帰還おっさん、横浜でワンパンする
初めての投稿作品です。とにかく気楽に、気分良く、ストレスフリーに楽しめるものを作りたいと思って書きました。よろしくお願いします。できるだけ1、2日に1話ずつ投稿したいと思いますが、初心者ですのでペースがわかりません。お気に入り?やフォロー?的な登録をしていただけるとありがたいです。
異世界から帰ってきた男の末路が、これだ。
横浜の海が見える歩道で、俺は紙コップのコーヒーをすすりながら、妙に整った街並みに感動していた。ビルも道路も信号も、魔物に壊されない。素晴らしい。
……いや、異世界でも壊されなかった街はあるけどな。俺が壊させなかった、って意味で。
俺は灰島 恒一、38歳。見た目は冴えない普通のおっさんだ。ただし、異世界転移前は若干現実の重力に負けて垂れ下がり気味だった腹の肉はだいぶ引き締まり、体つきもそれなりにガッチリした。自分では気が付かなかったが、目つきや顔つきもだいぶ鋭くなったようだ。先日、約十年ぶり(俺の異世界での生活期間。こちらの世界では時間経過がなかったようだ。)に再開したアパートの大家からは、『あんた本当に灰島くんかい?一晩で殺し屋みたいな雰囲気になって…。』とガチ目にドン引きされた。
まあ、無職の運動不足のおっさんが異世界に突然放り込まれ、命のやり取りにさらされ続けたのだ。いろいろと擦り切れてしまうのは、むしろ人間として正常だろう。実際、多くは無いが人間も殺したしな。
帰還の条件は「魔王討伐完了」。三日三晩に渡る怪獣大戦争ばりの戦いののち、それが達成された瞬間、世界は切り替わるみたいに真っ白になって、次に目を開けたら地球だった。
戻ってきて最初にやったことは、病院に行くでも役所に行くでもなく、コンビニでコーヒーを買い、地元横浜の街をぶらぶらと散策することだった。
熱い液体が喉を通るだけで、生きてる感じがする。異世界じゃ、現代の品種改良されたうまいコーヒーなんて存在しない。眠気覚ましや毒消しの薬草の煮汁がお茶替わりだ。そんな世界で十数年やったら、コーヒー一杯がご褒美になる。
……帰ってきたばかりなのに、変な感傷に浸りそうになる。やめだ。
俺はヘラヘラしてる方が性に合ってる。
実際、近所の人に会っても会釈やちょっとした挨拶をするくらいには愛想だけはいい。
このご時世、都市部でご近所さんとあいさつしているやつはコミュ力強者だ。おそらくな。
さて、俺のこれからの身の振りだが、最初は異世界帰りの力や、ストレージに貯蔵した金銀財宝については隠し通し、静かに一市民として暮らすつもりだった。
しかし、異世界の存在、それだけでなく帰還者についても政府は把握していたようだ。
帰還直後、時間の経過や自身の力についてあれこれ確認していると、スマホにメッセージがはいった。地震やミサイル関係なんかのときに、国から届くような見慣れない画面で『帰還の可能性あり。本機所有者、契約者はその場を動かず待機するように。』と表示されていた。国全体で、こういった対象を補足するシステムがあるのだろう。
ま、従う義理は無いが。どうも転移前からもそうだが、異世界の経験から役所嫌いが進行している。くそ、思い出しただけでもあそこの国の王はくそ野郎だった。
と、いうことで、俺はこうして自由を謳歌するために町へ繰り出したというわけだ。必要があれば、お国の役人か何かから別口で接触があるだろう。
今日は伊勢佐木町あたりで異世界の金銀が売れるか試すつもりだ。いくら戦略兵器並みの攻撃力があっても、それだけでは楽しく生きていくことはできないのだ。
ああ、腹が減った。
横浜ってのはいい。飯がうまい。異世界の飯も悪くはなかったが、基本的に「生き延びる」ための味だった。
中華街は個人的には観光客が行くところと思っている。うまい店もあるが、あまり混んでいるのもいただけない。やはり洋食か。俺は通り沿いの店を眺めて、次は何を食うか考えていた。
そのとき。
空気が、変わった。
街の雑踏の中で、一瞬だけ音が薄くなる。鼓膜が密閉されるみたいな違和感。
俺は立ち止まって、横目で路地の奥を見た。
見える。
人には見えないものが、見える。
路地裏の影が、不自然に濃い。影の中に、何かが“いる”。
異能が秘匿されている現代日本でも、こういうのはたまに出る。もちろん転移前の俺はそんなことこれっぽっちも知らなかったが、還ってきてからはこういう淀んだ魔力だまりみたいなものや、そこから這い出して来るナニカを見たり、一定範囲内であれば魔力探知の応用で知覚することができた。
「……なんか人もいるっぽいし、見なかったふりってのも都合わりぃよな。」
俺はため息をついて、ヘラヘラした顔のまま路地に入った。
ゴミ箱、段ボール、落書き。いつもの路地裏。
その奥で、若い男が一人、地面に押し倒されている。スーツ姿。営業か、社畜か、どっちにしても気の毒だ。
覆いかぶさっているのは、人間じゃない。
黒い。輪郭が定まっていない。
犬のようでもあり、虫のようでもあり、最終的には「悪魔のようなもの」としか言いようがない。
そいつは、男の首元に口――いや、裂け目を近づけていた。
吸う気だ。生命エネルギー的なものか、もしくはもっと物理的に血肉かなにか。どちらにせよあの図体が首筋に噛みつけば命は無い。
男は声にならない声で「助けて」と言っている。
俺は、コーヒーの紙コップを見下ろした。
「……せっかくのコーヒータイムなんだけどな」
怒りはない。正義感も薄い。
ただ、目の前で無力な一般人が喰われるのは、単純に不快だ。
そして何より。
路地の空気が、異世界の血の匂いを連れてきた。
異世界で、仲間が死んだ。
俺の手の届く場所で、届かなかった死別がある。
そういうのを思い出させるな。
虫がいいのはわかってる。俺は善人じゃない。
でも、俺の機嫌を損ねるのは、やめろ。
「おーい」
俺は軽い調子で声をかけた。
悪魔もどきが、ゆっくり振り返る。
裂け目が笑ったように開く。
喉の奥から鳴き声みたいな音。
――ああ、こいつ。人間の言葉は通じないタイプか。
面倒くさい。
次の瞬間、悪魔もどきが飛んできた。
速い。人間の視界じゃ追えない速度だろう。ゴキブリダッシュのような、0から一気に最高速に至る現実離れした動き。
でも、俺には遅い。
異世界の魔王の軍勢、あれと比べたら、こっちは小虫だ。
俺は右手を軽く上げた。
握り拳でも、武器でもない。
ただ羽虫を払うような、そんな仕草。
「うるさい」
――パン。
それだけで、悪魔もどきの胴体が消し飛んだ。
血も内臓も飛び散らない。存在そのものが砕けて霧散した。路地裏の影が、すっと薄くなる。
男が、地面にのびたまま、信じられないものを見たというような顔をして荒い息をする。
顔やら服やらに擦り傷と汚れがついているが、大きなけがはないようだ。
「だいじょうぶですかー。救急車、呼びます?」
俺はヘラヘラした声で言った。
男は涙目で俺を見上げ、何か言おうとして喉を詰まらせた。
そのとき、背後から足音。
複数。統制された歩幅。
俺は振り向かずに、コーヒーの残りを飲み干した。
来たか。政府の、おそらく公安的な存在。あのメッセージを送ってきた組織だろう。
「動くな。手を見せろ」
冷たい女の声。若い。
息遣いが乱れていない。訓練されている。
俺は背中を向けたまま両手をあげ、コーヒーの紙コップをわざとらしく潰して捨てる。
危険物は何も持っていない、ってアピールだ。
「はいはい。なにも持ってないよ。人畜無害なおっさんだ。……っていうか、遅くない?」
「……あなたが、やったのか」
背後の気配が硬くなる。銃口が向けられたのがわかる。
おそらく今の俺ならこの距離でショットガンで撃たれても死なない。だが、街中で銃撃戦は面倒だ。
俺はゆっくり振り返った。
そこにいたのは、黒いスーツの女。
身長は高め、目つきが鋭い。
脇には数名の男たち。警察官というより、国家権力の匂い。
公安。間違いない。
女は、路地裏の残滓――さっきまで悪魔もどきがいた場所――を見て、明らかに顔色を変えた。
訓練されていても、理解が追いついてない表情だ。
「……このレベルを、素手で……?」
小さく、呟いた。
俺は肩をすくめる。
ヘラヘラしたまま、でも目だけは笑わない。
「いやー。俺、けっこう強いんですよ。冴えないおっさんですけど」
「名前と身分を言え」
「身分? ただの無職です。帰ってきたばっかなんで」
「……帰ってきた?」
女の目が細くなる。
その瞬間、俺の背筋にピリッとした緊張感が走った。
強い意思ののった視線ってやつは、刺さる。
女はイヤホンに指を当て、低い声で何かを報告した。
内容は聞かなくてもわかる。
“帰還者”の可能性。
“異世界案件”。
“危険度、最上位”。
俺は自嘲気味に笑った。
「そんな怖い顔しないでくださいよ。俺、別に日本を滅ぼすつもりはないです。……滅ぼす価値もないし」
「……」
女は答えない。
答えないが、判断している。
銃口は下がらない。
けど、引き金を引く勇気もない。
それが正解だ。
俺は一歩、女に近づいた。
公安の男たちが反射的に動く。
俺は手を上げて止めた。
「落ち着いて。俺から喧嘩売る趣味はないんで。
それより――せっかくだからあんたらの呼び出しうけますよ。たぶんGPSかもっと別の何かか知らないけど、追ってきたんでしょ?もう少しふらふらしてからにしようと思ってたけどね。」
俺はスマホを取り出し、届いたメッセージの画面を見せながら言った。
女の喉が、ごくりと鳴る。送り主は彼女の組織でビンゴだったようだ。正直、これが別のところから送られてきたものであったら、大変マヌケなやり取りになるところだった。
「……灰島 …恒一。あなたは、どこから来た。」
「異世界。魔王がいたところ。討伐して、帰ってきた。」
女の目が揺れる。
揺れて、そして――確信に変わった。
公安という職業は、信じるべきではないものを信じなきゃいけない時がある。
その顔だ。
「……あなたを、こちらの管理下に置く」
「管理下って言い方、あんまり好きじゃないな。俺、犬じゃないし」
言いながら、俺は薄く笑う。
腹の底では、別の感情が蠢いていた。
――自由が欲しい。
贅沢がしたい。
女も、金も、平和も、全部。
異世界で、欲しいものを手に入れるたびに、代わりに何かを失った。
もう、失うのはうんざりだ。
女は一瞬、言葉に詰まった。
そして、低く言った。
「……協力してくれ。あなたほどの力は、日本では例外だ」
「協力、ねえ」
俺は路地裏の外――人が行き交う横浜の町を見た。
平和な顔。何も知らない日常。
これを守る、なんて殊勝なことは言わない。
でも、壊されると俺が困る。
贅沢も、酒も、女も、全部、ここにある。
俺はヘラヘラと笑った。
「まあ、気分次第です。
ただし――俺の時間と機嫌を無駄にしたら、そんときゃ知らないよ?」
女の眉がわずかに動く。
怖がっている。
それでも、逃げない。
根性はあるらしい。
根性の座った女ってのは、嫌いじゃない。面倒だけど。
俺は、路地裏に座り込んだ男に視線を戻した。
男はまだ震えているが、命は助かった。
「とりあえず、そっちの人のケアが先。俺は……腹減ったんで、なんか奢ってくれません? 公費で」
「……」
女の口元が、ほんのわずかに引きつった。
笑いそうになるのを堪えた顔だ。
「……検討する」
「いいですね。検討、大事」
俺は歩き出した。
公安が、距離を取ってついてくる。
護衛か監視か、どっちでもいい。
今日の空は青い。
平和だ。
――ただし。
この国の影に、悪魔みたいなものがいる。
そして、それをワンパンで消せるおっさんが、帰ってきた。
俺は、口の端を吊り上げた。
「さあて。次は、どいつが調子に乗るんだろうな」




