幻想アンダーグラウンド1-2another version(1-3 + 1-4)
カナエはライブハウス『meta』を見つけるのに苦労した。スマートフォンの電源は切れているし、道行く人に話しかける勇気もなかった。
やっとの思いで、たどり着いたのは商店街から路地へ一歩入った場所に佇むビル。
地下へと続く薄暗い階段は、地獄の入口に見えた。
人通りはほとんどない。毒々しく光るmetaのネオンパネルだけが激しく自己主張をしている。
カナエは階段に近づいては離れ、入口付近を行ったり来たりと繰り返した。
少女がパネルを凝視していると、背後から下品な笑い声が聞こえ、逃げるように階段を下りてしまった。笑い声が近づいてくる。もう後戻りはできない。
受付カウンターでは、タンクトップを着たヒョウの女性が退屈そうに携帯をいじっていた。
カナエは恐る恐るチケットを差し出す。
ヒョウはカナエをギロリと見ると、面倒くさそうに掌を出した。
えっ?とカナエが戸惑う。
ヒョウは長い爪で壁のポスターをコンコンと叩いた。
「ドリンク代」
カナエの財布には、もう五百円玉一枚すら残っていなかった。
どうしよう。逃げ出してしまいたい。羞恥心で脳がパンクしそうになる。
ヒョウは慌てる少女に救いの手を差し伸べる。
「電子マネーでもいいけど」
カナエはブンブンと首を横に振った。携帯の電源は切れているのだ。もう帰ろう。踵を返そうとしたその時、ヒョウがこちらを覗き込んだ。
「あんた、もしかして凪の知り合い?」
ナギ?
声をかけてきた男の名前だろうか。カナエはなんと答えていいのか分からない。なんて伝えればいい?目が綺麗だったから?チケットをもらったから?
「えっと、あの……髪が、ボサボサの」
「髪が?……ブッ、アハハハ!そうそう!あのボサボサヘアーの凪ね!」
ヒョウはテーブルをバンバン叩きながら爆笑する。何が起きているのか理解できない。
「ごめんごめん。凪からドリンク代、預かってたわ。入っていいよ」
気づくと後ろに人が並んでいた。慌てて防音扉に手をかけるが重くて開かない。ヒョウは手伝いもせず、ニヤニヤとカナエの背中を見つめていた。
えいっ、と全身でドアを押す。
途端、風圧と共に、暴力的な音が中から飛び出してきた。
ステージでは既に演奏が始まっており、ダックスフンドが猛烈な怒りをマイクにぶつけていた。
カナエはその轟音に圧倒されながらも、薄暗いフロアで凪の姿を探した。
幸か不幸か客席はガラガラで、全体を見渡すのに時間はかからなかったが、彼はいなかった。
ステージ上の犬の怒りは、大学生活からバイト先の店長、果ては実家の両親にまで、不満や恨みつらみが及んでいるようだった。
「I love PUNKs !!」
Vサインを決めて、ダックスフンドのパフォーマンスは終わった。
まばらな拍手の中、カナエはため息をついた。とんでもないところに来てしまったと。
私ならなんと怒るだろう。帰りたい!帰りたい!もう帰りたい!とマイクで叫ぼうか。
でも、「帰りたい」って何処に?
実家の景色が頭に浮かぶ。あそこから逃げだしてきたのに。そう思うとカナエの口から乾いた笑いが漏れた。
「楽しそうじゃん!」
ドン、と背中を叩かれた。突然のことに全身の毛が逆立つ。振り返ると受付にいたヒョウが獲物を捕らえるかのように立っていた。
「アハハハ!あんたって最高!」
ケタケタと笑う彼女と対照的に、カナエは冷めた視線を返した。何が最高なのかさっぱり分からない。
「ねぇあんた、さっきのコイン持ってる?ドリンクと交換できるよ」
ヒョウに連れられてバーカウンターへ行く。
「あたしはサチコ。ダサいからサチって呼んで。あんたは?」
カナエと答える。サチは緑のビンに入ったビールを注文すると、前歯で王冠をガコッと開け、ふっとゴミ箱に吐き捨てた。カナエはコーラを注文する。
「乾杯!」
ビンをぶつけられ、コーラの入ったプラスチックのコップがベコッと凹む。指に冷たい液体がかかったがカナエは気にしなかった。
「どこで凪と知り合ったの?」
「さっき駅前で声をかけられて」
「それで付いてきたんだ」
ニヤニヤとサチが表情を探ってくるのでバツが悪い。
「次が凪の出番だよ。前に行く?」
「行かない」
いいから、いいからと背中を押され、抵抗する間もなくステージの最前列まで来てしまった。背後からの誰かの視線が突き刺さる気がする。
ガラガラのライブハウス。人の少ない客席。サチと二人、ぽつんと最前列に立つ。
こんなはずじゃなかった。
後ろ指をさされないように、目立たないように、それだけを願う人生だったはずなのに。
あの時だってそうだ――
高校での出来事がフラッシュバックする。
私が望んだわけじゃない。
勝手に告白されて、勝手にあることないこと言い振らされて、勝手に怒鳴られて。
気づくと私はクラス全体から「いないもの」として扱われていた。
カーテンが閉じられたままの暗いステージの前で、カナエの目から自然と涙がこぼれた。
「えっ、あ、ごめん!!そんなに嫌だった!?」
サチが慌てる。
そうじゃないと言おうとした瞬間。
ライブハウスの照明が落ち、BGMがプツリと止んだ。
静寂。
シンバルの音が四つ、鋭く刻まれる。
ステージの照明が一気に煌めき、バンドが一斉に演奏を開始した。
カナエの目の前で、赤いライダースを着た猫がモニターに足をかけてギターを掻き鳴らし始めた。
その瞬間だった。
カナエの心は凪の音にさらわれ、空の彼方まで吹き飛ばされた。
まるで、この世界に二人しか存在しないように。
そのギターは、カナエのためだけに叫んでいるように聞こえた。
音楽に詳しくないカナエにさえ、バンドの演奏が下手くそなのは分かった。ボーカルのブルドッグはバウバウと吠えているだけで歌詞なんて聞き取れやしない。
凪はそんなこと気にもしていないようだった。
ズレたリズムの中、騒音のようなボーカルの中、凪のギターだけが鮮烈な光を放って自由な旋律を歌っていた。
(そうか、これでいいんだ)
カナエは初めて許された気がした。心を縛り付けていた鎖が音の波に洗われて消えていく。
サチが顔を近づけ、大声で何かを言った。
「どう!?」
カナエはサチに向かって、喉が裂けんばかりに叫んだ。
「最高!!」
サチは最前列の鉄柵をバンバン叩きながら大笑いした。
「やっぱり、あんたってサイコーだね!!」
サチはビール瓶を放り捨て、カナエを全力で抱きしめた。
瓶の行方に肝を冷やしたボーカルのブルドッグは、バウッと一瞬、声を止める。
凪のギターはさらに唸りをあげ、三人は夜の熱狂に溶けていった。
✝
古びた電車の車両の中、目の前で浮かんで光る情景を見ていた。
車両の外では夜空の星がキラキラと輝いている。
僕は駅員猫と顔を見合わせた。
「居場所が見つかったならよかった……よね?」
カナエは膝を抱えてうずくまる。
「あの時はほんとに最高だった。……でも幸せって長くは続かないんだよ」
駅員猫がわざとらしく肩を落とす。
「どうせ、そんなことだと思ってたニャ」
カナエが顔を少しあげ、鋭い視線で睨みつける。
猫はまた「ニャッ」と短く声を漏らし背中に隠れた。
「そんな言い方ないだろ?」
「ここにたどり着く人は皆そう。だいたい何か抱えて来るのさ。」
僕は返答できずにいた。僕自身そうなのだから。
「行き先を忘れてここに来る。あるいは行き先をなくして。カナエの場合、居場所を捨てたと言ってもいいニャ」
「!」
太った猫が無神経に言葉を重ね、カナエは一層小さくなったように見えた。
だけど、僕の目の前にいる彼女は話に聞いたような家出少女ではない。
気高く美しい、一人前の女性に見える。
駅員猫はカナエを急かす。
「さあ、歌姫。物語の続きを」
✝
その夜、サチに説得され、カナエは半ば強制的に家に戻った。
サチのお節介とは裏腹に、彼女の両親はカナエに興味を示さないようだった。
帰ってこない娘を怒りもしなければ、泣きもしないのだから。
翌朝、カナエは最低限の身支度を済ませ、もう一度家を出る決意をした。
玄関で靴を履いていると、背後から母親の声がした。
「学校はどうするの」
「……やめる」
「……そう……いまは一応、停学の手続きをだしてるから」
カナエは振り返らずに玄関のドアを開けた。
今はもう一人じゃない。
駅に向かう道すがら、凪にメッセージを送る。
『昨日はありがと。ドリンク代返すよ』
『あれは奢りってことで』
『今日返す。どこにいますか?』
『家。学校は?』
『やめた』
『そっか』
電車に揺られて、昨日と同じ駅に降り立つ。
ロータリーのベンチには、昨日と同じように凪は座っていた。
カナエは凪の前に立つと、握りしめていた五百円玉を突き出した。
「チケット代も払います」
「チケットはいいんだよ。どうせノルマに届かなかったから」
「ノルマ?」
「そう。十枚売れなきゃ、残りは全部買い取り。自腹」
「そうなんだ…」
「これはもらっておくよ。ありがと」
お金を受け取ると凪はゆっくりと立ち上がった。
向かい合って立つと、カナエが想像していたよりも背が高く、顔を見上げる。
「でも、チケット代は払いたい……あなたの演奏に……感動したから」
「あはは!感動って。そんなこと言われたの初めてだよ」
「だから!!これは感謝の気持ち」
カナエは顔を真っ赤にしながら凪の手に無理やりお金を握らせた。
そのまま逃げるように振り返り、駅の方へと歩く。
凪はその背中に向かって叫んだ。
「どこに行くんだよ!」
カナエは立ち止まる。
…私はどこへ行くんだろう。
昨日の興奮が冷めてしまえば、現実は何も変わってない。
学校にいても、学校の外に出ても。
私の居場所はどこにあるんだろう。
凪は優しい声で言葉を続ける。
「これからバンドの反省会、それから練習があるんだけど。よかったら来なよ」
また、涙が出そうになった。
この人は私を独りぼっちにさせない。
これ以上、弱いところを見せたくない。
「行く!!」
カナエはとびっきりの笑顔で振り返った。
(続く)




