幻想アンダーグラウンドⅠーⅥ
「……それで『歌姫』なんだ」
僕は唐突に出てきたその呼び名をようやく理解した。
「有名なの?」
「頭痛に良く効くニャ、知らない?」
太った猫を歌姫が睨みつける。
たしかにデリカシーのない駅員猫が悪い。
「調子に乗り過ぎ」
「はっ、確かに。失礼しました」
猫は帽子を被り直してみせる。カナエはため息をついた。
「彼女のアーティスト名は『イブ』。業界で知らない人はモグリと言われるほど。映画にも出たニャ」
「声だけ、ね」
僕は猫の声優を知らない。
けれど、たしかにイブという名前に聞き覚えはあった。それはきっと相当な偉業なのだろう。
「わたしが望んだことじゃないから」
「でも、それがカナエの選んだ道。……ニャ?」
「……うざ」
遠くで電車の走る音が聞こえる。
暗闇の向こうにも同じような物語があるのだろうか。
✝
通りを歩けば、肌を刺すような寒さに秋の気配を感じた。
年中タンクトップの女と、年中ライダースの男が周りにいるせいで、季節感がバグる。
スタジオ『アンサンブル』に籠もって練習を繰り返す日々。
最近の休憩中の話題は、もっぱらこれだ。
「そういえば、バンド名どうしようか」
ワニの園田はどうしても屋号を変えたいらしい。
すると、タコ八がドラム椅子から立ち上がり、勢いよく手を挙げた。
「ワタクシが斬新なアイデアを持って参りました!」
「おぉ!どんな?」
「新生バファリンことーー『バファリン・プレミアムDX』なんてどうでしょうか!?」
「ダセェ……」
✝
新生バファリンこと、バファリン・プレミアムDXの初ライブまで一ヶ月を切った。
正直まだ人前で歌うことを受け入れられない自分がいる。
目立たないように、大人しく、波風を立てずに生きていくつもりだった。
それがどうしてこんなことになってしまったのか。
ライブのことを考えると溜息がでた。
『meta』に出入りするようになって何度もライブを観たけれど、自分がステージでパフォーマンスをする姿なんて、まったく想像ができない。
「盛り上がってる〜!?」
サチが常連客に絡んでいた。彼女ならコール&レスポンスも様になるだろう。私がやっても絶対ダサい。
そもそもサチはバンドに加入したことをどう思ってるのか。
報告した時も、えっ、そうなの?と彼女らしからぬ、どこか他人事のような、小さなリアクションだった。
もしかして、サチは凪のことがーー
「おい!凪!ボサボサヘアー!」
サチは凪を捕まえて、頭をクシャクシャに搔き回していた。
凪は鬱陶しそうにしながらも無言でそれを受け入れている。
凪が客としてmetaに来るのは珍しい。
今日は話題のバンド『あぜ道』が出演するとあって、フロアは熱気に満ちていた。
「カナエ!凪いるよ!」
サチに腕を引っ張られて凪と並ぶ。変なことを考えていたせいか、なんとなく気まずい。
サチは仕事があるからと足早にバーカウンターの中に入っていった。
特に話しをするでもなく開演時間となり、照明が暗転した。
あぜ道のライブは圧巻だった。
アコースティックギターとボーカル、二人だけのコンビ。
それにも関わらず、熱気に満ちたライブは嵐のように観客を巻き込んで、会場全体をひとつに束ねていた。
ふと、カナエが凪の顔を見上げる。
凪はリズムに乗るでもなく、鋭い目つきで、ただステージを睨みつけていた。
ライブの帰り道は二人きり、夜道を並んで歩く。
「ライブ凄かったね」
「……」
凪は答えない。
なぜか楽しくなさそうだ。
いつも会っているのに。
「わたし、あんな風に盛り上げたりできないよ」
「あんなことをする必要は無い」
「えっ?」
「……もっと寡黙な人たちだったんだ。あぜ道は。ギターの沢口さんは昔から知ってる。沢口さんはギターで語る人だった」
「そうなんだ……」
「売れるってそういうことなのかな。別にやりたくもないパフォーマンスをして、とにかく人を集めればいいっていうか」
「わからない」
ライブ未経験の私が分かるはずもない。いまは毎日必死に歌うだけなのだから。
沈黙だけが続く。
「わたしはどんな風に歌えばいいかな」
「歌いたいように歌えばいいよ。あんな風にする必要はない」
「歌いたいようにって……わかんないよ……」
「考えなくていい。自分の好きなようにすればいいんだ」
「自分の好きなように」
カナエは立ち止まる。凪は数歩先でそれに気づき、振り返った。
「……凪は、サチのこと、どう思ってる?」
「サチコ?なんでサチコ?」
「どう思ってるの!答えて!」
「誰かに何か言われたの?よく分からないけど、サチコと俺は子供の頃から知り合いなんだよ。友達の姉ちゃんでさ。俺らがゲームしてたら、いつも勝手に入ってきてたな。あの人、元ゲーマーだから」
「そうなんだ」
「そう。だから、まさかmetaで再会するとは思ってなかったけど。そのせいだろうな、あの人はいまでも俺のこと、『雑魚キャラ』と思ってんだよ」
「雑魚キャラ?」
「そう。俺、スマブラでサチコに一回も勝ったことないんだぜ。少しは手加減しろっての」
「なにそれ」
カナエは声をだして笑った。
自分は何を心配していたんだろう。勝手に妄想が膨らませ、一人で考え過ぎてしまっていた。
目が覚めた。いまは歌うことだけに集中しよう。
「じゃあここで。また明日」
「おう」
✝
仕事を終えたサチが酔って帰ってきた。来ていた客と飲んでいたのだろう。
「ただいまぁ〜!」
「おかえり」
「今日はいい夜だねぇ」
「サチ、あのさ、凪って雑魚キャラなの」
「クソ雑魚」
サチは自分の言葉に笑い転げた。
「あいつゲームしてるくせに、下手過ぎてさ、ムカつくくらい。わたしそれでゲーム嫌いになったの。面白くねー!って」
ゲラゲラと笑う酔っ払い。近所迷惑だ。
「なんだぁ?カナちゃん!ゲームでボコボコにされたいのかなぁ?たしか押し入れにあったような」
サチはクローゼットに頭を突っ込み、お尻をフリフリさせている。
カナエは今夜は眠れないな、とニヤケ顔で幸せを噛み締めた。
(続く)




