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幻想アンダーグラウンドⅠーⅧ

ライブ当日。

カナエは予定どおり白のブラウスに袖を通す。

サチはシャワーを浴び終え、ドライヤーで髪を乾かしている。

会場はmetaでリハーサルがあるため、入り時間は同じ予定だ。


「あたしさ、ほんとは心配してたんだ。カナエがバファリンに加わるって聞いて。無理してんじゃないかなって。でも、なんか安心した。ガーリーな感じだから。……バファリンってなんていうか……古臭いロックンロールみたいな感じじゃない?」

「心配してくれてたんだ……てっきりバファリンのイメージを壊すから反対してるのかと思ってた」

「反対するわけないじゃん!……たださ、レタスの後釜とか。全然キャラ違うから」

「そう?全然いけると思うけど。バウバウ!バウバウ〜♪」

「やっぱり全力で反対します」



午後三時、サチと二人でmetaに入る。

まだスタッフしかいないライブハウス。カナエはこの誰もいない空間が好きだ。

前日の簡易清掃を終えただけの酒とたばこの臭いが抜けきれていないフロア。そこに足を踏み入れると、熱気がまだ残っているような気がして、見知らぬ誰かのエネルギーをもらえた気分になる。


けれど、今日は違った。

まさか自分がここに立つなんて。客席からステージを見上げる。上空の照明の列。そびえ立つスピーカー。足元にはモニターと、無機質な設備に囲まれていて、それだけで緊張が込み上げてくる。


「カナエちゃん、おはよう」


店長でオーナー、チワワの桂木がバックヤードからひょっこりと顔を出す。


「おはようございます、今日はよろしくお願いします」

「……あ、そうか。今日が初ライブなんだっけ?」

「そうです。バファリンでボーカルをします」

「……チケットは売れた?」


駆け出しバンドは、チケットノルマがある。

正確にいえば、バンドが「出させてほしい」とライブハウスにお願いをするので、会場の使用料を払わなければならない。その負担を相殺するために、出演バンドにチケットを渡す仕組みになっている。


今回のバファリン・プレミアムDXへのノルマは二十枚。一枚、千五百円。カナエの持ち分は五枚。売らなければ、その分は自分の財布から消える。


「いえ、一枚も売ってないです……」

「一枚も!?あららら、それじゃあレギュラーになれないよぉ〜」

「店長」


サチが桂木店長を睨みつけると、舌をだして店長はバックヤードに引っ込んだ。


ちなみにレギュラーとは、レギュラーバンドを指す。ライブハウスが人気のあるバンドにギャラを支払い、出演依頼を定期的に行うこと。


カナエはサチと顔を見合わせていると、すぐに店長が戻ってきた。


「今日は演者なら、どうしてこんなに早いの?」


カナエは時々metaの掃除を手伝っている。ここでバイトをしているわけではなく、「掃除をすれば無料でライブを見てもいい」という桂木の好意に甘えている。


「自分が出る前に綺麗にしておきたくて」

「偉いねぇ。チケットも売ってくれるともっといいけどねぇ」

「店長」


ウソウソ、と言いながら尻尾を巻いて桂木はいなくなった。

カナエはモップを出して、フロアの掃除を始めた。


時間が経つにつれ、バンドが続々と集まってきた。

今日の出演は四バンド。トリ(最後の出番でメイン)となるのは、先月もライブを行った『あぜ道』。


イタチの沢口と凪が対面する。


「沢口さんお疲れ様です。今日は胸を借ります」

「おー凪ー。よろしく」


ボーカル、アナグマの哲也もニコニコと笑いながら手を振っている。

桂木店長が手を叩いて全員を集めた。


「それでは始めましょうか。店長の桂木です。よろしくお願いします。哲ちゃん、よろしくね。逆リハで行いますので、あぜ道からお願いします。精算は受付で、そちらのサチコに言ってください。さっちゃん、まだ来てないバンドには声かけてね」

「「よろしくお願いしまーす」」


あぜ道のリハーサルが始まる。

以前、観た時と同じように、迫力のあるボーカルとギター。アコースティックだけとは思えない低音と、空気が震えるほどの声量。


バファリンの出番は、あぜ道のひとつ前ーートリ前と呼ばれるタイミングを予定している。


これはカナエの初出演を祝う店長の粋な計らいであった。あぜ道の出番前となれば多くの集客も見込まれる。

だが、今のカナエにはそれが重荷になっていた。


ベースの園田と、ドラムのタコ八も萎縮している。


「あぜ道の前だよ、ヤバイね」

「ヤバイ。まあデュオだからリズム隊いないからね。比較はされないけど……ヤバイ」


バファリンのリハーサルの番になった。

ガチガチにカナエは固まってしまい、どうすればいいかわからない。

楽器隊の三人を見守るが、皆それぞれのセッティングで忙しそうだ。


モニターから桂木の声が聞こえる。


「カナエちゃん、カナエちゃん。先にマイクテストしようか」

「え、あ、はい!」


沈黙が続く。段取りがわからない。とりあえず声を出してみる。


「あー」


フロアでは、リハを終えたあぜ道の二人や他のバンドマンが品定めをするかのようにステージを見ていた。


「もうすこし声をもらえるかな?」

「はい。あーあー、聞こえますか」

「はい、大丈夫です、オッケー」


それから順番に各パートの音をチェックをしていく。


「それじゃあ、最後に曲でお願いします」


打ち合わせ通りに「優しさ半分」を演奏する。

いつもと違う雰囲気に萎縮してしまい、カナエはほとんど声がでない。他のメンバーの演奏もチグハグで合っていないような気がする。


「はい、オッケーです。本番よろしくお願いします」


桂木の事務的な声でリハは終わり、カナエは逃げるように受付に向かった。サチが集計作業を行っていた。


「あれ、カナエ。リハ終わったの?全然気づかなかった」

「緊張で声がでなくて」

「リハで緊張してどうする。本番、何倍も人が来るよ」


サチの悪気のない言葉がカナエに突き刺さる。

本番まで残り三時間。


リハを終えても、カナエの両手はまだ震えていた。

このまま声がでなかったらどうしよう。

不安を拭えないまま、開演時間が刻一刻と近づいていた。


(続く)

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