言うだろ。それに故郷とは場所ではない、帰属意識だ」
「そうか?まあなんでもいいけどな」
ウルフの適当な返答に男は怒ったように唇を突き出す。
その表情は怪盗のそれに似ていて少々イラッとした。
気にせず食事をつづけようとしたが、いつの間にか目の前の料理が消えていた。
「君、そんな仕事で良いと思ってる?」
「…住民をこの街に留まらせる理由は預言にもある」
別に隠すような事でも無いので、ウルフは言った。
男はウルフの前に料理を戻す。
「預言というのは、あれか。アンスヘルムの」
「そうだ。アンスヘルムの秘石の預言だ」
男は考えるように少しうなった。
「姿を失くした月に獣が嘆く地に、夜明けを纏う聖なる馬が、黄昏と闇夜の合間を駆け抜け、燦々たる陽の光を齎すであろう」
男が無駄に良い声で静かに暗誦した。
「主流の解釈は、この街が危機に瀕した時、何がしの聖人が現れて人々を導き、再びこの街を繁栄に導くってところだったか」
「ああ、そうだ。人々はその預言を信じている。だから街を捨てない。捨てられない。その象徴があの石だった」
深緑の秘石。
それこそがこの街の希望の象徴。
ウルフは料理を平らげて、水を飲み、男を見た。
「なのに、何故、盗んだ?」
男は目をそらさなかった。
「盗む?何が?」
「仮面怪盗シュバンツの正体。お前だろ」
ウルフには何故か確信があった。
この男は昨日の怪盗によく似ているし、隠そうともしていない。
男は別段うろたえる様子も無く薄く笑った。
「その質問、答えても良いけど、その代わり君はワタシに協力してもらうよ」
「…何をだ」
「難しい事では無い。何ならお給金も出すよ」
「おれは悪事に手を染めるつもりは…」
「そうかい。ワタシは君は“こちら側の人間”だと思うけどね」
見透かすような深緑の瞳ににやり、と左右に引かれた唇。
嫌な気分だ。
「…どういう意味だ」
「そうそう、この街が何故、獣が嘆く地、なのか知ってるかい?ここは昔ね、猛き戦士と呼ばれる民族の住む場所だったんだ。今でもその血を継ぐ者は多いと聞く。しかしどうだろうね。実際は牙も爪も失った小動物ばかりだ。けど…君は違うだろう」
ずい、と前のめりになってウルフの顔を覗き込む。
「君は力を扱うことにためらいの無い者だ。こんな処で何をしたいと言うんだい?」
「…お前に何がわかる」
「見ればわかる。別に嫌なら無視してくれて結構。けど気になるようならワタシに付いてくるといい」
怪盗に付き合うなんてまっぴらごめんだ。
しかし、目の前の男の目は自分から逸れることも無く、それと同時に男の言葉が頭から離れない。
気にしない方が良いと、頭の中で言う一方、心臓の方からは別の思いが溢れ出てきそうだった。
自分の居場所はどこにも無いと思っていた。
そう思うことがここに居れる唯一の方法だった。
ウルフは暴力を扱いたいわけでは無い。
しかし虚飾の平和を塗り込められた世の中に居ると心の中で何かが言うのだ。
破壊しろ、と。




