10 潤色
私が混ざり、もう一人の年配の店員さんも混ざり、気づけば四人でルカに沿うフラワーバスケットを選んでいた。
途中、山上君が三センチ四方くらいの黒いキューブ型投射機を出して彼のスマホ内のルカの写真を壁面に投影し、あれでも無いこれでもないと話し始めたのはいい感じに頭が茹っていたと今になって思う。
そんなこんなで、一応想定していた花籠から少しづつ色や花を変え、予算も範囲内に納められた。
店員さん達も会心の出来だったのか、至極満足そうな顔をしていたのが印象深い。
花の配送は山上君個人で選定した信頼できるところに。
そうして一区切りついて花屋を後にした頃には気づけば短針が店を訪れた時から数字を一つ半ほど跨いでいた。
ほんの少し足軽に歩く山上君の横につき、彼のスマホから奪い取った写真を見ながら歩く。
チラチラとスマホの時計に目をやる彼に、急ぐのかい、と問えば。
まぁ、それなりに、と返された。
(時間、プレゼント。……あ、もしかして。)
大きめの幹線道路を一つ超えたあたりで見慣れた路地が目に入る。
そこに足を向ける山上君の隣で、あぁ、と合点がいった声を出した後、答え合わせのために彼に問いかけた。
「この付近、時間指定ってことはヒマワリのお爺さんのところかな?」
かつ、と山上君のブーツのつま先が地面を擦り、硬質な音を立てた。
驚くように目を開く彼に、やっと綺麗に一本取れた気がしてクスリと笑いが漏れた。
「先輩、知ってるんです?」
「知ってるも何も、ほら。」
右足を軽く浮かせて、そこに指を指す。
明るいレザーブラウンの革靴、ウイングチップにほんの少しだけ細工をしてもらった、私にとっては会心の靴。
知る人ぞ知るビスポークシューズの老舗店『トゥルヌソル』。
仏語で向日葵を意味するそのお店は男女問わず愛用者が多く、月に十足も売らないにも関わらず長年店を構え続けている。
「中々やるね、山上君。
うん、あのお爺さんの靴なら、誕生日のプレゼントにぴったり、ルカの美しさにも負けはしないだろう。」
にやりと彼に笑みをぶつけ、彼の半歩前に出る。
少し私に遅れる形で続く足音にやっと溜飲が下がった気がする。
「でも本当にお目が高いね。
どこからあの店のことを?」
「高校ン時ですかね。 知り合いに教えてもらいました。
一回見て惚れて、そんで予約入れて。
今年に入ってやっと足形取ってもらえましたよ。」
二年、下手すると三年。
コネなしの一般男子が予約するとすればそんなものだろう。
むしろ追い返されなかっただけ幸運だ。
「運が良かったねえ。」
「そう、みたいですね。
ルカの足型取りに何回か来ましたけど、追い返される人何人か見ましたよ。」
「ご本人曰く、終活がわりに好き勝手やってる、ってことだからねえ。」
ケタケタと笑い、私は脳裏に丸眼鏡とワッチをつけ、目を爛々と輝かせる老紳士を思い浮かべた。
靴を作ってもらった関係の延長として補修依頼などでも話したことはある。
最近は顔を出していないが、あのお爺さんとの話も結構楽しいものだ。
「先輩の靴も、ってことならやっぱり安心ですね。」
突然の私を持ち上げるような言葉に振り返る。
人通りのない、細い路地はよく声が通る。
「おや、ある意味私とルカがお揃いになるんだけど、いいのかな?」
「えぇ、ルカを選んだ人が選んだ靴ですから。」
思わぬ言葉に、ポカンと口を開けてしまった。
嫌味のつもりで言った言葉が綺麗に返されてしまった。
私とルカを持ちあげてはいるが、その言葉の基礎部分は、自分がルカに愛されているという事象で固められている。
つまり、一言も口に出さずに私にマウントとって来たのだ。
あまりにも鮮やかな言葉に、怒りよりも疲れが浮かんでしまい、はぁ、と半目になりながらため息をつく。
「あぁ、あぁ、もういいよ君は。
それで、時間は?」
「えー、と、五分二十秒前ですね。」
「ヨシ。」
革の底と、ゴム底がアスファルトを叩き、歩みを止めた。
私たちの目の前には蔦の絡まる木戸がある。
お爺さんは時間をやたらと大事にする。
指定時間から五分前の間。その時間以外の訪問では気持ちよく仕事ができないと公言しているため、間違ってもその時間を外してはいけない。
守っている限りはニコニコと機嫌良さげに笑う人なのだが、話に聞けば時間を守れなかった人は容赦なく叩き出され、靴の完成も後に回されてしまうんだとか。
「カウント。」
「……十、九、八。」
スマホの秒数を読み上げる山上君に合わせ、私も自分の腕時計を覗き込む。
機械式のそれは山上君の読み上げる時間にピッタリと合っている。
「時間です。」
言葉と合わせ、念の為ワンテンポ置いてドアを開ける。
アンティークなドアに反し、金属の軋みや木の擦れる音はほとんど聞こえない。
ふわりと香る革と、油、鉄の匂い。
窓から入る陽光はとても少ないながら、照明器具のおかげで部屋内に暗さは感じない。
釣られた皮の下に綺麗に並べられたやっとこ、釘、金槌に鞣し用の台と器具。
まるで童話の中から出てきたような、靴屋さん然としたフロアがそこにはあった。
「いらっしゃ、ん? お前さんは……」
カウンターの向こうからこちらを見るご老人。
チラリと丸眼鏡越しに向けられた視線は私の顔を一瞥するとすぐに足元に向く。
分かってはいるのだが、私の顔よりも私の靴にばかり笑顔を向けられるのは、少々悔しさのようなものが湧いてくる。
「六年もの、ディアスキン。なめしの硬さも随分細かく注文したもんだ。
懐かしいな。 良い踵の減り方だ。」
ふっと笑いながらそう言われ、ありがとうございます、とだけ返す。
手入れを褒められるのは嬉しいのだが、どうも最近私の顔を褒めてくれる人が少ない気がする。
もっと世界は私をほめそやしてくれても良い筈なのだが。
「そこの鉄板靴の兄ちゃんは、受取かい?」
「はい、そうです。
見せていただいても?」
「構わねえよ。
けどどうせなら、あのお嬢ちゃんも連れてきて欲しかったねえ。」
はぁ、と、わざとらしくため息を吐きながらカウンターに置かれていた紙箱をずいとこちらに寄せる。
少し足早に寄り、山上君が靴を箱から取り出す。
明るく、艶やかで先細りのシルエット。
山上君が紙に包まれたその靴を持ち上げた瞬間、私の脳内にパンツルックとロングカーディガンを羽織った清楚ながらも活動的なシルエットのルカが浮かび上がってきた。
パンプスやローファーではなく、靴紐を通したそのシルエット。
薄い飾りがシンプルな外形を引き立て、脳裏に描くだけでルカを立てることが想像できる。
ほう、とため息が漏れた。
私のものか、もしくは山上君のものか。
「気に入ったようだな。
後はお嬢ちゃんに履かせて、定期的に見せに来な。
半年もすりゃあ、嬢ちゃんのもんになる。」
キラキラと目を輝かせる山上君の表情に満足したのか、楽しそうに言うお爺さん。
ブラシの毛、ワックスの色、シュークリームの種類。
細かな手入れの方法をメモに記しながら山上君は熱心に聞いている。
真正面から靴のために熱意を見せる彼にお爺さんも嬉しそうに話しているが、私はその男性二人のやり取りではなく、カウンター奥から見える作業場に目をやっていた。
今回の靴、その革の質からして明らかに一枚物から切り出している。
そしてルカの足の大きさからして、男性物と比べれば半回りは小さいはずだ。
(割と狡いところのあるこの人なら、きっと…)
そう思い、覗ける範囲であちらこちらと目をやれば、目的のものが干されていた。
(やった、やっぱり。)
ふふ、と笑いが漏れる。
靴の説明を一通り受け、ありがとうございましたと頭を下げる山上君。
靴の面を触らないように丁寧に持ち上げ、箱にしまう彼の表情は彼らしからぬ少年のような誇らしさに溢れていた。
「それじゃあ、失礼します。」
「あぁ、それじゃあな。」
「またね、山上君。」
ひらひらと手を振る私に、山上君が少し驚いた顔で私を見る。
ただ、その顔も一瞬でまぁいいか、と思い直したのか、彼は私に頭を下げるとドアを押し、店の外に出た。
うん、あまりにもあっけなさすぎて私の心を逆撫でしてくる。
彼のような男はモテてはいけないと、改めてそう思った。
「んで、何だ?
靴の手入れならきちんと予約入れな。」
「いやいや、それはもちろんですよ。
ただ、あんなに素晴らしい靴なんだから、きちんと揃えたいなあと思いましてね。」
その私の言葉に、眼鏡越しのお爺さんの、いや、ごうつくジジイの目が鋭くなる。
やっぱり分かった上でやってたか、この爺さんは。
「綺麗な革でしたよね。底も面も一枚から引き出した素晴らしい靴でした。」
「あぁ、なかなかの革だった。」
「じゃあ、やっぱりきちんと締めないと。
シャイロックにはなりたくないですから。」
言いつつ、指を刺す。
向かう先の革に既に当たりがついていたのか、イタズラ小僧のような顔でさも楽しそうに顔を縦横に走るシワをさらに深くしてクシャりと笑みの形を作った。
「あれ、おいくら?」
「五…いや、四だな。
どうせそのままでいいんだろう?」
「えぇ、もちろん。」
ふん、と鼻息を漏らし、カウンター奥に引っ込んだ後、私が見ていた革を持って出てくる。
改めて見るが、いい品だ。
鞣しも磨きも十分に一級品、こんなものを別々にしようとしていたとは、職人としてだけではなく商売人としても一癖ある人だ。
「はい、どうぞ。」
「おい。」
紙袋に保湿用の袋に包んだ革を入れたものを受け取り、カードを出す。
ジト目でこちらを見るが、欲深な爺さんに対するちょっとした嫌がらせなのだから見逃して欲しいものだ。
「分かってますよ、冗談です。」
そう言い、紙幣を出してカウンターに置く。
カードは難しい、ということでおばあさんが一緒にいる時でもないと、カード決済してくれないのだ。
変わらないな、と笑いながら出した紙幣の数に満足したのか、毎度、と懐にしまい込んだ。
「それじゃあ、今度は靴のメンテに来ますね。」
「あぁ、なんならそれの細工ができないってんなら俺の方でやってもいいぞ。」
「いーえぇ、大丈夫です。」
にっこりと笑い、ドアを押す。
山上君の靴のプレゼントを飾るような形になるのは少々悔しいが、思いもおかけずに素晴らしいプレゼントの種ができたのは幸運だ。
靴を切り出したあまりの革。
明らかに別の用途に使うつもりだったのだろうそれを見つけた時に脳に走った衝動のままに革を買い取った。
知り合いの革細工士を何人か脳内に思い浮かべ、誰に頼んだものかと考える。
あの人は無骨、あの人は仕事が遅い。
作品の癖から、今回の私のプレゼント、ルカに捧げるベルトを作るのに過不足ない人を選定する。
ルカはきっと山上君のプレゼントなら喜んで履くだろう。
それに合わせた、同じ革で作ったルカに合わせたベルト。
靴を見た瞬間に思い描いたルカの姿がさらに引き締まり、その輝きを増した。
あぁ、素晴らしい。
(私の物だけを身につけてもらえないのは残念だが、ルカならきっと革に気づく。
そうすればまずは私のあげたものを身につけてもらうという最初の一歩は完璧だ。)
「うん、いいね。」
「何がっすか。」
ドアから路地に出て少し歩く中で思考を整え、ついつい口から出た言葉。
それに応えられてしまって、思わずびくりと身が竦んだ。
「何だ、帰ってなかったのかな?」
「まぁ、一応。
花のセンスには世話になったので。」
面倒だけど、と言葉にする必要もなく顔で言ってくるその姿に少し怒りを覚えた。
私の思ったとおりに帰ってなかったのも嫌だし、独り言を聞かれてしまったのも嫌。
そもそも私のような美人を待つのであれば恋い焦がれ、そわそわと落ち着かずにしているのが定石であろうに、照れも恥じらいもなく、ただただ面倒くさそうな雰囲気が一番嫌だ。
ただ、嫌だ嫌だと言ってはみたものの、高純度の嫌悪感というよりは、そう、この感覚は苛立ちのほうが近いだろうか。
「買い物の邪魔はできませんので、待ってました。」
「あぁ、そうかい。」
ぼうっとした、私に興味があるのかないのかわからないようなその目に不思議ないらだちを感じながら、そう返す。
革の入った紙袋を手首にかけながら、腰に手を当てる。
無意識に、彼を威嚇してしまっているのだろうか。
そんなことを冷静を装う脳の片隅で考えながら見ていると、すっと頭を下げてきた。
彼の頭頂部が私の胸よりも下に降りる。
美術館でおばあさんに下げたときのような、しっかりとしたお辞儀だ。
下げた頭を直し、じっと私を見下ろしてくる目を見返してやる。
寒寒とした、どこか私に興味がないような色ではない、しっかりとした私を見ようとする意思の伝わる目だった。
「花と靴、ありがとうございました。」
「おや。」
花は、まぁいい。
私なりの構想も兼ねて、試しの意でもあったのだから。
その結果、山上君の方からルカに渡される花束がレベルアップしたとしても、私はそれを踏まえたものを、被らないものを渡せるのだから十分にプラスだ。
彼に良し、私も良し。
両得とはいえ、私がいなければ私の感性も合わせることができなかったのだから彼からの謝意を受けるに十分に値する。
しかし、靴とは。
「私が、何かしたかな?」
「あの爺さんの目を楽しませてくれましたので。」
「あぁ。」
そうか、それがあったか。
ルカがいない場合、山上君一人であのお爺さんを相手にしていただろう。
靴を作った、というのであれば何度かはルカに会っているに違いない。
受け取りの際にあの子の笑顔を見れないとなれば、老いてまだまだ女好きの気をすり減らしていないところのある人だ。
もっと機嫌を損ねていたかもしれないし、下手をすれば手入れに関しても今日のように懇切丁寧に教えなかったかもしれない。
「先輩の顔と、その靴を見て明らかに俺に当たる態度がひとつ柔らかくなりました。」
うん、そのあたりはそうだったかもしれない。
私からしてみれば普通だったが、もし男だけの場なら、きっともっと強張った空気が彼とお爺さんの間に漂っていたのだろう。
「あいつへのプレゼントです、笑顔で渡してもらえて、本当に嬉しかった。」
だから、ありがとうございました。
先ほどよりは浅く、しかし心のこもった、実に舞台映えのする立礼だった。
ふふ、と口から笑う言葉が漏れた。
「いいさ、私がルカのためにしたことだ。」
「だとしても、です。」
「そっか。」
ルカに対しては誠実で、結果的にそこ以外にもその正しさが向くのか。
変に要領が良いよりも、うん、このぐらいの方がルカには負担が向かないのかもしれない。
「君、結構体育会系?」
「いえ、貴方相手に瑕疵残しとくと後々面倒くさそうなんで。」
「前言撤回。
君ぁ本っっ当に無礼だなぁ。」
分かってはいたが、この男ときたら。
「しかし、そうか。
やはりルカはあの人から見ても魅力的だったんだね。」
「はい。
好奇心旺盛だし、素直に感動を表すやつですから。」
「わかる。」
熟練のキャストさん、話をさせる人たちがするような手管をナチュラルにしてのけてくるのだ。
黒髪の、スタイル抜群で、声の通る、良い匂いの美少女が。
自分の挙動に、一語に、こだわりに興味津々と踏み込んでくる。
そんなもの、ご年配の方々からすれば可愛くて仕方がないに決まっている。
私ですら気をつけなければルカ相手に気持ちよく話し続けてしまうのだ。
いわんや、偏屈ながらその技を磨き続けた人となれば。
「罪な女だねえ、私のルカは。」
「中学校入ってからは、素直に感情を出すことも増えましたから。
全部俺のですけど。親二代公認で。」
我慢だ、私。
今日の靴で蹴るのはダメだ。
「ふぅーーーーーーー……
良し。」
「どんだけ労力必要なんですか。」
細く、長く。
六秒かけて腹筋に力を入れて肺と腹から空気を出す。
溜まった物を吐き出せば、すっきりとするものだと決まっているのだからスッキリするのだ。
「あー、すっきりしたらお腹すいたな。」
ふと、時計を見る。
昼はすでに周りきり、もうすこしすればカトゥルール、四時の軽食にちょうどいい時間になりそうだ。
そう思いつけば、胃の中身が随分と寂しいことに気づいてにわかに空腹感を覚えた。
「山上君。」
「はい。」
「あの店を知ってるってことは、このあたりに何度かルカと来たんだろ?」
「え?
あぁ、はい。」
よし。
「それなら、このあたりで一番ルカが喜んだ店を教えてくれないかな。」
「はぁ。」
大学で食事を一緒にすることもあるが、いつもバランスよく彩られたルカらしく可愛いお弁当を食べる姿はいつも幸せそうで、未だに何が一番好きなのかは見切れていない。
この際、一応彼氏をやっている彼に食事の嗜好を吐けるだけ吐いてもらおうと思う。
誕生日のような個人情報と違い、付き合いから類推されてもおかしくない情報。
それは貯めておくに越したことはないのだから。
「なんなら、私が奢ってあげようか?」
「いえ、いらないです。」
「そうか、じゃあ頼んだよ。」
ぽん、と肩を叩く。
うまく載せられて、何となく案内する空気になった。
やられた、という顔になる彼に、にまりと笑いかける。
これも一つのドアインザフェイスといったところか。
「さぁ、行こうか。」
「…………あぁ、はい、わかりました。」