第1話 憧れのアイドル
友達の話に出てくる男の子って、下品なことばかり考えてて乱暴で、話を聞くたびに嫌悪感が募ってくる。
「でも、好きだから仕方がないんだよね……」
頬を染めて、彼氏が浮気したけど謝ってきたから許すと話す友達を見て、私はぎゅっと眉根を寄せた。
ぜんぜん、分からない……
なんで浮気されて許せるのかな? 現実の男なんて信用ならないよ。
私はそんなのいらない。そう思って、ブレザーのポケットからパスケースを取り出す。二つ降りの黒革のパスケースを開くと、そこには一枚のアイドルの写真。
スポットライトを浴びて、眩しい笑みを浮かべるのは、今人気急上昇中のアイドルグループ“ZECU”の門真 幹、通称ミッキーだ。
女の子と見まごうような優美な顔、白い肌には色素の薄い瞳と形の良い唇が綺麗な笑みを浮かべている。薄茶のサラサラの髪が頬にかかり、それすらも色っぽく見える。
私がその写真をうっとりと見つめていると、横からパスケースを取り上げられた。
「美結、また見てるの……あんたも飽きないね」
親友の希が呆れた表情で言うから、パスケースを奪い返しながらふてくされて横を向く。
「ミッキーは私の王子様なんだからっ!」
「はいはい、ミッキーだけが美結のことをドキドキさせるのよね。現実の男なんて興味ないって? でもさ、アイドルなんて手の届かない存在じゃん。しょせんは叶わない恋でしょ……いいかげん、現実に目を向けなさいよね」
最後は私を心配して言ってくれてるのが分かったけど、私は素直に頷けなかった。
私だってわかってる。こんなのは恋じゃないって――
でも、現実の男の子なんてむさくるしいし汚いし、なんか匂うし、絶対ドキドキなんて出来ない。側に近寄られただけで全身鳥肌になってしまう。
私の心を揺さぶるのはミッキーの笑顔だけなんだから仕方がないじゃない。
※
冬の寒さが厳しくなる二月。寒いのが苦手な私は、ブレザーの中にセーターとカーディガンを着込み、コートの上からは長いマフラーをぐるぐる巻きにしてもこもこの耳当てをして手袋という重装備で自転車をこいでいた。
男の子が苦手で、満員電車なんか耐えられない――って思った私は、家から自転車で通える場所にある高校へと進学した。家から自転車で二十分弱。川沿いの土手をずっと南に下っていけば、高校がある。
自由な校風や近い距離も気に入っているんだけど、冬の時期だけは学校に行くのが正直、億劫だった。
川沿いなんて特に風が強く吹くし、寒くて寒くて自転車も思うようにこげない。
その日も、私は二十分で通える距離を寒さに震えながら三十分以上駆けて自転車をこぎ、やっとの思いで学校に辿り着いた。
そんなに寒いの嫌だったら冬だけでもバス通学にしたらいいじゃんって思うかもしれないけど、地図上では家と高校はほぼ一直線にあるし同じ区内なのに、家の近くから学校まで一本でいけるバス路線がないのだ。
バスを乗り継ぐのは大変だし、しかもそのバスっていうのが本数少なくて、いろいろめんどくさくて、バス通学はしないというわけ。
私はかじかむ手でハンドルを握り寒さに震えながら校門をくぐって、右側にある自転車置き場へと向かう。自転車置き場は波打った鉄板の屋根がついているだけの簡素な場所。いちお、線は引いてあるけど、みんな線なんか無視してめちゃくちゃにとめている。始業ギリギリになんんか着くと、自転車を置くことが出来ない時もある。
乱雑に並ぶ自転車置き場をゆったりとしたスピードでこぎながら、空いている場所を探してブレーキをかける。
自転車二台分空いている場所に自転車をすべりこませた私はスタンドをかけ後輪に鍵をかけて、前籠から鞄を出してさあ教室に向かおう、と思ったのだけど――
ガラガラガラ、ガッシャーン……!
中途半端に掴んだ鞄のとってがハンドルに引っ掛かって私の自転車が倒れ、横に止まっていた自転車も数台ドミノ倒しに倒れてしまった。おまけに、着こみすぎてもこもこして動きの鈍かった私は、その自転車の波にのまれて自転車の下敷きになって、無様に転んだ。
痛いし、最悪……
くすくすと笑い声が聞こえて、泣きそうになるのをぐっと堪える。
ここで泣くなんて、恥ずかしすぎて嫌だったから。でも、聞こえてしまった笑い声に、体がかぁーっと熱くなる。
自転車置き場は、校門から昇降口に向かう途中にあって、登校中の生徒から見える場所にある。
私が自転車に巻き込まれて倒れたのが見えて笑っている。とても一人じゃ起きられない様な悲惨なこけ方をしているのに、笑うだけで、みんな見て見ぬふりして通り過ぎてしまう。
私だって向こうの立場だったら、素通りするだろうと思いながら、恥ずかしさと悔しさに、やっぱり涙が込み上げてくる。
ぎゅっと唇をかみしめて、どうにか自転車の下から這い出ようとした時、体の上からすっと自転車の重みが消えた。
「大丈夫、ですか……?」
その声が天使のように聞こえて、砂まみれの制服と膝を払いながら立ちあがった私は、そこにいる男の子を見て、ぞわりと肌が波打つ。
「怪我、してないですか……?」
ボソボソっとくぐもった声で尋ねられて、私は思わず後ずさってしまった。
だって、ぼさぼさの髪の毛、瞳はうっとおしいほど量の多い前髪に隠され、ぼってとした厚い唇が不気味な印象を与える。猫背でまるまった背、のっそりとした動きで近づかれて、叫ばなかった自分を褒めてあげたいくらい。
「……っ!?」
「大丈夫、ですか?」
「あっ、ありがとう……」
「いえいえ……」
そんな会話の間も、ダサい男子は私が倒した自転車を一台ずつ起してスタンドをかけ直していた。
私は呆然とその動作を眺めて、はっとする。
あっ、私が倒したんだから、自分で直さないと……
助けてくれたと思った人が、私が嫌悪感を抱く男子像にあまりにもぴったりだったから、話しかけられたことに拒絶反応を起こして固まっていた。
「あの、あとは私がやるからいいよ?」
そう言うと、量の多い前髪が揺れて、ダサ男がかすかに笑った――気がした。
「この一台だけだから、大丈夫、です」
私は、そう……って心の中でつぶやいて視線をそらす。
なんとなく見ていた地面に男子の鞄が置かれてて、そこに電車の駅名が書かれたパスケースを見つけて、胸がざわつく。
だって、電車の定期を持ってるってことは電車通学なんでしょ。自転車置き場になんて用事ないじゃん? 校門からまっすぐ昇降口に向かうなら自転車置き場は通らないし……わざわざ助けに来てくれたってことじゃんか――
男子の外見で勝手にキモイとか思って拒絶してしまったことに、良心が痛む。
みんな見て見ぬふりする中で、彼だけが助けに来てくれた――
嫌な顔一つせず、ずっと大丈夫って私のこと気づかってくれて。私が倒した自転車だって、結局全部起こしてくれた。彼の優しさが心にしみる。だけど……
「怪我は、ないですか?」
ボソボソっと話しかけられて、私は顔を引きつらせる。
いい人だってのは分かるけど、いかんせん、外見がむさくるしすぎる……
「だっ、大丈夫です……っ」
これ以上、この男子に関わるのは耐えられなくて、私は早口でお礼を言って鞄を掴んで自転車置き場から逃げ出した。
やっぱ、無理ぃ――……
※ 美結の男子に対する嫌悪感は作品の中での感情です。
男子のみなさん、気分を悪くしないでね、ごめんなさい。