幻想アンダーグラウンド1-9
『悪魔くん崇拝』全国ツアー千秋楽。渋谷O-EASTでは開場前から観客は列を作り、期待で胸を膨らませていた。
入口には、大きくSOLD OUTと書かれた紙が貼られており、チケット完売を告げていた。
楽屋では、凪とドラムスで熊の熊五郎、ベースでカメレオンの染谷が談笑していた。
過酷なツアースケジュールからの解放に三人は浮足立っていた。
イブは鏡を見つめながら、やっと家に帰れると思った。
派手なメイクにも、ゴシックな衣装にもウンザリしていた。
戻ったら、まず最初にサチに謝らなければならない。
メールは半月以上、返していなかった。
凪の鳴らすギターの生音が聞こえる。
洗練されたテクニックで規則正しいフレーズ。
その姿を見ると、あの頃とは別人のように感じた。
「ちょっといいか」
楽屋のドアが開かれると、八木山が顔を出した。
イブは別室に呼び出され、向かい合わせにソファーに座った。
「ツアーお疲れ様。最終日まで何事もなくて何よりだ」
「ありがとうございます」
「明日の午後、新しい契約の話がある。戻ってきて、早々で申し訳ないが空けておいてくれ」
「……わかりました」
八木山がイブの顔色を伺う。
イブは俯いて、何も言わない。
「話は、それだけだ。何か言いたいことはないか?」
「大丈夫です」
イブは立ち上がって、ドアノブに手をかける。
八木山は小さな背中に捨て台詞を吐く。
「それともうひとつ。あまり軽率な真似はするなよ」
一瞬、身体の動きが固まる。福岡タワーのことが頭をよぎった。
その後、イブは何もなかったようにドアを開けた。
「ご心配なく」
✝
熱狂的なライブにO-EASTが揺れる。
正確なリズムと重低音、それに反発するように清らかな歌声、そして、洗練された暴力的なギターサウンドに観客のボルテージは最高潮に達した。
アンコールが沸き起こり、バンドはステージの袖から再度、登場した。
会場の明かりが消え、ステージの明かりまで消える。
本来なら、ここで最後の曲『優しさ半分』が始まるはずだった。
凪はイントロのギターを準備していたが、暗闇の中でスタッフのローディーが静止の合図を出している。
始まらない演奏に会場がざわつきだした。
その時、ステージ後方の巨大スクリーンが突然、白く光った。
画面の黒い活字が目に飛び込んでくる。
『緊急告知!』
『ボーカル・イブ 映画出演決定!!』
『続報を待て!』
観客席からどよめきが起こり、それは歓声と拍手へと変わった。
スクリーンの電気が消え、ステージが照らされる。
バンドの誰も知らされていないことだった。
震える声で用意されたカンペを読み上げる。
「それでは最後の曲です。ありがとうございました」
呆気にとられていた凪だったが、ローディーに身振り手振りで促され、魂の抜けたイントロを弾き始めた。
イブは自分が何を歌っているのかさえ分からなかった。
ただ体に染み付いたメロディーを無意識に発していた。
優しさ半分が終わると同時に、ステージ両端から大型クラッカーが鳴り響き、銀テープが降り注いだ。
大歓声のまま、ライブは幕を閉じた。
終演後、楽屋に戻るとゴートレーベルのスタッフが集合しており、全員が拍手して出迎える。
その中には八木山もいた。
「みんな、お疲れ様!長い間、ご苦労さまでした!」
お疲れ様、と声があがり、お祝いムードがさらに強まる。
凪が代表して声をあげた。
「あの、八木山さん。さっきの映画というのは…?カナエは知っていたの…?」
「イブには、事前に伝えていた。ただ、詳しい内容に関しては、サプライズのほうが良いと思ってね。まだ仮契約の段階だが、概ね決まりそうだ。主役の猫の声優役で、主題歌もイブになりそうだ」
凄い、大抜擢、などとスタッフ達から声があがる。
一部の人間にしか知らされていなかったのだろう。
イブと目が合う。けれど、凪はすぐに目を逸らした。
「……というわけで、バンドは長旅で疲れただろうし休暇に入ってもらいます。イブはもう少しだけ映画の話が入る。休暇はその後になるかな」
「……わかりました」
「それでは、皆さんお疲れ様でした!」
楽屋のスタッフ全員から再度、拍手が沸き起こる。
それぞれ、声を掛け合ったり、抱き合ったりとお互いを労った。
O-EASTの中で、ツアーの打ち上げが行われた。音楽業界だけでなく、映画業界の関係者も挨拶がてらに参加しており、そこはほとんど社交場と化していた。
そこには、八木山に連れられて挨拶に回るイブと、バンド仲間に囲まれる凪の姿があった。
✝
翌日、イブはゴートレーベルに来ていた。
応援スペースのソファーではなく、別室のミーティングルームでの打ち合わせだった。
「今回の映画出演で、イブの契約は大手プロダクション『ホースマウンテン』に移管する。今日は契約変更の手続きをしてもらう。」
「……移管?どういうことですか?」
「ここではイブの俳優としてのマネージメントができない。映画の製作会社と相談して、プロダクション所属に変更してもらうことになった」
「プロダクション所属って……。バンドは、凪はどうなるんですか?」
「バンドの解散やバンドの権利譲渡は契約条件には入っていない。但し、映画で忙しくなるだろうから当面の間はバンドに割く時間はないだろうな。そもそも、イブのマネージメントが向こうに移るので、こちらからどうこうできることではないな」
「断ったら?」
「ゴートレーベルの契約書にも書いているが、イブの地位を譲渡することは契約上、可能なことだ」
「そんな。私の意思は……?」
「ホースマウンテンとの話し合いでバンドがしたい旨を伝えるといい。こちらとしては、お前がボーカルでバンドが存続できれば嬉しい」
「どうして、どうして私の知らないところで話が進むの……バンドはどうなるの……」
八木山は電子タバコを吸った。
ゴートレーベルに、分煙という文化は無い。
「俺はバンドのプロデュース、お前のプロデュースをしたまでだ。お前はお前の仕事に専念しろ。さっきも言ったがバンドは続けたいなら続けろ。駄々をこねても何も変わらんぞ」
イブは八木山に連れられて、ホースマウンテンを訪れ、所属契約変更のサインをした。
彼女が19歳ということもあり、プロダクションの社員たちはイブの両親の承諾を必要とした。
イブは社員同席で実家に戻ることになった。
社用車での移動、一年ぶりの帰省だった。
父親の帰宅を待ち、その後、両親へ契約内容の説明が行なわれた。イブの親は大手プロダクションとの契約を驚きはしたものの、反対はしなかった。
よろしくお願いします、と頭を下げる父親。
「バンドをやっているというのは、知人から教えてもらい、聞いておりました。カナエは小さい頃から歌うのが大好きで合唱団にも入っていました。本人がやりたいことをやってくれたら、親として本望です。何卒宜しくお願いいたします」
ホースマウンテンの社員は家族で、よく話し合ってくださいと言い残し、会社に戻った。
そのまま、イブは実家に宿泊することとなった。
✝
翌日、実家を出て、サチの家に帰る。
「ただいまー」
サチの返事がない。イブは部屋を覗き込んだ。
「あれ、サチいるじゃん。どうしたの?」
「……どういうつもり?」
サチはイブを睨みつける。
「何のこと?昨日は実家に泊まるって連絡したよね?」
「そうじゃなくて!!」
サチが怒鳴りつける。
未読スルーに対する謝罪は、ツアー千秋楽の打ち上げ後、しっかりと行なわれたはず。
その怒りが再燃したのだろうか。
他にイブには思い当たるフシがなかった。
サチは彼女を睨みつける。
「どうしてバンドもレーベルもやめたの?自分さえ良ければいいの?」
「え、どうして知ってるの」
サチは鼻で笑う。
「バレないとでも思った?あんたが勝手に辞めた後、凪はゴートから連絡があった。バンドはなくなったんだから契約解除だって。みんな知ってる。昨日metaで話してたから」
「なんで、どうしてそうなるの……」
「声優になって、映画にでるんでしょ、おめでとう」
「違うの、聞いて、バンドは辞めないから」
「バファリンも終わらせて、凪もクビにして、私の居場所でバンドはしたいですーって言うの?どれだけ自分本位なの」
「待って、お願い」
「ごめん、出て行ってほしい」
サチは背中を向け、スマートフォンを触り始めた。
イブは、伸ばしかけた手をゆっくりと下ろした。
言葉は、もう届かない。
彼女が守っていたはずの居場所は、成功という名の波に飲み込まれ、完全に消滅していた。
サチの部屋にある自分の荷物を、スーツケースに詰め込んだ。
重い足取りでドアを開け、一度だけ振り返ったが、サチがこちらを見ることはなかった。
外に出ると、空は泣きたくなるほど青く、冷たい風が吹き抜けていた。
(続く)




