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第6話 平和は猛毒、日常は地雷原

 大闘技場での「無傷の圧倒的勝利」という、本人ですら呆れるほどの狂言からさらに一週間。

 王立魔術学園での生活は、控えめに言って——最高にして、最悪だった。


 まずは、最高な点から挙げさせてもらおう。

 なんといっても、この学園の「衣食住」が、これまでの俺の人生観を根本から粉砕するほどに素晴らしいということだ。

 特に、毎日の食事。これがもう、言語を絶するほどに美味い。

 朝は、厨房の石窯から引き上げられたばかりの、ふかふかと白く湯気を立てる柔らかな白パン。

 それに、極厚にスライスされ、脂身が甘くカリッと香ばしく焼き上げられた最高級のベーコン。

 さらに、温めたミルクをふんだんに使ってふんわりと泡立てられた、黄金色のスクランブルエッグ。

 付け合わせの新鮮なサラダや、野菜の旨味が凝縮された深い琥珀色のコンソメスープでさえ、王都の一等地に店を構える三ツ星レストランで出されても全くおかしくないレベルの絶品だ。

 昼になれば、学園内に併設された学生専用の高級カフェテリアへ足を運ぶ。

 そこでは、分厚くジューシーなローストビーフがこれでもかと、贅沢の極みと言わんばかりに挟まった特製のサンドイッチを、搾りたての果汁100パーセントのオレンジジュースと共に、心ゆくまでかじりつくことができる。

 そして夜になれば、S級特待生にのみ与えられた防諜結界付きの広大な自室——スイートルームに、学園お抱えの専属シェフがうやうやしくフルコースをワゴンに乗せて運んでくるのだ。

 宝石のように彩られた前菜から始まり、メインの肉料理、魚料理、そして熟練の職人が作り上げた芸術品のようなデザートまで。

 一口、口に運ぶごとに、俺の全身の細胞が狂喜乱舞の歓声を上げるのがわかる。

 王都のスラムの薄暗い路地裏で、泥水に塗れながら薄汚いネズミと残飯を、文字通り明日を生きるために命懸けで争っていたあの日々が、もはや完全に遠い遠い、前世の記憶のように薄れていくのを日々、恐怖すら覚えながら実感していた。


 それだけではない。

 身体が沈み込むほどふかふかの羽毛で作られた特注の天蓋付きベッドは、毎晩俺の疲れた身体と、二十四時間休まりようのないすり減った精神を、泥のように優しく甘美な眠りへと溶かしてくれる。

 浴室に備え付けられた魔力ボイラー付きの広々とした大理石のシャワールームは、俺の心の奥底にこびりついた、あの薄汚い泥水のような貧困の記憶と染み付いた血の匂いまで、綺麗さっぱりと洗い流してくれるかのようだった。


 まさに至れり尽くせり。これ以上望むべくもない、完璧な勝ち組の極致である。


 そして次に——最悪な点だ。


【現在の猶予期限リミット:98時間 15分 44秒】

【負債額:S級複合魔力相当(残金:未だ膨大)+莫大な利息】


 視界の端で、俺の命の残り時間たる寿命リミットが、順調に、そしていっそ清々しいほど容赦なく、一秒、また一秒と減り続けている。

 一週間前に、あのアホみたいに火力の高いA級貴族グランヴィルが、プライドを懸けて放った大魔法を丸ごと吸収し、システムの借金返済(エネルギー横流し)に充てたことで、一時的に残り時間は130時間ほどまで延命することに成功した。

 だが、あの華々しい大闘技場での「無傷の勝利」劇以降、俺に対する明確な「攻撃魔法」は、文字通り【ゼロ】だった。


「……マジで冗談キツいぜ。冗談ならもうちょっと、こう、笑える内容にしてくれよ」


 実技演習用の、見渡す限り芝生が青々と広がるグラウンドの片隅。

 春の太陽の光が優しく差し込む、見晴らしの良い大きな老木の木陰で、俺は最高級のシルクで織られた真っ白いローブを、芝生の上に躊躇なく敷きパット代わりに広げた。

 その上に腰を下ろし、特大のサンドイッチをかじりながら、俺は胃の底から絞り出すような重苦しい深いため息を、何度目かもわからぬままに吐き出した。


 遠くのグラウンド中央部では、新入生たちがチームを組んで、真面目に、そして熱心に模擬戦を行っている。

 赤熱する炎の球と、それを弾き返す水の防壁が激しくぶつかり合う爆発音。

 隆起した分厚い土壁が、無数の岩弾によって砕け散る乾いた破砕音。

 目に見えない風の刃が、空気を鋭く切り裂いて飛び交う不気味な風切り音。

 本来なら、俺も今すぐあの中に最高の笑顔で颯爽と、あるいは傲然と歩み入って混ざっていき。

「おいおい、そんな児戯にも等しいお遊びみたいな魔法で、この俺のローブの裾がわずかでも揺らせるとでも思っているのか? あぁん?」

 と、最高に腹の立つ、かつ相手の自尊心をズタズタにするような傲慢な態度で煽り倒さなければならない。

 そして、プライドを再起不能なまで傷つけられてマジギレした貴族の坊っちゃんお嬢ちゃんどもから、特大の殺意を込めた殺人的な魔法を、盛大に俺の顔面めがけてふっかけてもらわなければならないのだ。

 彼らから向けられる純粋な憎悪と、震えるような殺意。

 そしてそれに伴う圧倒的な密度の攻撃魔力こそが、この不条理な地獄を生き延びるための「最高に美味しくて栄養満点の養分」に他ならなかった。


 だが、現実は——俺の都合の良い妄想を、残酷なまでに裏切り続けていた。


『ああっ! アルト様っ、大変、大変失礼いたしましたあああっ!』

『も、申し訳ありませんアルト様! あの、いま手元が狂って……今の炎の余波、風向きのせいで、ほんの少しだけアルト様の方へ飛んでしまって……! お願いです、殺さないでください!』

『おいいいいい貴様、さっさと土下座しろ! アルト様に少しでも灰や火の粉が被ってみろ、今夜には俺たちの家門ごと、一晩でこの王都から、いや領地ごと消し飛ばされるぞ!』


 俺が少しでもグラウンドに近づくだけで。

 あるいは、ただ退屈そうに数秒ほど視線を向けただけで。

 周囲数十メートルの回避練習中の生徒たちが一斉に血相を変える。

 まるで文字通りの死神にロックオンされたかのような、絶望的な顔つきになり、模擬戦を即時中止して地面に這いつくばるのだ。

 グランヴィルの一件が、彼らにとって完全に「絶対に手を出してはいけない、本物のバケモノ」というダメ押しになってしまっていた。

 入学当初から囁かれていた、どこまでが本当かわからない不気味な噂の数々に、大闘技場での「圧倒的な実力」という強固な箔がついてしまった。

 現在の学園内での俺の扱いは、今や「絶対に触れてはならない逆鱗」——あるいは「一度でもご機嫌を損ねた瞬間に、周囲数キロメートルを焦土に変える、歩く特大災害」と同義になってしまっている。

 誰も俺を標的にしてくれない。

 誰も俺を煽ってこない。

 誰も、俺に魔法の矛先を向けようとすらしない。


 俺が心の底から渇望しているのは、「俺を激しく憎み、明確な殺意を持って、オーバーキル気味の極大火力の魔法をぶつけてくる『最高のカモ』」だというのに。

 今や学園中の生徒が俺を本気で畏怖し、限界まで遠ざかり、あまつさえ「底知れぬ実力を持つ孤高にして高潔な天才」として、妙な方向へ崇拝すら始めている馬鹿まで現れる始末なのだ。

 そんな連中に向かって、「お願いだから俺を全力で魔法で殴ってください。じゃないと借金取りが来て消えちゃうんです」なんて。

 そんな情けない泣き言を言えるはずがない。

 そんなみっともない真実を口にした瞬間、S級特待生というこの牙城のごとき確固たるポジション(最高の衣食住)はガラガラと崩壊する。

 俺の偽装は即座にバレて、学園からは永久に放逐されるか、あるいは悪質な詐欺罪で地下牢行きが関の山だろう。


「平和だ……。なんてクソったれなほど平和なんだ。平和すぎて、胃液と一緒に何かが逆流してきやがる……っ」


 俺は残っていたサンドイッチの、分厚いローストビーフを乱暴に、しかし味わう余裕もなく口に放り込んだ。

 代償魔術による返済は、「俺個人へ向けられた明確な攻撃エネルギー」でなければ吸収効率が極端に落ちるという、設計した奴の顔を一度拝んで殴り飛ばしたいレベルのクソ仕様なブラックシステムだ。

 グラウンドを飛び交う魔法の流れ弾程度の、殺意も指向性もない微弱な魔力の残り香なんて、俺が現在進行形で背負い込んでいる莫大な『利息』を、一分間相殺することすらできやしない。

 このまま誰も俺に手を出してこない、安全で、平和で、まったくスリルのない退屈な日々が続けばどうなるのか。

 俺は、あと四日と少しで因果律の回収システムに、強引に魂ごと差し押さえられて、この世から分子レベルで消去される——ただそれだけだ。


(どうする? どうすればいい? 自分から手当たり次第に、それこそ狂犬のように、校門から入ってくる奴を片っ端から喧嘩を吹っかけて回るか? ——いや、ダメだ。それはあまりにも悪手すぎる)


 俺はすぐさま大きく頭を振って、その短絡的で、かつてのスラム時代に戻ってしまうような愚かな思考を打ち消した。

 ただの辻斬りや頭のイカれた狂人のように、手当たり次第に生徒に喧嘩を売って回れば、いずれ教師陣や学園長から「学園の秩序を著しく乱す危険分子」として即刻制裁対象になるか。

 あるいは一発で特待生剥奪からの、不名誉きわまりない退学処分を食らうだろう。

 それに何より、「すべてを超越した強者(S級)」たる俺が、自分からわざわざ小娘やひ弱な貴族の坊っちゃんたちにいちいち絡んでいくのは、これまで苦労して築き上げてきた『強者の余裕』という設定上、あまりに明白な矛盾だ。いや、致命的な欠陥バグと言ってもいい。

 超越者というのは、常に泰然自若と、空の彼方を眺めているように構えているもの。

 向こうから身の程知らずにキャンキャンと騒ぎ立て、挑みかかってきた哀れな羽虫を、ため息混じりに片手で払い落とすからこそ、周囲には「圧倒的な強者」として映る。

 自分からみっともなく小物に噛みつきにいく超越者など、どこの物語にも登場はしない。


(ああもう、設定の維持がめんどくせえ! いっそ首から「俺めちゃくちゃ弱いんで、今すぐ、どうぞ全力で心置きなく殴ってください。お願いします。何でもしますから!」って書いたデカい看板でもぶら下げて、二十四時間学園中を練り歩きたい気分だぜ……)


 そんな泥臭くて、あまりにも惨めで、スラムの残飯以下のような本音を脳裏で絶叫しながら。

 俺は傍からは決してそうと悟られないよう、わざとらしく退屈そうな、冷え切った顔を完璧に作り上げ、大げさにつまらなさそうにあくびを一つしてみせた。

 周囲の空気が一ミリでも読める人間なら、あるいは自尊心が高くて、この俺の「退屈アピール」に苛立って、一撃くらい魔法を噛みついてきてくれてもいいはずだ。


「——ずいぶんと退屈そうにしているな、S級特待生」


 背後から、不意に、静止した空間を切り裂くような声が降ってきた。

 その声は、非常によく通る硬質な響きを持っていた。

 声色だけで、プライドの高さがそのまま立派な服を着て歩いているような、強烈で圧倒的な自己主張を伴っていた。


 俺はピタリと「退屈している余裕な強者」の仮面を顔に完璧に貼り付け、ゆっくりと、いかにも面倒くさそうに、首の骨を鳴らしながら振り返った。

 視線の先に立っていたのは、目も覚めるような美しい、眩いばかりの金糸の髪。それが春風にさらりと揺れる長身の美男子だ。

 仕立てのいい、一目で最高級の魔法素材とわかる真紅のローブはA級の証。

 その左腕には、王立魔術学園の生徒会役員であることを示す腕章が、絶対的な権力の象徴としてキラキラと太陽光を反射している。

 さらにその後ろには、まるで儀仗兵のようにズラリと居並ぶ十数人の生徒。

 恭しく彼を囲む取り巻きたちの誰もが、一斉に俺の肌をチリチリと灼くような、明確な敵意と不快感の混じった視線を向けてくる。


(こいつは……たしか、入学式の時に新入生代表で堂々と、一時間くらい長ったらしい挨拶をしてた超絶エリート様だな。たしか名前は——カイル・ヴェスターマンか)


 王国の名門、ヴェスターマン侯爵家の嫡男にして次期当主。

 魔法の才能は歴代の天才たちの中でも、さらに数百年の一人と謳われ、現在、二年生にして学園最強の生徒と目されている、事実上のトップランカーだ。

 感情任せに膨大な魔力を無秩序にぶっ放してきた、あのグランヴィルが「暴走する火薬庫」だとしたら。

 いま眼の前に立っているカイルは、一切の無駄を省いた「冷徹で隙のない、絶対零度の氷の剣」といったところだろうか。

 立ち姿だけで、魔力なんて微塵も持っていない素人の俺ですらわかるほどに、洗練された、刺すような魔力のオーラを感じる。


「……俺の特・等・席(木陰)に、ずいぶんと分不相応な客人じゃないか。何の用だ、ヴェスターマンの次期当主殿」


 俺は座ったまま、彼を見上げることもなく、手でシッシッと、汚い路地裏の蠅でも払うかのような、あからさまに横柄で見下した態度を取ってみせた。

 わざと相手の自尊心を逆なでし、マジギレを引き出すための、慎重にして大胆な高度なプレイングだ。


 案の定、途端にカイルの背後にいる取り巻きの上級生たちが、一斉に顔色を変えて殺気立った。

 一部の者は、指の先に魔力の火花を散らしてさえいる。


「貴様っ、カイル様に何という無礼な口の利き様だ! たかが一年の、素性も知れぬ新入生が……!」

「グランヴィルをまぐれで退けたからといって、調子に乗るなよ、掃き溜めの平民上がりが! お前などカイル様が本気を出せば、瞬きの間に灰すら残らず蒸発するぞ!」


 キャンキャンとうるさく吠える取り巻きたちを、しかし当のカイル本人は、視線一つ動かさずに片手をスッと上げて静かに制した。

 それだけで即座に静まり返る取り巻きたち。統率力も一級品かよ。

 彼の整ったその顔には、ギリギリのところで冷静さが保たれているものの、俺に対する隠しきれない明らかな『不快感』と、抑えきれない『闘争心』がはっきりと、色濃く浮かんでいた。


(おおっ……! いいぞ、すごくいい、期待通りの顔してるぜカイル先輩!)


 俺の心臓が、歓喜と興奮、そして期待という名のステップをドカドカと激しく踏み鳴らした。

 キタキタキタキタ!

 こいつだ。この男なら絶対に、俺の期待に応えてくれる。

 カイル・ヴェスターマン。

 この男の分厚いプライドを、木っ端微塵に粉々にへし折って、本気で心の底から、言葉も出ないほどにブチ切れさせれば。

 グランヴィルのような単発のバカみたいな火力ではなく。

 より高度で、より繊細で、より計算され尽くした逃げ場のない強力な複合魔法——それも、恐ろしいほどの莫大な魔力エネルギーを、俺に向かって一切の出し惜しみなく撃ち込んでくれるに違いない。

 学園トップのエリートが放つ、正真正銘の全力の魔法。

 それさえ手に入れば、いまの俺の背中に重くおおいかぶさって、文字通り首を絞めようとしている、重く苦しい借金の元本をガッツリと減らせる!

 俺にとっては、これ以上ない『極上の超特大ボーナス・ステージ』の登場だ!


「……お前の不気味な噂は、嫌というほど耳に入っているぞ、アルト・レーエン」


 カイルは俺を冷たい、全てを凍てつかせそうな瞳で見下ろし、感情を極限まで押し殺した低い声で、一文字ずつゆっくりと告げた。


「あの一年生用とは思えないほど頑強な魔力測定器を、内部から跡形もなく破壊し尽くし。さらに、あのグランヴィルの放った最大魔法『爆炎連衝クリムゾン・ブラスト』を、あろうことか無傷で、平然と相殺したそうだな。……一見すると、あり得ないほどの常識外れな、まさしく伝説のS級に相応しい偉業だ。……だが、俺の目は、そう簡単には誤魔化せんぞ」

「ほう?」


 俺はわざとらしく、心底どうでもいいという風を装って、軽く片眉を跳ね上げて見せた。

 内心では「頼むから、その自慢の、他人のプライベートまで暴きそうな節穴の目とやらで、俺の偽装を暴き出してくれ! そして『僕をコケにしやがって、こんな奴に騙されてたなんて屈辱だ!』って泣き叫びながら、お前の持てる最大のデカい、最強の魔法を撃ってくれ!」と、神にも、あるいは悪魔にでもすがる思いで、脳内で両手を合わせて必死に祈りながら。


「お前からは、魔力を行使する者、あるいは保持する者特有の『揺らぎ(エーテル・ウェーブ)』が、一切、欠片すらも感じられないのだ」


 カイルの目が、獲物を狙う天を舞う鷹のように鋭く細められた。


「どんなに強力な隠蔽魔法を使う魔法使いであっても、魔力を行使している、あるいは体内に莫大な魔力を貯蔵している以上、必ず、この空間のエーテルに干渉する微かな波長が生まれる。それは、己の意志でどうにか制御できるものではなく、ましてや完全に隠しきれるものでもない。……だというのに。不思議なことに、お前にはそれが、塵一つ存在しない。……お前はまるで、魔力という概念、あるいは因果そのものから完全に切り離された、ただの空虚なる『無』そのものだ」


 ドキリ、と。

 俺の心臓がこれまでになく大きく、嫌な冷たい音を立てて激しく跳ねた。


(……こいつ、鋭すぎる! 予想していた以上に、いや、リーゼの時以上に、本能的に厄介な奴だぞ! 単に俺の態度から『余裕という名の虚勢』を見抜くんじゃなく、物理的な『魔力波長の無さ——つまり魔力ゼロ』という絶対的な真実を、魔術理論の観点から的確に突いてきやがった!)


 不快な冷や汗がスッと、背筋のラインを冷たく伝っていくのを、嫌なほどありありと自覚していた。

 これは不味い。非常に、非常に不味い展開だ。

 あたりまえだ。俺は魔力を「持っていない(ゼロ)」のだから、波長などという高尚なものが周囲に現れるはずがない。

 それは太陽があれば影ができるのと同じくらい、当然中の当然の、覆しようのない物理法則。

 だが、それをここで「さすが、よくわかりましたね! 実は俺、一ミリも魔力がないんです!」なんて。

 そんなことを正直に認めた瞬間に、俺は「無魔力のS級(笑)」として、ただのペテン師か、悪質な手品師として社会的に抹殺されて死ぬ。

 そして即日、特待生の権利を全て剥奪され、借金の返済も物理的に不可能になり、システムの過酷な取り立てによって文字通り塵になって消去される。


「——それで?」


 俺は懸命に、背中に這いよる冷や汗の影響を無視し、これ以上ないほど傲慢な、相手を心底から小馬鹿にしたような作り笑いを唇の端に、歪んだ形に浮かべてみせた。


「お前のその、自慢の節穴のように曇ったポンコツの目で、この俺の深い底さえ、わずか一ミリも測れなかったからといって。……それが一体、この俺に対して、何の関係があるというんだ? わざわざ取り巻きの犬どもを、ゾロゾロと面倒くさそうに引き連れてまで。そんな出来の悪い、負け犬のような泣き言を直々に俺に言いに来たのか? 随分と、お前の学園トップという椅子は暇なようだな、生徒会長殿」

「貴様っ……調子に乗るなっ、殺してやる!!」

「待て。よせ」


 俺の挑発に見事なまでにまんまと乗り、殺意丸出しで魔法を撃とうと魔力を急速に練り上げ、激昂しかけていた取り巻きの数人を、カイルは再び、鋭い手刀のような冷酷な言葉で瞬時に制止した。

 俺は内心で「そこで止めるな! 撃たせろ、いまこの場で、その未熟な魔法を全力で俺にぶつけさせろ!」と、心の中で激しく舌打ちをした。

 カイルは俺を、射抜くような視線で、真っ向から睨み据える。

 その瞳の奥には、先程までの冷徹な氷のような理性の壁だけでなく。

 確かな、抑えきれない怒りの業火がメラメラと、今にも爆発しそうに揺らめいているのがはっきりと見えた。


「……俺はな、お前のような正体不明の、薄気味悪い紛いフェイクが。この神聖にして伝統ある王立魔術学園の、頂点たる『S級』として、我が物顔でふんぞり返っているのが、反吐が出るほどに気に食わないだけだ。……アルト・レーエン。お前がどんな卑怯な手品を使っているかは知らんが——俺は、お前のその腐り果てた化けの皮を完全に、一枚残らず剥がないと、どうにも気が済まない性質でね」

「化けの皮、ね。……ハッ、笑わせるな。剥がした瞬間に、その奥から溢れ出してくる本物の中身(地獄)に。お前のその、温室育ちの貧弱な脆弱きわまりない精神が、一秒でも発狂せずに耐えられると、本気で心の底から思っているのか?」


 俺はゆっくりと、あえて威圧するように、音を立てて芝生から立ち上がった。

 そしてカイルと、視線を真正面から、至近距離でバチリと交差させた。

 身長はあちらの方が数センチばかり高いが、俺は前借りの『絶対的威圧感』への、システム的干渉を、意図的に普段よりも少しだけ意図的に強めた。

 空間そのものが、ミシミシと物理的な異音を立てて軋むような——。

 重圧という名のプレッシャーを、カイル一人に向けて容赦なく、ピンポイントで叩きつける。

 脳内で、チクチクと不快な、借金の利息がまたほんの少しだけシステムによって上乗せされた感覚がした。

 だが、投資としては安いものだ。ここで一歩でも引けば、最大の目標であるリターン(魔力徴収)は決して得られない。


「……口だけは、どこまでも減らない不愉快な男だ。……いいだろう。なら、来週の『全学年合同・ランク対抗戦』だ。そこで、お前がただの口車だけの哀れなペテン師か。それとも、本物の救いようのない怪物か。……この俺の、全力を注ぎ込んだ極大魔法で、直接その身体に、完膚なきまでに刻み込んで確かめてやる」

「ランク対抗戦?」

「そうだ。……まさか、知らされていないとは言わせないぞ? 各階級ランクから選抜された代表者が、あの大闘技場で一堂に会し、文字通り正面から激突する、この学園で最も重要な、国中の権力者も視察に訪れる公式行事だ。……お前は唯一の『一年生のS級』として、辞退など一切認められず、確実に出場枠に選ばれるだろうさ」


 カイルは不敵な、そして底知れず冷酷な笑みをその端正な顔に浮かべ。

 俺に明確な、公衆の面前での殺意を伴う、公式の宣戦布告を突き叩きつけた。


「逃げるなよ、生意気な新入生。……何千、何万という大観衆の前で。俺が、お前のそのハッタリをすべて無慈悲に暴き出し。そして、この世から一筋の灰も、一滴の血すらも残さず、綺麗さっぱり焼き尽くしてやるからな。……せいぜい今日から、遺言でも書いて震えて眠るがいい」


 そう吐き捨てるように言い残し、カイルは真紅の、豪華なマントをバサリと大きく、不快な音を立てて翻して背を向け、去っていった。

 取り巻きたちも、最後に俺を忌々しげに睨みつける。

 あるいは「もうすぐ公衆の前で殺される哀れな奴」とでも言うように、憐れみすら混じった侮蔑の視線を向けてから。

 慌てて、既に遠ざかりつつあるカイルの、その後ろ姿を懸命に追っていく。


 彼らの足音が完全に遠ざかり、その姿が視界から消え去るまで。

 俺はその場に、どこまでも泰然自若とした、揺るぎない態度で。

 指先一つピクリとも動かさずに、悠然と立ち尽くしていた。


 そして——。

 彼らの姿が校舎の角に完全に消え、俺を中心とした周囲数十メートルに、魔法的な監視も含めて誰一人として、完全に気配がなくなったことを確認した、その瞬間。


「…………よっしゃあああああああああああああああああああああああああっっっ!!!!」


 俺は両手で自分の顔を覆い、天に向かって、心の中で、張り裂けんばかりの激情を伴った、音のない歓喜の絶叫を上げた。

 膝から、あまりの嬉しさに崩れ落ちて。

 このふかふかで柔らかい極上の芝生の上を、ゴロゴロと、みっともなく際限なく転げ回りたい衝動を、必死で、それこそ全身に力を込めてこらえた。

 固く握りしめた拳を、何度も何度も、誰も見ていないところで力強く振るう。


(キタキタキタ! これだよこれ! こういうのを、入学してからずっと、血の涙を流しながら待ってたんだよ! これ以上ないほどに最高のシチュエーションじゃねえか!)


 全学園注目の公式行事という、正々堂々とした、舞台の整った、合法的な魔法の撃ち合い。

 しかも相手は、あの、学園最強の呼び声高いカイル・ヴェスターマンからの、直々のご指名。逃げ場のない宣戦布告だ。

 彼が俺に対して「化けの皮を剥がす」という、強固すぎるほどの確固たる意志。

 そして一切の妥協のない純粋な殺意(=全魔力)を一身に向けてくれるというのなら。

 それは、俺の首を締め上げようとしている莫大すぎる借金を、一気に返済できる!

 一世一代の、まさに千載一遇の超特大大チャンス。

 俺にとっては、地獄の崖っぷちで見つけた、極上のボーナスステージだ!

 来週のその公式イベントで。彼が放つ、持てる全ての最高級の、高密度の絶技を全弾、一滴残らずシステムで吸収相殺(=実質、借金返済)できれば。

 俺は確実に、数ヶ月の寿命リミットを稼ぎ出せる。

 いや、うまくいけば、半年以上は余裕を持って、のんびりと延命することができるかもしれない!


【現在の猶予期限リミット:98時間 05分 12秒】


「……フフッ、ハハハハハ。首を洗って待ってろよ、来週の対抗戦。俺の借金返済のために、お前のその、無駄に高いプライドも。積み上げてきた自慢の魔力も。全部、一滴残らず俺が、骨までしゃぶり尽くしてやるからな」


 俺は、ニヤリと。

 それこそ本物の魔王か、さもなくば凶悪な指名手配犯のような、歪んだ不吉な笑みをその唇に浮かべ。

 手元に残っていたサンドイッチの分厚いローストビーフの端っこを、機嫌よく最高のご馳走のようにパクリと平らげる。

 平和という名の、俺をじりじりと嬲り殺そうとしていた猛毒。

 そこを抜け出すための、致死量スレスレの極上の「地雷原」が目の前に美しく用意された。


 王立魔術学園での、俺の命を切り売りした時間を賭けた、泥沼の自転車操業。

 一秒の猶予も許されない命のやり取り。その第二ラウンドを告げるゴングが。

 今まさに、俺の脳内で、高らかに、そして不吉に鳴り響こうとしていた——。


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