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お前、怖いんだよ。


だれかが小さい頃、ウルフに向かって放った言葉。

幼い頃から人より発育の良かったウルフはいつも人を見下ろすようにしていた。


なんか、怖いよ。


ああ、そうなのか、とウルフは思った。

自分は怖いのか。


自分とはそういう人間なのか。


そう思った。

自分とは怖い人間なのだと。


ウルフが暴力を厭わない理由なんてそれだけだった。

人はそれを“戦う理由”と言うかも知れないが、戦う事を日常に組み込めば理由なんて必要無くなる。


大義名分も、正義も、目的さえも、必要無かった。


繰り返し行われる事の意味なんて、ウルフは考えるという発想さえ無い。

歩くように、話すように、


獣がそうするすうに。


だがそれは、ウルフがだれかに、他人にとって「怖い人間」であるだけだったから。

だれかを守る時に必要なモノを、そんな牙の剥け方ウルフは知らなかった。



気がつくと兵士の剣が水溶の空に光を拡散しながら飛び上がった。

次いで代わりに光りを、あたりの彩色を独占するかのように突然現れたロートが視線を奪う。

その赤が地に落ち、鳴らす音は微細なはずなのに、酷く反響して頭に響くようだ。


それでも狼の牙を、爪を、制することが出来る者はいなかった。


ウルフは剣を翻し、ただ爪痕を残す。

刃を交える、なんて状況では無い。

一方的な略取である。


ウルフは怖かった。

だれかを傷つける事が怖いと、初めて知った。

傷つける事で誰かの、何かを、否定し奪う事なのだ、と。


何かを、だれかを守るために他者を傷つけるという事は、守ろうとした者にもその重みを課すこととなる。

子供がその重責を担う事が恐ろしかった。


しかし、ウルフが剣を振るう腕は、その恐怖心ですら止める事は出来ない。

一度助けた命は、その重さの分だけ守り通さねばならぬ。

矜持が何よりも気高く、何よりも確かなモノだと叫び続ける声がする。

言葉よりももっと悲痛な叫び、それが剣を躍らせる。


考える事など、忘れてしまった。


「戻れ!」


空間を劈くような声…いや、声よりももっと悲痛な叫び。

ビクリと一瞬身体が震えたかと思うと、四肢に人間らしい感情が戻ってくる。

ようやくウルフは制止した。

声のした方を振り向くと、セリムが険しい顔つきで立っていた。


「やりますか、ここまで、普通」

「…殺してはいない」


どこにそのような人間らしい感情があったのか、兵士たちは血を流してはいるが、致命傷では無い。

セリムは顔の緊張を解いたように急におどけたような顔になった。


「しかしあんな制止で止まるなんて、動物みたいですね~」

「…犬だとでも言いたいのか」

「聞く耳ある分、狂犬よりはマシだと思いますけど。どちらかっていうと狼っぽいですねえ」


セリムはまわりの様子を観察しながらそう言った。

倒れた兵士の傷口も恐れる事なくじろじろと観察する。


「まぁ、放っておいてもだれか治療してくれるでしょう。我々に手を出すからそうなるのです。グライリッヒ子爵家を舐めないで頂きたい」


にこり、と兵士たちにそう言い放ったセリム。

ウルフは子爵家に雇われた用心棒では無いのだから、子爵家に責任など無い。

セリムはそう言う事で、一連の責任を子爵家にすり替え、拡散させた。


「他人にまで気を使ってどうする」

「お嬢様のためですよ。それに助けていただいた事には変わりないですから」


今までの中で一番満面で、胡散臭い微笑み。

ウルフはこれ以上は何も言わず、こちらも口だけで笑っておいた。


「で、そのお嬢様は?」

「逃がしておきましたよ」


セリムの視線を目で追うと、建物の陰に小さな女の子が立っていた。

先ほどの光景は大人でも気分の良いものでは無い。

子供が見るには辛すぎるし、ウルフはそれで自分が怖がられても仕方ないと思った。

しかし、少女は無表情のままウルフに歩み寄ってくる。


「助けてくれてありがとう」


ハッキリとした口調でそう言うフィーネ。

フィーネはそれからウルフの右手をとって握手した。

あまりにも小さいその手と、その暖かさ。

消えそうな灯のぬくもりを思い出させる。


「おれが怖いか?」


そんな風に力無く呟きながら、わずかに微笑む顔しか作れなかった。

しかし、少女が恐怖に怯える顔など見たくない。

幼い少女はことり、と首をもたげて目を丸くさせた。


「怖くないよ。だってフィーネのこと叩いたり、怒ったり、驚かしたりしないじゃない」


フィーネは軽く微笑む。


「だが今、おれは奴らを叩きのめした。それが自分に向くとは思わないか?」

「…向いたら怖いし泣くよ。でも、向いてないから怖くない」


考えるようにしながらフィーネはそう答えた。


「…そうか。わかりやすくていい」


その子供じみた回答はウルフの精神の中の何かの鍵穴にカチリ、とはまった。

もしかすれば、自分はこの答えが欲しかったのかもしれない。


「ねぇ、ウルフ」


フィーネは両の手でウルフの右手を包みながら大きな目でまっすぐ、ウルフの目を見つめた。


「あたし、父さまに護ってくれる人を探しなさいっていわれたの。ねぇ、ウルフ。フィーネのこと、ずっと護ってほしいの」


全身に鳥肌が立つような冷えを感じた。

それが一体どんな意味成すのかは、今のウルフにはわからない。

だが、名前のつけられない感情が、その少女の手を振り払う事を拒否する。


「なぜ、おれに…?」

「んー…強いから…んー…でも……わかんない」


満面の笑みで花のように微笑む顔を見て、ウルフはほう、とため息をついた。


「仕方無いな…」


ぬくもりが手を伝わり、全身に血を巡らせる。

自分でも気付かず、頬が緩むのを感じた。



「結構。合格点を与えてやろう」


用事のあと、ロマンがいるであろう宿屋を訪ねた際の第一声がそれであった。

机の上で口元を隠すように頬づえをついて、鋭い目つきでそう言う。


「…また、見ていたのか」

「うむ」


悪びれもせず、視線を固めて外さず、微動だにしないでそう言った。


「可愛い娘がピンチだっつーのに随分な御身分だな」

「必要無い事だと言っただろう」


少しも表情も、姿勢も変えず、ただ見えぬ口元だけを動かす。

不気味なまでの態度にウルフは少しイラついた。


「どういう意味だ…」

「お前に任せる、と。そう言った。それにお前の目にフィーネやセリムはどう映った?」

「…少なくともただの貴族の使用人や令嬢には見えねぇな」


それは子供や貴族にしてはあまりにも不釣り合いな程、いっそ不自然なまでに冷静で自然な対処。

余裕すらも見られる。


「もちろん、ワタシが手塩にかけて育てた子等なのだから当然だ。セリムは頭以外使えんが、フィーネは自分の身を守る事ぐらい出来る。君が余計な事せねばな」

「悪かったな」


しかし幼子に一体何を教えこんでいるのだ。


「けど、盗賊やってる事は知らないんだろ?」

「それとこれとは別の話だからな」


やっと姿勢を崩してニヤリ顔になるロマン。

ウルフもため息をついて適当に座った。


「何のつもりだ」

「君というモノを観たかっただけだ。どうだ、あんな風に人を傷つけた事を後悔するか」

「するわけないだろう」


するり、と出てきた言葉。

その言葉を聞いてロマンはにやりと笑った。


「後悔しない、か」

「おれは自分でも驚くほど迷いなど持っていなかった。

たとえ子供に辛い思いをさせる事になろうとも、嫌われようとも、別にかまわん」

「そうか。では、なぜ、セリムの制止は聞いたのだ」


まるで合図のように届いたその声。

彼は何と言って自分を止めたのか、それももう覚えていない。


「ひどく冷静だった。堂々としていた。あの声は。だから聞こえただけだ」

「ますます獣じみてきたなぁ」


珍獣でも見るかのようにロマンの瞳に好奇心の光が宿る。


「おい、知っているか。言葉とは神が人間に与えた魔力なのだよ」

「…は?」


何を突然、気障な事を言いだすのだとウルフは思った。

その顔を見てか、ロマンはおもしろそうに笑う。

そして懐から深緑の石を取り出してウルフに投げてよこした。


「ほら、それがアンスヘルムの秘石だ」

「…なに?」


確かにこれは噂に聞く秘石の特徴と一致する。

なぜいきなりこんなものをウルフに渡したのか。

眉を顰めてロマンを見ると、また可笑しそうに笑った。


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