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よいのくちより ともがたり  作者: ウタゲ
三章 ともにわらえば あしたをつづる
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18 消え物

「結構博識なんだね。」

「え?」

「テーブルマナー、とても堂に入ってるよ。」

「あ、どうも、ありがとうございます。」

 

 はにかむように微笑んで、小さく頭を下げる。

 大きな肩幅にそぐわない可愛らしい動作に、自然と口角が上がった。

 

 オードブルフロアまで提供されたテーブルの上で踊るように動くカトラリーは少しの淀みも感じない。

 ルカの言葉を信じるのなら、パスタですら箸で食べるような男の子らしいのだが、綺麗にフォーク一本で温野菜を口に運んでいた。

 改めて向かいの席の彼を見る。

 身頃にシワはなく、ジャケットとスリーピースの柄は一枚の生地のようにラインも揃っているし、タイも派手すぎないながら同色の糸でされた刺繍が目障りではない程度に主張している。

 腕時計も、おそらくは機械式で古めのもの。とはいえ、高級機とはいえない程度の物だ。

 ここに来るまでで見たシューズも、丁寧に手入れはされていたがなの知られた工房のクセは見受けられなかった。

 金をかけすぎず、それでいて店や相手にはしっかりと敬意を払う。

 いわゆる、背伸びをせず、マナーを意識した良い印象の身代といったところか。

 私がもっと自己愛が強く、社会的地位も高かったり、あるいはこのホテルがもっとクローズドなものであれば少々突き出しが足りないと見受けるところだったろうが、中々どうして、ちょうどいいところに納めてきたものだ。

 

「塩も、野菜も、鶏も日本製。」

「?」

 

 私のつぶやいた言葉に、山上君がカトラリーを下げ、私に視線を向ける。

 座高のせいで少しだけ見おろす形になる彼の視線は私の目をしっかりと捉えてくる。

 

「それでフレンチを名乗るのは、正しいのか。

 そんな風に、話題にのぼったことがあったんだ。」

「あぁ、こだわりの深い人には避けられない話ですね。」

「うん、山上君はどう思う?」

 

 そうですね、と目の前の皿に目線を落としながら、彼は唇を閉じた。

 何を考えているのだろう、どんな経験をしてきたのだろう。

 相手の気持ちを考えること、相手からの反応を楽しむこと。

 前者はともかく、後者に心置きなく浸れるのは、久しいことだった。

 

「こだわりは、あっていいと思います。

 本物に感激して、それを最上として感じる人がいるなら、それはそれでいいとは思います。」

「うん、そうだね。

 それで、君は?」

 

 逃げ口上としての一般論ではない、彼の目線が知りたいのだ。

 尻尾を掴ませないような、各方面に配慮した言葉よりも、だ。

 軽く目を丸くした彼にニンマリと微笑み返すと、苦笑して言葉が続けられた。

 

「作った人が、その誇りを持って作っていればそれはフランス料理なんじゃないかなとは思います。」

「へぇ、山上君ってカリフォルニアロールも和食でアリな人?」

「そう、ですね。」

 

 口元に指を持っていき、視線が右上に。

 目線の動きと首の傾き具合からして、言い訳というよりは感覚を言語化しようとしているのだろうか。

 演技深掘りのため、何でを何度も繰り返した時の事を、その時のサークルのみんなとのバカらしくも愉快だった卓がふと脳裏に浮かんだ。

 

「お客さんのことを考えて、作った人が和食だっていうならそれも和食じゃないかと思います。」

「柔軟だし、模範的だなぁ。

 子供の時からそんな考えしてたのかい?」

「まさか。

 ウチの親父やルカのご両親、お祖母さん。

 みんなが真剣な顔を見せてくれたからです。」

 

 ふ、と懐かしむように山上君が言う。

 自分の身内のように話すその姿はどれだけ距離を近づけた付き合いをしているのかが判る。

 祖母、祖父。

 父方母方双方共に喜寿を超えつつも元気にやっている。

 正月と盆と、交互に行ったり来たりをしている身だが、ここまで心の距離を近くできているだろうか。

 

「ルカも、そうなのかな。」

「あいつは、どうでしょうね。

 結構形から入るし俺みたいにあっさりとは認めないかもしれませんね。」

 

 ナッツ入りのカレーも受け入れるまでは時間かかってましたし、と続ける。

 そんな彼の言葉に、美味しいんだけど、腑に落ちないと。

 首を傾げながら困ったように微笑むルカを幻視した。

 そんな困り顔をするルカが見れるなら、今度美味しいナポリタンを出すイタリアレストランにでも連れて行ってみようか。

 私のそんな考えを察したのか、山上君の目がちょっと目尻を下げている。

 大丈夫、という意思を込めてウインクすると小さく鼻から息を吐き、彼はまたカトラリーを動かし始めた。

 

「初めて先輩に見られた気がします。」

 

 視界の中央、切り分けたポークソテーを嚥下してナプキンで唇を拭う彼がそう言った。

 気づけば彼の皿に残された料理は、私の皿に比べて随分と片付いている。

 人を目の前にして、行動と意識が飛んだ。

 ルカといる時と同じ、その意識の空白に私自身が内心驚いてしまう。

 

「結構、君を睨んだ覚えはあるんだけどね。」

 

 ドレスグローブ越しに銀の冷たさを感じながら、ほんの少しだけ早めに手を動かす。

 ある程度の速度の違いなら合わせられない彼が無粋と言い張れるが、流石に私が手をつけなさすぎた。

 切り分ける部位をほんの少し大きく、指先の動きをほんの少し早く。

 慌てているように見えないように、姿勢と余裕を崩さないように動作を進める。

 供された炭酸水に口をつける彼を見ながら、私は言葉を返す。

 

「勝手に押し付けられたクローディオーの仮面越しになら、睨み付けられてましたね。」

「ん、そんなに分かりやすかった?」

「はい。

 ルカの最愛の彼氏が小憎らしくて仕方ないって目でした。」

 

 なるほど、私がどれだけ動いても。

 から騒ぎ、と。

 自然に目が細まり、唇が弧を描く。

 三枚目を押し付けられた形になるが、今ならばもう怒りも苛立ちも湧かない。

 山上君個人との言葉のやり取り、会話のリズムそのものを楽しんでしまっている。

 やはり、もう随分と毒が回っている。

 

「そうか、そうだね。

 今の気持ちで君を見るのは、うん。

 初めてだ。」

 

 少しはしたないけれど、背もたれに背を当てる。

 息を吸い、目を閉じて、深く吐く。

 ネックレスの石が小さく音を立てる。

 肺腑の動作に合わさるように動いた胸に、盤外から視線が集まるのが判った。

 大きく空いた胸元などの、服に隠されていない皮膚はとても敏感だ。

 だから、少しだけ期待しながら目を開けると、向かいに座る男の子が私の顔を覗き込んでいた。

 いくらなんでもひどすぎないだろうか。

 ちょっとは目線を下にずらしたまえよ。

 そう言いそうになりながら、両肘をテーブルにつけ、彼を覗き上げた。

 

「ねぇ。」

 

 じっと覗き込む、まっすぐな視線が私のこれから言おうとする言葉をすでに切り捨てていることがわかる。

 私の焦りも、昂りも、何一つ彼の心に爪痕を残すことはできないと言うことなのだろうか。

 好意は感じられる、けれど熱も色もそこにはない。

 わかっていた。

 けど、私ならと思っていた。

 されど世はそううまくは運ばない。

 彼に笑いかけ、目尻に少しだけ皺を寄せて笑う形に目を動かす彼。

 

「山上君は。」

 

 唇が震えた。

 口の端が、強張っているのに自分で気づいた。

 

「ルカの、どんなところが好きなの?」

 

 もうわかっている。

 彼が私に愛を向けることは、決して無い。

 なのに、すでに出ているその答えを直接聞くことはできず、周りくどく真綿で自らの首を絞めるように自縄を続けていく。

 

「さぁ、もう分かりませんよ。」

 

 気づけば私も彼もナイフとフォークを右手側に纏めて置き、皿の上は空になっている。

 お互いの手の届く位置から少しだけ中心寄りに寄せられた皿は、私と彼の距離を測る標識のようにも思えた。


「最初は、顔?」


 だったら、私だって。

 そうだったら良いな、そうあって欲しいなと思う言葉は、連なる彼の言葉にそっと押し除けられた。


「いえ、巡り合わせです。」


 グラスを手に取り、唇を湿らせると彼は一度目を瞬かせて言葉を続けてきた。


「始まりは偶然で、惰性で続いてきて。

 何でもないことでわかり合って。」


 いたずらを振り返るような、郷愁と、懐旧と。

 いっそ羨ましいと思うような純粋な色が、シャンデリアの光を反射する彼の瞳を色付けている。

 

「喧嘩して、仲直りして、いろいろあって。」

 

 くすりと笑い、肩の力を抜く。

 こちらに改めて姿勢を正す彼が眩しくて、ほんの少し、一瞬だけ、視界が滲んだ。


「そんで、一緒にいると、二人で決めました。」


 簡単に言ってくれる。

 けど、当たり前だ。

 どれだけの事をしてきたか。どれだけ積んできたか。

 人に簡単に話してしまえるようなことでは無いはずだ。

 だから、人に話してしまう時にはこんなに簡単に言い放ってしまえるのだろうか。

 父と母に馴れ初めを聞いた時はどうだっただろうか。

 語り草になっている劇団のパトロンとの熱愛を朗々と語られた時は、どうだっただろう。

 どんな恋の話も、愛の醜聞も、今の私ほどには心を震わせてはくれなかったと思う。


「そうか。」

「はい。」

「じゃぁ、君は。」

「はい。」

 

 く、と空気が膨れた気がした。

 圧迫感はない。

 怖さもない。

 こちらを害するような、こちらに気後れを押し付けるような強さはない。

 ただ、軒先に日が射したような、ふと地面を見ていた視線を上げた時のような。

 私の貧弱な語彙では例えきれない、大きな物を感じた。

 その感覚の中心にいる元君は、険しさなどかけらも見せない表情で、ただその瞳の中から真摯さを私へと伝えてきた。

 

「俺は、詞島流歌を愛してます。」

 

 彼の言葉に、崖から突き飛ばされるような胸の苦しみと、それに負けないほどに温かな安心感が湧いた。

 私は彼には愛されない。

 流歌は彼に愛される。

 彼は、流歌を愛してる。

 揺らぎもなく、迷いもなく、山上君は苦しそうな色を欠片も湛えない瞳で、慈しむ表情をしながら、テーブルの上で握った拳を握り込みながら、私に一言で切り込んだ。

 

「そうか。」

 

 私の表情は、強く静かに凪いでいる。

 一方、彼の顔は暖かに凪いでいた。

 言葉にしない私の告白は、彼の心にほんの少しでも揺らぎを与えられたのだろうか。

 願うように見つめる彼の目の中を覗けば、ふと凪ぎすぎていることに気づいた。

 私からの思いもしない好意に対する反応を抑えようという心が強すぎて、漏れ出ていない感情が逆に私には透けて見えた。

 とてもとても、心の籠った良い演技だ。

 カッコつけではない、私の為の、彼による演技。

 おかげで、私も心置きなく彼と、ルカに対して失恋することができる。

 

「そっか。」

 

 一時的な感情の上下動、ともすれば体が暴れそうなそれを感情の赴くまま、内心だけで散々暴れさせた結果。

 私の声は、今までにないほどに軽やかに舌を飛び出し、私の表情は驚くことに柔らかな笑みへと変わった。

 

「ありがとう、元君。」

「いえ。」

 

 かた、と音を立てて、椅子が鳴る。

 心持ちテーブルから上体を離し、彼は深く腰を曲げた。

 

「こちらこそ、ありがとうございました。」

 

 姿勢、至誠。

 ふと、そんな同音異義が頭によぎった。

 折り畳んだ背を戻し、私を見る元君。

 手に入らないその瞳に、恋うような情を抜いた愛おしさを初めて感じられた気がした。



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