第37話 不完全な聖女 VS 第二の聖女②
不意を突かれたエルシーの顔が不快に歪む。
「な……何、するの……!」
「あなたが力を分けてくれたおかげで、よく身体が動くわ。そこに関しては礼を言うべきね」
ギリギリと強く掴めば、エルシーが両手で私の手を剥がそうと抵抗する。
今の私の腕力なんて大したことないはずなのに、強い怒りが実力以上の力を発揮させているようだった。
「私が何年悪役令嬢を務めたと思っているの? 悪いけど、たかが数日悪女ぶっただけのあなたとは格が違うのよ」
「は、あ……?」
「あなた、ライナスと結婚したらどうするつもり? ちゃんと夫婦になるつもりはあるの?」
「べ、つに……愛するつもりは毛頭ありませんけど……上辺だけは……取り繕ってあげますよ。利用価値がありますからね」
……ああ、ジェナ。あなたとは一生分かり合うことはないと思ってた。
でも今、初めてあなたと私の意志が重なったわ。
第二の聖女にすべてを託して、不完全な聖女としての運命を全うしようと思っていたけれど、そんな考え一瞬で吹っ飛んだわ。
こんな人に、託すなんてできない。
ましてやライナスの隣に並ぶのなんて、到底許せない。
神様、あなたが私に対して何を怒っているのか知らないけれど、私も随分とあなたには怒りが溜まっているのよ。
『──大人しく死ぬなんて、絶対に受け入れてやらないわ!』
「不完全な聖女でも、聖女と同等の力を使える。聖女の力を分け与えるように自在に扱えるのなら、もちろんすべて譲ってもらうことだってできるんでしょう?」
つまりは無理矢理聖女の力を奪うということ。実際にできるかはわからなかったから、鎌をかけてみたのだけど。
エルシーが驚いて目を開き、より一層私から逃れようと抵抗が強まった。
……どうやらできるみたいね。
「そ、そんなことしたって、あなたが不完全な聖女なのは変わらな──」
「不完全でも、私がまた命を削って聖女を続けたらいいだけの話よ。そうでしょう?」
「……!?」
それでも、エルシーが救える人の数の方が遥かに多いはず。
私が聖女を続けるよりも、エルシーに託した方がメリットがあることなんて百も承知よ。
エルシーがどれだけ性格曲がっていようが、結果さえ出せるのなら民だって不満は飲み込むでしょう。
だから……ええ、単なる感情論よ。
私が託したくないの。
人を……ライナスを大事にしてくれない人に、聖女の座を譲りたくなどないのよ!
「あなたなんかにライナスもこの国の人たちも渡さないわ。この国の聖女は私よ。脇役はすっ込んでなさい」
エルシーは私の気が狂ったと慌て、椅子から転がり落ちた。
丁度いいと彼女の上に馬乗りになると、エルシーは足をバタつかせて暴れ出す。
「ば、馬鹿じゃないの!? 不完全な聖女のあなたより……ッ私の方が、より大勢の人を救えるのですよ! それを無視するつもりですか? めちゃくちゃすぎます!」
「めちゃくちゃ? そんなの当たり前でしょ。私はジェナ・キャドバリーの性格を引き継いでいるんだから!」
「やめ……っ」
聖女の力を使い、無理矢理エルシーの力を私に移そうとする。
「やめるんだ! アイヴィ嬢!」
大きな音を立てて扉が開かれる。
私を止めるその声にハッとして、エルシーから手を離した。
「殿下……」
「王太子殿下!」
エルシーは私を押し退けて立ち上がると、ライナスに駆け寄って彼の背後に隠れた。勝利を確信したかのような微笑みを添えながら。
「殿下……早くアイヴィさんのハルモクリスタルを破壊してください。そしたらわたしがハイルドレッドを繁栄に導くことができます」
私に見せつけるようにエルシーはライナスの腕に触れて懇願する。
ライナスはその手を払いのけ、淡々と尋ねた。
「破壊は、どうやってやるんだ?」
エルシーは喜びに満ち溢れた笑顔で、自分のハルモクリスタルに青い光を放つ。するとすぐさまそれは短剣へと変形した。
「これを、アイヴィさんのハルモクリスタルに刺すだけです」
「……そうか、わかった」
頷くと、ライナスは私へと近付いてきた。
私は後ずさりする。
相変わらず無表情な彼の顔からは、今何を考えているか想像もつかない。
「殿下……」
ただ……ライナスがいくら私を好きでいてくれたと言っても、きっと不完全な聖女の私を選ぶ理由にはなりえない。
エルシーの言う通りなのは癪だけど……王家の立場や国利をすべて無視して私を選んでくれるなんて、そんな都合のいいことが起こるわけがない。
ああ……ライナスに私のとどめを刺させてしまうなんて、考えうる中でも最悪のエンディングだわ。
「アイヴィ嬢、君のハルモクリスタルを──」
さっきの……発言を謝罪するわ……神様。
神様に怒りを向けた私が愚かだったわ。
あなたの怒りを鎮められるのなら、何だってするわ。二度と生まれ変わらなくたっていいし、あなたの望むようにする。
だから……だからどうか、こんな結末だけはやめてちょうだい。お願いだから──
ぎゅっと目を瞑り、歯を食いしばる。
私に寄越せと、そんなライナスの次の言葉を受け入れたくなくて、恐怖で身を固くした。
「短剣に変えてくれ」
「……!」
驚く声も出ないまま、瞳を開いた。エルシーがひゅっと喉を鳴らして息を吸う。
「王太子殿下!? 何を……っ」
「悪いが我がハイルドレッドの聖女はアイヴィ嬢──ただ一人だけだ。……そうだろう?」
ライナスが優しい眼差しで私に問う。
その視線に縫い留められたまま、私はただ瞬きを繰り返す。
……どういう、こと?
私のハルモクリスタルを短剣に変えるってことは……。
ライナス……本気で?
ライナスが私のハルモクリスタルにそっと触れて、早くと促した。
呆然としたまま、自分のハルモクリスタルを短剣へと変える。
ライナスは手に取ると、エルシーの短剣に突き立てようとした。
「信じられない! 正気なんですか!? やめ──!」
エルシーの制止は届くことなく、短剣は貫かれる。
「きゃあああ!」
たちまち強烈な光が短剣から溢れ出し、風が吹き荒れる。
私の身体を庇うように背後からライナスに抱き締められ、私たちは弾き飛ばされた。