二十七話
一人で現れた園田は、表面上冷静さを保っているようであったが、くすぶる火種を腹奥に抱えているようで、やかましい雨の中を駐車場から大股にて突っ切り屋内へと迎え入れられる際も「おはよう」との憮然とした挨拶を、緊張する太一さんに交わすだけに終わった。
固い表情でうつむく太一さん含む三人だけで、緑茶の入った湯飲みを囲って座る。元保健室であった現場作業者の休憩所は、素っ気ないカーテンの開け放たれた灰色の光が忍び込む程度の空間で、やけに気分を鬱然とさせた。深い色の溜め息後、短い頭髪を掻いた園田がまず口を開いた。
「うちのアパートの部屋、全部で八部屋あって今は満室なんだけどな。そこの全部屋の郵便受けに、こんなもんが入っていたそうだ」
そう言ってツナギのポケットから取り出し広げた紙には、忌み深い文章が書かれていた。
ニマルイチゴウシツニスンデイルヤクザガフウゾクジョウニボウリョクヲフルッテイルゾ。フウゾクジョウガジサツスルマエニオイダシタホウガイイ。
わたしは、太一さんと視線を交わす。
「香奈だって、これ見て今朝から落ち込んでんだよ。せっかく周りの住人とも仲良くやってんのによ」
現在、園田は事務員の池上香奈と同棲中である。勿論、同じアパートの住民には、若かりしころに荒れていた事情など口にもしていないだろう。
「妹尾の件もあるし、太一が住んでいた倉庫も焼かれて、社長にも嫌がらせ電話があった。香奈から聞いたけど、山岡静子を名乗る不審な女から、会社に電話があったんだってな。んなことが、急に連続で発生したってなったら俺だって馬鹿じゃねえ」
園田の厳しい視線は、うちしおれるわたしへと向かう。
「こうは言いたくねえけど、あんたが来てからだ。勘違いしないでほしんだけどな、迷惑だとか言ってるわけじゃねえ。ただマジの話を言ってくれってだけだ。わかるよなあ、太一」
「はい」
正座した両腿に手を突いて低頭する浅井太一。部屋内は、ひやりと張り詰める。僅かな火種があれば粉塵爆発でも起こしかねないそのような支配力を持つ園田から、わたしも目を背けられない。
「あんたが、太一を頼ってやって来たってことまでは俺も知ってる。その理由が、男性恐怖症を改善するためだってのもな。他にどんな理由があるんだ。はっきり言え」
迫力に押されて声も出なかった。対応不可能だ。閉ざした唇を更に強く押しつぶして耐えるのみで、太一さんの代弁を待つしかできない。園田も黙り込む。いつまでも待つというふうに。
やがて、あとに引けなくなった太一さんは、だから恐々とするわたしに目配せしてから、把握している限りのあらましを漏らさず語った。
山岡宅に投函された怪文書から派生する一連の騒動と仮定して、七年前のバスに同乗していた元弁護士の他殺事件、山岡静子が浅井太一捜索に依頼した先の探偵の不審死、そしてその助手が失踪した件、現時点で所在がつかめない三木谷という男のことまで。
険しくしていた園田の眉間が、いくらかほぐれていく。弟分の太一さんをもとより強く責め立てる気もなかったようで、いつしか共に解決策を求められないかと思案する立ち位置となっていた。となれば、流れとして話すことになる。切迫しているからこそ出たわたしの狂気染みた策謀を。
園田は驚きもせず、うっすら目を細めて言う。
「いい度胸だ。気に入った。手伝ってやる」
事情が事情とはいえ突拍子もない弥縫策に乗るとは、この男はおそらく何度も同じ局面に立ち合い、似た手段を講じた経験があるのではないかと疑った。至って平然とする太一さんに限っては、むしろあっさり受け入れられるのではないかと、予想していた節さえある。その太一さんは、わたしとは別の心慮を口にしていた。
「池上さんは、いま独りなんですか?」
「いや、桶口の家に泊まりに行ってる。独りになったらまた手首切ったりしかねないから、本当は一緒にいてやりたかったんだけどな」
わたしも聞いていた。桶口は、高校中退時からシングルマザーとして働く古株だ。普段は明るい反面、精神に脆弱性を持つ池上の姉的役割を果たしている。
次に現在もっとも有力な手掛かりを持つと怪しまれる、三木谷斗真の話しに移った。太一さんから言及する。
「襲撃者が三木谷なら、俺と山岡さんがここで寝泊まりしていることを既に知っているでしょうね」
「昨夜から降りだした雨は日曜日まで止みませんから、その間に来ますよきっと」わたしが口を挟む。
「しかし、三木谷ってやつが犯人なら、そいつはどうやって俺や香奈の過去を知ったんだ。太一、お前知り合いだったんだろう。どっかで漏らしたか?」
園田からの冷厳ある眼光に射抜かれた太一さんは、慌ててかぶりを振り否定した。
「言っていませんよ。俺が山口に来てからは三木谷と会うどころか、連絡も一切とっていませんから。けど、あいつは情報屋みたいに調べたり、ってこともかなり得意分野ですし、もしかしたらあとをつけて園田さんや池上さんを盗撮して、仲間内で調べたりしたのかも」
「その目的はなんだ」
太一さんは言葉に詰まる。園田も自信があるわけではないようで、悩ましげに顎をなで回しながら臆説を述べた。
「東京で正木の親がその怪文書とやらを、山岡の郵便受けに投函したんだろう。それで復讐やら身の危険を恐れた山岡が、太一のところに来たのを見計らった頃合い、元々狙いがあった三木谷はついに動き出したんじゃないか。現に太一はいま追い詰められている。さっき太一が言ってたように三木谷って男は、狡猾な奴なんだろう? なんか恨みは買ってないのか」
「実はあります。出所後ちょっとの間、一緒に行動してたんですけど、病的な手癖がなおっていなくて」
「それで、仲違いになったとか?」
「仲違いなんて、生ぬるいもんじゃないですがね。強い恨みを買ってることは確かです。けれど」
復讐に燃える正木英雄の父親に雇われたのか、と結論づけたいところだが、そうなると郡沢進一や真柴蓮一朗殺害がどうしても余分に感じる。探偵の助手失踪も説明がつかない。と、太一さんは言い添えた。
「どうするか簡単だ。太一」そこで園田がしたり顔で小膝を打つ。「聞き出せばいい。三木谷がもし、元弁護士や、探偵やら、その助手とやらを殺したなら生半可な覚悟や目的じゃないだろう。放火もその一端とも思えば辻褄がつく。だったら、今日か明日には来るんじゃないか。だから、待ち構えて、捕まえて、聞き出す」
どれだけ詮議を交えても、わたしを含めたこの三人の口から、警察に通報するという提案は出なかった。三木谷が放火犯であるという確証も無いし、浅井と園田が警察を忌避する気持ちは共通している。
「今夜、動くぞ。山に連れていかれて自分の墓穴見て、素直に喋らなかったやつなんざ俺の経験上ねえからな」
雄弁にそう語る園田の相好は過去を彷彿させる獰猛さがあり、且つ、わたしの腹底までも震撼させた。
その場から離れたわたしはスマートフォンで、メッセージを送信した。
『計画通り今夜動く。仲間が一人増えた』
直ぐに返信がきた。