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幻想アンダーグラウンドⅠーⅥ

「……それで『歌姫』なんだ」


僕は唐突に出てきたその呼び名をようやく理解した。


「有名なの?」

「頭痛に良く効くニャ、知らない?」


太った猫を歌姫が睨みつける。

たしかにデリカシーのない駅員猫が悪い。


「調子に乗り過ぎ」

「はっ、確かに。失礼しました」


猫は帽子を被り直してみせる。カナエはため息をついた。


「彼女のアーティスト名は『イブ』。業界で知らない人はモグリと言われるほど。映画にも出たニャ」

「声だけ、ね」


僕は猫の声優を知らない。

けれど、たしかにイブという名前に聞き覚えはあった。それはきっと相当な偉業なのだろう。


「わたしが望んだことじゃないから」

「でも、それがカナエの選んだ道。……ニャ?」

「……うざ」


遠くで電車の走る音が聞こえる。

暗闇の向こうにも同じような物語があるのだろうか。



通りを歩けば、肌を刺すような寒さに秋の気配を感じた。

年中タンクトップの女と、年中ライダースの男が周りにいるせいで、季節感がバグる。


スタジオ『アンサンブル』に籠もって練習を繰り返す日々。

最近の休憩中の話題は、もっぱらこれだ。


「そういえば、バンド名どうしようか」


ワニの園田はどうしても屋号を変えたいらしい。

すると、タコ八がドラム椅子から立ち上がり、勢いよく手を挙げた。


「ワタクシが斬新なアイデアを持って参りました!」

「おぉ!どんな?」

「新生バファリンことーー『バファリン・プレミアムDX』なんてどうでしょうか!?」

「ダセェ……」



新生バファリンこと、バファリン・プレミアムDXの初ライブまで一ヶ月を切った。

正直まだ人前で歌うことを受け入れられない自分がいる。


目立たないように、大人しく、波風を立てずに生きていくつもりだった。

それがどうしてこんなことになってしまったのか。


ライブのことを考えると溜息がでた。

『meta』に出入りするようになって何度もライブを観たけれど、自分がステージでパフォーマンスをする姿なんて、まったく想像ができない。


「盛り上がってる〜!?」


サチが常連客に絡んでいた。彼女ならコール&レスポンスも様になるだろう。私がやっても絶対ダサい。


そもそもサチはバンドに加入したことをどう思ってるのか。

報告した時も、えっ、そうなの?と彼女らしからぬ、どこか他人事のような、小さなリアクションだった。


もしかして、サチは凪のことがーー


「おい!凪!ボサボサヘアー!」


サチは凪を捕まえて、頭をクシャクシャに搔き回していた。

凪は鬱陶しそうにしながらも無言でそれを受け入れている。


凪が客としてmetaに来るのは珍しい。

今日は話題のバンド『あぜ道』が出演するとあって、フロアは熱気に満ちていた。


「カナエ!凪いるよ!」


サチに腕を引っ張られて凪と並ぶ。変なことを考えていたせいか、なんとなく気まずい。

サチは仕事があるからと足早にバーカウンターの中に入っていった。

特に話しをするでもなく開演時間となり、照明が暗転した。


あぜ道のライブは圧巻だった。


アコースティックギターとボーカル、二人だけのコンビ。

それにも関わらず、熱気に満ちたライブは嵐のように観客を巻き込んで、会場全体をひとつに束ねていた。


ふと、カナエが凪の顔を見上げる。

凪はリズムに乗るでもなく、鋭い目つきで、ただステージを睨みつけていた。



ライブの帰り道は二人きり、夜道を並んで歩く。


「ライブ凄かったね」

「……」


凪は答えない。

なぜか楽しくなさそうだ。

いつも会っているのに。


「わたし、あんな風に盛り上げたりできないよ」

「あんなことをする必要は無い」

「えっ?」

「……もっと寡黙な人たちだったんだ。あぜ道は。ギターの沢口さんは昔から知ってる。沢口さんはギターで語る人だった」

「そうなんだ……」

「売れるってそういうことなのかな。別にやりたくもないパフォーマンスをして、とにかく人を集めればいいっていうか」

「わからない」


ライブ未経験の私が分かるはずもない。いまは毎日必死に歌うだけなのだから。

沈黙だけが続く。


「わたしはどんな風に歌えばいいかな」

「歌いたいように歌えばいいよ。あんな風にする必要はない」

「歌いたいようにって……わかんないよ……」

「考えなくていい。自分の好きなようにすればいいんだ」

「自分の好きなように」


カナエは立ち止まる。凪は数歩先でそれに気づき、振り返った。


「……凪は、サチのこと、どう思ってる?」

「サチコ?なんでサチコ?」

「どう思ってるの!答えて!」

「誰かに何か言われたの?よく分からないけど、サチコと俺は子供の頃から知り合いなんだよ。友達の姉ちゃんでさ。俺らがゲームしてたら、いつも勝手に入ってきてたな。あの人、元ゲーマーだから」

「そうなんだ」

「そう。だから、まさかmetaで再会するとは思ってなかったけど。そのせいだろうな、あの人はいまでも俺のこと、『雑魚キャラ』と思ってんだよ」

「雑魚キャラ?」

「そう。俺、スマブラでサチコに一回も勝ったことないんだぜ。少しは手加減しろっての」

「なにそれ」


カナエは声をだして笑った。

自分は何を心配していたんだろう。勝手に妄想が膨らませ、一人で考え過ぎてしまっていた。

目が覚めた。いまは歌うことだけに集中しよう。


「じゃあここで。また明日」

「おう」



仕事を終えたサチが酔って帰ってきた。来ていた客と飲んでいたのだろう。


「ただいまぁ〜!」

「おかえり」

「今日はいい夜だねぇ」

「サチ、あのさ、凪って雑魚キャラなの」

「クソ雑魚」


サチは自分の言葉に笑い転げた。


「あいつゲームしてるくせに、下手過ぎてさ、ムカつくくらい。わたしそれでゲーム嫌いになったの。面白くねー!って」


ゲラゲラと笑う酔っ払い。近所迷惑だ。


「なんだぁ?カナちゃん!ゲームでボコボコにされたいのかなぁ?たしか押し入れにあったような」


サチはクローゼットに頭を突っ込み、お尻をフリフリさせている。

カナエは今夜は眠れないな、とニヤケ顔で幸せを噛み締めた。


(続く)

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