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教会の建物に綻びが目立ち始めたのはここに来てしばらくしてからだった。
この街での教会は、初めは祈りに来る者も多かったが、今では害悪扱いだ。
貴族が教会目当てにやってくる人々から搾取を始めて、街に住む人々が助けを求めに来た。
「ここもずいぶんと人が減りましたねェ~」
大きな教会で、昔から有名な聖遺物であるアンスヘルムの秘石が祭られている。
そのため信者や観光者の足が途絶える事は無かったが、貴族との諍いのために金銭はあまり無い。
少し汚れた聖壇を拭きながら、ため息を吐いた。
「お掃除大変ですよォ~」
いつの間にか教会に住み着いた猫を相手にしながらつぶやく。
猫の頭を撫でて可愛がってやると、気持ち良さそうに鳴いた。
その時、荒々しく奥の扉が開いて数人の司祭が地面を踏み荒らしながら歩いてきた。
「ディータ!掃除はまだ終わらんのか!」
「は、はィ~司祭様。すぐやりますゥ~」
ディータと呼ばれた男はサッと立ち上がって雑巾をひらひらと見せる。
司祭の一人が歩み寄ってくると、猫がサッと避けて走り去って行った。
「汚い猫を教会で飼いならすな。今度見つけたらさっさと追い出せ」
「…す、すみません~」
とは言うものの、かわいい猫を追い出すなんて事はディータには無理な事だった。
そして実は一匹だけでは無い事も黙っておいた。
「貴族連中め…観光者に対し法外な関税をふっかけおって…必ず天罰を下してやる」
憎々しげに言いながら司祭達は外へと出て行った。
おそらくいつものように守護騎士に文句をつけたり、警備隊や自警団をどうにかするための相談をしに行くのだろう。
いつの間にか先ほどの猫が戻って来てディータの足元をうろついた。
ディータはしゃがみこんで再び猫をこねくり回す。
「天罰を下してやるゥー、なんて…それは神様がやることですよねェ~」
猫は我関せず、といった風にただ感触を楽しんでいるようだった。
ディータも麗らかな日差しを浴びながら、日がな一日のんびり過ごす猫になりたいと思った。
と、その時。
ぽすん、という乾いた小さな音が背後からする。
何気なく振り返ると聖壇の上には一枚の紙切れ。
いつの間にあったのか、ディータはそれを手に取ってみる。
紙片はカードのようで、何か書いてあった。
「今夜、このアンスヘルムの秘石をいただきにあがります…ぅ?小さな盗賊…?」
それはなんとも大胆な犯行予告。
教会に謎の脅迫状…否、犯行予告状が届いた後、教会の内外にはいつもの数倍の騎士の見張りがついた。
物々しい雰囲気に、ディータはただ怯えるしかなかった。
「ああ、どうしましょうゥ~どうしましょうー」
うろうろしたところで解決策は見つからず、にゃーにゃーと鳴く猫たちが後を続くだけである。
普段ならば、司祭達に任せていれば大丈夫、と思うところであるが、司祭達は騎士達に任せておけばいいだろうと高を括り、何もせずにいつものように貴族たちとの争いの場に行ってしまった。
そうしてこの場に残っている教会員はディータだけになってしまった。
「ディータ様、もし本当に盗賊と名乗る輩が出ればどうしましょうか…」
「ど、どうしましょう。どうしましょう!?」
ただの読師であるディータであったが、教会の今の責任者は自分だけである。
騎士は何も言わなかったが、目は明らかに頼りない、と言っている。
「う、うぅ…ごめんなさい。ごめんなさい。僕は何をすればいいのか…全然わかりません」
「…わかりました。奥で隠れていらしてください。アンスヘルムの秘石は我らでお守りします」
「お願いしますゥ…」
ディータは結局何もせずにすごすごと教会の奥に閉じ込められる事になった。
お供は数匹の猫。
うずくまり、震えるディータのまわりで猫が気持ちよさそうにまるまった。
「僕が役立たずなのはわかってるんですゥ…なんにも出来ません…でも」
自分の力はどこでどう使えばいいのだ。
窓の外を見ればすでに陽は落ちようとしている。
そうして終に力を使うこと無く、ただ生きていたと、落ちる陽のように繰り返す中のひとつになるのだろうか。
せめて、せめてこの世に生きた喜びをどこかで…。
「…え?」
窓の向こう側、上の方に何かがちらちらと不自然に動いた。
何か軽くて細い糸の束のようなものだ。
それは夕日の中にあって、その深い色合いで存在感を際立たせる。
ディータは立ち上がってそれを確認しようと窓を開けた。
「てい!」
「どぁ!」
ひょこり、とそれが引っ込んだかと思うと突然人影が現れて瞬く間に目の前は闇に包まれた。
顔に何かが当たったと判断したとたん、足元がふわりと浮いて次いで後頭部が激しく何かとぶつかった。
「いだっ!」
「ん?随分若い司祭だね」
「僕は司祭じゃないですゥ~」
訳がわからなくなってやっとつぶやけたのはそれだけであった。
視界がぐるぐるとまわり目の前の景色がはっきりとしない。
どうやら室内に自分以外のだれかがいるようだが…。
遠くで猫が威嚇する声も聞こえる。
「どっちでも良いさ。ちょっとキミには大人しくしててもらうヨ」
「えぇ…ええ!?」
やっとはっきりとピントを定める。
すると目の前には見たことも無い人間が居た。
声からして成人男性であろうか…異様なのは目元を覆うその仮面である。
まっ白いスカーフが首元でふわり、と揺れて、手元と足元のフリルが実に優雅な格好だ。
特徴的な深い色の長い髪をひとつに束ねて背中に垂らし、それが風に揺れる。
どこからどう見ても不審人物である。
「うあぁっっ………!!」
「お喋り禁止」
男はディータの口をひもで固く結びながらさらに腕も後ろ手にして何かで縛り上げた。
結構痛くて泣きそうだったが、目だけはかろうじて自由だった。
「悪いね。しかしここでジッとしているのが正しい道だ。怪我したくなかったらね」
「…!…!」
「何言ってんのかまったくわかんない!」
男は自分でやっておきながら何故かゲラゲラと笑いだした。
声や見た目からしてそう、若いようにも見えないのだが…何か落ち着きの無い人物だ。
「さて…夜まではあと一時間弱ってところかなぁ」
「ふーーふー!むーー!」
「だから何を言っているかわからん」
先ほどまでは傷心で泣きそうだったが、今は痛さと混乱とちょっとの恐怖心で泣きそうだった。
目の前の異様な男が怖いはずなのに、怖さなんてどこにもないようにふるまう。
だが、今から自分はどんな目にあうのかと思えば、怖い。
「むー…むー…」
「…なんだ、君は。泣いているのか。何がそんなに悲しい」
悲しいわけではない。
ただこの状況が実に泣けるのだ。
仮面の男は何も言わずにただ、じっとディータの泣き顔を見ているようだった。
「実に、実に面白い顔だ」
「むー…」
「なんだそれは、鳴き声か?」
またもやケラケラ笑う仮面の男。
その様子と貴族みたいな格好、それに深い綺麗な色の髪がちぐはぐでディータには変な生物に見えた。




