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第1話 借金は、俺の呼吸だ

「——次。受験番号四一七六番、前へ」


 無機質で事務的な声が、しんと静まり返った大講堂に響き渡った。


 王立魔術学園の入学試験が行われているその場所は、重厚な石造りの冷たい空気に満ちていた。

 高い天井にはシャンデリアのごとく魔光石が幾つも吊るされ、試験の順番を待つ若者たちのひきつった顔と、荒い息遣いを無慈悲なほど白日の下に照らし出している。

 大理石の床には一晩中磨き上げられたような鈍い反射があり、受験生たちの震える靴先が鏡のように映り込んでいた。


 彼らはみな、己の血に流れる「価値」を証明しようと必死だった。

 名門貴族の令息も、一攫千金の成り上がりを夢見る平民も、この部屋の中央に鎮座する巨大な魔力測定器の前に立てば、等しくその「数字」だけで裁かれる。

 一桁の魔力しか出せずに泣き崩れる者。

 予想以上の数値に歓喜し、その場で崩れ落ちる者。

 ここは、人生の明暗が秒単位で分かれる残酷な処刑場だった。


「四一七六番! いないのか!」


「……ここに」


 苛立つ試験官の金切り声に、俺は短く答えて列から進み出た。

 黒い、いかにも安物の薄いローブ。

 平民ですら日常使いにしないような色あせたシャツ。

 そして、顔に貼り付けた——誰を見下すともつかない、だが明確に「自分以外のすべてを底辺だと思っている」ような、口角をわずかに吊り上げた冷酷な笑み。

 内側では過度の緊張から苛立ちと冷や汗が吹き出しそうになっていたが、表面上は一ミリも悟らせない。

 俺の姿を見た瞬間、周囲の受験生からひそやかな嘲笑と舌打ちが漏れた。


「おい見ろよ、あの貧民上がりみたいな身なり」

「よくあんなボロ布で王立学園の試験なんかに来られたもんだ。正気か?」

「どうせ魔力なんてスライム以下に決まってるさ。さっさと帰って畑でも耕してろよ」


 そんなクズ共の罵声は耳に入らない。

 いや、鼓膜はしっかり拾っているが、顔の筋肉には一ミリも反映させない。

 俺の体内魔力は、スライム以下どころの話ではない。

 正確に、純然たる『ゼロ』だったからだ。


 比喩でも謙遜でも、機械の故障でもない。

 数値としての、完全なるゼロ。

 世界がこの身体に魔力を注ぐことを、受精卵の段階から完璧に拒絶した結果としての、美しくも無慈悲な絶無。

 俺の身体には、誰もが当たり前に持っている「魔力受容体」という器官すら存在しない。

 生まれてこのかた十六年間、一日たりとも、一滴たりとて魔力を感じたことなどない。

 魔力ゼロの人間など、この魔力至上主義の世界では路傍の石以下の、生ゴミ同然の扱いだ。


 俺の目の前で、試験官が羊皮紙のリストと俺の顔を交互に見比べ、露骨に顔をしかめた。

 羽ペンをインク壺に乱暴に突っ込みながら、鼻で笑うように尋ねる。


「……名前は?」

「アルト・レーエン」

「レーエン……? 聞いたことがない家名だな。平民が貴族の真似事でもしているのか」

「数代前に没落した、田舎貴族の三男坊さ。……もっとも、今の俺には家名など必要ないがね。俺の存在そのものが、最強の証明だからな」


 言ってのけて、俺は堂々と魔力測定器の台座に手を置いた。


 金属製の冷たい感触が手のひらにじわりと伝わる。

 中央に埋め込まれた人頭大の巨大な水晶体は、本来ならば測定者の魔力に反応して青白く輝き、その強度によって数値を弾き出すはずだった。


 だが、水晶体は沈黙している。

 当然だ。微粒子の魔力すら流し込んでいないのだから。光るわけがない。


「……おい、さっさと魔力を流せ。無能にかかずらっている時間は私にはない」

「流しているさ。あんたの目が単なる節穴でなければ、この部屋が俺の覇気まりょくで満たされ、空間が軋んでいるのが見えるはずだが?」


 俺は不遜な笑みを一切崩さず、試験官を真っ向から鼻で笑った。


「なんだと、貴様ッ!」


 試験官の顔が、屈辱と怒りによって一瞬で朱に染まる。

 周囲の受験生たちの嘲笑は、いつしか「なんだこいつ、頭がおかしいんじゃないのか?」というドン引きの戸惑いへと変わっていた。


 いいぞ。

 周囲の疑念、試験官の苛立ち、張り詰めた空気。

 すべてが最高の舞台装置だ。


(今だ)


 俺は静かに、誰にも悟られないように息を吸い込む。

 肺の底まで酸素を満たし、心の内で、世界のシステムそのものに対して語りかけた。


(——俺の魔力は、この古びたガラクタ(測定器)では到底計測できないほど、巨大で、凶悪である。そうだろ?)


 それは神への祈りではない。ましてや奇跡に縋るような願いでも、都合の良い空想でもない。

 脳髄を焼き切るほどの【絶対的な確信】だ。


(もし今のハッタリが失敗したら? ……考えんな、コンマ一秒でもためらったら死ぬぞ!)


 一片の疑念も挟まない、狂気じみた完璧な自己洗脳。

 わずかでもためらいが生じた瞬間、俺の身体から五感が取り立てられ、あっという間に消滅する。

 この狂った魔術は、「俺は絶対に成功する」と心底信じ切っていなければ発動すらしない。

 内心の凄まじいプレッシャーに冷や汗をにじませながら、俺はこの瞬間、因果律に対して「信用取引クレジット」を仕掛けていた。


(定石をひっくり返せ。『魔力を消費して、結果を起こす』んじゃない)

(先に結果を手繰り寄せるんだ。『測定器が、俺の魔力に耐えきれずに計測不能の数値を叩き出し、ぶっ壊れる』……よし、これで確定ロックだ!)


代償魔術クレジット・キャスト


 魔力を一滴も持たない俺が編み出した、因果のルールをハックする歴史上最悪の詐欺。

(代償の返済期限リミットは七十二時間後……要求される返済エネルギーは、S級相当!)


 ボンッ!


 突然、俺が手を触れている測定器の内部で、分厚い歯車が力任せに弾け飛ぶような異音が鳴り響いた。


「なっ!?」


 試験官が目を剥き、手元のバインダーを取り落とす。


 ガチガチガチガチガチッ!!

 太い計測針が狂ったように暴れ回り、優秀層の証である目盛りの限界(A級ライン)をあっさりと突破。

 それでもなお右へ右へと叩きつけられ、ストッパーの金属ピンを嫌な音を立ててひしげさせた。

 水晶部分には「ピキッ」と亀裂が走り、内側に封じ込めきれなくなった限界突破のエネルギー奔流が、青白いスパークとなって漏れ出し始めた。

 雷のような轟音が講堂に響く。


「ば、ばかな……計測不能オーバーロードだと!?」


 試験官が悲鳴を上げ、這うようにして後ずさる。


 パァン!!

 次の瞬間、水晶体が耐えきれずに破裂し、粉々のガラス片となって周囲に飛び散った。

 眩いばかりの魔力光が大講堂全体を青く染め上げ、爆風が最前列の生徒たちの髪や衣服を激しく揺り動かす。

 きゃああっ、と女子生徒の短い悲鳴が上がった。


 俺はあえて片手をポケットに突っ込んだまま、飛んできたガラス片が頬をかすめても、爆風を顔の真正面から浴びても、瞬き一つしなかった。

 顔の筋肉を一切動かさず、無表情のままブーツのかかとを鳴らし、一歩だけ下がる。


 大講堂にいた全員が、水を打ったように静まり返っていた。


 誰もが信じられないものを見る目で、煙を上げて粉々になった測定器の残骸と、涼しい顔で立つ俺を見比べている。

 やがて、それが震えるような戦慄のどよめきに変わった。


「おい……あの何十年も使われてる計測器が壊れるほどの魔力って……」

「ありえない……昨年の首席で入学した公爵令嬢でも、あんな風にはならなかったぞ……!」

「あいつ、ただの平民じゃねえのか!? なんだあの化け物は……っ」


 周囲の畏怖と、得体の知れない存在への強烈な恐怖の視線が、俺の一挙手一投足に突き刺さる。

 空気が重い。俺を中心にして、全員が息を潜めているのがわかる。


 俺はつまらなそうに、本当に退屈で仕方がないというようにため息を一つ吐き、へたり込んでいる試験官を冷たく見下ろした。


「……器具の精度が低すぎるようだな。俺の器を量るには、少々脆弱だったらしい」

「あ、ああ……」


 腰を抜かして震えている試験官に、俺は声のトーンを一つ落としてトドメを刺す。


「で? このまま試験を続けるのか? それとも、この王立学園の設備には、俺という存在を測る基準が存在しないと認めるか?」

「っ……! と、特例だ! 学園長に即時報告を入れる! 貴様は……アルト・レーエンは、実技試験をすべて免除! 『S級特待生』として入学を許可する!」


 試験官の絞り出すような、命乞いにも似た絶叫を聞き届け、俺は小さく鼻を鳴らした。


「賢明な判断だ。だが、次からはもう少しマシな玩具を用意しておくことだな。俺の時間を無駄にするな」


 誰の目も見ず、俺は颯爽と踵を返した。

 広間を辞するまでの間、数百人の生徒と教師がいたにも関わらず、誰も俺に道を譲る以外の行動を取れなかった。

 海が割れるように、自然と一本の道ができる。

 圧倒的な「超越者」としての歩み。

 その背中に向かって向けられる羨望と恐怖の視線を全身に浴びながら、俺は大講堂の重厚な木扉を押し開けた。



 ——ガチャリ。


 分厚い扉が閉まり、分厚い壁が講堂の音を遮断して、誰もいない石造りの回廊に出た瞬間。


(はぁっ……はああぁっ!! やばいっ、やばいやばいやばいやばい!!)


 心臓が、肋骨を内側から叩き割るんじゃないかというほどのすさまじい勢いで暴れ出した。

 全身の毛穴という毛穴から一気に汗が吹き出すのがわかった。

 背中にべったりと冷たい汗が張り付き、膝の震えをもう隠しきれない。

 俺は壁に身を寄り掛からせ、糸が切れたように崩れ落ちて、その場に蹲った。両手の親指でこめかみを強く、痛いほど押さえる。


「いってえぇ……胃が……ぶっ壊れそう……。吐きそうだ……」


 声に出ないかすれた悲鳴を上げながら、俺は自分の胸ぐらを力任せに掴んだ。

 大講堂でのあの絶対強者としての立ち振る舞い?

 全部嘘だ。ハッタリだ。中身は空っぽの大嘘つきだ。


 俺の視界の隅——誰にも見えない虚空には、血のように赤い不吉な数字の「タイマー」が、チクタクと無慈悲な音を立てて刻まれている。


猶予期限リミット:71時間 58分 10秒】

【負債額:S級複合魔力(純魔力・衝撃・発光)相当】


 たったの七十二時間。

 その間に、S級魔術師の全力に匹敵する特大のエネルギーを、どこかで誰かから調達して、世界(因果律のシステム)に「返済」しなければならない。


 もし期日までに返済できなかったら?

 「あー、ちょっと見栄張っちゃった! やっぱ今回のは無しで!」なんて甘えはシステムに通用しない。

 俺のこの身体は、「存在を維持するためのコスト(担保)」として容赦なく切り売りされる。

 寿命を。右目の視力を。聴覚を。あるいは、孤児院で過ごしたわずかばかりの暖かい記憶や、明日の昼飯の味覚を——強制的に剥奪され、借金の穴埋めに当てられる。


 完全に返済不能に陥れば、最終的には俺という存在そのものが、世界から「初めからいなかったこと」として文字通り消去されるのだ。

 死体すら残らない。

 ただの【無】に還る。


(頭がおかしいんじゃないのか、俺……! わざと測定器を粉々に爆発させるなんて、どう考えても過剰演出だろうが!)


 だが、あれでもギリギリの調整だったのだ。

 学園で最上位の「S級特待生」というポジションをもぎ取るには、ただの満点では足りない。試験官に「こいつは手を出してはいけない規格外だ」と思わせる絶対的な恐怖を与えなければならなかったのだから。


 なぜそこまでして、特待生になる必要があったのか。

 決まっている。


(ここに入学できなければ、明日の飯もないし雨風をしのぐ寝る場所もないんだよ……!)


 魔力を持たない俺は、魔力ゼロというだけの理由で実家であるレーエン家からの追放処分。

 王都のスラムで、ストリートチルドレンとして野犬と泥水を奪い合って生きてきた。

 腐りかけの固いパンを一つ盗むのにも、常に大人の暴力と死の危険が付き纏う地獄の日々。

 あの肌を刺すような冬の寒さと、隣で寝ていた仲間が朝には冷たくなっている絶望の記憶——。


 あんな泥にまみれて野垂れ死ぬくらいなら——いっそ学園で「S級特待生」としての全額免除と、特別給付金をせしめてやる。

 温かいスープ。白いパン。ふかふかのベッド。

 それを得るためなら、寿命を削って神を騙す綱渡り(詐欺)だって躊躇はしない。


 それに……。

 俺は、スラムで俺をいじめた連中に、そして俺を出来損ないの生ゴミとして捨てた家族に証明してやらなければならないのだ。

 「魔力無しのゴミ」でも、こうして王立学園の玉座にふんぞり返って、エリートどもを見下して生きられるということを。

 これは俺の、世界に対する理不尽への、命懸けの復讐劇でもある。


「さて……いくか」


 十数回の深呼吸の後、俺は震える手で顔を洗い、無理やり口角を吊り上げた。

 壁にかかった飾り鏡の中に映る自分は、酷薄そうに見下すようなスマイルを浮かべた、いけ好かない傲慢な若き天才魔術師だ。

 誰がどう見ても、一糸乱れぬ絶対的な強者。


 これから始まるのは、最強を演じ続ける命懸けの自転車操業。

 まずは、最初の巨大な「借金」をどうやってふんだくるか。

 誰のプライドをへし折り、誰を怒らせ、誰に特大の魔法を俺に向かって撃たせるか。


(頼むぞ、王立学園の生徒ども……。プライドが高くて、すぐブチ切れて、無駄に強力な魔法を怒りに任せてぶっぱなしてくれる最高の鴨(金づる)がいてくれよ……!)


「……せいぜい、俺の計算通りに動いてもらうぞ。羽虫ども」


 俺は誰もいない回廊の奥に向かって、そう傲慢に独りごちた。

 内臓がドロドロに溶けるような強烈な胃痛を抱えながら、俺は一歩、また一歩と王立魔術学園の奥へと進んでいった。


 借金で未来を買い、命を繋ぐ。

 それが、魔力ゼロの俺に許された、唯一の——そして最高の生き方だ。


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