横浜おっさん、監督に奢らせる
俺が「飯を奢れ」と言ったのは冗談半分だった。
でもこの国の偉い人たちは、冗談半分を真に受けるくらい俺を怖がっている。
結果。
関内にある高級鉄板焼き屋の個室で、腕を組んで座っていた。ここはステーキが有名で、一度食べてみたいと思っていたのだが、以前の俺だったらとてもじゃないが気軽にはいれるような店じゃなかった。今日は国家権力様の財力に存分に甘えることとしよう。
同席者は三人。
公安の女――黒澤玲奈。目つきが鋭い。
統括室の胃が痛そうな官僚――榊原一郎。謝るのが仕事みたいな男。
それと、さっき隔離領域で固まってた女――天城ひより。多少有名なインフルエンサーだとかなんとか。目がうるさいくらい生きてる。
「……本当に、ここで良いんですか」
榊原が小声で聞いてきた。
店の格を気にしてるのか、予算を気にしてるのか、どっちだ。
「いいに決まってるじゃないですか。俺、協力したんですよ? 国家のために」
俺はヘラヘラ言った。
玲奈が、俺を睨む。
「“国家のため”じゃないだろ。機嫌のためだ」
「お、わかってる。話が早い」
ひよりが、テーブルの端でそわそわしている。スマホは没収されていないが、さっきから触っていない。
視線だけがずっと俺に刺さってくる。
「ねえ、灰島さん」
「さん付けいらない。敬われるような大人じゃない。しがないおっさんだぞ。」
「おっさんって言うけど、全然若いじゃん。三十代後半でしょ?」
玲奈の眉がぴくりと動いた。
榊原も一瞬だけ目を上げた。
情報漏洩が早い。国家に管理された途端にインシデント発生だ。だから役所は嫌いなんだ。
「……お前、どこで知った」
「だって榊原さん、さっき資料見てた。名前とか年齢とか、丸見えだったよ?」
榊原が小さく「すみません」と言った。
この人、呼吸するように謝罪するのな。
玲奈がひよりに向き直る。
「天城。勝手に覗くな」
「覗いてないって。勝手に視界に入っただけ。ねえ玲奈さん、こういうの“情報リテラシー”って言うんだよ?」
「私は公安だ。情報リテラシーはある」
「じゃあなんで丸見えなの?」
「……榊原が悪い」
榊原が二回目の「すみません」を吐いた。
俺は腹の底で笑った。面白い。全員、真面目で不器用で、俺に振り回されてる。
料理が運ばれてきた。
前菜、サラダ、スープ、そして美しいさしのはいった厚切りの和牛のステーキ。正直だんだん和牛の油がつらくなる歳だが、せっかくだ、いいもんが食いたい。
異世界に比べて、色が明るい。匂いが優しい。何より、毒がない。
俺はナイフとフォークを手に取った。
「いただきます」
食い始めた瞬間、世界が少しだけ平和になる。今の俺なら魔族だろうが悪魔だろうが友愛の心を持って接することができるだろう。
……人間の幸福って、案外単純だ。
ひよりが、俺の食べ方をじっと見ている。
「……めっちゃ普通に食べるんだね」
「当たり前だろ。俺は怪物じゃない」
「いや、怪物だよ。悪魔、消したじゃん」
ひよりは本気で言っている。
玲奈が口を開こうとしたが、俺が先に言った。
「俺だって、できればやりたくない。
でもああいうのが街に出たら、俺の生活がうるさくなる。飯も落ち着いて食えない」
「……自分の生活のため?」
「そう。俺、善人じゃないからな」
俺が軽く言うと、ひよりが少しだけ表情を和らげた。
変な子だ。“善人じゃない”って言われて安心するか?
玲奈が小さく息を吐く。
「灰島。あなたは国家にとって最重要の戦力だ。勝手な行動は困る」
「勝手な行動しかしてない人生なんで」
「……だから困る」
玲奈の声は硬い。だが、その硬さの奥に、別の感情がある。
恐怖。責任。焦り。
俺は箸を置いて、玲奈を見た。
ヘラヘラしたまま、目だけ少し真面目にする。
「黒澤さん」
「玲奈でいい」
即答。
押しが強い。
「じゃあ玲奈。あの路地裏の件、初動遅かったよな」
榊原が咳払いしかけた。
玲奈は黙る。
「俺が通りがかったから助かった。
でも通りがからなかったら? あのサラリーマンは喰われてた」
ひよりが口を押さえる。
玲奈が視線を逸らさずに言った。
「……監視網の反応が遅れた。現場が民間区域で、出動手続きに段階がある」
「段階、ねえ」
俺は笑った。
笑ったが、軽くはない。
「“段階”の間に人が死ぬ。現場はそういうもんだろ。俺の親友はそうやって死んだんだぜ。もちろんあっちの世界の話だけどな。」
榊原が沈痛な顔で頷く。
玲奈が、ほんの一瞬だけ唇を噛んだ。
俺は、そこで話を切り替えた。
湿らせるのは違う。俺も、読者も、そんなの求めてない。
「だからさ。俺に頼むなら、条件がある」
「条件?」
「俺が動くとき、段階とか手続きとか、そういうの全部すっ飛ばせ。
俺が“行く”って言ったら、結界も車も人員も、即出せ」
榊原が目を見開いた。
玲奈が眉を寄せる。
「それは――」
「できないなら、俺は俺の判断で動く。
で、勝手に動いたって怒られる。どっちがいい?」
玲奈が黙る。
榊原が静かに言った。
「……体制を、変えます。今日、上に掛け合います」
「やるじゃん。榊原さん、できる男は好きだぜ」
榊原の頬が引きつった。
褒められ慣れてない顔だ。
ひよりが、箸を持ったまま小さく言う。
「ねえ、灰島さん。私は? 私はどうしたらいいの?」
「どうしたいんだよ」
「……視えるの、怖い。でも、見えちゃう。
今日だって、私が“見えた”から現場に呼ばれたんでしょ? 役に立つなら、逃げたくない」
ひよりの声は震えているのに、目はまっすぐだ。
変に度胸があるやつだ。
玲奈がひよりを見た。
「天城。あなたは協力者として管理する。あなたは現状、どの国家がもつ観測器よりも正確に、詳細にゲートを観測できる。もちろん、私たちが全力で危険から遠ざける」
「それ、遠ざけるって言いながら巻き込むやつじゃん」
「……否定はしない」
正直だ。
玲奈はそういう女だ。
俺はひよりの額を、指で軽く弾いた。
「痛っ」
「無理すんな。視えるってのは、相手からも“見られる”ってことだ」
ひよりが固まる。
玲奈も榊原も、表情が硬くなる。情報として重要らしい。
「ゲートの向こうの連中は、俺がいた世界でいうところの悪魔と同類だ。あいつらは目がいい。
視える奴は目立つ。狙われる。だから――」
俺は言いかけて、止めた。
“だから俺のそばにいろ”みたいな言い方は、柄じゃない。
俺は深入りを避ける。死別の経験がある。いまさら誰かに依存するのは、怖い。
俺はヘラヘラに戻して、スープカップを手に取る。
「だから、勝手に一人で突っ込むな。玲奈の言うことは半分聞け」
「半分なの?」
「半分」
玲奈が即座に言う。
「全部聞け」
「無理」
ひよりが、なぜか嬉しそうに笑った。
こいつ、たぶん、こういう押し引きが好きなのかね。
食事が進む。
酒は出さない。国の人間がいるし、俺も今日は様子見だ。
玲奈がふいに言った。
「灰島。あなたには“同類”がいる」
「ほかの帰還者のことか?」
「そう。わが国にはすでに数名。あなたほどではないが、社会にとっては十分に異物だ」
榊原が頷いた。
「近く、顔合わせの場を設けます。あなたのストレスが少ない形で」
「ストレスが少ない形、って何?」
「……会場に余計な人間を入れません。記録も護衛も最小限。」
「いいね」
ひよりが手を挙げた。
「それ、私も行く。絶対行く。だって、同じ人たちでしょ? 異世界帰りってやばくない?」
「やばいのは俺だけで十分だ」
俺が言うと、玲奈がさらっと刺した。
「あなたの“やばさ”は別枠だ」
榊原が小さく「はい」と同意した。
全員が俺を怖がってる。まあ、正しい。
俺は食後のコーヒーを飲み干して、腹の中で決めた。
帰還者の顔合わせ。
そこに来る連中の中には、きっと勘違いした“俺様”もいる。
そういう奴は、早めに矯正した方が世のためだ。あっちの冒険者連中でも、才能やスキルのおかげで挫折や苦労を知らずにAランクあたりまできたやつらはたいてい増長し、致命的な失敗を犯す。それが本人だけにふりかかる火の粉ならかまわないが、たいていそういう時は周りにも被害が出る。
殺しはしない。
折るのは無駄に増長した鼻っ柱だけだ。痛いが、後で治る。
ひよりが、俺の袖をつまんだ。
「ねえ灰島さん。異世界ってさ、仲間とか、いたんでしょ」
空気が一瞬だけ止まった。
玲奈が目を細めた。榊原が息を飲んだ。
俺は、笑った。
「いたよ。いたけど、もういない」
それ以上は言わない。
言ったら、深くなる。
深くなったら、戻れなくなる。
その一言で気が付いたひよりは、そっと手を引っ込めた。
その動きが、妙に優しかった。
玲奈が、低い声で言う。
「……灰島。私が監督する。勝手に一人で抱えるな」
「監督って便利な言葉だな」
「便利に使う。あなたのためだ」
俺は返事をしなかった。
代わりに、デザートの皿を指差した。
「それ、食っていい?」
「……好きにしろ」
玲奈の言い方が、少しだけ柔らかい。
「灰島さん…。その…ごめんなさい。私、」
「気にするな。お前は経験せずに、知らずにいられたほうがいいことだ。」
俺はヘラヘラしながらデザートを食った。
甘い。平和だ。
ただ、腹の奥では、次の仕事の匂いがしている。
ゲートは増える。
国家は遅い。
帰還者は集まる。
そして俺は、今日もこの日本で、横浜の町で贅沢をする。
――深くは関わらない。
でも、守れる範囲は守る。
それが、俺の都合のいい生き方だ。




