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キラーズオブザルーレット  作者: 亞沖青斗
第十二章 暁月夜
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三十八話

 パーキングエリアでの休憩をはさみながら、大阪の山岡家に到着した頃には、東の空がうっすら白みに溶かされる時間帯となっていました。さすがに静子ひとりでの長時間運転は、体力的に酷。それに腱鞘炎を患っているとなれば交代も妥当だろうということで、途中、カーナビゲーションつたいにハンドルを握って僕が運転しました。静かな住宅街には、姿の見えぬ新聞配達であろう原付バイクの安っぽいエンジン音とブレーキ音が交互に断続しながら遠ざかる。疲労が頂点に達したのか、二時間ほど眠っていた彼女は、目を覚まして未だに冴えきらない意識のまま辺りを見回していました。

 伸縮型門扉に閉ざされた敷地脇で停車するその向こうには、白色外壁の二階建て一軒家が堂々とある。才色兼備たる優秀な一人娘を育て上げたかつては、その象徴だったらしい佇まいはなく、庭先は当たり前のように荒んでいた。まだまだ住まいとして使えそうだが、薄気味悪さのほうが先に勝つ。僕は降車して門前に立ちました。

 屋内に入り、入念に異常の有無を確認する。玄関扉は施錠されぬ状態であったが、どうやらそれ以降の侵入はなかったようでした。ドラッググループだの、ならず者が待ち構えているのではないかとの憂慮だけは、差し当たり取り払われました。寂寞とした冷たい空気が足元に絡み付く。

 こっちこっち、と静子の手招きに従い、僕は照明のない暗がりの階段を登っていきました。屋内は思いの外、外観に比べてきれいなものでした。

 獄中でも殺風景な景色と素っ気無い衣服で、言葉数少ない集団生活を強いられて過ごした苦心惨憺の過去が嘘のようで、比べて現在身を置く極めて一般家庭らしい空間が現実とは思えず、気持ちを浮き足立たせる。二階に到達した静子が、そんな僕の挙動を見下ろして薄く笑っていました。唇端を舌先で舐める行為は本人にとって無意識的な癖だろうか、目にする側の僕としてはその度に七年前の事件を彷彿させられた。

「なんか、変な感じ」ふふふ、と囁き、廊下を進む。「実はこの家に、わたしの知り合いで男性を招いたのは初めて」

「元彼も来たことないんや」

「ないよ。お父さんが相当嫌ってたから」

 通された一部屋は、静子の父親の書斎らしい。

 空っぽの書架に両袖デスク、簡易的なベッドとシンプルな装いでした。しだいに薄明るくなるその場を視界におさめ、そこで初めて違和感に気づきました。薄茶色フローリング床が剥き出しであるのに、つい最近までカーペットが敷かれていたと推測させる日焼け跡が長方形型に残っていました。埃もうっすらとかたどって同じように残ります。元和菓子工場に設営していたテント横に、丸めて置かれていたイ草カーペットを思い出しました。サイズが一致するのではないか。これについて質問しようとした矢先、あれ、とデスク上をくまなく調べていた静子が次にその足下へと潜り込む。

「あったあった。これが証拠。お父さんがこれ入手して隠してた。風に飛ばされて落ちたんかな」そう言って、心境的に落ち着かない僕へと直径三センチ程度の紙切れを手渡した。

 しげしげと観察する。「実物のドラッググループの印、か」右向きに鎌首をもたげる蛇の絵。触れると妙なザラつきが指先に残る。「これは上から何か塗ったあとかな」

「七年前、太一くんにぶちのめされて死んだ正木英雄の首の裏にも、これがあった」

「君も貼ってた」

「あったにはあったんやろけど、このシールを貼ってたんやない。わたしはドラッググループとは関係ない。太一くんだけは信じてくれるはず。わたしは生贄のほうやったんや。この仕掛け、あのバスで実際に見た太一くんしか分からへん」

「ああ、納得いった。そういうことか」

 となると、あの時点で郡沢がシールタトゥーを目にしていたことも否定できない。無法者が返り討ちにあって殺された単純な事件ではない、と弁護士でもあった郡沢は鋭く勘付いたのではないか。そして、のちに利用しようともした。

 これを新井信吾が聞いていたなら、ドラッググループが深く関わったという概要を静子本人が刑事裁判で訴えなかった理由はなんだろうか、と引っかかりを覚えただろう。蓋し、審理結果は変わったのではないか。だが、僕だけは納得していた。今さら何を知ったところで、過去の決断が変わるわけではないし。

「蛇が右向きのシールやから、インクをつけて肌に張ると蛇は左向きになるんやな。俺は運転手近くから、君をミラーで再確認したから、右向きになったと。君が、首に印を付けられたことに気づかへんかった理由もまあ、これで分かった」

「藤野の仕業や」

 七年前、大阪行きの夜行バスに乗る夜、直前に二人で和気藹々とクレーンゲームで遊んでいたそうなのだが、静子がゲームレバーを操作し手が離せない状況を見計らったかのように、背後から藤野が唐突にこう声をかけたそうだ。「いつも髪型変えへんからポニーテールが見たいな」そして、垂らしただけの静子の髪を、後ろからヘアごむで雑に束ねてしまったそうだ。乗車前に首の裏を触れられた記憶もあるという。

「ちょっとの間やけど寂しくなる、好きだよ、次に会えるのが待ち遠しい、とかハグして甘い言葉を言い残して、わたしだけをバスに乗せた」

「事件の後、藤野本人にドラッググループの関わりを確認した?」

「確認したけど、はぐらかされた。俺がそんなんするわけないやんまさか疑ってるう妄想やってえ、とりあえず会って話そうや、みたいな軽い感じで」

 嘘ついてるってすぐにわかった、嘘に気付けるようになった、そう吐き出した静子の声はひどく震えていた。信じてた自分が阿保やった、と無表情で続ける。

「藤野は、わたしの前では蛇のタトゥーをつけてなかったから、ドラッググループにどっぷりつかってたのかその時点では確証がなかったけど」

「人気があって顔が広かったんなら、もしかしたら魔が差して、ちょっとだけドラッグに手を出したんかもしれんへんな」

「蛇の印の噂もいっきに広まった。最初はそら信じられへんかった。高校から三年間も付き合ってきたんやで。今どき古くさい考えの、うちのお母さんから清い交際しか認めへんとか言われても我慢してくれてたから、あの男を信じてたんや。せやから、余計に信じられへんようになった。十代の子供がドラッグにハマって平和に暮らしてる人らを監禁して殺すなんて、頭がおかしい」

 詳しい内情は知らずとも、直接関係はなかろうとも、被害者が受けた惨状を想像するだけで怒りが噴き出すだろう。僕も同じでした。

「帰るって、お母さんに報告してたら、こうはならんかったのに」

 会話が途絶えたそこで、こっち来て、と静子にいざなわれて移動した次の部屋は、事件後に母親と寝床を共にしていたという一階片隅の部屋でした。シングルベッドが並列に据え置かれただけで、他には趣味を感じさせる装飾もない。引っ越した後でもあるため当然ともいえる簡素な内装で、現在はウォークインクローゼットに少しの衣服が収まるだけ。何を見せたいのかと訝っていると、静子はベッド縁へ腰掛けてマットレスを愛おしそうに撫で始めました。

「事件の後、成人してからもずっとお母さんと一緒に寝てた。わたしの心の支えやった。心配せんでええよ、まだ頑張らんでもええよ、一緒にいような、っていつも言うてくれてた」

「優しいお母さんやったんやな」

 不意に静子の顔が歪む。その反応を前に、軽率であったと僕は口をつぐんだのでした。だが、それも一瞬。うつむき垂らした髪の毛で、彼女は顔を隠してしまう。

「うん、ほんまに、優しいお母さんやった。厳しかったけど優しかったんや」

 めくり上げたマットレスの下から、一枚の写真を抜き出す。静子から無言で差し出された仲睦まじい母娘二人の写真を目にして、僕は内心だけで悲嘆に暮れました。察するに高速バス事件の明くる年か、背景はこの家の門前にして暗い表情をしたリクルートスーツ姿の静子に、母親らしき女性が優しい微笑で寄り添う。幼少期よりこの家で育った静子からすれば、母は神のごとく尊き存在であっただろう。

「これ、成人式の日の写真。式には行かへんかった。このあとキャンプに行った。むかし庭にはブランコがあって遊んでくれて、勉強も根気よく教えてくれて、縄跳びも、公園遊びも、料理も、いつも一緒やったんやけど、この夜だけはもう大人やし一人にならなあかんと思って、わたしだけで行った」

 話が逸れたね、と彼女はしんみりと溜め息を落とす。

「そんなめでたい成人式の朝、うちに現れたんが郡沢。独自で調べたとかで、ドラッググループの細かい内情を連絡してきた」

 郡沢は元弁護士という経験と優れた手腕をいかし、言い逃れできない証拠やら証言を用意して、直接藤野を問い詰めとうとう自白させたらしい。調べでは、老夫婦殺人事件発覚直前に、藤野は東京という離れた地で油断もあってか誰かしらに計画を漏らしたという事実を他者に嗅ぎつけられ、それが実際事件に関わっていなかったグループメンバーの耳まで届き怒りを買ったとされる。そしてその一人が、正木英雄であったのだ。

 自身の成果を自慢げに並べ立てる郡沢は実績を証明したと言わんばかりに山岡家へ擦り寄ろうとしたが、警察に通報するも訴訟を起こすも、被害を受けた静子当事者に判断が委ねられる。静子は、二度と藤野と関わり合いたくもなかったため、訴訟に踏み出さず放置したそうだ。

「郡沢は怪しい男やったけど、うちの両親は実力だけは信じてた。特にお父さんが買ってた。藤野竜二を、ほんまに昔から嫌ってたから余計にね」

「その時点で、あのシールタトゥーを入手したわけか」

「それからやね、郡沢に付きまとわれるようになったんは。お前のために無償で動いたんやから付き合ってくれとか、四十のおっさんが二十歳になったばっかりのわたしに言い寄ってくるんやで。何回断ってもしつこかった。気色の悪い」

「それで、東京に引っ越した?」

「お父さんの仕事の都合もあって、ちょうどいいタイミングで引っ越した。わたしは大学もやめて、その後もメンタルクリニックとかに通ってた。よりにもよって東京の都会に移り住んだから、外には出たくもなかったし、でもうちの父親は自己中心的やから、慣れたら大したことないから積極的に街に出ろとか、反対してたのに藤野と付き合ってたお前が悪いとか、大学中退なんかかっこつけへんとか、そのままやったらろくな将来がないとか、わたしの顔見たら小言ばっかりで、あげくの果てには、お前が甘やかしたせいや、ってお母さんを蔑むようになった」

「家庭が崩壊していったわけか」

「お母さんだけが、わたしの味方やった。都会の喧騒から離れて、山の中でお母さんと二人だけでキャンプして、それでだんだん気持ちが楽になっていった。お父さんは、やっぱりそれが気にくわんかったんやろうけどね」

 れっきとした家族の中心であるはずの自分が、家庭内の鬼胎から除外されたかのような軽視的あつかいを受け、おのずと苦汁を舐める心境となったのかもしれない。それとも孤独感を味わったか、父親としての威厳が許さなかったか、未来永劫取り残される恐怖をあてどなく想像したのか、いずれにしても成熟した大人とはいえ感情的になると判断を誤る。

「暴力もあった」

 実際に見てはいないそうだが、両親二人きりで話す一室から、それらしい騒音と母の悲鳴が聞こえたそうな。静子がベッドから立つ。僕と正対して、まるで綺麗な人形のような佇まいで口だけを動かす。

「引っ越してからちょっとしたあと、母は離婚するって言い出した。わたしは賛成した。お父さんはうちの内情を知ってる郡沢を介するなら条件を飲むって言うて、それでお母さんは鵜呑みにしてたびたび大阪に帰ってた」

「郡沢の、弁護士資格が剥奪されてたのは知らんかったんや」

「お母さんが、高速道路の事故で死んだすぐあとに知った。そのあと他にも騙されてる人がいるってわかって、郡沢は詐欺で訴えられた。お母さんも、郡沢に騙されてる、って言ってわたしに電話かけてきた。逃げなあかん、郡沢は離婚を有利にしようとするお父さんの差し金や、って。わたしはその日、合流しようとして名古屋に向かってたんや。せやのに」

「事故のあと、お父さんはなんて言うてた?」

「なんも悲しまへん。むしろ楽になった、みたいな顔してた。きっと郡沢が詐欺で捕まるよう仕向けるために、お父さんがお母さんを利用したんや。わたしも、今になるまでお父さんの傀儡。コネで入った工場で働くだけの毎日。手元に置いておきたい人形同然。あの事件からおかしんなったんや。お母さんの真似してるつもりなんか、歯ブラシ粉から下着まで厳しく管理する。仕事での話を毎日毎日ちくいち報告させる。最悪やった。気が狂いそうやった」

 僕の中で、一つの推理が整っていく。

「郡沢のほんまの狙いは、君のお母さんが保有する莫大な遺産やったわけか。詐欺罪なんざ、一年か二年で出てくる。そこでもう一度、君に狙いを定めた。次に東京での拉致未遂」

 一呼吸おく。

「君はその不安定なタイミングを狙って、あの絵と怪文書を自作自演して自分の家のポストに投函したんちゃうんか。父親から解放されるために、浅井太一を探す口実で探偵事務所に行った。郡沢からも身を隠すことができたら一石二鳥や」

 静子が悪びれなく頷く。「正解」

「しかし、裏をかこうとしたのに、逆に裏をかかれたわけか」

「全部あいつが仕組んだ。矢部くんも、わたしの偽物も、郡沢にたぶらかされた。そうやろ?」

「そうや。郡沢に会わへんかったら、あの二人は地道に生活してたんやろ。三木谷という、さらに上をいくカスの本性には気づかんかったみたいやけどな」

 そして、占い師に扮していた郡沢は、懐柔しようとした三木谷に裏切られて殺害された。目に浮かぶ。

 三木谷に忠義などない。そもそも郡沢は、正木英雄をすら恐れて抗えなかった小物だ。豊富な知識があろうが、薄氷の下からでも薄笑いを浮かべる三木谷を、姑息な洗脳ごときで手懐けられるわけがない。これみよがしに猟奇的手段で郡沢を殺害した理由も、憎き浅井太一に分かりやすく知らしめるためだろう。おそらく、お前もこうなると伝えたかったのだ。

 過去に僕は、刑務所仲間だった三木谷に、七年前のバス内で正木英雄から受けた恫喝の内容を一言一句違わず、恐怖の経験談として打ち明けてもいました。

「しかし、そうなったら三木谷が親父さんを大阪で襲撃した可能性が濃くなるな。そのときには、郡沢は殺されてたわけやから」

「どうでもええ。郡沢の犠牲になった人で、わたしが悔しく思うんはお母さんだけや。お母さんは、あいつに殺された。事件当時から怪しいって思ってた。なんぼなんでも、そんな一方の都合がいいように事故が起こるはずがない。警察が言うには、ブレーキを踏んだ形跡なかった」

「香を焚いていたんかな。つまり、洗脳されかけてた」

 喉奥で彼女が笑う。唇の端をまた舐めた静子は、やがて言った。

「太一くん、お願い。お母さんの遺志を見に来て」

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