45 突っ込ませた
十九時、夕方というよりも夜。
夏に入って日が伸びたおかげでまだ明るいとはいえ、すでに夕日は水平線に沈み始めているだろう。
薄暗がりから吹く風も湿り気と熱気を帯びた不愉快なものになり始めていて、立っているだけでも汗が滲んでくる。
合流と同時に元に借りた制汗スプレーと折りたたみ扇子のありがたみを感じながら、二人で本日の目的地、ラブホへ向かう。
・・・・・いや、男二人でラブホに向かうというのは流石に悲しさがすぎる。
ラブホ近くの張り込む場所に向かう、が正しいな、うん。
太陽の断末魔のような夕日を避け、日陰を縫うように歩き、俺たちはラブホに一番近いアミューズセンターに向かう。
最も近いと言っても、ここからまた何本か裏道を歩くことになるため、俺たちの目的がそこだとはこの辺りで知り合いにあっても気付かれることはないだろう。
「でも、よく日付絞り込めたな。」
「いや、すっごいムカつくんだけどさ。」
「おう。」
「古賀君とデートしたのが夕方までならその夜、遅くまでだったらその翌日、絶対ヤってんだよね。」
「聞かなきゃ良かったわクソが。」
元曰く、基本的に楠とのデートのタイミングでラブホにしけ込むことはあるが、割と半々。
ただし、古賀とデートをした日、もしくはその翌日、そのタイミングはこの夏休みだけで二回中二回目。
そして今日は古賀とデートして帰ってきた翌日。
夕飯まで行ったデートだったため、その日にはできなかっただろうが翌日である今日、呼び出して連れ立ったってことはほぼ確実にやるってことだろう。
なんだ、比較して燃えあがろうとでもいうのだろうか。
苛立ちと共に吐き気が喉まで上がってくる。
ぽん、とリュックが叩かれ、意識を戻される。
表情にわかりやすく出ていたのか。
「悪い。」
「いいさ。
俺も同じ気持ちだし。」
口だけで笑う元、その目は剣呑な光を放っていて、いつもののんびりとしたものではなかった。
腹に抱えているものは同じというところか。
だが、だとすればなぜコイツはこうも抑えられるのか。
聞いてみたい気もするが、今は古賀のことか。
「で、俺たちここで待ってていいのか?」
「ん、ちょっとアリバイ作りでゲーセンに行かないといけなくてね。
まぁ、時間までちょっとあるから、悪いけど遊びに付き合ってよ。」
元の言葉に、少し疑問が出るがまぁいいかと頷く。
そのあと、元に進められるままにアーケードゲームを遊ぶ。
よく遊んだ音ゲー、格ゲーにUFOキャッチャー。
なかなか取れないと噂の大きめなぬいぐるみを撮った時なんか、ついハイタッチして店員さんと写真を撮ったりもした。
ついつい興が乗って思いっきり楽しんでしまったが、コインゲームをしている途中、元の顔が変わった。
「時間だね、行こうか。」
あぁ、そういえば今日はそういう日だったな、と思い直し、元の後を歩く。
ゲーセン前にあるロッカーにぬいぐるみを押し込み、二人で建物を出る。
写真にゲーム、ちゃんと遊んでいたというアリバイは充分。
途中で別れ、ギリギリ道を見渡せる位置の階にある喫茶店、その窓際の席に俺は座る。
スマホを開き、元からの通話を受けて録音状態へ。
さぁ、どんな茶番を見せてくれるんだ。
イヤホンの向こう、雑踏と人混みの音が聞こえる。
ノイズキャンセルを弱目にしているようで、環境音も割と聞こえてくる。
ただ、それを抜きにしてもかなりクリアに音は聞こえてくる。
会議ツールの時にも思ったが、元のスマホのスペックは一体どうなっているんだ。
ざわざわという音の中から適当な声を聞くのが楽しくなってきた頃、ごそり、とスマホが布に触れる音がした。
歩くだけの動きから、近づく動きに移動したのだろう。
『あれ?
佐藤先輩じゃ無いですか!』
すげえ。わざとらしさが全くない、驚くほど空気を読まない奴の感じそのままだ。
見かけた人に、ノータイムで声をかける時のあのアホっぽい空気感がよく出ている。
知り合いの知り合い程度なのに物怖じしないような声がけに、佐藤先輩もきっと面食らっているのではないだろうか。
続けてイヤホンに入ってくる声に、俺は意識を集中した。
「初めまして、佐藤先輩。古賀くんの友人の山上元です。よく自慢されてます。」
「え? ユキくんの友達?」
「はい、お疲れ様です。
俺バイト帰りなんですけど、佐藤先輩もですか?」
こいつ馴れ馴れしい上にずけずけ来るな。友達だったらめんどくさい奴だわ。
声だけしか聞けないが、俺は元の演じる奴をそう捉えた。
そしてほんの少しだけ、こんな奴に絡まれてしまう佐藤先輩と浮気相手をかわいそうに思った。
「うん、そうなの。
あ、この人は私の塾の先輩だった楠さん、たまたまバイト先で久しぶりに会ってね、夜遅いから送ってもらってるの。」
「初めまして、よろしくな。」
「どうも。
知り合いの方いらっしゃるんなら大丈夫ですね、たまたま見つけてこんな時間なんでちょっと声かけちゃいました。」
「ううん、いいよ、ありがとう。
君も気をつけてね。」
「はい、ありがとうございます。それじゃ。」
声をかけて、挨拶して、別れる。
インカム越しに聞こえる声はただそれだけだった。
スマホの録音ボタンを押し、録音を停止
その後通話も終了させる。
既に動画も撮っているというのに、俺のスマホに残るこの声だけのデータがいったい何になるんだろう。
まぁいいか、と元に頼まれた話を古賀の個人チャットに載せる。
俺が元と一緒に、ビジネス街方面のゲーセンで散財し、ぬいぐるみを取った写真。
取った時に一緒に店員さんに手渡してもらう形で撮った写真を合わせて流す。
彼女のためと言われて一緒に頑張って取った。 そんな風な感想を添えて。
一応、教えてもらった加工アプリで顔がわからないようにしといて、と。
ついでにこの話を大木さんにも連絡する。
詞島さん関連の話なのでカプ推しの大木さんなら喜んで布教してくれるだろう。
ゲームは上手いのにクレーン苦手な野郎が頑張って彼女のためにぬいぐるみを取ったとか、結構ポイント高そうだ。
とりあえずそうやって元に頼まれた細々を済ませ、ドリンクバーでグダグダしていると元から連絡が来た。
『先に帰るね、今日はありがとう。』
それだけ送られてきたメッセージを確認し、わらび餅アイスを追加で頼む。
しばらく時間を潰してから帰ってほしいと言うことで、ファミレス特有のものすごく旨くはないけど値段を考えるとまぁこんなもんかって感じのデザートを堪能して帰路についた。
翌日、古賀から連絡があった。
『元がラブホに入っていくところを見たって佐藤先輩が言ってたけど、お前昨日元と一緒だったんだろ?
帰るまでずっと一緒にいたか?』
とのことだった。
一緒にいたけど、普通にゲームして飯食って、普通に帰ったぞ、そう返信し、続けて俺たちが居たゲーセンがたまたまビジネス街側だったことを間違って見たんだろう、まぁそう言うのの間違いって結構恥ずかしいし、指摘するのもアレだからそのままにしといたほうがいいぞ、と返した。
送信ボタンを押し、俺の返事が表示されると同時に大きくため息を吐いた。
返信の内容は、昨日元から教わっていた。
俺と元が一緒にいたこと、そして佐藤先輩に指摘はしないようにしたほうがいいこと。
それだけ外さずに後は俺の言葉で返してほしいとのことだったが、まさか本当にこんなことになるとは。
アプリを切り替え、元との連絡画面に繋ぐ。
古賀からの連絡があったことを伝えると、即座に既読マークが付き、書き込み中のアニメーションが動いた。
『ありがとう、ところで直近で空けられる時間ある?』
元の返信、それになんとなく違和感を感じ、チャットツール入力欄からボタンを押す。
セキュリティのアイコン、通信会社の協賛アイコン、短時間だけ表示されたそれらはすぐに真っ暗な画面に変わり、会議モードのウィンドウが表示された。
インカメラは使わない。
ただ、何となく元の声で話してほしかった。
「よう、こっちで良いか?」
「いや、大丈夫だけど。
なんか珍しいね。」
「いいじゃんか、たまには。」
マイク越しに聞こえる元の声。
いつもの声だと感じ、その事実に安心してしまう。
「んで、えーっと……おう、そうだ。明日は特に用事ないけど、なんかあるか?」
「うん、しばらく後なんだけど佐藤先輩と直接会って、今回のことの着地点を見つけようと思う。」
その言葉に疑問符が頭上に浮かんでしまう。
もう昨日の動画で複数回のホテルインに、アウトまでという、最後の証拠は集まっている。
古賀に見せればそれで終わりじゃないか。
そう聞いたところ、元は苦笑しながら言葉を返してきた。
「うん、俺もそのつもりだったよ。
今日、古賀君からシュウに連絡がなければそのままだったね。」
いっている言葉の意味を理解するのに、少しばかり時間が必要だった。
難しいことを言っているわけでもない単純な言葉の羅列なのだが、その意味するところにどうしても辿り着けなかった。
連絡がなければってことは、連絡があったから古賀には言わないってことか?
別にあろうがなかろうが、古賀に伝えてそれで終わりだろう?
あれの、そう、浮気の証拠を、古賀の前に出す。
もうそれで終わりだ。
それが終わればもう俺たちのやることは何もない。
いつも通り、これまで通り、残りの夏休みを楽しく過ごせばいい。
そのはずだったのに、もうそれもできない状態になったってことか。
「なあ、それって佐藤先輩のせいでなんか面倒になるってことか?」
問い直す俺の言葉に、唸るように言葉を濁す元の音が伝わってくる。
じっと見つめるウインドウに揺れるマイクアイコンは数秒の停止の後に輪郭を揺らし、躊躇いがちに元が返してきた声を伝えてきた。
「俺に対して、口封じをしてきた。
俺の信頼度を下げることで、俺の言う事が無視できるものでしかないって思わせたかったんだ。
そういう方法をとったってことは、つまり自分の状態を肯定してるってことなんだと思う。」
元の言葉に、ふと昔言われた言葉を思い出す。
何をいうかではなく、誰が言うか。
ホテル街で女を連れて出歩いてた男に、あいつホテルで見たぜって言われる方が普通の男子高校生に言われるよりも信用度が低いと言うことか。
「後ね、古賀君にこう言わせたってことは、古賀君に対する所有欲みたいなものはまだあるんだと思う。」
「所有欲?」
「あ、ごめん、それはちょっと、うん、説明が難しい……えっと、違うかな。
ただ、俺は佐藤先輩が古賀君の恋人という立場を捨てるつもりはないと見てる。」
は?
口をついたのはその一音。
怒り、嫌悪、それよりも疑問が先に出た。
あまりにも俺の埒外な思考に、そしてそれをあっさりと口に出す元に。
だってそうだろう、もう新しい恋人を見つけて、もっといい物件に乗り換えて。
俺からしてみればそれですらバカにしやがってとしか思えないのに、まだ底があったのか?
「もちろん、俺の考えでしかないからあってるとは限らないけど。
別れるにせよ何にせよ、自分の立場をしっかりと正しさで固めたいのは間違いないと思う。」
正しさ、とは?
すでに元をラブホ街で歩く男ということにしようとしているっていうのは、正しさとは外れているのではないのか?
混乱の煙が脳内を圧迫して、意味のある思考と発言ができなくなる。
まばたきだけを繰り返す俺に、元は言葉を続けた。
「で、嘘ついた。
一回ついた嘘は、もう止められない。
俺は、悪いやつじゃなきゃいけなくなる。」
元の声色に、背筋が泡立った。
静かに、ゆっくりと話される声が圧力を持っている。
いつもの声色との違いは、テンポの違いくらい。
少しだけ、いつもよりゆっくりなだけの声色が、やたらと怖い。
「馬鹿か、頭いいか。
どっちかであることを本当に願うよ。」
そうなら、きちんと軟着陸できるから。
そうつぶやく元の言葉に、俺は何も反応ができなかった。
お互いにただため息が漏れる。
通話画面を覗き込んではいないが、元も似たような体勢をとっているのではないだろうか。
頭が重くなったかのように、項垂れる。
目を閉じてしまいそうなその瞬間、ドアがノックされて母からの声が扉越しに響いた。
「秀人〜、ちょっといい?」
通話を切るほどでもないので、ゴメンのエモートアイコンをタップしてドアを開ける。
少し視線を下に向ければ、母が立っていた。
「何?」
「今日、お父さん遅れるんだって。
だからさ、ご飯はラーメンでも食べに行かない?」
この前は少し遅れる程度。今回はしっかりと晩飯逃し。
親父は中々に不運と出会う相があるらしい。
「遅れるって、なんで。」
「さあ?
良くわかんないけど、また駅で騒動があったらしいわ。」
「あー、今度はしっかり巻き込まれた系?
大丈夫なん?」
「まあ焦ってもいなかったし、大丈夫でしょ。
あっちはあっちで食べたくて仕方ないから蕎麦食べて帰るって言ってるし、十分くらいしたらラーメン食べにいくわよ。」
「うい、了解。
ねーちゃんと良く行ったところ?」
「そうね、そこで良いと思うわ。」
準備しときなさいよ、と閉めたドア越しに足音を鳴らす母のあまりにもいつも通りの温度に一つため息を吐き、頭を掻く。
ただ、その日常会話のおかげか、少しだけ頭に乗せられていた重みが緩んだ感じだ。
「お疲れ、大変だね、シュウのお父さんも。」
「おお、前は大丈夫だったみたいなんだけどなー。」
「あは、勝手に起きる事故みたいなもんだしねえ。
環状線のほうでしょ?」
「いや、中央の方。」
「え?」
親父の帰りの足は都内を横断する線路を通る中央メトロ。
それなりに人はいるとは言えど、夏休みのこの時期はそこまでの混雑ではないはずだ。
本当についてない。
「環状線の方でな何かあったんか?」
「うん、迷惑系が緊急ボタン押そうとしたのをラグビー部の人達が止めたんだって。」
「ぶっは、なんだよそれ。」
「今は出てないけど、後で警察のデータにも載るかもね。」
「まじかよ、絶対煽ったるわ。」
くく、と笑いを漏らす俺に対し、画面向こうの元はタイピング音を響かせ、何かをしているようだ。
「シュウ、この前シュウのお父さんか遅れそうになったっていうのも、同じ路線?」
「おお。帰りだし、変わんねえよ。」
そろそろ準備を、と、スマホを布団の上に放り、シャツを着替え、短パンの上からズボンを穿く。
靴下をタンスから引きずり出し、足を入れた所で元が声をかけてきた。
「シュウ、ナイスアンテナ。」
「あん?」
画面向こうから微かに聞こえるキーボードの音と、何処か上機嫌そうながら語気が強い声。
眉をひそめ、問いただそうとするが、先に元からの声に機先を制された。
「ちょっと調べること増えた。けど、ありがとう。」
ラーメン、楽しんでね、とそう言って切断された会議アプリ。
参加者の居ない会議画面。
いつもなら元は俺の返事を待つはずなのだが、急いでいたのだろうか。
ただ、最後の声は少しだけ軽いように聞こえた。
俺も、何かの役に立てたのだろうか。
そんな事を思いながら、母がノックするドアに向かい、歩き出した。
久しぶりに食べた母とのラーメン、姉が居た時は四人で食べたソレは、あいも変わらずに普通に美味くて、母と二人ながら適当に話をしながら満足することができた。
餃子を食べながら古賀の話をし、シュウマイをつまみながらモーリーの新譜について言い合い、卵スープを飲みながら元や大木さんの話をする。
家族間での込み入った話は久しぶりな気がするが、中々楽しい時間だったと、そう思う。
家に帰り、部屋で一人になり、ベッドで上の段の板裏を眺めながらぼうっとしていると、だんだんと薄れていく満腹感と楽しさから透けるように元との話が頭を過ぎる。
所有欲。嘘は止められない。
なるほど、ゆっくりと言葉の意味を噛み締めれば確かにその通り。
しかし、そんなに簡単に人をパターンに分類してしまえるほどにこんな光景を見てきたのだろうか。
そんなことを考えると、だんだん思考が悪い方向に向かってくる。
舌打ちをし、部屋の電気を消してベッドに倒れ込んだ。
考えたくないし、意味なんかない。
あいつは、俺をどんなカテゴリーに嵌めて見てるのか、なんて。
心底考えたくなくて、脳内でバスケのことばかりを考え、俺は無理やり眠りの淵へと飛び込むのだった。