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「そういうわけなんですゥ…だから僕は僕は…」


ぼろぼろと、まるで止むことを知らない大雨のような涙が、シーツをこれでもかというくらい濡らす。

ウルフは昨夜の司祭達の様子を思い出していた。


「なるほどな…あの司祭共、盗まれた時の責任回避するために逃げやがったのか」

「ええっエー!」


ディータは泣きながら頭を殴られたようなショック顔になった。

そんな事にも気付かなかったのかと思うと、哀れ通り越して呆れる。


「あそこは神聖教会だが、神聖である司祭はいない」


神聖と呼ばれる異能者が普通は司祭をやるのだが、普通の人間が司祭である場合も多い。

しかし一人もいないというのは珍しい。


「確かに…司祭様はみんな人間ですけどォ…神聖教は何も異能者のためにあるわけじゃないですゥ。

異能者が教会を取り仕切っているのはそうして神聖を律するためなんだって聞きましたァ」


間延びする語尾で未だぐずぐず言いながらディータは言った。

司祭になる神聖はほとんどが教会学園出身者だ。

ほとんど自動的にそうなる、と聞いた事がある。


「今の教会はまるで見世物小屋だったからな。アンスヘルムの秘石っていう見世物」

「はいィ…僕だってほんとは気づいてましたよォ…わかっているんです、ほんと。司祭様は神聖が嫌いなんですゥ」

「なんだそれは。じゃあなんだって神聖教の司祭なんてやってるんだ」


ディータは不満そうな顔でうつむいた。

もう涙を流すのは良いらしい。


「それはきっと、あの司祭共のささやかな虚栄心の為であろうな」


今まで黙っていたロマンが低い声で言った。

いつの間に窓を開けたのか、風で尻尾髪が流れる。


「奴らは神聖が偉そうにしているのが嫌なのだろう。だから神聖を追い出して、自らの小さな城で偽りの王となったってとこだ。大体ここに来るやつは左遷されたような奴ばかりだ」

「そ、そうなんですか…?」


ディータが初めて知った、というような顔をする。

そこにも気付いていなかったとは…随分お気楽な奴だとウルフは思った。


「偽りの城の中で、唯一本物だった王冠…秘石は無くなった。と、すればあの教会には何の意味があるのだろうな」


にやり笑顔で言う、ロマン。

ディータは黙ったまま、うつむく。


「…僕には、もう必要の無いモノですゥ…」


言葉はすごく弱いのに、諦めや、切り捨てなど無いように思えた。

ディータの涙にぬれた瞳には、それに対する執着が消え失せている。

人がモノに興味を失くした時、そのモノは一体どうすればいいのだろうか。


そうして誰も必要としなくなったモノはどうなるのだろうか。


「まるで呪いみたいですゥ…教会に縛られてるみたいですゥ…」

「…」


ロマンは何も言わず、しかし今度は真顔でへこたれるディータを見下ろした。


「…あれ?そういえば、あなたは誰…」


ディータがパッと顔をあげてロマンの方を見た。

眉をひそめてじろじろとロマンの顔からつま先までじーっと眺め見る。

何か考えるように空を見つめたあと、カッと目を見開いた。


「うおーーー!あああああなたはっその声はっその髪は…怪盗シュバッ」


言いきる前にロマンは無表情で蹴るように足を振り上げてブーツの底でディータの顔を攻撃した。


「…お前は、他に方法を知らんのか…」

「手っ取り早くて良いだろ」


ロマン・グライリッヒ…この男がシュヴァンツだと自認したわけではないが、ウルフは確信した。

そしてディータもそれを確信したのだろう。

再び目からぼろぼろと大粒の涙を垂れ流しながらディータは抗議した。


「うおーんうぅうううおーーん!ひどいです、ひどいですゥ。ぜんぶアナタのせいじゃないですかァアアア!!」

「何を言っている。何も気づかないでのうのうとしていた貴様が悪いのであろう。ワタシに責任を擦り付けるな」


ウルフから見ればどっちもどっちだ。

気づかぬ馬鹿も、本物の馬鹿も、どっちもどっち。


「大体、ワタシは怪盗ではなく盗賊だ。それで何だ。アンスヘルムの秘石を返して欲しいのか?」


ロマンは高圧的な態度でディータに問いかけた。

ディータは目を擦り、擦りすぎて赤くなった目をさらに擦った。

本当にコイツの態度だけは実に痛々しくて、腹立たしい。


「い、いらないですゥ。そんなの…ここにはあってはならないんですゥ…」


何を言っている?

これはこの街の希望の象徴だ。

それを今まで護ってきた聖職者自ら放棄するというのか。

訝しげに見ると、ロマンはにやり、と笑った。


「そう思うか。ワタシもそう思う」

「どういう事だ…」

「お前はわからんか。いや、わかってるだろ」


にやり、と笑いながらこちらを見るロマン。

わかっているだろ、と言われてもウルフにはわからない。

ただ。

ただ、ウルフには必要の無いものだった。

ウルフが街に留まる理由はそんなちっぽけな石や預言のためでは無い。


否、

何の為でも無い。

何の為でも無いから、ここに居る。


「…知るか。勝手にすれば良い」

「最初からそのつもりだ」


言いながらロマンはディータの向かいにあったもうひとつのベッドにごろん、と寝転がった。


「サテ、ワタシは今日はこの盆暗と宿屋に泊る事にする。娘の事は君に任せた」

「娘の所に戻らないのか?」

「今は何の意味も無い事だ。ワタシの娘だから素晴らしく賢く、素晴らしく可愛い。だからくれぐれも気をつけろ」

「…意味がわからん」


ロマンはまったくもう、その事について全く言及したくないらしく、会話を受け付けなかった。

本当に勝手で傲慢でついでに暴力的でどうしようも無い男だ。

ふ、と外を見ると、既に星達が大声で騒ぐような五月蝿い夜空だった。


「…月が恋しいか、獣よ」


びくり、と身体が一瞬震えた。

振り向くと枕の陰から鋭い片目だけをこちらに向けたロマンが居た。

深い色の瞳は獣を射る狩人の様だ。


「なぜ、おれが獣なんだ」

「戦う事も、傷つくことも、人に畏れられる事にも躊躇わない孤高の獣。ワタシは君のような者を探していた」


表情は隠れていてよくわからなかったが、おそらくいつものようにニヤリと笑っていたに違いない。

そうで無ければ真剣なその目に射られそうで、ゾクリと足元が震えた。

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