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幻想アンダーグラウンド1-5another version(1-8 + 1-9)

ライブ当日。

カナエは予定どおり白のブラウスに袖を通す。

サチはシャワーを浴び終え、ドライヤーで髪を乾かしている。

会場はmetaでリハーサルがあるため、入り時間は同じ予定だ。


「あたしさ、ほんとは心配してたんだ。カナエがバファリンに加わるって聞いて。無理してんじゃないかなって。でも、なんか安心した。ガーリーな感じだから。……バファリンってなんていうか……古臭いロックンロールみたいな感じじゃない?」

「心配してくれてたんだ……てっきりバファリンのイメージを壊すから反対してるのかと思ってた」

「反対するわけないじゃん!……たださ、レタスの後釜とか。全然キャラ違うから」

「そう?全然いけると思うけど。バウバウ!バウバウ〜♪」

「やっぱり全力で反対します」



午後三時、サチと二人でmetaに入る。

まだスタッフしかいないライブハウス。カナエはこの誰もいない空間が好きだ。

前日の簡易清掃を終えただけの酒とたばこの臭いが抜けきれていないフロア。そこに足を踏み入れると、熱気がまだ残っているような気がして、見知らぬ誰かのエネルギーをもらえた気分になれる。


けれど、今日は違った。

まさか自分がここに立つなんて。客席からステージを見上げる。上空の照明の列。そびえ立つスピーカー。足元にはモニターと、無機質な設備に囲まれていて、それだけで緊張が込み上げてくる。


「カナエちゃん、おはよう」


店長でオーナー、チワワの桂木がバックヤードからひょっこりと顔を出す。


「おはようございます、今日はよろしくお願いします」

「……あ、そうか。今日が初ライブなんだっけ?」

「そうです。バファリンでボーカルをします」

「……チケットは売れた?」


駆け出しバンドは、チケットノルマがある。

正確にいえば、バンドが「出させてほしい」とライブハウスにお願いをするので、会場の使用料を払わなければならない。その負担を相殺するために、出演バンドにチケットを渡す仕組みになっている。


今回のバファリン・プレミアムDXへのノルマは二十枚。一枚、千五百円。カナエの持ち分は五枚。売らなければ、その分は自分の財布から消える。


「いえ、一枚も売ってないです……」

「一枚も!?あららら、それじゃあレギュラーになれないよぉ〜」

「店長」


サチが桂木店長を睨みつけると、舌をだして店長はバックヤードに引っ込んだ。

不安そうにカナエがサチを見る。


「レギュラーって?」

「metaがギャラを支払って、定期的に出演依頼するバンドのこと。初ライブで気にすることじゃないよ」


サチがお手上げのポーズで手のひらを上に向けていると、すぐに店長が戻ってきた。


「今日は演者なら、どうしてこんなに早いの?」


カナエは時々metaの掃除を手伝っている。ここでバイトをしているわけではなく、「掃除をすれば無料でライブを見てもいい」という桂木の好意に甘えている。


「自分が出る前に綺麗にしておきたくて」

「偉いねぇ。チケットも売ってくれるともっといいけどねぇ」

「店長」


ウソウソ、と言いながら尻尾を巻いて桂木はいなくなった。

カナエはモップを出して、フロアの掃除を始めた。


時間が経つにつれ、バンドが続々と集まってきた。

今日の出演は四バンド。トリ(最後の出番でメイン)となるのは、先月もライブを行った『あぜ道』。


ギターで、イタチの沢口はのんびりとした顔をしているが、どこか凄みを感じる。

沢口と凪が対面する。


「沢口さんお疲れ様です。今日は胸を借ります」

「おー凪ー。よろしく」


ボーカル、アナグマの哲也もニコニコと笑いながら手を振っている。

桂木店長が手を叩いて全員を集めた。


「それでは始めましょうか。店長の桂木です。よろしくお願いします。哲ちゃん、よろしくね。逆リハで行いますので、あぜ道からお願いします。精算は受付で、そちらのサチコに言ってください。さっちゃん、まだ来てないバンドには声かけてね」

「「よろしくお願いしまーす」」


あぜ道のリハーサルが始まる。

以前、観た時と同じように、迫力のあるボーカルとギター。アコースティックだけとは思えない低音と、空気が震えるほどの声量。


バファリンの出番は、あぜ道のひとつ前――トリ前と呼ばれるタイミングを予定している。


これはカナエの初出演を祝う店長の粋な計らいであった。あぜ道の出番前となれば多くの集客も見込まれる。

だが、今のカナエにはそれが重荷になっていた。

ベースの園田と、ドラムのタコ八も萎縮している。


「あぜ道の前だよ、ヤバイね」

「ヤバイ。まあデュオだからリズム隊いないからね。比較はされないけど……ヤバイ」


バファリンのリハーサルの番になった。

ガチガチにカナエは固まってしまい、どうすればいいかわからない。

楽器隊の三人を見守るが、皆それぞれのセッティングで忙しそうだ。


モニターから桂木の声が聞こえる。


「カナエちゃん、カナエちゃん。先にマイクテストしようか」

「え、あ、はい!」


沈黙が続く。段取りがわからない。とりあえず声を出してみる。


「あー」


フロアでは、リハを終えたあぜ道の二人や他のバンドマンが品定めをするかのようにステージを見ていた。


「もうすこし声をもらえるかな?」

「はい。あーあー、聞こえますか」

「はい、大丈夫です、オッケー」


それから順番に各パートの音をチェックをしていく。


「それじゃあ、最後に曲でお願いします」


打ち合わせ通りに「優しさ半分」を演奏する。

いつもと違う雰囲気に萎縮してしまい、カナエはほとんど声がでない。他のメンバーの演奏もチグハグで合っていないような気がする。


「はい、オッケーです。本番よろしくお願いします」


桂木の事務的な声でリハは終わり、カナエは逃げるように受付に向かった。サチが集計作業を行っていた。


「あれ、カナエ。リハ終わったの?全然気づかなかった」

「緊張で声がでなくて」

「リハで緊張してどうする。本番、何倍も人が来るよ」


サチの悪気のない言葉がカナエに突き刺さる。

本番まで残り三時間。


リハを終えても、カナエの両手はまだ震えていた。

このまま声がでなかったらどうしよう。

不安を拭えないまま、開演時間が刻一刻と近づいていた。



一番手の開演時間となり、metaのフロアにチラホラと客が入り始める。

トップバッターは『ホワイトフライデー』。こちらも今日が初ライブの高校生バンドだ。

SNSで告知動画をあげているらしく、開演直前まで狭い楽屋で大騒ぎしながら動画を撮っていた。

彼らがワイワイ言いながらステージに向かうと、楽屋は少しだけ落ち着きを取り戻した。


カナエは俯いて、ひっそりと震えていた。

スマートフォンの画面で歌詞を何度も確認する。

完璧に覚えているはずなのに、初めて見るような感覚がして、くるくるとスワイプしていた。

凪や他のメンバーも自分に精一杯で、カナエの異変に気づく余裕は無かった。


楽屋のテレビには、ステージの様子が映し出されている。

開演時間を十分過ぎてもホワイトフライデーの演奏は始まっていなかった。

どうやらギターの音が出ないらしく、高校生とスタッフのローディーが慌てて配線関係を見直しているようだ。


フレームに桂木店長の姿が飛び込んでくる。

カナエはそれをぼんやりと眺めていた。

他人の不幸さえも、憂鬱を後押ししているようだ。


その時、突如としてギターの音が鳴る。

高校生ボーカルが袖を捲くる。

それと同時に、楽屋の扉が勢いよく開いた。


現れたのは元ボーカル、ブルドックのレタスだった。


「おぃーっす!バファリン!やってる!?」


お前かよー!と園田が満面の笑みで声をあげる。

一気に場が和む。


「あれ、カナエちゃん?どうしたの?顔、真っ白だよ?」


最初に気づいたのはレタスだった。

ひきつった顔のまま、か細い声でカナエは答える。


「緊張してて…」

「緊張してんの?大丈夫!大丈夫!なんなら、俺が歌おうか?ガハハハ!」


豪快に笑うレタス。凪もようやくカナエの様子に目を向けた。


「カナエ、大丈夫?」

「うん、緊張してるだけだから」

「大丈夫だって!いざとなったら俺が歌うから!」

「いや、無いから」


おいおい、ひでーじゃんとレタスは笑う。

辛辣な凪の返しに、園田がフォローを入れる。


「見に来てくれて嬉しいよ!あれ以来会えてなかったから」

「そうだなー。あの時は突然ごめんな!俺も心配してたんだよ、バファリンどうなっちゃうのかなって。でもさ、カナエちゃんが歌ってくれるって聞いて。……だから、これはお祝いだ!」


レタスが背中に隠していた焼酎の一升瓶をドン!と机の上に置いた。熨斗のしには「寸志すんし、レタス」と書かれている。


「みなさんも飲んでください!すみません、突然部外者が乱入しちゃって。あっ!あぜ道さん!!すんませんうるさくして!……これ、飲んでください!」


あぜ道の哲也が、ありがとーと言ってレタスを抱きしめる。なぜか温かい拍手が起こる。

ステージから高校生バンドの荒削りな演奏が聞こえてきて、楽屋の声も大きくなる。


「ねぇ?カナエちゃん!ほんとにいいの?俺がボーカル教えようか!優しさ半分、得意だよ」


その途端、沢口がアコースティックギターで優しさ半分のフレーズを掻き鳴らす。

レタスが待ってましたと言わんばかりに、それに合わせて歌い始めた。


「バウバウ!バウバウ〜♪」


懐かしの歌声に、楽屋は爆笑に包まれる。気づけばカナエも大笑いしていた。

2回目のサビが来ると、レタスはマイク代わりに握った拳をカナエの口元に突き出した。


「バウバウ!バウバウバウバウ!」


カナエの全力モノマネに、でたよー!とレタスがツッコむと全員が一斉に笑った。

盛り上がりが最高潮に達すると、ローディーが楽屋に飛び込んでくる。


「すみません、皆さん、外にまで聞こえちゃってます……」


一同、声を押し殺すように笑う。

あっと言う間にホワイトフライデーの出番が終わり、二番目の『ザ・ナイトクルージングズ』の演奏も終盤へ差し掛かっていた。

レタスが唐突な提案をする。


「よし。……円陣組もうぜ」

「え、いいけど……お前も?」

「いいじゃん、いいじゃん」


五人の手が中心で重なる。


「バファリン、がんばるぞー!バファリン、ふぁい!」

「「お、おー……」」


合わねーと言ってレタスが笑っていると、再びローディーが顔を出す。


「じゃあ頑張れよ」


レタスは小さく手を振って、楽屋を後にした。

入れ替わりで、演奏を終えたザ・ナイトクルージングズが楽屋に戻ってくる。


カナエの震えはいつの間にか消えていた。

真っ白なブラウスの胸元に手をあてる。


自分の居場所を確認する。

自分がいるところはここだ。

凪がいて、園田がいて、タコ八がいる。

フロアにはレタスや桂木さん、サチがいる。


自分にできることは歌うことだ。

あとは精一杯歌おう。


(続く)

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