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キラーズオブザルーレット  作者: 亞沖青斗
第十一章 常初花
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三十五話

「郡沢が七年前まで弁護士として、東京の法律事務所に勤務していたことは間違いないらしい」

 スマートフォンを懐におさめる。俺は不愉快な感情を隠さず、晴れた夜空へと仰ぐ浅井に言う。彼は言葉の裏に孕む険難に勘づき、鼻で笑った。なるほど、と。

「不祥事があったと」

「満員電車内で痴漢の現行犯逮捕。しかも常習犯だったらしくてな、言い逃れできない証拠動画やら何やら突き付けられて、クビ。だけじゃなくて、弁護士資格まで剥奪。おまけに、相談に来た女性相談客に報酬の代わりに肉体関係を迫るクズっぷりまで発覚したらしい。個人情報守秘義務があるのに、相手がたにバラすぞやら、金銭的に逼迫していることを見抜いて言葉たくみに騙したりだの、弁護士どころか、人の風上にもおけんやつだ」

「そんなやつが、山岡静子の母親から相談を受けてたのか。死んだ人間の事情を今さら掘り返すのもやぶさかやけど、何かまだ裏がありそうやな」

 ちょうどその時、デニムパンツにスニーカーと白色ブラウスというシンプルカジュアルな装いに着替えた山岡静子が、倉庫から出てきた。シャワーの後で、メイクの一つしていない頬は上気している。

「お待たせ」

 ふふ、と控えめに微笑する彼女から見上げられる浅井は、未だ接するべき態度を決めきれないようだった。

「どうしたん?」

「なんか調子狂うねんな」

 彼がそんな心境までを何気無しに伝えると、ミネラルウォーターのペットボトルを受けとる山岡静子は「わたしの偽物と先に話したからとちゃう?」と的を得たことを言った。

「そうかもしれへんけど、それからこれ」浅井が手渡す。

 返却されたオレンジ色のリュックの中身をいそいそ確認する彼女に、俺からも話しておくことがあった。

「それと謝罪なんですけど、調査中の流れで大阪にある山岡さんの自宅に無断で立ち入らせてもらいました」

 大阪へ向かうに至るまでのいきさつ、更に矢部光明による侵入の疑いある状況及び、ドラッググループにつながる老夫婦強盗殺人事件調査の大筋を簡潔に伝える。不法侵入であると、責められる覚悟であったがしかし、概要をのみ込んだ彼女の着眼点はそこではなかった。

「わたしを追って、矢部くんや三木谷とかいうやつらが侵入してきたってことやね」

 そう念押しに確認する。どこか、満足げな声色に感じ取れてしまったのは気のせいか。腹の奥が、急に気持ち悪くなった。頭に掠めた可能性。不法侵入を受けたことによって、好都合に一転する事柄がある。そこで時宜を得たとばかりの眼差しで、山岡静子が言う。

「ところで太一くん、もういろいろと解決したわけやし、今から一緒に行動せえへん?」

 浅井が分かりやすく慌てる。「いや、ちょっと待ってほしい。新井さんはどうする?」

「まだ終わってない。件の占い師にまだ狙われているんだろう。俺も協力を」

 すみません、やおら山岡静子が頭を下げる。

「新井さんにはお世話になりました。ここからは、わたしと太一くんの二人だけでがんばります。わたしと太一くんだけの問題になります」

 手を引けという強い意思が、上げた彼女の顔には漲っていた。

「太一くんじゃないとダメな理由があるんです。それが、カワソコ興信所に依頼した目的だと、最初に真柴さんにも言ったんです。真柴さんは依頼内容を守ってくださったんです。失礼ですが新井さんは、真柴さんの友達なんですよね」

 正鵠を射られ、反論の一言もできない。しかし、気がかりは絶えない。一晩で複数の人死を目の当たりにしていっさい動転しない浅井が、本物の山岡静子の無事を願っていたふうであったのに、実際に直面すると平常心を揺るがされているとくる。とはいえ、熱量をもって正論を言い募られては、探偵を生業とする者として立場もない。

「わかりました。もっともだ」苦笑いで頭をかきむしりながら嘆息する。「明日の朝、飛行機で東京に帰ります」

「すみません。親切を無下にするつもりはないんですが」標準語に併せた彼女は、再び丁寧にお辞儀する。「ありがとうございました」

「ところで一つだけ、最後にお訊きしたい」

「なんでしょう」

「山岡誠治さんは、今どちらへ?」

 表情一つ変えない彼女は即座に返さず、一呼吸おいてから「父は自宅にいます」と平淡に言った。

 視線は倉庫内に停めた白色の軽自動車へ。

「それはおかしいな。あなたは、山岡誠治さんとあの車で東京を出発したはず。俺の助手によると、三月十四日の朝から山岡誠治さんは在宅なされていないようです。今、山口県にいないのならどちらへ行かれたんですか?」

「ですから、大阪の自宅です。わたしは山口県に行く途中で、父を大阪の自宅で降ろしたんです。そのあとは、会いに行く人がいると言っていたので知りません。出かけたんでしょう」

「それは何日?」

「三月十四日の十八時くらいになりますね。わたしは、そのあと寄り道して山口県に向かったので。それから連絡はしていません」

「心配されているんではないですか。もしかしたら、不法侵入した三木谷や矢部や占い師と遭遇して、拉致された可能性もありますよ」

「心配なんてされていませんよ。父親とはもう長い間、不仲なんです。新井さんは既に調べているんじゃないですか。わたしの母親のことまで」

 敵意に染まる声色だった。浅井までも、気まずそうに目を泳がせる。

 呵責に駆られた俺は「まあ」と、こぼして問い詰める勢いをゆるめた。「すみません。踏み込み過ぎました」

「いいんです。わたしの私情に踏み込み過ぎていた父も、さがすなと言っていました。わたしが、太一くんに会いに行く、と言ったら父もまた何か覚悟したんでしょう。もしかしたら、新井さんが言ったように、三木谷という男に襲撃されたのかもしれませんが、ここからは家族であるわたしの判断になりますから、これ以上の口出しはやめてください」

「では、藤野が失踪したことは知っていますか? あなたの元恋人、藤野竜二もかれこれ五年近く行方知れずで」

「いい加減にしてください」

 とうとう剣幕を強めた山岡静子だが、傍らで静観する浅井の視線を感じてか、すぐさま我に返り態度をやわらげた。

「七年前に別れた人のことです。知るわけがないじゃないですか」

 されども、俺は最後まで言及せずにいられなかった。

「藤野は、大阪で発生した老夫婦強盗殺人事件の何かを知っていたんじゃないですか。タイミング的に重なるんですよ。偶然でしょうか。ドラッググループが関わっていた犯行だったんですよ」

「そうですか」

「郡沢もそのドラッグを所持していた恐れがある。あなたもさっき言っていましたよね。東京で拉致未遂にあったとき、妙な香をかがされたと。高速バスに同乗していたその郡沢が、仮に藤野失踪の事情に関わっていたらどうでしょうか。失踪当時の藤野も、大阪の山岡誠治さんまでも、最悪まだ残っているドラッググループの連中に殺害された可能性だって」

「もしそうなら、いずれまた襲撃を受けるでしょう。だからこそ、太一くんと行動を共にしていたいんです。これほどの安心感があるでしょうか。もういいでしょう新井さん。このあたりにしてください。矢部くんが死んだのは、確かにわたしのせいです。すみません。でも、立場的に同情はできません。太一くんと、矢部くんの差、わかるでしょう?」

 七年前、山岡静子を助けるため結果的に将来性を捨てるという自己犠牲の実績がある浅井太一と、興信所での依頼時にたかだか恋愛感情ごときで自己都合に先走った矢部光明では、確かに埋められない差があるだろう。忌避する父親が消えた今、再びの危険が予想されるなら浅井太一を拠り所にして当然だ。

「わかりました。今度こそ終わりにさせていただきます。おっしゃるとおりです」

「まあ、帰ってゆっくりして」

 そう労う浅井に手を上げてから、引き下がる。

「俺も実は、娘と不仲でしてね。今みたいに踏み込み過ぎて嫌われたようで、それが今になって会いたいだの言われてもどうしたらいいのかわからないんですよね。会っても、また踏み込み過ぎて嫌われちまうかなこりゃ」

 ははは、と愛想笑いして、では、と背を向けかけた時。

「わたし個人の見解で言わせてもらうならですけど、父親は娘に対して正論や経験を盾にして余計な口出しせず、ほどよい距離で見守るべきです。助力を求められたら愛情をもって受け入れてあげるのが理想だと、今になってわたしは思います」

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