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キラーズオブザルーレット  作者: 亞沖青斗
第十二章 暁月夜
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四十一話

 明くる日の昼頃には、静子が現在住居とする東京の分譲マンションに辿り着きました。

 ここも客を招いたことなど過去に一度もなかったらしく、ゆえに静子は年甲斐もなく舞い上がっているようでほんのり両頬を赤らめていました。僕からしてみれば、久しぶりの東京でしかも地域的に富裕層が多い。他複数の建造物に囲まれる形で立地するマンションを見上げる感覚には、どうも現実味が欠けていました。手を引かれるまま、東向き角部屋へと連れていかれる。

「ほら、あそこの喫茶店みて。阿呆の矢部が、わたしの言うこと素直に聞いて、ガラス窓に阿呆みたいなことしたんや。あの向かいの駐車場に、黒ワゴンの不審車両がよく停まってたんもしらずね。探偵の助手のくせして、ほんま眼識に欠けてるわあ。マジカスなんですけど」

「もうええて」

 父親が医者というだけあって、裕福な家庭環境だったと思われる。家具や内装はシンプルなデザインだが、3LDKの広い間取りは、服役中の刑務所暮らし、出所後の路上暮らし、くたびれた元和菓子工場跡での仮住まい暮らしを経験した僕にかつてない目眩をひき起こさせた。人並みの生活を可能にさせる快適空間に、ぐっと胸奥が熱くなる。

 次に得意気となる静子に自室へと案内される。そこで度肝を抜かされた。

 部屋内にはあの幼児が描いたであろう、乱雑なタッチの絵画が複数枚壁紙に貼り付けられていたのです。怪文書に使用された絵と同じ。僕は、率直な疑問を口にしました。この絵を父親の山岡誠治が目にしていたなら、不審者からの怪文書であると偽装できないのではないか。対する静子の答えは、二年前に母親は離婚相談として郡沢に接触していたので、そこで郡沢が入手していてもおかしくはない、と父にこじつけたそうだ。つまり、山岡誠治には、郡沢からの脅威であると最初から伝えていたのだ。ここで、話の齟齬を浮き彫りになる。

「この絵は、お母さんが書いたんやで」

 僕は驚愕しました。幼少期の正木英雄の絵と偽装するために、静子が怪文書として描いたと思い込んでいたのだがまるで違っていた。他にも保管してあるという母親が描いた過去の絵画を、これも母親と二人で使用していたというキングサイズベッドの下から取り出した。しかも百枚どころの量ではない。大人が描いたとはとても思えない絵のかずかずの全てが、親子三人の幸せな様子ばかり。おとうさん、おかあさん、そして名の無い子供の絵。

 前腕が総毛立つ。見る先には、ベッドの枕棚にある一枚の写真立てがあった。正確な時期は判断できないが、大阪で見た写真と違って事件後から数年以上経過した頃に撮影されたのではないだろうか、そう一目で判別できるがどこか子供っぽさを残す無表情の静子が、隣に立つ生気薄い眼の母親らしき女性を強く抱き締めていた。その二人だけで映る写真の背景は、自然豊かな緑ばかり。母親の両手首にも腱鞘炎サポーターが巻かれる。

 一人娘である静子の教養から素行までを、厳格までに管理していたとされる山岡佳苗という女性への先入観からは、ずいぶん食い違う印象だった。まるで脱け殻。抱きしめる人形のような静子に、魂ごと吸い取られているようにすら見える。

 そこで、食事に出かける前に一旦休憩しようと静子から提案されたため、僕は勧められるがまま湯浴みし、続いて静子が入浴している間に、気になっていた山岡誠治の一人部屋へとこっそり入った。部屋内は綺麗に整理整頓されていて、壁全体を覆い尽くすほど大きい書架には、主に外科医療関係の資料書が隙間なく並ぶ。いくつか、臨床心理学など心疾患に関する医療書が紛れていたことから、七年前の事件直後、実娘の静子が患っていた心的外傷後ストレス障害の治療を、自ら研究していたのだろうと当たりをつけた。

 そのような直論を、僕はその場で打ち消さねばならなくなる。

 デスク上の写真立て。

 東京の大学に医学部として現役入学した当時と推測される背景で、スーツ姿の静子と両脇をかためる両親ふくめる三人が華々しい笑顔で写っていた。

 なかでも驚かされたのは、山岡佳苗の姿形である。

 静子の部屋にて目にした写真と、あまりにも差がある。痩身を包む皺ひとつ無い小綺麗なフォーマルスーツ、凛然とした姿勢が素晴らしい佇まい、意志の強そうな眼、何より娘を誇りに思う切なる愛情が写真からでもひしひし伝わる。そして、同時に幸福の絶頂期であったのだと、虚しくさせました。

 棚の上に数多く立てかけられた家族写真の中には、幼少期の静子と推測される髪の短い女の子が、母に抱かれて無邪気に笑っていました。

 遠慮を感じながらも、僕は写真立てをどかして、その下に敷かれていた一枚の便箋を手にとりました。

 冒頭から丁寧な文字で始まり、しだいに乱れていく文面。やはり彼は、静子が偽装した怪文書を素直に信じたわけではなかったのです。

 山岡誠治、彼もまた絶望していた。


 ◆◆◆◆

 静子、君は浅井太一に会えたかい。

 君は浅井太一に対して罪を償えたかい。

 君が深く沈もうとする嘘という沼から救ってくれたかい。そうあって欲しいと、この旅立ちの朝に心から願う。あの事件以来、ひとり重責を背負っておかしくなっていく佳苗に対して私は尽力したつもりだったが、暮らす環境を変えようが結局、力及ばず、決して逃れられぬこの現状に苛まれるばかりだった。

 完璧なる母を演じていただけで、佳苗はとても脆かったのだ。昨夜あった君への電話は、不幸の元凶である藤野からだったそうだが、私はとても信じられなかった。

 佳苗が唯一、君の我儘を通したあの藤野竜二。

 わかっている。藤野は君が殺したんだろう。理由は報復だ。できれば凶行に及ばず思い留まってほしかった。あの時は当然の報いとも思った。おそらく、あの成人式のあと、あの藤野を、あの山に呼び出して殺害し、佳苗に手伝わせたあの穴に埋めたんだろう。

 だから、佳苗は狂っていったんだ。いつものように、律儀にそれでいて平然と報告した君の言葉に責任を感じて、おかしくなっていったんだ。

 その後も、君と二人きりで定期的にあの場所へと足を運んでいたのもそのせいだろう。佳苗は君が隠した罪に、本能的に引き寄せられていたのだろうか。実娘の殺人行為が他者にバレないか、死体遺棄が表沙汰にならないか、常に恐れていれば頭もおかしくなっていく。

 手首の激痛も無視して描き続けたあの絵が証拠。

 すまない。私は、愛した佳苗が壊れていく様、錯乱して虚言を叫ぶ容態、そして救おうとした対象の彼女から向けられる敵意と暴言に耐えきれなかった。

 君にひどく恨まれていることも知っている。

 佳苗と同調する君だ。佳苗に罪を告白した君だ。佳苗に秘密を守らせた君だ。佳苗に重責を背負わせた君だ。私の気を狂わせた君だ。だから、もう耐えられない。

 もう、閉じ込めないでほしい。

 希望は失われていた。だから、もう君の好きにすればいい。最後にせめて、こう言わせてほしい。

 おかえり 静子

 ◆◆◆◆


 太一は折りたたんだ便箋を懐中にそっとしまい、上質なベッドに身を投げ出す。弾むより沈みゆく体感。不眠であった脳細胞が歓喜する。そして、ひさしく味わえなかった安らぎに逆らえず、意識は闇へと塗り潰されていった。

 あたかも、己の未来を示すその状況を受け入れるかのように──カチャリ、と部屋外からの施錠がなされようとも。

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