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「ところで、アイツはどこ行ったんだ?」
「あの盆暗か?」
名前さえもいまいち思い出せない、確か教会の読師だと言っていた男。
ロマンも名前を呼ばないあたり、名前を覚えていないのかもしれない。
しかし盆暗という呼び名は的を得ている気がする。
「めそめそ泣く挙句に文句ばかり言うので外に放り出した」
「…お前は人間じゃないと確信したよ、おれは」
人の事を獣、獣と言ってくれるが、コイツは悪魔か何かだとウルフは確信した。
「アイツは仲間に加えてやらないのか?」
「アレは向かん」
ロマンは簡潔にそれだけ言った。
確かに盗賊にはまったく向いていない。
「それにアレは教会がどんだけ腐っても自分だけは清廉でいるような、まさに腐っても聖職者だ」
「それは意味がちょっと違う気がするが…確かにアイツはこの街に染まっていないな」
「こういう街の中で、ああいうヤツはちょっと珍しいな。しかも気も弱いくせに」
読師はとても気が弱く、すぐ精神不安定になってぐすぐず泣きだす。
よくあそこまでずっと泣き続けられるものだとウルフは感心に近い呆れを感じていた。
しかし彼は教会の方針とは逆行し、ここまで死ぬ気で逃げてきた。
それだけ司祭達から嫌われていたのは、教会のやり方にもあまり従っていなかったかららしい。
「やはり……だからか」
「ん?何と言った?」
「べつに」
ロマンが何か呟いたように聞こえたが、何と言っているかは聞こえなかった。
ふたたび、ロマンの力強い視線がこちらをぐるり、と向いた。
「ただ、気が弱いだけなら逆らう事はできん。そういう意味ではアイツも剥くべき牙を忘れてはいない。だからワタシの助けは必要無い」
「助けってなんだよ。お前、救世主のつもりか?ただの盗賊のくせに」
「別に人を助けるとは言ってないぞ。ただ、あの盆暗に関しては、あいつの為の助けはいらないと言っている」
「あー、よくわからん。お前は、アイツを気に入ってるって事か」
ロマンが大げさに渋面を作りウルフを睨む。
「ワタシが気に入っている人間なぞこの世で二人だけだ」
「二人…」
「家族」
と、いう事は娘のフィーネと…あとは彼の妻、という事だろうか。
この男が貴族だという事と、妻帯者でしかも子持ちだという事には今更ながら驚くが。
「しかしまあ、ある意味ではワタシはヒトはどんな奴であれ、好きだぞ。どんなヤツでも、だ」
「悪党でもか」
ウルフが皮肉をこめて言うとロマンが鼻で笑った。
「ワタシだって悪党だぞ」
夕方になり、宿屋から外に出て空を見上げると、陽がおぼろげに世界に溶け込んでいく。
空が燃えているようだ、とだれかが表現していたが、確かにそう見えるとウルフは思った。
この街ともおさらばすると思えば少しは感慨深くもなる。
と、ウルフが感傷に浸っていると、どこからか聞き覚えのある、それでいて不快なぐずり声が聞こえた。
「ぐすっ…ずず…うう、もう誰も信じられません…信じたくないですゥ…」
「おまえ…」
ウルフの顔を見た読師は、一瞬恐怖の色を瞳に差した。
しかし次の瞬間、眉尻を下げて顔の緊張を解いた。
「う、ううあ…ウルフさん~!」
「なんだ、鼻水は拭け」
「だって、あの人、ほんとゥ酷いんですゥ~!」
道端で泣きじゃくる男はまわりから見ればきっと、関わりたくない状況だろ。
ウルフだって声をかけた事を少々後悔した。
酷い、ひどい、とロマンの事を言う読師だったが、ロマンは態度ほどこの男を嫌ってはいないようだ。
「アイツは人にああいう態度しかとれんヤツなんだよ、多分。…ところで、お前、名前なんと言ったか」
「ディータですゥ…ロマンさんにも何回も言ってるのに覚えてもらえないんで、酷いと言ったら、覚えてもらえるくらい目立てとか言われちゃいました…」
「…」
何故か段々哀れに見えてきたので、ウルフは名前を忘れないように心に刻んでおいてやった。
「おれはもう帰るぞ」
ウルフが帰ろうと踵を返した瞬間だった。
腕が突然軽くひかれる感覚がして、振り返ると瞳にいっぱい水分を溜めた聖職者が顔に力を入れながらこちらを見つめていた。
「あ、あのあの!あなたの家に泊めてくださィ!」
「…断る」
「おねがいしますゥ~!」
無視して歩き出したが、それでもディータはしつこく付いて来る。
あの人、怖いんですゥ~とか、今日くらいは休みたいんですゥ~とか言いながら。
本当に無駄なところで根性使わないでほしい。
しばらく歩いていると、何も言わなくなったが、じめっぽい雰囲気と空気は後ろからずるずる付いてきている。
撒くか、それとも諦めて一泊ぐらいはさせてやるか。
そう考え始めた時。
「ああ、ウルフ!大変なんだよ!」
住宅街にさしかかったところで住民が10人程集まっていた。
本屋の女がウルフを引きとめた。
見ると集団の中心には泣き崩れる女の腕を力なく掴む男。
「どうした」
「アンタ、知ってるだろ?ここの娘が神聖教の敬虔な信者だってこと。それで貴族共に目、つけられて、スパイだとかわけわかんないイチャモンつけて法外な罰金を要求してきたのよ。それで払えないって言ったら娘を売るとか言って連れてかれちゃったのよ!」
「なんだと…貴族が来たのはそれはいつの事だ」
泣き崩れる女の代わりに、男の方がウルフを虚ろな目で見つめた。
「ああ…一週間前だ。俺達には払える金なんてねぇ…くそ、いつか娘を必ず取り戻して貴族共に復讐する…!」
「一週間前だと…おい、なぜ亡命しなかった。それぐらいの手伝いならば出来る」
実際に何人もそうして街の外へと逃がしてきた。
他の街やあるいは首都にさえ行けば今よりマシにはなるはずだ。
女が大声で泣き出した。
「捨てられるわけ無いだろ…俺達の故郷だ。捨てられるワケ、ねぇ」
「このままここに居続けて、死ぬ気か?」
「預言がある!石は盗まれちまったが預言が…俺達の街に陽の光が!
俺達は二度も裏切られた。今度こそは…預言だけは裏切らん」
その危うさを、ウルフは知っている。
だがここで悲嘆に暮れる人々にわずかな希望さえを破壊する理由や権利がウルフには無かった。
あの預言は昔からこの街に伝わってきたものだ。
たとえ自分達の代で預言が成就しなくとも、街は在り続けると、人々は信じている。
預言は昔からあった。
偉大な栄光と歴史の中で流行った預言信仰。
まるで偶像のように崇拝された秘石。
街の過去の栄光の幻影と、その頃描いた夢の中に今もこの住民達は囚われている。
「娘よりも大事か…」
「街が再び力を取り戻せば必ず、娘も取り戻せる…だから俺達はこの街を守り続けなければならん…!」
力強い目と、意思揺るがぬ瞳。
彼にとってはこの街を守り続ける事が、娘と再びこの街で笑う事が何よりの幸せなのだ。
その可能性が残されている、そしてそれは古の聖者が残した約束なのだとしたら。
「…わからん」
「家族のいないお前にはわからんさ…」
確かにウルフにはこの街に未練など無かった。
そして背負うべき役目も、繋ぐべき考えも想いも何も無い。
この街に残すものは何も無い。




