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第4話 敵対する二人


 国王夫妻との謁見を終え、客間へ戻ろうとする。

 しかし、レグランにそちらではありませんと阻まれてしまった。

 立ち止まって話を聞く。


「何? 部屋が変わったの?」


「はい。婚約が成立致しましたので、王太子妃が使われる部屋をご用意しております」


「まだ婚約の段階なのにそんなとこ使ってもいいわけ?」


「本来なら駄目ですが、アイヴィ様は──」


「聖女だから、特別待遇ってことね」


 私の発言に異論はなかったのか、レグランは口を噤んでスタスタと歩き出した。


 案内に徹するレグランは単に事務的な人なのか、それとも私に対して嫌悪感を持って冷たく接しているのかはわからない。後者だったら悲しいわね。

 ……レグランには既に嫌な態度を取ってしまっているし、私が悲しむ筋合いはないけれど。


「こちらです」


 私がいた客間の倍の大きさはある扉をレグランは開ける。

 薄い青色のカーペットが一面に敷かれた床に、白を基調とした家具が綺麗に揃えられている。

 どこからかふんわりと花の香りが漂い、私の鼻腔をくすぐった。

 知的で上品な印象を持った内装だ。


「随分立派な部屋ね」


 広さは充分すぎるほどあり、どう頑張って使っても持て余してしまうくらい。

 クローゼット……というには大きすぎる部屋を覗くと、私が身体を休めている間に揃えたのであろうドレスが既にびっしりと並んでいた。


 あまりの厚遇に、喜びよりも少し引いてしまう。

 そんな意図はなかったとしても、聖女としてしっかり働く見返りを求められているようで。


「アイヴィ嬢」


 クローゼットを眺めていると、突然背後から声をかけられる。

 反射的にびくっと身体を震わせて勢いよく振り向いた。


「どうだ? 気に入ったか」


 いつの間に部屋へ入って来たのか、ライナスが気配もなく私の後ろに立っていた。


 せめて「今から声かけるよ」とか言って欲しかったわ。

 言われたらそれはそれで驚くけれど。


「ノックぐらいしてから入室してもらえないかしら。背後に突然立たれると不気味なんだけど」


「ならその口の悪さもどうにかしてもらえないか。不愉快なんだが」


 ああ、ついジャブを打ったらカウンターを食らったわ。

 ライナスもいい加減私の悪態に腹に据えかねているわよね。本当にごめんなさい。謝罪するわ。


「あら、ごめんなさい。こればかりは直したくても直しようがないのよ、残念ね?」


 …………。

 これは、謝っている内に入るのかしら……?

 どう好意的に受け取っても煽っているとしか思えないのだけど……?

 私がライナスだったら、平手打ちの一つも飛ばしているかもしれないわ。何なら蹴るかも。


 そして予想通り、ライナスは煽られていると受け取ったらしい。

 その端正な顔が不快に歪んでいくのがわかる。


「君は可愛げのない女だな」


「あなたに可愛いと思ってもらおうだなんて気持ちは微塵もないもの。可愛げなく見えるのは当然でしょ」


 ストップ、ストップ言い過ぎ!

 どうしてこんなにペラペラ憎まれ口が出て来るの!

 それはジェナを演じきった努力の賜物だからね。そうね。


 ああ、もう。自分の意思と実際の発言が乖離しすぎてすごくストレスだわ。

 私はライナスやレグランと出来るだけ穏便に、平穏な関係を構築したいと思ってるのに、口から出て来るのは彼らとの敵対を望んでいるかのような反抗的なことばかり。


 レグランはまだしも、王太子であるライナスに対してここまで失礼な態度ばかり取っていたら首がいくつあっても足りないわ。

 ライナスだって私が聖女だから我慢してくれているのよ。私が聖女じゃなかったらとっくにこの世から一発退場しているわ。


 ……ああ、本当にごめんなさい、ライナス。

 悪役令嬢ジェナの性格がこびり付いた私に、敵意を含んだ言動を止める術はないの。

 私自身が勝手にジェナを演じてしまうのよ。


 人を演じるって恐ろしいことね。

 長くやりすぎると自分自身が演じていた人そのものになってしまうのよ。

 既に私という人間はどこかへ行ってしまったの。

 元々の自分がどんな性格だったのか、もう思い出せないわ。


 そんな私の本心など当然ライナスにわかるはずもなく、彼を取り巻く空気が張り詰めていくのを感じる。


「君みたいな人が聖女だと、私は今でも信じられないよ」


「あなたが勝手にイメージする聖女はどうせ清廉潔白な人なんでしょ? 夢見すぎじゃないの? そんなの理想だけで、私の前の聖女も、案外私みたいにひねくれた人間だったのかもしれないわよ」


「…………」


 仕上げにフフッと嘲笑えば、ついに見限られたのか、ライナスは閉口する。


 心の中で私は頭を抱える。

 ……もうダメだわ。ライナスと今更平穏な関係なんて築けるはずがないわ。

 こんなにも嫌われてしまったんだもの……。


 緊張感を孕んだ沈黙が生まれ、私とライナスは対峙したまま互いに見合う。

 ライナスは無表情ながらもすこぶる不機嫌なのが伝わってくる。

 私は居た堪れなくなって……早くこの場を切り上げたくて沈黙を破った。


「ところで何の用? わざわざ嫌味を言いに来たわけじゃないでしょ」


「ああ。君の不可解とも言えるその貴族らしさに疑問を抱いて直接尋ねに来た」


 やっぱり追求しに来たのね。

 国王夫妻への謁見の際に挨拶の教育を受けたなんて真っ赤な嘘をついたから、遅かれ早かれ聞かれるとは思っていたけれど。


 ライナスはその青い瞳に私の姿をじっと映す。

 本当のことを吐くまで逃すつもりはないとでも告げるように。

 目を逸らしたかったけれど、ジェナの負けん気の強さが私にそれを許さない。


「君は記憶がない割には貴族らしい振る舞いを熟知しているようだな。私はレグランへ君にそんな教育をしろと言った覚えはない。……そうだろう? レグラン」


 部屋の隅で大人しく控えていたレグランは、ライナスに対して深く頷き、肯定する。


「はい。アイヴィ様へは特に何も教えておりません」


「……だそうだ。何か弁明はあるか?」


「はー、嫌ね。まるで尋問みたい。普通に聞けばいいじゃない。記憶を失くしたフリをしているんだろ、どうして貴族の振る舞いが出来るのかって」


「聞いたら素直に答えてくれるのか? 君が?」


「あら、答えるわよ。尋問みたいに聞いて来るような失礼な真似しなければね」


 皮肉を言えば、ライナスがまた苛立ったのがわかる。


 ああ、もう嫌。

 いっそのこと、この口を縫ってしまいたい。

 どうしてこんなに次から次へと人の感情を逆撫でる言葉が簡単に出て来るのかしら。もはや一種の才能だわ。


「やだ、そんなに怖い顔しないでよ。冗談じゃない。単純な話よ。私は貴族だった前世の記憶を持って、この世界へ生まれ変わったのよ。……どう? 信じる?」


「茶化すな。真面目に答えろ」


「……はっ、大真面目ですけど。どうせ何を言ったってあなたは私を信じる気もないくせに。だったら最初から聞かないでくれる? 時間の無駄だわ」


 何てひどい態度。これは間違いなく首が飛ぶわ。終わったわ。

 ……いえ、もう終わらせてくれた方が逆にいいかもしれない。

 今の私は身体と心が分離しているみたいなんだもの。

 もう転生とかじゃなくて、普通に生まれ変わらせて欲しいわ。こんなに心臓に悪い思いばかりするのは、耐えられそうにないの。


 一触即発の険悪な空気に、レグランが焦りを感じているのか、ちらちらと私達の様子を窺うような視線を送って来る。

 そのレグランの視線を受けて、ライナスは大きくため息をついた。


「……もういい。君の言う通り時間の無駄だ。聖女の仕事さえしてくれたら君の素性は問わないことにする」


 仕方なく折れてくれたライナスはそれだけ言い残すと、踵を返してさっさと部屋から出て行ってしまった。


 ……首の皮、一枚繋がったわ。

 喜んでいいのかは微妙だけれど。

 死にたいと一瞬思ったものの、やっぱり本当に死ぬとなったら少し怖かった。

 表面には出さずに、心の中で思い切り安堵の息を吐く。


 レグランはライナスが完全にいなくなったのを確認してから、私に振り向いた。


「……アイヴィ様。ライナス様への態度は改めた方がよろしいかと」


 レグランの忠告に、私は自然と唇を結んでしまう。


 レグランも今のは目に余ったわよね。本当にごめんなさい。

 でもどうしたらいいかわからないの。

 心でわかっていても、ジェナは優しい言い方なんてしないというフィルターが自動で掛かって、どうしても棘のある言葉が抽出されてしまうの。

 だからレグラン、多分今からあなたにも叩くわよ、憎まれ口を。


「あら、ご忠告どうも。あなたは元々王太子の従者だものね。本当の主にひどい態度を取られてさぞかし腹が立ったんでしょう? ごめんなさいね?」


 ……ほらね、もう呪いみたいなものなのよ。

 人が呼吸をするのと同じように、自然と口から零れてしまうの。


「いえ。ライナス様の肩を持っているわけではありません。単に王太子殿下へ取って良い態度ではないと申し上げているだけです。アイヴィ様も突然聖女や婚約など色々言われて混乱されるお気持ちも理解出来ますが」


 どこまでもレグランの言い分は正しくて、私の耳が痛い。そして私の立場もそっとフォローしてくれる優しさが少し見えて心が痛い。


 レグランからすれば私は口も態度も悪い最悪の女でしょうに、そんな女に対して、徹底的に責めたりしない大人の対応だ。

 私と主従関係なのを除いても、本当ならもっとボコボコに厳しく言ってくれてもいいと思う。あんたみたいなのに付くのはもう耐えられないから暇をくれぐらい言っても許されると思う。


 ──理解出来ているのなら、従者ごときが口を挟まないで頂戴。


 出かかった次のセリフを、私は歯で唇を思い切り噛んで堪える。


 ダメ。これ以上レグランに悪態をついたら、人間としてダメすぎる。最低すぎる。

 こ、言葉を、変えて。理解を示して。素直に……頷くのよ、私。


「──わ、わかっ、わかったわ。改善し、してみる」


 なんて、私が言うとでも思ったかしら? 従者の言うことなんて誰が聞くもんですか。


 ジェナの性格をねじ曲げたセリフを吐いたら、途端にリカバリーしようとしてくる次のセリフが頭に浮かんで言いそうになる。

 それを私は唇を噛んで物理的に潰して呑み込んだ。

 下唇に歯が刺さる勢いで噛んでいるから、血の味がする。でも、私の意思がジェナの悪意に初めて勝てた。


「ア、アイヴィ様。その……口から血が出ておりますが」


 レグランは私の発言だけでなく、私の顔を見て驚いた……というかちょっと引きながらハンカチを差し出してくる。

 私は近くにあったドレッサーの鏡を見ると、下唇から顎にかけて血がダバダバと垂れており、お化けもドン引きのバケモノがそこにいた。


「ひいっ……!?」


 私は慌てて鏡に向かって治れと祈ってしまい、無駄に鏡を青く光らせる。

 違う違う鏡にやってどうするの! とセルフツッコミを心の中で行ってから自分の唇に治れと祈る。

 傷口はあっという間に消え、レグランから貰ったハンカチで血を拭って落ち着きを取り戻した。


 ふう、と一息ついてから、レグランに今の一連の恥ずかしい行動を見られことに気付く。

 バッと顔をレグランに向けたら、レグランは私からバッと目を逸らした。


「いえ、私は何も見ておりません」


「……そこは正直に言いなさいよ!」


 ジェナを押し退けて自分の意見を言えたのは一歩前進……?

 いえ、私の意思を無理に通そうとするたび毎回口から血を流すなら、一歩後退かもしれない。


 それでも、レグランに対してもっと酷い態度を取ることにならなくて良かったと、内心嬉しく思うのだった。


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