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第9話 不完全な聖女②


「────」


 息をするのも忘れて、呆然とする。


 な、に……? 不完全な……聖女?

 私……私も不完全な、聖女……?


 だってこのメッセージの人、私と同じ体質……。

 聖女の力を使うと負荷がかかるの、同じだもの……。


 なら……それなら……今のまま聖女として活動を行えば、私はいずれこのメッセージを残してくれた聖女と同じ運命を辿ることになるってこと……?

 つまり、それは……。


「…………」


 まるで自分の中の時が止まってしまったかのように固まる。

 瞬きもせずに、ただ目の前の残酷なメッセージを見続けることしか出来ない。

 突き付けられた現実はあまりに非情で、理解することを頭が拒否する。


 どうか逃げて生き延びて。


 不意にその言葉が強調するように光った気がした。

 気のせいだとしても、私の意識を正気に戻すには十分な効果があった。


 聖女の力を止めると、書類の文字はふっと消えて、元通りの真っ白な紙になる。


 ──逃げなきゃ、私は確実に死ぬ。

 それも、皆が目を背けたくなるような惨めな姿となって。


 でも逃げると言ってもどうやって?

 この城から抜け出して逃亡するなんて現実的に考えて無理だわ。


 なら聖女として街へ出向いている時に、何かしらのトラブルを起こして皆の気を逸らして逃げる?

 ……そんなに上手くいくとは思えないけれど。

 それに例えやってみたとして失敗でもしたら、もう二度と逃げるチャンスなんて──


「アイヴィ様?」


「!!」


 レグランに背後から声をかけられ、書類を閉じる。

 ガタン! と音を立てて椅子から勢いよく立ち上がってしまった。

 レグランは私の動揺に驚いたのか、目を丸くしている。


「な……何かありましたか?」


「あ……いえ、何でもないの。急に声をかけられてびっくりしただけよ」


 声が少し震える。

 心臓がバクバクと暴れていて、息が思うように吸えない。

 何とか平静を装おうとするも、上手くできていないのは自覚している。

 レグランから探る視線を感じて、私は目を合わせられなかった。


「そうでしたか。それは失礼致しました。あまりにアイヴィ様が動かないので眠られているのかと思いまして。……ところで汗が出ていますよ」


「え? あ、あら。まだ疲れが取れていないのかもね」


 自分でも気付かない内に、傍から見てもわかるほど汗をかいていたらしい。

 慌ててハンカチを取り出して汗を拭う。

 レグランが不信感を抱き、眉を顰めていることに気付いて、汗は更に滲んでいく。


「お部屋へ戻ってお休みになって下さい。書類は私が返しておきますから」


「え……ええ」


 レグランはテーブルの上に置かれた書類を手に取ると、パラパラと捲って念入りに確認する。

 私の様子がおかしいから、破ったりしたのかと疑っているのかもしれない。

 何をしていたのかは聞かれないのだから、隠されたメッセージを読んでいたのは見られていなかったようで、ひとまず安堵する。


「何か、気になることでも?」


 レグランは尋問するように鋭い目付きで訊ねてくる。

 心臓がドキッと大きく跳ねて、呼吸が止まりそうになった。


 ダメよ、これ以上動揺を見せたら。

 書類に何かあるって思わせたらダメ。

 今の私はジェナを演じられないほど心を乱されている。このままだとまずいわ。


 ──いいえ、落ち着いて。

 ジェナの処刑の時でさえ演じきれたのだから、私なら出来るはずよ。


 ジェナなら、動揺を隠して持ち前の気の強さで押し通すはず。

 相手に付け込まれるような表情なんて絶対にしないの。

 ほら、レグランから目を逸らしてはダメよ。


 私は一度口元を引き締めてから、ゆっくりと口を開いた。


「そうね。私の前の聖女達は随分働き者だったみたいだから、私もこれだけ働かされるかもと思ったらゾッとしたのよ」


 レグランはその懸念は不要です、と首を振る。


「いえ。アイヴィ様はお身体が弱いので、そこまで激務にはならないかと思います。王家はそこまで鬼ではありません」


「そうかしら。私が死なない程度に使ってやろうと思ってるんじゃないの? 聖女なんて便利な道具、最大限使ってやりたいでしょ。現にこの記録には、馬車馬の如く働かされている聖女の姿がはっきり書いてあるじゃないの」


「道具だなんて……。アイヴィ様をそのように思っている人はいませんよ」


 少し戸惑った様子で否定するレグランを、嘘つきだと咎めるように睨み付ける。


「……レグラン。あなたは正直なところがいいと思っていたのに。そんな見え透いた嘘はいらないのよ。私に気を遣っているつもり?」


「いえ、本当にそんなことは」


「結構よ、聞きたくないわ。あなたも王家も何もかも信用出来ないのよ!」


 バタン! とわざと音を大きく立てて書庫から出る。

 廊下を早足でしばらく歩き、人気の無いところで立ち止まる。

 周りに誰もいないことを確認して、腹の底から思い切り息を吐いた。


 今日ほどジェナの存在に感謝したことはない。

 レグランを欺けたのかは不明だけど、とりあえずあの場を切り抜けられただけでも助かった。


 あのメッセージは、聖女である私しか読めない。

 レグランがあの白紙の紙を変に勘繰ってライナス辺りに話して、私に探りを入れようとしない限りはバレることはないはず。


 メッセージの聖女は、最終的に偽物の聖女扱いをされている。

 もしメッセージの内容がバレたら、私だって同じ扱いをされる可能性は十分過ぎるほどある。


 自分の命を削って人を救って、それで偽物の聖女扱いだなんて……考えただけで気が狂いそうだ。


「…………」


 頭が痛い。吐きそう。


 ひとまず一旦冷静になるために、私は自室へと戻ったのだった。





 夕食も断り、誰も部屋に入らないでと人払いしていたところ、ライナスがわざわざ私の様子を見に訪れた。

 一度は断ったものの、結局押し切られ、渋々ライナスが部屋に入るのを了承した。


 私はソファで足を組んで座りながら、あからさまに不機嫌オーラを醸し出す。

 ライナスが私と話したいと思う気を少しでも削ぐために。


「何の用? 今この通り機嫌が最悪だから誰とも会いたくないのだけど」


 ライナスは相変わらず表情を変えないまま、私の向かい側のソファに腰掛ける。


「体調が優れないようだとレグランから聞いたが、大丈夫か」


「別に心配するふりなんてしなくていいわよ。──ああ、明日の聖女の仕事が出来るか確認しに来たのね。それなら問題ないわ。お望み通りいくらでも働いてあげる。ほら、これで用は済んだでしょ?」


 ライナスにいくら嫌われようがもう構わない。

 今までは出来るだけ平穏に生きることを目標にして、ライナスとの仲を少しでも良くしたいと考えていた。

 けれどもうその必要はないのだから。


 だって、私がどんな道を選択しても、平穏なんて訪れない。


 だから悪態をつくのも、もう怖くないの。

 例えそれが誰かの逆鱗に触れて、私が処刑されることになったとしても、それはそれで別に構わない。

 聖女を続けて苦しみながらじわじわ死んでいくより、首をはねてスパッと終わらせてくれる方が、むしろいいかもしれない。


 ライナスは浅くため息をつく。

 私の無礼な態度に呆れたというよりは、腰を据えて話を聞こうと決めたような姿勢に見えた。


「随分荒れているな。何があった?」


「それ、本当に知りたいの? 私のことなんて興味ないくせに。聖女として仕事さえしてくれたらどうでもいいんじゃないの」


「私は君と敵対したいわけじゃないんだが……。何故そこまで私を責める言い方をする?」


「私が聖女だから気にかけてるだけのくせに、あたかも私のことを心配しているかのような態度に見せかけて来るあなたが偽善的で本当に反吐が出るのよ。それなら完全に無視してくれた方がマシだわ」


 聖女の私を利用したいだけのくせに、上辺だけの気遣いなんていらない。

 いっそ徹底的に冷たくしてくれたら、潔くあなたを憎めるから楽なのに。


 これだけのことを言ってもライナスは怒らない。

 自分の顎に手をかけて、何故か納得したように何度か頷いた。


「なるほど。聖女としてではなく、君個人を尊重して欲しいということか」


「はぁ? 別にそういうわけじゃ……」


「確かに私は、聖女だからと君を気にかけていた点は否めない。だが、口では色々言うものの、結局は自分の身体のことよりも目の前で苦しむ民を見捨てられない、不器用な君自身のことももちろん心配している」


 明らかに嫌われていると思っていたライナスから初めて聞く私に対する評価に、言葉を失ってしまう。


 ついこの前まで私の態度を快く思っていなかったライナスが、考えを変えた……?

 あれだけめちゃくちゃな悪態と失言を繰り返していたのに、とても信じられない。


 ライナスが人の機嫌を取るようなタイプではないとわかっていても、受け入れられなくてつい口に出してしまう。


「何よ、それ……。お世辞にしては下手すぎるわよ」


「世辞などではない。私が今持っている君への印象を述べているだけだ」


 ……どうして、そんなに私のことを良く見てくれるの。

 私のことを嫌ってくれていたら、罵ってくれたら。

 聖女から逃げることに罪悪感なんて抱かずに済むのに。


 ──でもきっと、今だけだわ。

 そんな印象、絶対に変わるわ。


「……どうせその評価もいずれ覆るわ。断言出来るわよ」


 私が逃げたらあなたは失望するでしょうし、もし聖女を続けたとしたなら、第二の聖女──つまりホンモノが現れる。

 その時あなたは一体どんな反応をするでしょうね。


 何だ、君は偽物だったからそれほど性悪だったんだな。納得したよ。君のような人が聖女だなんて、おかしいと思っていたんだ。

 ──そんな風に冷たく突き放すんじゃないかしら。


「既に散々な態度を私に取っている君に、これ以上印象が悪くなることなど無いと思うがな。……とにかく、君が聖女であることは抜きにして君には無理をして欲しくないと私は思っている。そこは信用して欲しい」


 ライナスの真剣な眼差しから逃れるように、目を伏せることしか出来なかった。


 今まで私がついた悪態を受けてもなお思いやりを見せるあなたは、まるで恋愛小説に出てくるヒーローみたいに優しいのね。


 でもヒロインは私じゃない。

 これはいつか現れる第二の聖女──本物のヒロインとライナスが結ばれるお話よ。


 アイヴィは偽物で、君が本当の運命の人だったんだな。危うく騙されるところだった。君を見つけられて良かった。

 そんなチープな結末かしら。


 ……そうね。もしもここが小説の世界なら、私がこの世界に転生してきた理由もわかるわ。

 私はジェナと同じ、ヒーローとヒロインを結ぶための障害になったり、花を添えるだけの役割を与えられたのね。


 引き立て役が転生した先もまた、引き立て役だった。──ただそれだけの話。



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