第5話 聖女の加護
数日後。
私はライナスと共に、ダークヴォルフという非常に獰猛な狼の魔物の襲撃に遭い、甚大な被害を被った地域へと向かっていた。
その地域へ訪問し、聖女の加護という名の結界を張るという、初めての聖女業務だ。
傷を癒すのと一緒で私にそんなことが出来るのか信用ならず、一応練習は軽くしておいた。
練習しているのを周りに勘付かれたくないために小さな範囲でしか結界を張ったことがないので、正直とても不安だったりする。
そして今馬車の中でライナスと二人、向かい合って座っている。
当然この前険悪な雰囲気になったことを引きずっており、話などするはずもない。
お互いにそっぽを向くように外の景色を眺めている。
口を開けばまた憎まれ口を叩いてしまうかもしれないから、会話がないのは正直助かる。
ライナスとの関係性が最悪なのは、もちろん良くないけれど。
だから本当はジェナを押し込めて、私の心の中の言葉をライナスへ伝えたいところだけど……。
それを毎回しようと思うと至難の業で、ジェナの言葉を物理的に噛み殺して口から血を流しながら会話しなけれはならない。
そんなの相手からしたら会話どころじゃないので、現実的な案ではない。
だから結局今もジェナが優勢のままなのだ。
ガタガタと車輪の回る音が気まずさを多少中和してくれるのが救いだった。
無言の空気にそこまで悩まされることなく、目的地へ到着する。
「ロラン・ノームへ到着しました」
馭者が扉を開けると、ライナスはさっさと降りる。
私も続いて降りようとすると、先に降りて待っていたライナスが手を差し伸べてくれた。
最低限の礼儀でも、私みたいに憎らしい相手に対しても欠かさないライナスの心の広さに感謝する。
手を取って馬車から降りた。
「あり……」
お礼の言葉を口にしようとしたら、ライナスはすぐに背を向けて歩き出してしまった。
「…………」
仕方ないわ。ライナスは私と極力関わりたくないだろうから。
それは私が招いたことだから、私が彼の態度に対して何か思う資格はない。
私はライナスと距離を取って、街へと向かった。
ロラン・ノームの街は酷い有様だった。
民家などの建物の外壁がボロボロに崩れ、無数の瓦礫が地面に転がっている。
救護の手が回っていないのか、魔物に傷付けられ座り込んで動けない人々の姿もあちこちに見られる。
「ひどいわ……」
思わず率直な感想を漏らすと、私の後ろに付くレグランが状況を説明してくれた。
「ロラン・ノームを襲ったダークヴォルフは近年異常繁殖していて、街に兵も派遣していたのですが……。突然集団で襲って来た奴らに対処しきれず、このような事態に陥ってしまったようです」
「それでこの街に私の加護……結界が必要なのね」
「はい。ロラン・ノームはダークヴォルフ生息地から近いですし、またいつ奴らが街を襲うかわかりません。次に同じような被害に遭えば街は壊滅しかねません」
レグランの説明を聞きながら街の様子を観察する。
崩れた瓦礫を運ぶ幼い女の子が、ふらふらと今にも倒れそうな顔をして私の前を通り過ぎて行こうとした。
ジェナの性格なら絶対に女の子を助けることしない。だって自分の服が汚れてしまうから。
だから私は動こうとしない自分の身体を奮い立たせるように、思い切り拳を握って殴り付ける。
「ふんっ!」
自分の胸元を殴ったら、勢いで男らしい野太い声が漏れてしまった。
気合いが入り過ぎたみたい。恥ずかしい……!
私の謎の挙動に一体何事かとレグランとライナスが私を見る。
恥ずかしさもあり、それを無視して女の子の手から瓦礫を奪い取った。
「これ、どこへ持って行くのよ」
私が女の子を見下ろせば、女の子は私の圧に慄いたのか、目を大きく開いて石像のように固まっている。
ああ、驚かせてごめんね。こんな言い方しなくてもいいのにね。
せめて子供にくらいは優しい口調で話しかけたいのだけど、無理に優しく話そうとすると口から血を出す羽目になるの。
そんな女に話しかけられたらきっとトラウマになるでしょうから、キツい言い方になるけどごめんね。
「ちょっと、何ボーッとしてるの? どこへ持って行けばいいのか聞いてるんだけど?」
「あ、あの……あっちに……」
女の子は怯えて、ほとんど泣きそうになりながら瓦礫が集められている場所を指差す。
弱い者虐めをしているようでものすごく心が痛む。
「わかったわ。あなたは少し休んでなさい」
「え、で……でも……」
「聞こえなかったの? 同じことを二度も言わせないで頂戴」
女の子は顔を真っ青にして首を縦に何度も振ると、逃げるように走り去って行った。
心の中で女の子に死ぬほど謝罪しながら、私は瓦礫を持って行こうとする。
「……もう少し言い方というものがあるだろう」
「!」
ライナスが苦言を呈しながらも、私の手から瓦礫を取り上げた。
そしてそのまま代わりに持って行こうとするものだから、レグランや周りの兵士達が慌ててそれを止めようとした。
「ライナス様! 私が……」
「いい、レグラン。お前はアイヴィ嬢を見ていろ。何をするかわからんからな」
ライナスは瓦礫を持とうとする他の兵士を手で制しながら、瓦礫の集まる広場まで歩いて行った。
ライナスの真意がわからず、レグランに尋ねる。
「今のは、余計なことをするなと私に釘を刺したのかしら」
「いえ、そうではなく……。アイヴィ様が突拍子もない行動を取るかもしれないから気にかけろと私に言われたのだと思います。……現に、アイヴィ様の今の行動は非常に驚かされました」
「私が人の手伝いをするのがそんなに意外だったと言いたいの?」
「はい。正直に申し上げれば。アイヴィ様が衣服を汚してまで自ら助けに行くとは思いもしておりませんでした。認識を改めます」
いいえレグラン。あなたのその認識はとても正確だわ。
私が無理矢理自分を動かそうとしなければ、女の子を助けることはしなかったわ。
「あなたね……。正直なのはいいけれど、あまりに口が過ぎると私も黙っちゃいないわよ」
軽く脅しを入れつつ、レグランから差し出されたハンカチを受け取り、衣服に着いた砂を払う。
けれど、今日の服は聖女らしく、首元と袖口に上品なフリルのあしらわれた清楚なイメージの白いワンピースドレスだったので、汚れはほとんど取れなかった。
そのうちにライナスが戻って来たので彼の服も大丈夫か見てみる。
黒い軍服のジャケットが砂で白く汚れてしまっていた。
私はレグランから貰ったハンカチではなく、自分が持っていたレースのハンカチをライナスへ差し出す。
「……あなたの服も汚れてしまったわ」
「構わない。そのハンカチは自分に使えばいい」
ライナスはハンカチを受け取らず、私の前をスっと横切る。
「…………」
用のなくなったハンカチをしまって、ライナスの後を付いて行った。
街の中央広場に赴き、ロラン・ノームの領主であるマークレー子爵と挨拶を交わす。
彼は様々な後処理に追われているのだろう。頬がこけるほどやつれていて、余程の心労を抱えているのだと可哀想に思う。
「王太子殿下、ようこそはるばるお越し下さいました。心より感謝申し上げます。……と、そちらのお方はもしや……」
子爵はほとんど確信を持って、ライナスに私が聖女ではないかと確認を取る。
ライナスが答える前に私が名乗り出た。
「アイヴィですわ。一応肩書きは聖女ということになっているけれど」
「おお……! あなた様が噂の聖女様でしたか……!」
「えっ!? 聖女様ですって!?」
「おい! みんな! 聖女様が俺達を助けに来てくれたぞ!」
子爵の声が思ったより響いてしまったのか、周りで作業していた民達がわらわらと集まってくる。
兵士達が制するもあっという間に私達は民の輪に囲まれ、皆私を崇めるように膝をついた。中には涙を流している人もいる。
「聖女様! どうかお助け下さい!」
「聖女様のご加護を! 我らにお与え下さい!」
「聖女様!」
まるで私を神様だと思っているかのように、皆声を上げて私に救いを求める。
皆が私に期待している。絶望から救ってくれるって、信じ切っている。
──重い。その期待は、私には重すぎる。
応えられる自信がない。
私はただ、結界を張ったり、傷を癒すことぐらいしか出来ないのに。
民の合唱は私にそれ以上の期待を求めているように聞こえて、プレッシャーが重くのしかかる。
……指先が、氷のように冷たくなっていく。
私が戸惑いを隠せずにいると、幼い男の子がとことことおぼつかない足取りで私に近付き、見上げて来た。
「おねえちゃん……おねえちゃんは聖女さまなんでしょ? ぼくたちを助けてくれるの?」
「……助けるなんて一々仰々しいのよ。私はただ加護とやらを授けに来ただけ。それ以上でもそれ以下でもないわ」
子供相手に何とも温度の低い返しだこと。
もう少し希望を与えられるような言葉をかけてあげたいのだけど、今はこれが限界だわ。ごめんね少年。
少年にはあんまり伝わっていないようで、結局私が助けてくれるのかくれないのかわからなかったみたいだ。不思議そうに首を傾げる。
少年、助けになるかはわからないけれど、私に出来る精一杯はさせてもらうわ。
両手を胸元で組み、目を瞑る。
──この地を魔物から守れますように。もう被害に遭うことはないように、結界を……!
そう祈れば、組んだ手から青い光が溢れて、それは瞬く間に街中に広がる。
「ぐっ……」
加護の範囲が広いからか、身体への負荷がすごいわ……!
まるで魂が吸い取られてしまうかのように、身体から力が抜けていく。
まずい……このままじゃ倒れる……!
私は歯を噛み締めて、意識が飛ばないように必死に堪える。
街一帯をドームのような光が包んで、一際青く輝く。
そしてパシャン! と水が弾けるように光が割れ、街中にキラキラと降り注いだ。
「アイヴィ嬢!」
「アイヴィ様!」
結界を張り終えたと同時に、私の全身からふっと力が抜ける。
地面に倒れる前にライナスが私の身体を抱き留め、レグランが駆け寄って来た。
「……へい、き……」
口では強がるものの、身体は言うことを聞かない。
指先ひとつ、私の意思で動かせやしない。
目を開けているのすら辛く、自然に瞼を落としてしまう。
「マークレー子爵。どこか休ませられる場所はないか」
「あ、はい……! それならこちらへ!」
ライナスは私を横抱きにすると、子爵の案内に着いて行く。
私は意識を朦朧とさせながら、「聖女様! ありがとうございます!」という民達の感謝の言葉を、耳に受け止めていた。
*
子爵邸のベッドでしばらく眠らせてもらい、ようやく身体が言うことを聞くようになったのは、日もすっかり暮れて夜になった頃だった。
ずっと側に付いていてくれたのか、目を覚ますとライナスがベッド横の椅子に座っていた。
私が意識を取り戻したことにライナスが気付くと、身体を起こすのを手伝ってくれる。
そしてすぐに温かい飲み物を持って来て、私に渡した。
「アイヴィ嬢、君は身体が弱いのか? それとも、聖女の力を使った影響なのか?」
「さあ……。私にもわからないわ」
ライナスから飲み物を受け取り、カップに口をつける。
力を使うと疲労感は確かにあったものの、まさか倒れるほどまでとは思わなかった。
使う力の大きさと身体の負担の大きさは比例しているのかもしれない。まだ確信はないけれど。
「…………」
私がふざけてわざと答えないでいるのでは、とライナスから疑いの目を向けられた気がする。私は否定した。
「疑ってるのね。期待に応えられなくて残念だけど、本当にわからないのよ。むしろ私が知りたいくらいだわ」
「……。どちらにしても君はあまり無理をしない方がいい。聖女の業務もなるべく減らそう」
「そんなことしなくていいわよ別に。ロラン・ノームみたいに私の力を求めている人はたくさんいるんでしょ」
「それはそうだが……。君に負担をかけてまで救うのは違うだろう」
思いがけずライナスが見せた優しさに、目を丸くする。
私が倒れたから、同情心でも芽生えたのかしら。
「……あなた、冷たそうに見えるだけで結構優しいのね。普通憎い奴が苦しもうがどうだっていい、むしろ喜ばしいことでしょ。逆の立場ならベッドの横でダンスしてるわよ」
優しいと褒めただけに留めておけばいいものを、余計な一言が印象を悪化させる。
絶対またライナスを不快にさせたと心の中で震えていたら、意外にもあまり気にした様子ではなかった。
無表情なのはいつものことだけど、彼が怒りを持った時の、空気が引き締まるあの感覚は訪れない。
ライナスが口を開く。
「私は君のように性格が悪くない。例え私に対して不遜な態度を取る人間だとしても、苦しむ姿を見ることは本意ではない」
「そう。性格がよろしいこと」
「君が悪すぎるんだ。私が寝込むと横で君がダンスするのがわかったから、間違っても体調を崩すわけにはいかなくなった」
ライナスが大真面目な顔をしてそう言うものだから、面食らって思わず吹き出してしまう。
「…………ふっ」
「何がおかしい?」
「……あははっ、ごめんなさい。もしあなたが寝込んだらとびきりのダンスをお見舞いしてあげるわ」
「とんだ婚約者だな、君は」
ライナスは眉間に皺を寄せるけれど、どことなくその表情はいつもより柔らかい気がする。
それが私の勘違いじゃなかったらいいなと願いながら、笑みを隠すように手で口元を軽く覆った。