幻想アンダーグラウンド1-4another version(1-6 + 1-7)
電車のドアは開いたまま、僕らは車内のシートに腰かけて映像を眺めていた。
「……それで『歌姫』なんだ」
僕は唐突に出てきたその呼び名をようやく理解した。
「有名なの?」
「頭痛に良く効くニャ、知らない?」
太った猫を歌姫が睨みつける。
たしかにデリカシーのない駅員猫が悪い。
「調子に乗り過ぎ」
「はっ、確かに。失礼しました」
猫は帽子を被り直してみせる。カナエはため息をついた。
「彼女のアーティスト名は『イブ・プロフェン』。業界で知らない人はモグリと言われるほどの有名人。映画にも出たニャ」
「声だけ、ね」
僕は猫の声優を知らない。
けれど、たしかにイブという名前に聞き覚えはあった。それはきっと相当な偉業なのだろう。
「わたしが望んだことじゃないから」
「でも、それがカナエの選んだ道。……ニャ?」
「……うざ」
遠くで電車の走る音が聞こえた気がする。
暗闇の向こうにも同じような物語が存在するのだろうか。
✝
通りを歩けば、肌を刺すような寒さに秋の気配を感じた。
年中タンクトップの女と、年中ライダースの男が周りにいるせいで、季節感がバグる。
スタジオ『アンサンブル』に籠もって練習を繰り返す日々。
最近の休憩中の話題は、もっぱらこれだ。
「そういえば、バンド名どうしようか」
ワニの園田はどうしても屋号を変えたいらしい。足をバタバタと左右に揺らす。
すると、タコのタコ八がドラム椅子から立ち上がり、勢いよく手を挙げた。
「ワタクシが斬新なアイデアを持って参りました!」
「おぉ!どんな?」
「新生バファリンこと――『バファリン・プレミアムDX』なんてどうでしょうか!?」
「ダセェ……」
練習の翌日、カナエは『meta』に来ていた。
新生バファリンこと、バファリン・プレミアムDXの初ライブまで、残り一ヶ月を切った。
正直まだ人前で歌うことを受け入れられない自分がいる。
目立たないように、大人しく、波風を立てずに生きていくつもりだった。
それがどうしてこんなことになってしまったのか。
ライブのことを考えると溜息がでた。
metaに出入りするようになって何度もライブを観たけれど、自分がステージでパフォーマンスをする姿なんて、まったく想像ができない。
「盛り上がってる〜!?」
ヒョウのサチが常連客に絡んでいた。彼女ならコール&レスポンスも様になるだろう。私がやっても絶対ダサい。
そもそもサチはバンドに加入したことをどう思ってるのか。
報告した時も、えっ、そうなの?と彼女らしからぬ、どこか他人事のような、小さなリアクションだった。
もしかして、サチは凪のことが――
「おい!凪!ボサボサヘアー!」
サチは凪を捕まえて、頭をクシャクシャに搔き回していた。
凪は鬱陶しそうにしながらも無言でそれを受け入れている。
凪が客としてmetaに来るのは珍しい。
今日は話題のバンド『あぜ道』が出演するとあって、フロアは熱気に満ちていた。
「カナエ!凪いるよ!」
サチに腕を引っ張られて凪と並ぶ。変なことを考えていたせいか、なんとなく気まずい。
サチは仕事があるからと足早にバーカウンターの中に入っていった。
特に話しをするでもなく開演時間となり、照明が暗転した。
あぜ道のライブは圧巻だった。
アコースティックギターとボーカル、二人だけのコンビ。
それにも関わらず、熱気に満ちたライブは嵐のように観客を巻き込んで、会場全体をひとつに束ねていた。
ふと、カナエが凪の顔を見上げる。
凪はリズムに乗るでもなく、鋭い目つきで、ただステージを睨みつけていた。
ライブの帰り道は二人きり、夜道を並んで歩く。
「ライブ凄かったね」
「……」
凪は答えない。
なぜか楽しくなさそうだ。
いつも会っているのに。
「わたし、あんな風に盛り上げたりできないよ」
「あんなことをする必要は無い」
「えっ?」
「……もっと寡黙な人たちだったんだ。あぜ道は。ギターの沢口さんは昔から知ってる。沢口さんはギターで語る人だった」
「そうなんだ……」
「売れるってそういうことなのかな。別にやりたくもないパフォーマンスをして、とにかく人を集めればいいっていうか」
「わからない」
ライブ未経験の私が分かるはずもない。いまは毎日必死に歌うだけなのだから。
沈黙だけが続く。
「わたしはどんな風に歌えばいいかな」
「歌いたいように歌えばいいよ。あんな風にする必要はない」
「歌いたいようにって……わかんないよ……」
「考えなくていい。自分の好きなようにすればいいんだ」
「自分の好きなように」
カナエは立ち止まる。凪は数歩先でそれに気づき、振り返った。
「……凪は、サチのこと、どう思ってる?」
「サチ?なんでサチコ?」
「どう思ってるの!答えて!」
「誰かに何か言われたの?よく分からないけど、サチコと俺は子供の頃から知り合いなんだよ。友達の姉ちゃんでさ。俺らがゲームしてたら、いつも勝手に入ってきてたな。あの人、元ゲーマーだから」
「そうなんだ」
「そう。だから、まさかmetaで再会するとは思ってなかったけど。そのせいだろうな、あの人はいまでも俺のこと、『雑魚キャラ』と思ってんだよ」
「雑魚キャラ?」
「そう。俺、スマブラでサチコに一回も勝ったことないんだぜ。少しは手加減しろっての」
「なにそれ」
カナエは声をだして笑った。
自分は何を心配していたんだろう。勝手に妄想が膨らませ、一人で考え過ぎてしまっていた。
目が覚めた。いまは歌うことだけに集中しよう。
「じゃあここで。また明日」
「また明日」
深夜、仕事を終えたサチが酔って帰ってきた。来ていた客と飲んでいたのだろう。
先に寝支度を済ませていたカナエが出迎える。
「ただいまぁ〜!」
「おかえり」
「今日はいい夜だねぇ」
「サチ、あのさ、凪って雑魚キャラなの」
「クソ雑魚」
サチは自分の言葉に笑い転げた。
「あいつゲームしてるくせに、下手過ぎてさ、ムカつくくらい。わたしそれでゲーム嫌いになったの。面白くねー!って」
ゲラゲラと笑う酔っ払い。近所迷惑だ。
「なんだぁ?カナちゃん!ゲームでボコボコにされたいのかなぁ?たしか押し入れにあったような」
サチはクローゼットに頭を突っ込み、お尻をフリフリさせている。
カナエは今夜は眠れないな、とニヤケ顔で幸せを噛み締めた。
✝
ライブの三日前。
カナエは猫の凪に誘われ原宿へとやってきていた。
バンド関係のこと以外で二人きりになるのは、これが初めてだった。
竹下通りを抜けて、入り組んだ路地に入る。
一歩踏み込めば、アーティスティックなデザインが壁一面に広がっていた。
その先には老舗の服屋があった。いかにもパンクス御用達といった刺々しい佇まいである。
凪は慣れた足取りで店内に入った。
おう、来たかと店主が野太い声で話しかけてきた。
無数に鋲が打たれた革ジャンを着た大柄なオオカミだ。
目が合うだけで身体が震えて萎縮してしまう。
ちょっと待ってろ、というと店主は店の奥へと姿を消した。
カナエは店内を見渡す。黒と赤でペイントされた壁にユニオンジャックが掲げられている。まるで遠い異国に来たかのような雰囲気だ。
「これだ、これ。一点ものだぞ」
そうやって店主が持ってきたのは、凪が着ている赤いライダースによく似た、色違いの真っ青なライダースジャケットだった。
「さあ、お嬢さん、羽織ってみな」
店主に促されるまま、カナエはジャケットに袖を通す。
吸い付くような革の質感。サイズはピッタリだった。
「おぉ、似合ってるぜ!」
「うん!いいね!」
凪も満足げに頷く。
カナエは思わず尋ねる。
「凪、これどうしたの?」
「この前、悩んでるみたいだったからさ。ステージ衣装にどうかなって。俺がカナエのこと、バンドに無理やり誘っただろ?それなのに『好きなようにやればいい』とか無責任なこと言っちゃったなって……ごめん!だから、これはお詫びの気持ち。プレゼントってことで」
オオカミはニヤニヤと二人のやりとりを見守る。
カナエはまた耳まで赤くなった。
「あれは違うの。わたしの勝手な勘違いだったから……」
「勘違い?」
「うん」
「……まあ、とにかく!申し訳ないと思ってるから、ライブにはこれを着て出てくれよ」
鏡に映った自分を見る。
凪とお揃いのライダースジャケット。自分たちがステージに立つ姿を想像する。きっと絵になるだろう。
カナエは意を決して凪に答えた。
「ありがとう……嬉しい。……でも、ライブには、これは着ない」
「「えっ?」」
オオカミも声を合わせて驚いた。
まさかのNGが出るとは。
「わたしね、ずっと考えてた。自分はどんな風にステージに立ちたいかって。」
カナエは声が震えるのをグッと我慢する。
「……高校の時にクラスのみんなからずっと無視されてた。原因は、女子のリーダーが好きだった男の子が私に告白したことだった。ありがちな話でしょ。私は断った。それなのに、みんな無視し始めたの。」
「ダサいイジメだな」
オオカミは、ガルルゥと憤る。
「そのことがある前も、そのことがあってからも、わたしは目立たないように生きてきた。これから先もそうしていくつもりだった。でも、なんで我慢しなきゃいけないのかなって。もう学校もやめたし、わたしはわたしが選んだ道を進んでいいんじゃないかなって。」
カナエは必死になって話を続けた。泣くつもりなんて、無かったのに涙がでた。
「凪のライブを初めて見た時にさ、この人はなんて自由にギターを弾くんだろうって思ったの。音楽の難しいことはわからないけど、なんとなくそう思った。この人は自分のやりたいことをやってるんだって」
カナエは手を握りしめて言葉を続ける。
「だから、私も自分の気持ちに正直になりたい。ライブには凄く可愛い服で出たいなって思ってる。こういう格好いい服でステージに立つ自分はほんとの自分じゃない気がして。」
凪は優しく答える。
「そっか、カナエがそう決めたなら、それが一番だよ」
「……うん。でもね!この服はほんとうに素敵。このプレゼントはとても嬉しいんだよ……。ありがとう!大切にします」
「おいおい、最高の彼女じゃん」
店主は微笑ましく二人を見た。
「いや、彼女じゃないです……」
「えっ」
珍妙な沈黙。店内には80年代パンクが流れていた。
カナエは店主にジャケットの包装を断った。
「着て帰るので、大丈夫です」
「ほんとに凄く似合ってるけど……どう見てもペアルックだし、どう見てもカップルだよ」
「うっ……たしかに」
凪の耳が赤くなるのをカナエは初めて見た。
カナエは新しい服が嬉しくて、駅までの道をはしゃいで歩いた。
✝
アンサンブルでもmetaでも同じ会話が繰り返された。
「付き合ってるの?」「付き合ってない」「どうしてお揃いなの」「プレゼント」「いやカップルじゃん…」のエンドレスループ。
ようやく一通り説明を終えたのは、ライブの前日だった。
サチの部屋のベランダから見上げる空は、明日を祝福するように澄み渡っていた。
室内のハンガーラックには、真っ青なライダースと、明日着るための「一番可愛い服」――フリルがあしらわれた白のブラウスと膝丈のスカートが吊るされていた。
まだ何も持たない一人の少女は、静かに冷たい夜気を吸い込んだ。
(続く)




