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第4話  三度目の接触



 次の日の四時間目、選択授業のため特別教室に向かう。高一の終わりに物理Ⅰか生物Ⅰを選択する。私は生物は解剖とか血を見るのがダメだから、迷わず物理を選択した。希と順子さんも物理選択で特別教室へ、梨佳ちゃんは生物選択で教室に残る。

 選択授業は人数が減るから、他のクラスと合同で行われる。

 私はいつも座る窓側角の席に向かい、その横に順子さん、後ろに希が座る。チャイムが鳴るまで三人でおしゃべりして、先生が入ってきてから前を向く。

 いちお授業は真面目に聞くし、勉強も好きじゃないけどやってる。大学には進学するつもりだから、ある程度はちゃんと勉強しなきゃね。

 私のポリシーは授業に集中すること。授業中にその内容をしっかり理解してしまえば、復習する必要はないわけで、家に帰ってまでガツガツ勉強しないでいいって思うのよね。

 だからこうして、選択授業も前の方の席に座る。成績も、悪くはない方だと思ってる。

 物理の授業は、要点の書かれたプリントを中心にすすめられる。正直、私はこの授業があまり好きじゃない。だってさ、一回の授業にプリントが二枚も三枚も配られて、プリントを挟むファイルが重たい。教科書とノートと図録まであるのに、その上、プリントのファイルなんてかさばるかさばる。

 しかも、プリントはパソコン打ちとかじゃないんだよっ。先生の手書きの文章と小学生が描いたのかっていうちんちくりんな図で説明されている。

 分かりやすい……ような気もするけど、あまりの絵の下手さに眉根を寄せてしまう。

 授業も残り十分程になって、またもプリントが配られる。

 廊下側から配られるから、窓側一番前に座っている私のところまで先生が来るのは少し時間がかかる。私はその間、必死にノートをとっていく。

 ほとんどノートはとらなくていい授業なんだけど、やっぱノートに書く方が授業の内容が頭に入りやすいし、板書とプリントの内容を自分の分かりやすいようにノートに書いた方が試験前に見直す時に効率いいんだよね。

 きりのいいとこまで書いた時にやっと先生がやってきて、プリントの束を受けとる。

 私は体ごと後ろを振り返って、後ろの席の希に渡したんだけど……その時、視界に異様なものが入って、ぴたっと動きを止める。

 教室の後方に向けられた視線の先、窓側から二列目の一番後ろの席に、あのダサ男が座っていた――!

 なにっ!? ずっとダサ男と同じ選択授業、受けてたってことぉ――!?

 プリントを配られる時、だいたい必死にノートを書いてて、振り向かず肩越しに希にプリントを渡すことが多いから、授業中に振り向くことなんてない。

 特別教室に移動するのも早い方で、教室には他の生徒ほとんど来てないことのが多いし、授業が終わった後も、さっさと教室を出ていくから誰がいるかなんて気にしたことなかったんだ。

 振り返ったまま固まっていた私に希が声をかけて、慌てて前を向く。だけど、私の頭の中はダサ男が同じ教室にいるという衝撃に耐えられなくて、授業の内容もぜんぜん頭に入ってこない。

 男子と話すのが苦手っていうのはあるけど、男子だからってやたらと毛嫌いしてるわけじゃない。ただ、深く関わらないようにしているし、自分から話しかけないようにしてるだけで、必要最低限のコミュニケーションはとっている。

 だから、クラスメイトの男子と話すこともあるし、同じ教室内に男子がいるからって、それだけで鳥肌がたつわけじゃない。ただ……

 ダサ男は例外だ! 普段だったら、ダサいって思ったからって気にしない。むしろ、ダサいって思ったら思考から即座に消去するよ。考えるのだけでも嫌だもんね。それなのに、ダサ男を見た瞬間、嫌悪感にざわっと鳥肌が立つ。同じ教室にいると思っただけで、落ち着かない。

 なんでいるの――とか。まあ、物理を選択したからなんだろうけど。

 向こうは私の存在に気づいてる!? とか。ぐるぐるとダサ男のことを考えてしまって、気がついたら最後のプリントが配られてからノートをとることもしないまま授業終了のチャイムが鳴り響いた。

 ガタガタっと椅子と床がこすれる音が教室のあちこちから上がって、はっと我に返る。

 うわぁーん。ぜんぜん授業、聞いてなかった、やばいぃ……っ!

 黒板を消そうとした先生を止めて、急いでノートに写し始める。


「めずらしい、美結がノートまだとり終わってないなんて」


 すでに教科書とノートを小脇に抱えた希が私の机の前に周り、覗きこんで来る。

 私は返事もできないくらい、必死の形相でノートを書く。


「美結、待っててあげたいけど、私、今日購買だから、先行くね」

「美結ちゃん、私もなの。ごめんね」


 希と順子さんに言われて、私はノートから視線をあげて頷き返す。購買部のパンは美味しくて人気がある。早めにいかないと、買えないということもあるくらい。それを分かっていたから引きとめたりはしない。

 いそいそと特別教室を出ていく二人が視界の外に消えていき、私は黒板とノートに視線を往復させた。

 今日は少し復習しなきゃダメかも……

 落胆に肩を落としながら、なんとか板書を終えてノートを閉じる。プリントは半分に折ってファイルにしまおうとして、手が滑ってファイルがするりと机の前に落ちてしまった。最悪な事にファイルの留め金を外していたから、いままで配られたプリントが全部床にばらまかれる。

 やっちゃったぁ……

 教室に残っているのはもう私だけだと思って、立ちあがる気力もなく、呆然と椅子に座ったまま散らばったプリントを眺めていると。


「大丈夫、ですか……」


 肩越しにかけられた聞き覚えのある喋り方に、ビクっと肩を震わせて、反射的に振り向く。

 もう誰もいないと思っていたのに人がいた――っていうか、ダサ男がいたことに驚きを隠せない。

 きっと、口を大きく開けて間抜けな顔をしているに違いない……

 言葉も出てこないくらい唖然としていると、ダサ男がのっそりとした動きで私の机の前に回ってしゃがみ込んだ。その様子を呆然と見つめて、なにしてんだろこいつ……とか思ってしまった。

 わぁー、私のプリント拾ってるしぃ――!?

 これがただの男子なら、親切だなって思いつつも適当に断ってさっさと自分で拾うのに、ダサ男相手だと、なんだか調子がくるう。


「拾わ、ない……でぇ――っ!」


 やっとの思いで出た声は小さくて、掠れていた。私は机に両手をついて衝動的に立ちあがる。

 私の声にピタッと動きを止めたダサ男は、拾おうとしていたプリントからぱっと手を離して、すでに拾って手に持っていたプリントを素早い動きで机に置いた。

 あいかわらずもさもさの髪の毛に暑苦しい量の多い前髪で、瞳が見えない。そのことになぜだがイライラする。

 いつもだったらイライラしたりせずに、とにかく男子と接触しないようにするし、イライラすることさえ面倒だと思って無視するのに――その時の私は、自分の中の矛盾点にまったく気づいていなかった。


「最後の、一枚、まだ落ちてますよ……」


 ボソッともれた声に、ぎゅっと眉根を寄せる。

 私はバタバタとわざとらしいほど音をたてて前に回り、プリントを拾う。すると、くすっと笑い声が聞こえて、こめかみを引きつらせて振り仰ぐ。

 なんで、あんたに笑われなきゃならないのよぉっ。怒りを込めた眼差しを向けて、ギョっとする。

 だって、見上げた先、息も触れそうな距離にダサ男が立っていて、ぞわぞわって全身に鳥肌が広がっていく。私は震える体に、微動だにすることもできない。

 揺れる前髪の奥にのぞいて見えた瞳が、とても澄んでいて、優しい光を浮かべているから、息をのむ。

 なに、こいつ――

 ダサ男と接触するのは三回目だけど、自転車置き場で初めて会った時、丸まった背中が印象的で身長はそんなに変わらないと思っていた。だけど、目の前にいるのは自分が見上げるほど背が高くて、気づかうように腰がかがめられていることに気づいてしまう。

 こいつの猫背ってわざとなの――?

 そういえば、図書館で本棚の一番上の本も軽々とっていたな、と思い出して、背筋がぞくっと震える。得体のしれない恐怖に、あわてて机の上に散らばったプリントやノートをかき集め、教室を飛び出した。




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