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よいのくちより ともがたり  作者: ウタゲ
三章 ともにわらえば あしたをつづる
134/145

12 単サス

「信乃、君は……」


 なぜこんなところに。

 そう続けるはずの唇は、微かな震えだけを残し、声を出してはくれなかった。

 こんなこと、役者としては二流と自負している私ですらやってはいけないこと、三流四流を下回る、大根役者の所業だ。

 いつもなら、きちんとした私なら。

 大学生から、王子様へ。

 簡単に付け替えることができたはずなのに。

 なのに、ただの私が真っ黒に思える慕情を叩きつけられたせいでうまく口を回せない。

 分かっていれば、準備していれば、誰に何を言われたとて返せるはずなのに。

 あぁ、くそ。

 この男だ。

 ルカの愛するこの男の前にいると、苛立ちと安心感で好き勝手言ってしまえるから。

 だから、私になってしまうから。


「大丈夫かい?

 久しぶりだけど、そんな姿は初めて見るよ。」

 

 気遣いか、確認か。

 中途半端でどっちつかずな言葉が、やっとの思いで口から放たれる。

 間違った。

 この子は、まずは優しく挨拶から入るべきだった。

 

「劇団のインスタ見ました。

 先輩が映ってて、別れてても見たくって。」

 

 私の言葉を無視し、信乃の声が放たれる。

 見開いているわけでもないのに、ギョロリと私を睨む目からは砂が落ちるように正常な光が剥がれていっている。

 見覚えがあるその異様な光。

 サロメ。

 高校の時だったか、実力派の劇団がやっていたそれを舞台袖から見せてもらった時を思い出す。

 明朗に、滔々と言葉を紡ぐその姿に言いしれぬ怖さを感じたことを思い出させる、異様な、いや、いっそ異形な迫力だ。

 

「誰ですか、そいつ。」

 

 目線が私から外される。

 鋭さを持った粘液のようなそれが私以外に向けられ、恥ずかしいことに少しだけ安堵してしまう。

 いきなり話を振られた山上君は訝しむような目で信乃を見た。

 いつも通りなその姿に正直ムカついてしまい、おかげで今の状況を少しだけ忘れて精神的なリセットができた。

 

「別に、ただの友達の友達だよ。

 関係で言うなら今の信乃の方がまだ深いよ。」

 

 歩み寄って、落ち着かせよう。

 そう思っているのに、膝が硬く動きも渋い。

 革底が地面を擦る感触が気持ち悪い。

 一呼吸欲しい、しかしここで深呼吸は悪手だと私の本能がいつも通りを強要してくる。

 

「ねえ信乃、どうしたのかな。さっきから君はずっとアレを見てる。

 いつも私と話してた時の、私を見てくれた信乃の方が、私は好きだな。」

 

 目尻を下げる、語調を穏やかに、滑らかに。

 圧により、隠してしまいそうになる手を、意識して自然に体の横に。

 彼女がいつも欲していた、彼女を包み込み、肯定し、微笑みかける私を心がける。

 しかし、私は勘違いをしていた。

 

「私の事は、名前で呼んでくれるのに。」

 

 ぐり、と音を当てたかと思うほどにアイソレーションで眼球だけが私をまた捉えてくる。

 一度、覚悟ができたことで余裕ができた。

 改めて私を見据えてきた目に、私は自分が必死にやってきた演技が無意味なものだったことを思い知らされる。

 

「あの女なら、我慢できたのに。

 なんでこんな男と話してるんですか。」

 

 もう、彼女は私を見ていない。

 いや、最初から私を見るつもりなんかなかったのだ。

 だって、彼女が見たい私は、もう既に決まっていたのだから。

 

「私には! そんな悪口言ってくれなかった!!」

 

 言うはずがない。

 私が信乃と一緒にいた時間はあくまで彼女に付き合ってあげた時間に過ぎなかったのだから。

 残酷なことだが、嫌われるほどの価値も、私は彼女に感じてはいなかった。

 ただただ言うことを肯定し、落ち込みがちなメンタルを保護してあげて、自分なりに徳を積んだ気になれるだけの、言っては悪いが愛玩用の付き合いでしかなかったのだ。

 

「先輩、私は変わりました。

 あの時と違って、大学も入れました、お金だって持ってます。

 先輩を追うこともできました。いつまでも先輩を待ってるだけの私じゃなくなったんです。」

 

 何も変わっていない。

 思い込みの形が自分本位で間違いを認めるのに時間がかかるところも。

 着ている服も、スタイルも、私と居たあの時のまま。

 時を経て、立ち位置も金銭的な余裕も変わったのだろうが、彼女自身は何一つ変わって、いや、積んでいない。

 憧れをそのままに、金と年、そして焦りにも似た執念だけを重ねて今ここに立っている。

 友達は?知り合いは?

 おそらく、新しい出会いなどなかったのではないだろうか。

 彼女を誰も止めなかった、変化のきっかけになってはくれなかったのだろう。


「ねぇ、先輩。

 今度は、大丈夫ですよね?

 今の私は、先輩と一緒にいていいですよね?」


 よく見ようとすれば、私のために全てを切り捨てた。

 一方、別の見方をすれば、私の与えたぬるま湯を求め、外に出ることを疎んだ。

 意思か、怠惰か。

 振り切ったのか、閉じこもったのか。

 答えはわからない、ただ、今の信乃を見て「よくやったね」と褒めてやる気には、これっぽっちもなれなかった。

 

「信乃。」

 

 声色を変えずに、名前を呼んだ。

 その瞬間、信乃の表情が引き攣った。

 

「嫌。」

 

 恐れるような目で、私を見る。

 裏切られたと、その表情が語っていた。

 

「嘘。」

 

 震える唇で、信乃がそう呟く。

 少しだけ、ホッとする。

 信乃の中で、私はまだちゃんと信乃のことを考える女と思われていた。

 そして、信乃自身も今の彼女を少しは悔いていると言うことだろう。

 

「信乃。」

 

 歩み寄り、肩に手を置く。

 足は止まらなかった。

 信乃から私に対する感情が、色濃く粘つくものであっても害意を感じなかったせいなのだろう。

 それが、私にこんな迂闊なことをさせてしまった。

 

「あのね」

「嫌ぁぁぁぁぁ!!!」

 

 手が弾かれた。

 じんと痛む手首。

 思わず後ずさり、痛む箇所を握る。

 そんな私の姿を視界に納め、信乃の表情が愕然としたものに変わり、にわかにその眼窩から雫をこぼす。

 一瞬、高校の時に見た信乃の泣き顔を思い出した。

 だが、その表情も一瞬。

 次の瞬間には、あたりを眼球だけで見回し、私の後ろにいる山上君を見る。

 同時に、いきなりその顔が歪んだ。

 躁鬱、感情の制御がろくに効いていない。

 悲しみも怒りも、あまりにも突然で。

 あぁ、いい勉強になるな、なんて現実逃避しながら頭の隅で考えてしまった。

 

「わたっ…! 違、私じゃ、お前、先輩がぁぁ!!」

 

 夕陽に照らされたその顔は、私の知る信乃が完全に抜け落ちていた。

 誰そ彼、なるほど、今目の前にいるこの子が誰なのか、私には理解できなかった。

 そのせいか、彼女が何をしようとしているのかを把握するために一拍遅れてしまう。

 腰に回した手、鞄に手を入れる姿に危機感を感じながら、何をすることもできなかった。

 動いたのは、私ではない。

 この場で最も私の好感度の低い、あの男だった。

 

「すんません。」

 

 声とともに、右肩が掴まれる。

 服越しの掌、感触だけでわかる厚く硬いそれに、優しく私の体を後ろへ下げられた。

 

「だいじょうぶ。」

 

 手で私を制し、前に出る山上君。

 肩に置かれた手はむかつくことに暖かくて、優しかった。

 そこから広がった温度が私を絆したのか、二歩三歩と後退し、ぺたんと地面に腰を落としてしまった。

 太陽に照らされた後に残る暖かさがじんわりと腰に登ってくる。

 

「あ。」

 

 意味のある言葉ではない、つい口から漏れた言葉というよりはただの音。

 ポカンと口を開けた形で、私はいきなり視界を占有しくさった背を見上げた。

 右手ではスマホを持っていて、私と山上君の位置を入れ替えながら、彼は自身の口元にスマホを近づけた。

 

「すいません、ちょっと暴れてる人に巻き込まれてます。

 枝垂駅近く、八番駐車場の東側です、交番からでもお願いします。」


 早口に、しかししっかりとそう言うと、山上君は私にそれを肩越しに投げて寄越した。

 堅牢そうなケースと、実用性だけを考えたようなザイル地のストラップは少しだけずしりとしたが、万が一私が落としてしまっても問題なく使えるだろうと思わせた。

 大きめの画面、点滅する録音の文字と、画面中央に表示されている警察の文字に、彼の行動がクロック数を半減させた私の脳でも理解できた。

 間違って通信を切ってしまわないように、こわばって震える指先を必死に抑え、スマホの短辺に搭載されたスピーカーに耳に近づける。

 落ち着いてください、すぐにそちらに向かいますから、そんな励ますような言葉に、不意に涙が眼窩を越えそうになってしまう。

 お願いします、そう幾度も掠れる声が私の口から漏れ、その度に電話口の向こうから私を落ち着かせるための声が何度も聞こえてきた。

 

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