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キラーズオブザルーレット  作者: 亞沖青斗
第七章 金剛石
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二十話

 翌日のこと、午前中にひととおりの雑務を教わったわたしは、次に社長の日浦に連れられ現場見学へと向かった。曲がりくねる一本道を更に深く潜ると、普段は南京錠で施錠される八メートル幅の両開き鉄門扉が行く手を塞ぐのだが──会社で管理している鍵で解錠し、関係者以外は通常立ち入ることができない排他的区域となる僻地へ移動した浅井太一は、四人一つで分班される他作業者とちょうど間伐作業中らしかった。

 道路沿いに車をとめて降りたわたしの耳に、チェーンソーらしき電動音が遠くから届いてくる。この近辺でもっとも多い針葉樹が密集する足下も定まらない急斜面を徒歩で登る。普段から人が踏み入ることのない土壌は表面がやわらかく、それでいて水分も豊富なため滑りやすい。息が上がるに従い体温が急上昇し、身体のあちこちへと汗が流れる。ともすれば、土と樹葉が燦々と降り注ぐ太陽の光を浴びて、歓喜するかのごとく独自の香りを振り撒く世界で、身を委ねている自分が不相応にも感じる。しだいに活力も湧いて意気も上々、疲弊もなんのその負けじと足を踏み出す。先を登る日浦が指を指した。チェーンソーで間伐作業に汗を流す浅井の姿を、ほどなくして木々の隙間から見つけることが出来た。

 昼前にさしかかる時間帯、高まる気温であっても、長袖作業着、ゴーグル付きヘルメットと作業手袋で完備している。聴覚の全てを奪うチェーンソーの回転刃が、太い幹を切断していく摩擦音も、その手つきも、入社して一年半も経過すれば慣れるのか動作一つとっても力強く彼に隙は一切無い。欲の欠片もない逞しい姿に、少なからず感銘を受ける。物陰からその様をじっと見つめるそんな自分の胸が、いつしか熱くなっていることに気付いた。

「倒れるぞ!」

 高らかに叫んだ男が、体重をかけて太い幹を押す。ミシミシ、とスギが傾きやがてゆっくりと横倒しになる。腹奥に響く地鳴りが、わたしの臓腑に刺激を与えた。汲汲とした緊張感から解放され、いっきに気構えが弛む。

 清々しい笑顔の浅井が、手を振っていた。

「どうだい、かっこいいだろう」

「はい」

 日浦の自慢気な言葉には、素直に答えておいた。

「休憩にしよう、太一」

 浅井の肩を叩いて声をかけた人物は、屈強な風貌の男でその角ばった日焼け顔には年齢相応の器を感じさせる快活な笑顔があった。チームリーダーである園田は林業歴十六年の四十五歳、経験と指導力で辣腕ぶりを発揮する人格者らしい。初対面のわたしにも、鷹揚力を実感させた。元武闘派暴力団組員とは、一見したところでは誰しもが想像しないだろう。他にも、年齢二十代後半と紹介された高柳と妹尾という名の男がチームに属する。長袖作業服を脱いで汗まみれの筋骨隆々とするタンクトップ姿となった浅井は、引き締まった尻をブルーシートにどかりと落とした。浅井からすれば、苦境からの復活を望む気概までも分かち合えるチームメンバーで、全員が実は刑務所で世話になった過去があるらしい。

 野鳥が姿を見せずとも木々の間を突き抜ける澄みきった音色で、四人の雄々しい男たちを称えているようだった。ミネラルウォーターが入る水筒から口を離した浅井は、傍らに立つわたしが他三人から凝視されていることにようやく気付いたようで、にわか居心地悪そうに狭い空をあおいだ。口火を切ったのは、やはりリーダーの園田だった。

「助けた女が頼ってくるってなかなかドラマチックだなあ、おい」

 わたしは、半笑いでお辞儀するに留まる。

 浅井の口元に苦笑がにじむ。「そう思いますか」

「思いますよ」「いやあ、羨ましい!」

 若さの溢れる高柳と妹尾が、揃って同調する。わたしは囃されるその間、黙って俎上に載せられていた。今朝方、現場に移動する車内で質問攻めにあった浅井は、この三人に、わたしとの関係を正直に暴露したらしい。元犯罪者のレッテルを貼られた仲間に対して隠し果せるものでもないし、むしろ共有した方が心強いとみたのだろう。とはいえ、脅威が迫っているかもしれない、などという漠然とした経緯は抜きにしているはずだ。

 園田が言う。

「二人で一緒に住むなら、あの和菓子工場も手狭だろう。そろそろ引っ越したほうがいいんじゃないか」

 浅井は口ごもる。迂遠な言い回しに含まれるその意味を、わたしも察してしまった。

「俺はあそこが気に入ってるんですけどね」

「けど、女のほうは嫌じゃないか」

「山岡さんは、克服のために来ただけですから」

「そう言わなくていいんじゃないですか。山岡さんを女と見ていないみたいで、それじゃちょっと失礼じゃないですか、ねえ?」高柳が腕を組んで抗議する。

「妹とかそんな感じか?」

 園田に問われた浅井は、また返す言葉に窮する。

 高柳が言う。「園田さんも池上さんに仕事を紹介したから、太一さんも仲間に入れたいんでしょう」

「俺のは太一みたいな、ドラマチックなんかじゃあないけどな」

「で、籍入れるのはいつです?」と、浅井。

「再来月だよ。ゴールデンウィーク」

「六月には梅雨入りするし、新婚旅行も気安くいけますね」

「俺のことなんかより、太一だよ」

「もういいですって」

 すると、今まで黙然としていた妹尾が「そんなんだからダメなんだよ!」と、拳を固めていきり立つ。

 峰々にこだまするほどの大声を突然耳元で張り上げられ、わたし含むめいめいが驚いていた。

「俺がなあ、女がそばにいる素晴らしさってやつを教えてやる! 今夜は飲みにくぞ、太一!」

「そうだイケイケ」にやける園田も呼応する。「たまには付き合ってやれ」

 浅井の表情があからさまに歪む。

「今夜は俺が奢ってやる。そうだ、しずちゃんも連れて行こう。男性恐怖症に多少は役立つはずだ。テコ入れしてやらにゃあいかんってことだよ」

「意味ないやろ」

「あるっての。俺もいつもと違う素因を入れて、現状を打破したいんだよ」

「なるほど、テコ入れか」

 呟いた浅井は立ち上がって、意味もわからず遠巻きに様子を窺っていたわたしに歩み寄る。

「あんたのためにも、人通りが多い場所は避けたいんやけど」との小声での前置きから、彼は述べた。「ちょっと気合い入れに行くか」

「気合い?」

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