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第5話 最強の特待生は、恋路よりも明日の命が惜しい

 大闘技場での圧倒的とも言える「無傷の勝利」を見せつけてから、数日が経過した。


 学園での俺の扱いは、控えめに言って「腫れ物」になっていた。

 歩くだけでモーセの海割りのように道は空き、食堂に俺が現れれば、まるで上等なレストランにバズーカを持ったテロリストが乱入したかのような完全な静寂が落ちる。

 A級の貴族どもですら目を合わせようとせず、学園最強と目されていたカイル・ヴェスターマン派閥の連中も、遠巻きに忌々しげな視線を向けてくるだけだ。


(……やべえ。平和すぎる)


 S級特待生専用の豪華な自室。

 無駄に広いキングサイズのベッドで、俺は最高級シルクのシーツに包まりながら絶望に顔を覆っていた。

 本来なら、スラムの裏路地で生ゴミを漁っていた俺にとっては天国のような環境のはずだ。

 ふかふかの絨毯。磨き上げられたアンティーク家具。ボタン一押しでメイドがお茶を淹れてくれる夢のような待遇。

 だというのに、俺の胃は連日のストレスで完全にキリキリと悲鳴を上げていた。


 誰も俺に関わろうとしない。

 誰も俺を煽ってこないし、ましてや魔法の一つも撃ち込もうとしてこない。

 「触らぬ神に祟りなし」——そんな学園中の総意が、俺の首を真綿で絞めている。


 俺の視界の端で明滅する、残酷な借金タイマー。


【現在の猶予期限リミット:28時間 15分 44秒】

【負債額:S級複合魔力相当(残金:未だ膨大)+利息】


 たったそれだけ。非情な赤文字が、システム領域のブラックボックスから冷酷に俺の余命をカウントダウンし続けている。

 そもそも、あのグランヴィルが放ったのは『A級中位』の魔法だった。

 対して俺が背負っているのは、入学試験で破壊した魔力測定器の代償……『S級複合魔力』というバカげた桁の借金だ。

 A級の魔法一つをフルで吸収したところで、焼け石に水。元本などほとんど減っていないし、むしろ毎日複利で増え続ける『利息』の支払いに消えていく始末だ。


(グランヴィルの奴から搾り取ったエネルギーも、もうすぐ底を突く……っ。このままだと、明日の夜には俺の存在がシステムに差し押さえられてジ・エンドだ!)


 グランヴィルのような、プライドが高くて単細胞で、なおかつ高火力な「最高のATM」は、そうそう都合よく転がっていない。

 俺は焦りからくる胃痛を堪えながら、いっそ自ら因縁をつけに行くか……? とすら考え始めていた。

 だが、そんな俺の必死な思惑など知る由もない来訪者が、突然部屋のドアを上品にノックしたのだ。


「——アルト・レーエン。いらっしゃいますか?」


 低く、透き通った、だがどこか感情の起伏に乏しい少女の声。


「……誰だ」


 俺の声は、自然と低く冷たいものになる。

 ドアの向こうから返ってきた名乗りに、俺は一瞬だけ心臓を跳ねさせた。


「リーゼ・フォン・クラインハイムです。A級に属しています。……少しだけ、お話をお伺いできないでしょうか」


(リーゼ・フォン・クラインハイム……っ!?)


 王国の筆頭公爵家。

 国内最大火力の血統であり、学園でも一、二を争うほどの魔力保有量を誇ると噂される、本物のバケモノだ。

 なぜそんな雲の上の令嬢が、俺の部屋に直接乗り込んできているのか。


(まさか、俺のハッタリや代償魔術のカラクリに勘付かれたのか!? いや、焦るな。ここで動揺を見せれば終わりだ。俺はS級特待生——最強の設定を絶対にブレさせるな)


「——入れ。鍵は開いている」


 俺が尊大に言い放つと、重厚なマホガニーの扉が静かに開いた。

 そこに立っていたのは、息を呑むほど美しい、だが氷のように冷たい空気を纏った少女だった。

 銀色に輝く長い髪は、月明かりをそのまま溶かしたように滑らかで、深い湖のような蒼い瞳はどこまでも静まり返っている。

 すらりとした長身を包むのは、A級特待生にのみ許された真紅のローブ。それが、彼女の雪のような肌の白さを一層際立たせ、神秘的な威圧感を放っていた。


(美少女ってレベルじゃねえぞ……。歩く芸術品か何かか? だが、あの中に秘められてる魔力は、グランヴィルの比じゃない)


 魔力ゼロの俺ですら、肌がピリピリと粟立つほどの高密度なエーテルの気配。

 それが彼女の内側で、完全に制御され、静かに圧縮されているのが分かる。

 もしあれが解放されれば、このS級棟どころか、学園の一部が消し飛ぶかもしれない。


「失礼いたします」


 リーゼは完璧な作法で一礼し、部屋の中へと足を踏み入れた。

 だが、俺に視線を向けたそのブルーの瞳には、明らかな「警戒」と「値踏み」の光が宿っていた。


「……A級のトップエリート様が、わざわざこんな最果てのS級棟まで何のご用だ? 俺にお茶でも淹れろと?」

「ご冗談を。私のような小娘が、測定器を破壊し、グランヴィルの限界出力による炎をノーモーションで相殺した『本物の怪物バケモノ』を雑用になど使えるはずがありません」


 抑揚のない声で事実を並べ立てながら、リーゼは俺の顔から視線を外さなかった。


「単刀直入にお聞きします、アルト・レーエン。——あなたは、魔法という力に『恐怖』を感じたことはありますか?」


「…………は?」


 予想外すぎる質問に、俺は思わず裏返りそうな声を喉の奥で噛み殺した。


(おっと、危ねえ。素で間抜けな声が出そうになったぞ)


 魔法に恐怖を感じたことがあるか、だと?

 冗談じゃない。今この瞬間だって、俺は自分が払えないほどの「魔法の借金」の恐怖で胃に穴が空きそうな真っ最中だ。

 毎晩、夢の中でシステムに首を絞められる悪夢を見て飛び起きている。

 魔法が怖いどころの騒ぎではない。俺にとって魔法とは「明日生きるための食事」であり、同時に「少しでも取り扱いを間違えれば即死する猛毒」なのだ。


 だが、そんな泣き言をこぼすわけにはいかない。

 俺の表の顔(仮面)は、S級特待生に相応しい、傲岸不遜な怪物のそれだ。微塵も揺るがせるわけにはいかない。


「……くだらない質問だな」


 俺は鼻で笑い、ベッドの上に足を組んだまま、氷の令嬢を見下ろした。


「恐怖だと? 誰が、何に対して抱くというんだ。この俺に届き得る魔法など、この学園——いや、この国のどこを探しても存在しないというのに」

「……」


 俺の傲慢すぎる返答に、リーゼの瞳が一瞬だけ細められた。

 怒りではない。どこか「探りを入れる」ような、あるいは「期待と失望が入り混じった」ような複雑な色だ。


「……私の生家、クラインハイム家は『最大火力の確保』を至上命題としています。私は幼い頃から、強力な魔法砲台であるべく育てられました」


 リーゼはぽつりぽつりと、誰も聞いていないかのように語り始めた。

 その横顔はひどく寂しげで、到底A級トップの才能に恵まれた令嬢とは思えない。


「……私の魔力は、人を焼き尽くすためだけに存在するようなものです。私は常に、自分の力がもたらす破壊に……恐怖してきました。できれば、一生魔力など行使したくない。……本当は、魔法など見たくもない」


 淡々とした口調の裏に、どれほどの抑圧があるのか。

 彼女の指先が、わずかに震えているのが見えた。


「ですが、あなたは違った。大闘技場でのあなたは、グランヴィルの圧倒的な火力による『死の恐怖』を前にしても、瞬き一つせず、防御魔法すら展開しなかった。……まるで、魔法そのものが『自分には何の意味も持たない虚構』であるかのように」


 リーゼが一歩、俺へと歩み寄った。

 その蒼い瞳に、初めて微かな熱が宿る。


「アルト・レーエン。あなたは……魔力という力、その絶対性を『否定』しているように見えます。それは、圧倒的な力を持つ者が行き着く境地なのでしょうか。それとも——」


 そこでリーゼは言葉を切り、真っ直ぐに俺の目を射抜いた。


「——あなたのその『余裕』は、命を懸けた、とてつもなく脆い『虚勢』なのではありませんか?」


 ドクン、と。

 俺の心臓が、今日一番の巨大な警鐘を鳴らした。


(や、やばい……ばれてるっ……!? 俺の代償魔術のカラクリはともかく、『ハッタリをかましている』って真髄に片足を突っ込んできやがった!)


 冷や汗が背中を滝のように流れ落ちる。

 ここで少しでも動揺すれば、俺の設定は完全に瓦解し、間違いなく消滅のカウンターがゼロになる。

 俺は全身の細胞に命令し、これ以上ないほど冷酷で、底知れぬ悪党の笑みを顔面に貼り付けた。


「——ククッ……アハハハハハハハッ!!」


 俺はあえて、部屋に響き渡るほどの高笑いを見せつけた。

 リーゼがビクッと肩を震わせる。


「虚勢、だと? なるほど、お前のような箱庭で怯える鳥には、俺の在り方がそう見えるらしいな」

「……何がおかしいのですか」

「すべてだ。自分の火力にビビって引きこもる公爵令嬢が、わざわざ俺の部屋まで来て『あなたの余裕は嘘でしょう?』と泣きついてくる。滑稽すぎて反吐が出る」


 俺はベッドから降り、リーゼの鼻先までゆっくりと歩み寄った。

 身長差を利用して、上から彼女の蒼い瞳を真っ向から見下ろす。


「いいか、クラインハイムの令嬢。俺にとって魔法とは、恐怖の対象でも兵器でもない。……そんな大層なものではない。ただの『数字遊び』にして、他愛のない『ゲームのチップ』に過ぎない」

「数字、遊び……?」

「そうだ。俺は誰にも怯えない。誰の魔力も恐れない。なぜなら、俺がお前たちの魔力を喰らい、消費し、ただの数字として利用する『絶対的な支配者システム』だからだ」


 嘘八百。ただの自転車操業の借金取り立てのカラクリである。

 それを、俺はいかにも「次元の違う超越者の思想」かのように傲慢に言い放ち、これでもかとばかりに彼女の顔を覗き込んだ。

 ……リーゼの蒼い瞳が、わずかに揺らいだ気がした。

 恐怖か? それとも、理解不能な生物を見る畏敬の念か。


「その『虚勢』が本物かどうか、試してみたくはないか?」

「えっ……」


 俺はわざと両手を広げ、ローブの胸元をさらけ出した。


「お前のその、恐怖してやまない『最大火力』とやらを俺に撃ち込んでみろ。もし俺が防戦一方になり、一瞬でも恐怖に顔を歪めたなら——お前の読み通り、俺はただのペテン師だったというわけだ」


(来い! 頼むから撃ってくれ! お前のそのバカみたいな火力なら、残りのS級負債も一気に返済できる極上の宝の山なんだよ!!)


 内心では「頼むからATMになってくれ」と土下座しながら、俺は悪魔の誘惑のような笑みを浮かべてリーゼを煽る。


 だが。

 リーゼは俺の目を見つめ返したまま、小さく首を横に振った。


「……お断りします」

「なんだと?」

「あなたのその眼は、死を恐れていない。むしろ私の魔法を『歓迎』しているようにすら見える。……そんな底知れぬ相手に不用意に攻撃を仕掛けるほど、私は愚かではありません」


 リーゼは一歩後退し、再び完璧な作法で一礼した。


「失礼な身入りをしたこと、お詫びいたします。ですが、これで確信しました。アルト・レーエン……あなたはやはり、私たちとは生きている次元が違う。……いずれまた、お話の機会を頂けることを願っております」


 そう言い残し、リーゼは静かに部屋を出ていってしまった。

 重い扉が閉まり、心地よい靴音が廊下の奥へと消えていく。


 一人残された広大な部屋。

 再び完全な静寂が満ちると、急激に張り詰めていた糸がプツリと切れた。


 数秒後。

 俺は膝から崩れ落ち、ドサリと分厚い絨毯の上に大の字に突っ伏した。

 冷や汗が全身からどっと噴き出し、高級なシャツをじっとりと濡らしていく。


「……あああああああああああああっっ!! くそがあああっっ!!」


 バカか俺は!?

 なんで「撃ってみろ」なんてあからさまな地雷みたいな挑発をしちまったんだ!

 あんな警戒心MAXの令嬢が、素直に罠に飛び込んでくるわけがないだろうが!


(極上のカモ(A級トップ)を逃した……っ! しかも、ミステリアスな強キャラ感だけ無駄に刺激して、ますます誰も手を出せない状況に追い込んじまった!)


 これじゃあ悪循環だ。

 俺が「凄み」を見せれば見せるほど、優秀な魔法使いほど警戒して攻撃してこなくなる。

 バカみたいな大火力で俺を消し炭にしようとしてくる「身の程知らずの傲慢な奴」でなければ、俺の借金返済のターゲットにはならないというのに!


【現在の猶予期限リミット:28時間 05分 12秒】


「……マジでどうするんだよ、これ」


 ため息とともに吐き出した声は、ひどく情けなく自室に響いた。

 夢にまで見た、スラムからの脱却と栄光の学園生活。

 そんなものは、この部屋のどこにも存在しない。王立魔術学園に踏み入ってまだ数日だというのに、俺の命の蝋燭はすでに風前の灯火だった。


 贅を尽くした特待生専用の自室。しかし俺にとっては、いつ窒息してもおかしくない黄金の鳥籠だ。


 誰でもいい。どんな汚い手を使ってでも、俺を心底憎み、完全に理性を失って殺す気で大魔法を連発してくれる「究極のカモ」を見つけ出さなければならない。

 王立魔術学園での、本当の意味での——明日をも知れぬ『命懸けの自転車操業』が、今ようやく本番を迎えようとしていた。


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