24
家々が倒壊し、燃えてゆく。
酒場まで火の手がまわるのにそう時間はかからないだろう。
ウルフとロマンは火の粉を掻い潜りながら記憶だけたよりにそこへ向かった。
目に赤い光がこびりつき、汗が止まらない。
なんとかその場所を発見すると、そこには一人の男の背中があった。
「ムスタファ…」
「なんだ…忘れものか」
ムスタファは木箱に座り、背を向けたままいつもの調子でウルフに言った。
ウルフはその今にも消えてしまいそうな肩を掴んだ。
「おい、こんなところに居ると燃えるぞ、ジジイ」
「構わん。俺はこの街に長く居過ぎた。どうせ追い先短いのなら、この街に付き合ってやる」
その背中は確固たる意志と、決意があるにも関わらず希薄で、同じく街と共に消え行こうとしている。
ウルフにはどう言葉をかけていいのかわからなかった。
このまま彼が望むのであればそれも、と思ったが、やはり嫌だった。
なのに説得するだけの言葉が見つからず、しかし掴んだ肩も離せずにいた。
「お前はさっさと何処かへ行ってしまえ。燃えるぞ」
ムスタファはいつものセリフをいつも通り言った。
この男はいつもそう言いながら、この街に人が囚われないよう、逃がそうとしていたのだ。
どこまでもこの街を知りつくし、それでもこの街でしか生きられなかった男。
そんな男からこの街を奪うなどと、簡単に出来るはずが無い。
それでもあきらめる事は出来ず、ウルフの腕は震えていた。
「…老人のワガママは性質が悪いぞ」
いつの間にかムスタファの目の前に立ちふさがるように、ロマンが言った。
ムスタファは首を持ち上げて彼を仰ぎ見る。
「アンタは関係ないだろ…」
「確かに関係無い。関係無いから勝手にさせてもらう。ワタシの完璧に傷などつけられては困るからな。おい、背負え」
ロマンが視線でウルフにそう指示する。
ウルフは何故か迷いも無くムスタファを軽々持ち上げてしまった。
それを許されたような気がしたのだ。
「ウルフ、おろせ」
「知らん。アイツに言え」
すべてロマンのせいにしてしまえばいい。
ウルフはムスタファを担いだまま元来た道を戻って行った。
ロマンもすぐに着いてきてすれ違いざまに言った。
「アンタは確かに役目を終えたのかもしれない。だが、ワタシとであった事でアンタはワタシと死ぬのが惜しくなるほど楽しいお喋りをしなくてはならない、役目が出来たのだ」
「…大人のワガママは性質が悪い」
そう言ってウルフはムスタファが少し笑ったような気がした。
ムスタファを避難させて、一同の下に戻って来たロマンとウルフ。
ウルフは汗を拭って再び、街を見下ろした。
燃え上がる空。
黒き夜は赤き空へと変貌した。
天を燃やす赤き光。
街は灰燼へと姿を変えて、空高く舞い上がっていく。
月の明かりですら、この輝きにはかなわぬであろう。
ウルフはちらり、と横に居る男を見た。
ロマンは何を考えているのか、ただ瞳を逸らすことなく、じ、とそ街の燃え行く様子を見ていた。
この男は予告通り、見事に奪って見せたのだ。
人々からこの街を。
「…街、本当に失くなったな…」
ウルフはぼんやり、その光景を見ながら何気なくつぶやいた。
火の熱が伝わって汗が額から落ちる。
失くなって気づく、というのはこのことを言うかもしれない。
何であろうか、この言い知れぬ欠落感は。
ここであった事、育ってきた記憶、すべてが灰と一緒に舞い上がった。
「さらば、預言に囚われし哀れなる獣たちの街よ」
言いながら、ロマンは深緑の石を燃え盛る街に向かって放り投げた。
オレンジと赤の光を映しながらその石は街の闇の中へ飲みこまれていった。
「…あれは、本当に偽物の石だったのか?」
「ふふ…さあ、どうだろうな」
今となってはどちらでも良い。
その秘石はこうして、形ごと失われてしまったのだから。
「後悔してるか?ワタシに協力した事」
「おれはお前に協力したんじゃない、フィーネを助けただけだ」
業々と燃える紅は、容赦も無ければそこに人間らしい感情など存在するわけは無く。
あまりに凝視しすぎて眼と頭が痛くなってきた。
瞼をおろしても、鮮烈な紅は闇を染め上げつづる。
「後悔っつーのは後にするもんだろ。そういうのは先に済ました」
「それは覚悟っていうんだ」
言葉なんてどうでも良い。
ただ単に、ウルフはこの街に対する執着を棄てたと、それだけだった。
だから失ってからやらなければよかったとは思わないし、こんなはずでは無かったなどとも考えない。
言うなれば、それは人と別れる時に思い出す、交わした言葉の数々やおもい出に似ているかもしれない。
「ならば、良い」
「良いってなんだ。おれの事とかどうでも良いだろ」
「…どうでも良くは無い。おまえぐらいは、良いと言え」
ロマンの言っている意味がわからず、ウルフは少し悩んだ。
おなじみになって来た唇を突き出す膨れ顔になるが、何が不満なのかわからない。
「ワタシはこの街の人に恨まれるだう。別に誰とも知らんヤツに恨まれようがワタシは痛くも痒くもない。
が、ワタシだって顔見知りに恨まれるのは後味が悪いだろ」
ロマンはそう言ったが、言い方があまり素直で無いのが彼らしいと思い、ウルフは少し笑った。
「じゃあ…なんで人に恨まれるような事をわざわざやった?」
「ああ…見ればわかる通り、このままいけばこの街の住民は大体駄目になるだろう。救ってやった、とは言わないが、知っているクセに見捨てるとは、義賊の名折れだからな。そのために恨まれ役でも何でもやるさ」
「…知っている、とは街の状態の事か?」
「それは後で知った事。ワタシはそもそも秘石を盗みに来た事を覚えているか」
確かにロマンは初めにアンスヘルムの秘石を盗んだ。
そもそも何故、アンスヘルムの秘石を盗んだのだろう。
「あの秘石が何故、秘されていたのかを知ってるかい」
「いや、知らん」
「お前はどうだい、ディータ」
初めてロマンが名を呼んでディータは一瞬、ビクリと肩を震わせた。
そして勢いよく首を振る。
「し、知りません」
「ふーん。これはフォルトゥナート神聖教会の蔵書の中でも重要機密だからなあ。ま、一介の盆暗神聖が知るわけ無いか」
相変わらずの酷い言い様にディータは少し肩を落とした。
それよりもウルフは何故、その機密をロマンが知っていたかの方が気になったが。
「その中にアンスヘルムの預言書があったのだ。それはアンスヘルムが死に際に残した物らしいが…そこには序文があってな。その一説にこう、あった。
終の預言、自ら之を好しとせず。
故に須く之を秘すもの也。
わかりやすく言うと、最後の預言はカレ、あんまり好きじゃないみたい。だから絶対隠さなくちゃならないわ。というところだ」
なぜ、そんな口調なのだ、とウルフは関係の無いところが気になってしまった。
「なぜ、アンスヘルムはこの秘石を隠さねばならなかったと思う?」
「…あの秘石を頼りにしすぎて人が堕落するのを防ぐためか?」
「半分そうかもしれん。だが、預言で謳われた繁栄に自信があるならそうする必要も無いだろ。
ワタシはこう考える。つまり、それは街の繁栄を預言したものではなく、壊滅を預言したものなのだと」
その言葉に、ディータが顔を上げた。
「ああ…教会の神聖はそれを分かっていたのですね…」
「預言書は教会が持っていたのだから、そうなのだろう。しかし教会は預言を成立させないとならないし、それによって秘石の価値を高める事も出来る」
「それで…街を見捨てたのですか」
「真意は知らん。預言から逃れるのは不可能ではないが、容易ではない。それは神の意志でもあるからだという」
「どういう事だ…?」
そういえば以前もロマンは神の意志がどうの、とか言っていたような気がする。
「ただの伝説に過ぎないのだが、預言とは神が人の真意に近づく為の手順なのだそうだ。逆に人が神に近づく為の方法だとも言う。さらには、神聖とは神が人間を知る為に作ったとも言われている」
「あ、その話は僕も知ってます…教会でも意見は割れてます、ケド」
そんな伝説はウルフは初めて聞いた。
そもそも神が人を知る為とは、一体どういう意味なのか。
預言が当たれば当たるほど、人は神に、神は人に近づくとは。
「ま、伝説に過ぎない事ではある。それはそうと、アンスヘルムはこの預言を当てたくは無かったのだろうね。ワタシは彼の意思と、可哀そうな目に合う可能性のある人々を知っていた、というワケさ」
「なるほど…」
ロマンが以前話していたように、アンスヘルムがどのような人物であったか知らないのだから、それが事実かどうかもわからない。
だが、この街で住んでいたウルフは確実に破滅を予感していた。
「結局預言は当たったのですね」
ポツリ、とディータが呟いた。
その言葉の意味をウルフを問う。
「当たったとはどういう意味だ」
「獣が嘆く地…は、この街の事です。で、陽の光は…栄光の意味だと解釈されていましたが、ホントはこの炎の事だったと思うんです。月が神聖の力と光を意味するのならば…陽とは人の力と炎を意味します。この炎をこの街に齎したのは怪盗…ロマンさん」
それで、やっとウルフは理解した。
「夜明けを纏う聖なる馬か…聖なるかどうかは疑問だが…夜明けを纏う馬…怪盗シュヴァンツ…尻尾だって事か」
その深き色の尻尾髪の背はまさしく、夜明けを纏い、朝を告げる馬のようだ。
本人は何を思っているのか、滅びゆく街をただ見下ろす。
その街を背景に、確かにそれは風に煽られ揺らめいた。
「父さま…」
フィーネがロマンの横に立って、まっすぐとその顔を見つめた。
ロマンも小さな娘に向き直る。
「フィーネ。父さまの名…ロマンの名を継ぐというのはこういう事だ。奪い、壊し、人に嫌われ、恨まれる。しかしワタシはワタシの正義の下で人々を見捨てはしたくない。それこそが我がグライリッヒ家に伝わる神との約束。だが、フィーネ。君が望まないのであれば…嫌がるならば、ワタシは今すぐこの名を棄てて真っ当な貴族になろう」
ロマンは少し切なげに瞳を揺らした。
もしかすると娘に嫌われる事かもしれない、という想いがあるのだろうか。
フィーネは重大な事と受け止めたのか、しばらく下を向いていたが、顔を上げて大きな瞳を必死に見開いて父親を見直した。
「…あたし、父さまのやってる事、嫌いじゃないし、父さまの事だいすき。あたしは絶対父さまの事嫌いにならない。だから…ちょっとだけ怖いけど…父さまのようになりたいと思うわ…それは駄目?」
ロマンは何故か切なげに笑うと、娘の頭を撫でた。
「フィーネ。ひとつだけ言っておこう。君がこの名を継ぐという事は、君を慕う者達、あるいは君が慕う者達までその運命に巻き込むという事だ」
ロマンがそう言うと、フィーネは大きな双眸でセリムを見て、ウルフを見た。
「僕は元々お嬢様に付き従うために此処に居るんですよ。旦那様の面倒みるためじゃないです」
「…ああ。おれも最初からわかっていた事だ。いまさらお前を見捨てたりはせん」
セリムは笑顔で、ウルフは仏頂面でそう言ったが、どちらも少し緊張して声が上ずった。
それは命尽きるまで見守ろうという、誓約にも近い言葉。
フィーネは花が咲くような笑みを浮かべて再び父を見た。
「父さま!あたし、父さまの名を継ぎたい!」
「…そうか。ありがとう。君が15になる歳までに、その想いが変わらなかったなら、君にこの名をあげよう」
そう言いながら愛しい娘を優しく抱きしめた。
ロマンの表情はよくわからなかった。
そうして、その胸の中にある本当の想いもわからない。
しばらくすると、続々と教会の神聖守護騎士がやって来て、ディータの前で礼をとった。
「ディータ様、教会本部に連絡がいくよう、手配しました。こちらにもすぐに、神聖様方が向かわれるそうです」
「あ、ありがとうございますゥ」
「お怪我などはありませんか」
「は、はい。全然平気ですゥ」
いつの間にやら彼は騎士の信頼を得ていたらしい。
少し恥ずかしげに笑う彼の弱さや不安はこのおかげで少し払拭されたようだ。
「あ、あのゥ…ロマンさん、ウルフさん。ありがとうございます」
二人に向き直ってぺこり、と頭をさげるディータ。
そして今まで泣いてばかりだった彼も、零れる笑顔を浮かべた。
「僕、がんばって良い司祭になりますゥ。力を使わなくても…で、でもせっかくの力なんでバリバリ使って人々を救えるような神聖に…なります!」
「そうかい。せいぜいがんばると良いよ。面白い事になったら言ってくれ」
ロマンはにやり笑顔でそう言った。
ディータは何故か照れ笑いで応える。
「ウルフさんも…」
「おれは別に何もしてないがな。しかし礼は受け取っておく」
「はいィ…それじゃあ、僕は行きますね。何か僕が力になれる事があれば、言ってくださいね!それでは!」
笑顔で手を振るディータ。
ロマンもウルフも釣られるように、笑みを口元にこぼした。
そして、ロマンが最後のセリフをディータに言った。




