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幻想アンダーグラウンド1-6new version

『meta』にはライブハウス特有の匂いが染み付いている。それに加えて、地下の湿ったコンクリートの冷気。ジメジメとしていて、まるで洞窟の中にでもいるみたいだ。だが、それも照明が落ち、BGMがフェードアウトした瞬間、次のバンドへの期待感へと変わる。


静寂。


カーテンの幕が開く。

ハイハットシンバルが四つ。鋭く刻まれる。

ステージは一気に光を放ち、激しい演奏とともにバファリン・プレミアムDXの四つ打ちロックナンバー『ララバイ東京』がはじまった。


ドンドンドンドンと胸に刻まれるタコ八のバスドラム、オクターブでフロアを煽る園田のベース、ギュイーーンと身勝手な凪のギターがmetaの中で鳴り響く。


視界の先、眼下には百人ほどの観客。

客のほとんどはバファリンのことを知らない。その眼は期待感というよりは、品定めをしてやろうという冷やかな感情に満ちていた。

それにも関わらず、カナエは冷静だった。客席の最後方で拳を突き出すブルドッグのレタスと、祈るように見つめるヒョウのサチを見つける。


カナエは透き通る声で歌い始めた。


――

ララバイ東京 もう終わりにしよう

ララバイ東京 眠りつく頃


興奮している子羊さん すっかりその気の狼さん

調子に乗ってる子猫ちゃん ドッキリされてる小峠さん


ララバイ東京 寝てる間に

ララバイ東京 しちゃいましょう

――


荒々しいロックサウンドに反して、カナエは真っ直ぐに立ったまま、本当に子守唄ララバイを聴かせるように優しく歌い上げた。


観客は呆気にとられていた。野獣のような暴力性と布団にいるような安らぎのアンバランスな仕上がりに、会場は徐々にバファリン色に染められていく。


二曲目、ツッパリロックをオマージュした曲、『集会いったら怒られた』。三曲目の『モヒカン少年探偵団』はカナエが歌うと日本の九十年代の歌謡曲のように心地よかった。

曲を重ねるごとに、拍手は数を増し、歓声は大きくなっていく。和製ロックンロールを歌いこなす優等生を観ているような不思議な世界観に、客たちは抗うことなく惹き込まれていった。


曲の合間のMCは無し。狙いがあったわけではない。単純に誰もが打ち合わせを忘れていた。

逆にそれは神秘的な新人バンドの印象を強めていた。


四曲目の『二十四時だよ、さっさと解散』までカナエは一歩も動かずに歌い終わり、客席から大きな拍手が起こった。

すべての作曲を担当している凪は目の前に広がる光景に痺れた。自分の音楽が大勢に受け入れられる初めての感覚。


メンバーを見渡すと、園田も覚醒したように目を見開いて笑っている。ワニの歯が今にも食らいつきそうで怖い。タコ八はビショビショに仕上がっており、タオルで顔とスティックを一生懸命に拭いていた。

凪はカナエにそっと近づき、耳元で囁く。


「(これで最後だよ)」


カナエは小さく頷き、その意図を汲み取る。


「次で最後の曲です。ありがとうございました」


マイクを通して、最初で最後の挨拶が終わると、凪が『優しさ半分』のリフを弾き始めた。


――

聞いたよ、夏風邪なんだって 不摂生だね、用心してね

お熱になるなら、君のアイドル 冷めない夢を見せるから


あの日も、残業だったって 優等生かな、言いなりなのね

相手になるから、ベルを鳴らして 心のお薬、頭痛も治すから


半分優しさ、半分成分 中途半端ならもうやめて

半分優しさ、半分錠剤 君にあげるよ ほらバファリン


バファリンのはんぶんはやさしさでできている

その本来の意味は、胃粘膜を守る成分を指しますが、

時を越えて、派生したそのキャッチフレーズは、

風邪をひいた時の強い味方として、

心の友という意味を含んでいるのです


あなたの心の友になりたい 頭痛にバファリン


半分優しさ、両方成分 ひとつで二役してるから

半分優しさ、ふたつで錠剤 みんなで飲もう ほらバファリン

――


曲の中盤、まるでCMのセリフのように早口で紡がれる言葉。

それはもはや歌ではなく、看護士の優しい声掛けのようであった。

客席は、仕事に、学業に、人との付き合いに疲れ果て、頭痛薬なしでは生きていけない現代の「患者」たちだ。


『あなたの心の友になりたい 頭痛にバファリン』


曲が終わり、カナエが深く頭を下げると、大歓声が沸き起こった。

鳴り止まない拍手の中、カーテンがゆっくりと閉じていく。


興奮で指先が震え、カナエは放心状態のままで楽屋へと戻る。

舞台の袖で出番を待つ、あぜ道の哲也とすれ違った。


「お疲れ様。……いいライブするね」


ありがとうございます、と頭を下げる。

哲也と沢口の眼には、先ほどまでの余裕はなく、むき出しの闘志が宿っていた。


あぜ道のライブが始まると、フロアから一段と大きな歓声があがり、格の違いを見せつけるような、この日で一番の盛り上がりをみせていた。


バファリンのメンバーは頭が真っ白なまま、自分たちの片付けをしていると、あっと言う間にライブはフィナーレを迎えていた。


あぜ道がアンコールを終えて戻ってくる。

お疲れ様でした、と声を掛け合い、緊張が一気に溶ける。ライブの談笑をしていると、ふいに楽屋のドアが開いた。

入ってきたのは、キザなシャツにスーツを着た、見知らぬヤギだった。


「八木山さん、お疲れ様です!」

「お疲れっすー、ライブめっちゃ良かったよー」


あぜ道の二人が頭を下げて挨拶をすると、軽いノリで返事をした。


「あ、どうも。ゴートレーベルの八木山です。えーっと、バファリン・プレミアムDX、でしたっけ?いやぁ……めちゃくちゃよかったよ!」


唐突に八木山から話しかけられ、カナエは何事か理解できない。

ありがとうございます、とだけ返した。


「バファリンは、どこか所属してるんですか?」

「え、へ?……所属?」


すかさず哲也がフォローをいれる。


「八木山さん。この子ら、今日が初ライブですよ」

「えっ、嘘でしょ!?……あーマジか」


八木山は驚いたというジェスチャーをして、立ち直すと内ポケットからカードを取り出した。


「改めて。ゴートレーベルの八木山です。うちの事務所に関して、今から少し話をさせてもらえませんか?これ、名刺です」


カナエの前に名刺が差し出される。戸惑っていると、彼女の手の方にグッと名刺を近づけるので、反射的に受け取ってしまう。


「すみません、今日はライブを終えたばかりなので」


凪が横から割って入り、助け舟を出してくれた。


「了解です。君がリーダーかな?よろしく」


八木山はもう一枚の名刺を凪に手渡すと、それでは、また後日、と軽い足取りで楽屋を後にした。


哲也が口を開く。


「……おい、まじかよ。八木山さんから直接、声かけられたじゃん。あの人、俺らが所属してるレーベルの社長だよ」


ライブの熱も冷めないまま、八木山から渡された名刺。後日、凪とカナエはゴートレーベルを訪れることとなる。



駅員猫は鼻歌まじりに車内のモップ掛けを行っていた。僕は興奮を抑えきれずにボーカルの猫に必死で希望を与える。


「凄いよ!初ライブで、しかもあんなアウェーな始まりからレーベルに誘われるなんて、普通じゃありえないことだよね?君は、君たちの音楽は、それだけ特別だったんだ!」

「見事なサクセスストーリーだニャ!感動する〜」


駅員猫は掃除の手を止めずに茶化すように賛同する。その言葉に祝福の色は無い。

カナエは駅員猫を睨む気力もなく、深いため息をついた。


「私が欲しかったのは、そんなものじゃなかった」


彼女からmetaで魅せた輝きは失われていた。すっかり空っぽになったガラクタのようにシートに沈み込んでいる。


「事務所の勧誘も、サクセスストーリーも、そんなものどうでもよかった。私が欲しかったのは……バファリンとみんなと一緒にいられる居場所。それだけだったのに」

「贅沢な悩みニャあ。反吐が出るニャ」


太った猫は掃除の手を止め、モップを床に叩きつけた。


「こっちの『元』サラリーマンを見てみるニャ。必死に頭を下げて、仕事ができなくて、居場所なんてどこにもなくて、それでこの駅に辿り着いた。お前みたいな幸運な小娘に、そんな顔をされるのが一番ムカつくのニャ」

「そんなこと思ってない!……それに、いま僕の話は関係ないだろ!」

僕はたまらず叫んだ。自分の惨めさと恥ずかしさ、カナエを庇いたい気持ちが混ざり合う。


駅員猫はモップを拾い上げ、再び掃除を始めた。


「関係ない?関係大ありニャ。子供や学生が甘っちょろい言葉で傷を舐め合っていても、一円にもならないし、腹は膨れないニャ。それを居場所だとか勘違いして、永遠に続くと信じているなんて、甚だ可笑しい話だニャ!」

「仲間と一緒に、ひとつの夢を追う……それがどれだけ素晴らしいことか、お前にはわからないんだよ!それを遊びとか、可笑しいなんて言葉で踏みにじるな!」

「馬鹿にしたのは猫じゃない。……カナエ自身だニャ!」


猫が鋭い爪を剥き出しにして、カナエを指差した。


「夢を追いかける仲間と遊び気分で合流して、仲間の夢を否定しているのは誰ニャ!最初からお前に居場所なんてなかったのニャ!」


その瞬間、カナエの身体からどろりとした「影」が分離し始めた。

黒い煤のような、あるいは粘り気のある廃油のようなオーラとなって彼女の周りに集まり、彼女の細い首を絞め、その存在そのものを亡き者にしようと飲み込んでいく。


「……いい調子ニャ。カナエの行く末が決まりそうニャ」

「どうして……やめろ!カナエ、しっかりするんだ!」

「もう、いいの。……その猫の言う通りだから。私は、私が全部壊したの」


カナエの頬を、どす黒い涙が伝い落ちる。

黒いオーラが彼女の輪郭を奪っていく。車内の気温が急激に下がり、死の匂いが立ち込める。


その時、僕は考えるよりも先に、その闇の中へ手を差し込んでいた。

指先が凍りつくような感覚。それでも、彼女を消させるわけにはいかなかった。


「……まだだよ。まだ君の話は終わっていない!」


僕は無理やり彼女の手を掴んだ。

その手は冷たく、脆かった。


「続きを聞かせてよ。全部、最後まで。君の物語の中に、僕が生きるための希望を見出してみせるから。だから……まだ行かせない!」


僕の言葉が伝わったのか、彼女を飲み込もうとしていた黒いオーラが弱まっていく。


「どうして……あなたは私を救おうとするの?」

「どうして、って……君には僕がどう見えてるんだい」

「死神、かな」


駅員猫が、不機嫌そうに欠伸をした。


「……無駄なことを。薬が効かない病気だってあるニャ」


まばゆいばかりの白い光が、再び車内を埋め尽くしていく。

ライブの熱狂と、その裏側に潜んでいた最初の「亀裂」を。

光は映像に変わり、僕らはその続きを知ることになる。


(続く)

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