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よいのくちより ともがたり  作者: ウタゲ
三章 ともにわらえば あしたをつづる
139/145

17 衣装合わせ

「どうかな。」

「とてもよくお似合いです。」

「そう、かな。

 ちょっと女っぽすぎたりはしないだろうか。」

「いえ、元々のお嬢様の美しさを引き出すにはこのくらいのドレスは必要です。 」

「そ、そうか。」

「もちろんですとも。」


 

 信頼するギャルソンの言葉に、私は改めて自らを映す鏡を見る。

 (あで)やかに照明を映すワインレッドのマーメイドドレス。

 以前作ってもらって以来着ることもなかったそれに再度袖を通すこととなったが、その時以上に鏡に映る私の姿は魅力的に見えた。

 短く切り揃えられた髪の毛に少し手を入れ、跳ね方をスタイリストさんに直してもらった私の髪は長さはいつもと変わらず、しかし女性としての魅力を十分に引き出してくれていると思う。

 ドレス、化粧、髪型。

 全て、一度は身につけたことのあるそれら。

 以前の私と、今の私にそう違いはない。

 だが、鏡の中の私はどう言ったことだろう。

 今までに見たことがないほどの美しさを備えているように見えた。

 

 服を整え、場を整え、外見を設え。

 あとは、私自身。

 

 気の向くまま、なぜか山上君を誘って作ったはずのこの場に、今更ながら困惑を覚えてしまう。

 そんな気持ちを少しでも常へとするために、ゆっくりと、細く呼吸をする。

 鏡の中、体に沿ったドレスを身にまとい、私自身誇りとするボディラインを見せつけるその姿は、現在の心の中とは大違いの自信に満ちていた。

 そんな姿が鏡の向こうからの視線が、焦る私の心を落ち着ける。

 揺れる内心を、整えた外見が固めてくれる。

 それを感じ、もう一度だけ目を閉じて呼吸を整える。

 

 目を閉じ、開き、鏡を見る。

 一度リセットされた視界には、紛れもない私が居た。

 うん、中も、外も。

 全部私、全部、私が作り上げた私だ。

 

 そう改めて思えた途端、鏡の中の私が微笑みかけてきた。

 あぁ、うん。

 私はもう、大丈夫だ。

 そう確信し、ゆっくりと鏡から目を離す。

 私を見てくれていたギャルソンさん、その人に目を向ける。

 そうか、そういえば塚本さんは、こんな顔の人だった。

 そう思い、微笑みながら会釈をする。

 途端、彼の頬に赤みが刺した。

 これは、初めて見る反応だ。

 

「それじゃあ、行ってきます。」

「………」

「塚本さん?」

「いえ、申し訳ございません。

 行ってらっしゃいませ。」

 

 身頃を整え、深く頭を下げられる。

 今の私は、完璧だ。

 そう言ってもらえたような気がして、肩に乗せられた錘が一つ外れた気がする。

 

「ありがとうございます、行ってきます。」

 

 嬉しさに逸る心を抑え、そう言ってエレベーターに向かう。

 今の階層(フロア)は一二階。

 レストランの三四階に入るための待ち合わせフロア、三十階をドアマンさんに伝えた。

 スムーズな縦移動、音もなく開くドアの向こう、人のまばらなそのフロアに備え付けられた待合用のテーブルに着く。

 予定時刻までは一時間十五分、私らしくもない、時間を無駄にするような早すぎる到着だ。

 

 恋に恋焦がれる純情な女の子の役でももらっているかのような自分の行動を俯瞰しながら心の中で苦笑う。

 きっと何の関係もない立場から見れば微笑ましいことこの上ないのだろう。

 自分自身がそういう立場になれるとは、事実はまさに、奇なりということか。

 クロスのかけられたテーブル席にすわったまま、ぼうっと目を前にやれば、壁に飾られた絵が目に入った。

 色鮮やかな舞踏会の絵。

 幸せそうに舞う淑女と、それを抱き留め、硬い表情ながら口元にほんの少しの笑みを浮かべる紳士の絵。

 自然と胸元に指先が伸び、強く打つ心臓を諌めるように置かれたそれの感触に、自分に触れて初めて気付いた。

 

 そのままどれだけの間、羽化登仙とした心地のままに惚けていたのだろうか。

 ふと、エレベーターに目が向いた。

 フロア全体が待ち受けロビーのようなこのフロアを半周するように眺める間、両手では足りないほどに私を見る視線と触れ合ったが、それらを意に解することなく私の目は両開きの機械ドアに縫い止められた。

 

 ドア上のランプが少しづつフロアの数字に近づいてくる。

 じわりじわりと、胸の奥のドラムが拍を強くし始めた。

 りん、と鈴の音と共にドアが開く。

 

 ピンストライプの、三つ揃えのスーツ。

 私の視界の端に入ってくる人たちの身に纏うものに比べれば、随分とランクが低く見える、しかし、それが故に、朴訥で、特別なところの見受けられない彼にとても似合っている。

 背伸びをしたようには見えず、服の重さに負けているようにも見えない。

 周りの空気にも、そして私が呼び出したという事情にも気圧されているように見えないのが面白いような、イラっとくるような、そんなたくさんの方向にブレた気持ちが湧いてきて、結果的にクスリと小さく笑いをこぼしてしまった。

 

 私の視線に、彼の視線が重なる。

 一回私を通り過ぎたのは、許すべきだろう。

 私自身ですら今の私に身惚れたのだ。私を見間違えたのだと考えれば、彼の認識を超えられたと考えて、溜飲は下がった。

 少々わざとらしく微笑み、手を振る。

 彼に向かう視線の中、敵意のブレンド量が増えたように感じた。

 

「篠田さん。

 すみません、お待たせしました。」

「あぁ、来てくれたんだね、《《元君 》》。」

 

 向かいの席をすすめながら、そう応える。

 視線が私の目から外れないのは、警戒でもされているのだろうか。

 だとしても、中々に頑なだ。少しくらいなら胸を見ても許す気なんだけど。

 

「すごく似合ってるね、スーツ。」

「えっと、はい。ありがとうございます。

 高校出た時に測ってもらって、最近できたんです。」

「そっか。」

 

 ふと、彼と目を合わせ、正対してこうやって話すのは初めてだと気付いた。

 それと、まともな会話の受け渡しをできることも。

 結構空気も読める子だし、こう言った場で私の格を下げるようなことはしないようだ。

 

「今日はお招きありがとうございます。」

「ん、いいよ。

 お詫びってだけじゃなくて前から誘われてたし。」

 

 そろそろ男の子を連れてこないと、予約を入れてくれた人に申し訳ないと思っていたところでもあるのだ。

 そういうふうに思っていた私に、山上君が腰を深く曲げ、頭を下げる。

 なるほど、彼氏彼女ではないというのを周りに見せているのか、と感心してしまう。

 そんな男の子を、ルカに一言かけたとはいえ一人だけでこんな場所に呼んでしまった。

 私らしくない気もする、けど、それが私だろう。

 そう強がって、強張りそうな笑みを緩めた。

 

「それじゃあ、行こうか。」

 

 腰を戻し、立ち尽くす山上君の前に椅子から立ち上がる。

 久しぶりに履いたヒールの高い靴は、あの日より少しだけ私の目線を山上君に近くしてくる。

 ヒゲは無い。

 少し日焼けしているような気もするが、大きな傷も色も無い。

 整っているわけではない、だが、嫌悪感を沸かせるような点もない。

 不思議と擁護点を探そうとしている自分に気付き、貼り付けた笑顔の下から吹き出しそうになってしまう。

 

「よろしくね。」

 

 言いながら、左手を差し出す。

 ドレスグローブに二の腕まで包まれた私の腕は、黒い絹の生地が艶やかに照明を弾いている。

 ごくりと、唾を飲む音が部屋のそこかしこから聞こえる気がした。

 視線が突き刺さるのがわかる。

 スポットが当たるような、世界の重さが自分に注がれるようなあの感じ。

 舞台上で私のために時間が流れるような、そんな気持ちよさが背筋を駆け巡る。

 その快楽と、目の前のほんの少しだけ顔が近くなった男の子に、胸が動いているのではないかと思うほど、胸が重く鳴った。

 

「まぁ、はい。

 頑張らせていただきます。」

 

 言葉と共に、山上君が私の手を支え、立ち位置を変える。

 自然と私の腕が彼の腕に絡まり、彼の右腕を私の腕が抱き込む形になる。

 舞台上ならともかく、日常でこういったエスコートは初めてだ。

 抱き込んだ腕の太さは、グローブ越しに筋肉と、その底に蓄えられていた力を感じさせてくる。

 じわりと染み込んでくる温度のせいか、私の体温まで上げられている気がする。

 

「ボーイさん、良いかな?」

「え……

 あ、はい!

 こちらへ。」

 

 トレーを持ち、部屋を歩き回っていたボーイさんに声をかける。

 時間的に問題はないはずなので、上階へのエレベーターを使わせてもらおうと声をかけたのだが、どうも今の私は思っていた以上に魅力的なようだ。

 美しい女性や、色香のある魔女など見慣れているだろう彼らの目を一時とはいえ奪えるとは。

 今の私を舞台に上げれば、どれだけの耳目を奪えるのか。

 そんなことを思いながらも、体の側から感じる体温に口角を上げながら案内を受ける。

 

 ここに登ってきたのとは違う、装飾が施されたエレベータの扉を開けてもらう。

 少しだけ先を、私を導くように歩く山上君と共に四角い躯体に入った。

 ロビーのように絨毯が敷かれ、磨かれた壁材はシンプルながら安っぽさもない。

 そんなエレベータがゆっくりと動き出した。

 ふと、目を少しだけ左上にやる。

 男の子としても長身な山上君の顔は、私の目線の上にある。

 見上げるように彼の顔を覗き込むと、少しだけ瞼が下がっている。

 上質な空間、触ることすら嫌になるように整えられた空間に、彼は少しばかり疲れているのだろう。

 何でもないかのように、落ち着いて見えた彼の小市民な部分を感じられて心の弱いところをくすぐられたような気がしてきた。

 

「どうしました?」

 

 首を傾げ、私を見ながら私にそう問うてくる山上君。

 表情を変えたつもりはなかったのだが、どうやら彼には私の心の動きを感じられたようだ。

 あの日以前なら、私はどう思っただろうか。

 残念ながら、少しの準備が必要なくらいには今の私の心からはあの日の感性は離れすぎているようだ。

 悔しいが、それも仕方ない。

 抱き込む彼の腕に少し力を込め、見下ろす目に応えた。

 

「何でもない。

 ただ、可愛いなって思っただけだよ。」

 

 あぁ、今のはわかる。

 俺の目に映った自分がですか、って返そうとしてやめたな。

 そして、私に気づかれたことも気づいたんだろう。

 眉を顰<ひそ>めながら、顔を顰<しか>めないようにしようとして苦み走ったような顔になっている。

 そんな子供のような生の姿を初めて見た気がする。

 

「ルカは、何か言ってたかな?」

 

 無言の狭い空間があまりにも心地よくて、それを弾き飛ばすために山上君に問いかける。

 

「一緒に行きたいって駄々こねてました。

 おかげで昨日は晩飯も俺だったし、日付変わるまで接待させられてましたよ。」

 

 子供のように転げ回るルカが浮かんで、歪んだ笑みが浮かびそうになる。

 目にしたい、という気持ちが湧くとともに、私がルカの心を乱したという事実に暗いよろこびを感じてしまった。

 つい抱き込んだ山上君の腕に力が入りそうになったところで、でも、と山上君が言葉を続けた。

 

「『恭香さんが私じゃなくて元を呼んだんだから。

  元じゃなきゃダメなんだと思うから、我慢する。』って、今日の身代を手伝ってくれました。」

 

 その言葉を理解した瞬間の私の顔は、一体どんな顔だったのだろう。

 磨かれたエレベーターのドアに反射する自分の顔を認識する前にドアが開き、よそゆきの笑顔を被れたのは幸運だったのかもしれない。

 入り口に侍るドアマンさんに会釈し、二人でレストランに入る。

 

 豪華な調度品が所狭しと置かれているわけではない。

 ただ、美術館で何度か見たことのある絵画や、知り合いの経営者さんが愛用していたソファによく似たものなど、視界に入る全てが主張を抑えながら空間の調和を目指していることがよくわかる。

 

「こっわ。」

「ふふ、君もそんな感性あったんだね。」

 

 急かすように山上君の腕を圧し、彼の緩みそうになる歩みを続けさせる。

 いつの間にか私たちの前を先導するように歩く男性、おそらくコンシェルジュに相当するだろう壮齢の男性に勧められ、席へと着く。

 座り心地は、悪くない。

 いつだったか、高い椅子は正しい座り方を強制してくると言っていた女性がいたことを思い出した。

 

「さぁ、今日は私の奢りだ。

 思う存分楽しもうじゃないか。」

 

 向かいに座る彼に、私はそう告げた。


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