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第35話 例え世界中を敵に回しても


 鬱屈な気分に沈むライナスを嘲笑うように、雲ひとつない太陽が空に浮かんで彼の肌を刺した。

 庭園の花達は陽の光を喜んで受け入れ、瑞々しく輝いている。


 アイヴィが倒れた薔薇の花の前で、第二の聖女を名乗る女が左手を空に掲げると、その手の先からパアッと光が放出され、庭園全体に降り注ぐ。

 光が収まると、花は生命力を与えられたように力強く、更に美しく咲いていた。


 その聖女に背後からライナスが近付き、地面の砂を踏む足音を鳴らす。


「……わたしに、何か御用でしょうか。王太子殿下」


 アッシュグレーの髪は一切揺れることなく、女性は背中越しに声をかける。

 聖女の祝福を浴びた花の一つから、引っ掛かって消えていない光の雫をライナスは指で弾いて落とした。


「エルシー嬢。君に聞きたいことがある」


 呼ばれたエルシーはようやく振り向いた。

 心の中を見透かすような視線をライナスへ向けたあと、彼女は口角を僅かに上げた。


「聖女アイヴィを救う方法ですか? 彼女は立派に役目を果たしましたよ。あとは天寿を全うするのみです」


「天寿、と言う割には自分で好きなだけ削れるようだが」


「それも全て神の采配です」


 毒気のない笑顔でエルシーは切り返す。

 理不尽を受け入れることを正しいのだと疑うことなく、淀みのない思考をして。


「随分と救いのない神なのだな。人々の為に尽くした彼女に報いる必要などないということか?」


 ライナスの語気は思わず強まる。

 目の前にいる女性も聖女だと言うのに、同じ聖女に対してあまりに心無い考えではないかと苛立ちを隠せない。


「聖女は見返りなど求めません。人々を救うことは使命なのですから、当然のことです」


 使命を果たすために発現したのだから、自分の身がどうなろうと関係ないというのがエルシーの主張のようだった。

 考え方が根本的に違うのだからこれ以上の議論は無駄だとライナスは諦め、自分の意志をエルシーへと伝える。


「……私は彼女に生きて欲しい。彼女が聖女であることなど関係ない。どうにかして救うことは出来ないのか」


「そんなにも彼女を救いたいのですか? 本気で?」


「ああ。私に出来ることなら何でもしよう。この身と引き換えになっても構わない」


 シナモン色の瞳が、ライナスを見定めるようにじろりと動く。


「そうですか……。方法がないわけではありません。殿下が選んでください」


「選ぶ……?」


「わたしを残すか、不完全な聖女であるアイヴィさんを残すか。いずれかのハルモクリスタルを破壊すれば、選ばれた者が本物の聖女と認められるのです。アイヴィさんを選べば自動的にわたしの力が彼女に譲渡されますわ。……ただし」


 エルシーは警告を促すような低い声を出す。

 ライナスは拳をグッと握り締め、良からぬことを言われるであろう次の言葉に身構えた。


「アイヴィさんは不完全な聖女から変わるわけではないので、相変わらず聖女の力を使うには生命力を使いますよ」


「……それは、つまり」


「彼女を長く生かしたいなら聖女の力を使わせることは出来ません。実質この国から聖女はいなくなります。アイヴィさんを救うことを諦めたら、もっと大勢の方を救えるんですよ。……まさかそれでもアイヴィさんを選ぶんですか?」


「…………」


 エルシーのハルモクリスタルを破壊して聖女を失いアイヴィを救うか、アイヴィを見殺しにしてエルシーを選び、これから先も様々な困難から救ってくれる聖女を残すか。


 普通なら、迷うような選択肢では無い。誰だって後者を選ぶはずだ。

 王太子であるライナスにとっても、後者以外は選ぶ余地もないものだ。


 しかし、アイヴィに好意を抱いている彼には、これ以上ないほど残酷な選択肢だった。

 王太子である自分が愛に走って聖女の存在が与える莫大な恩恵を潰すなど、とても簡単に選べることではない。

 つまりはアイヴィを救うことなど出来ないのと同義で、ライナスはただ沈黙して立ち尽くした。


「……。わたしはアイヴィさんの元へ行っておりますわ。お心が決まればお越し下さい」


 エルシーは放心するライナスを残してその場から離れる。


 残されたライナスは、暗闇の中に閉じ込められたように音も光も失った。

 自分の愛する女性一人守ることも救うことも出来ない現実に、自分の無力さを思い知らされる。


 ただこのままアイヴィが弱って死んでいくのを、指をくわえて見ているだけなのかと何度も自問を繰り返すが、その答えが出ることはなかった。


「ライナス」


 人の気配にすら気付く余裕もなく、ライナスは突然近くで名前を呼ばれて驚きに身体を震わせる。


「母上……」


 ライナスの前に立ったのは、美しいブロンドの髪をした彼の母だった。

 いつもは優しい眼差しを向けてくれるセリーナは、気迫を感じるほどに険しい表情を浮かべていた。


「悪いけどすべて聞いてしまったわ、今の話」


「…………」


 腰に手を当てて下から鋭く睨んでくる母の視線に、ライナスは耐えられずに逸らす。


「エルシーさんの聖女の力を潰すつもり? 王妃としては見過ごせないわ」


「……私は……」


「……でもね、命を懸けて人々を救ってくれたアイヴィさんを見殺しにするなんてもっと見過ごせないわよ、ライナス」


「!」


 母からの意外な発言にライナスの瞳は大きく開く。

 まさかアイヴィを救えと言うのかと、彼は言葉の真意を疑う。


「恩を受けておいて使えなくなったら捨てるような恥ずべき真似をしたら、ハイルドレッド国の名誉に関わるわ。国益の損得を取って自分の誇りを失う生き方をするぐらいなら、死んだ方がマシよ」


「……なら聖女を失うことになってもアイヴィ嬢を救えと? どうしてそこまで母上は彼女のことを……」


「私が何年王妃を務めていると思うの。大体ひと目見たらその人の善悪くらい読み取れるのよ。私は単純にアイヴィさんが好きなだけ」


 セリーナはライナスの手を取り、撫でるように優しくなぞった。


「……それに、母親としてあなたに幸せになって欲しいのよ。ライナス」


「母上……」


 本当ならセリーナは、アイヴィは死ぬ運命なのだから無理に捻じ曲げるなと説得するべき立場である。

 にも関わらず、自分がアイヴィを愛する気持ちを汲んで背中を押す母の想いに、ライナスは胸が詰まりそうになる。

 しかし話はそう単純なものではなく、ライナスは苦悩に顔を歪ませた。


「だが……個人的な感情で動けば、王家への影響は避けられない……。下手をすれば反乱すら──」


「選びなさい、ライナス。エルシーさんを残すというのなら、アイヴィさんはこのまま死ぬだけよ」


「…………」


 セリーナはライナスの手を一度強く握り締めてからゆっくりと離す。

 辛い選択を迫られる息子を不憫に思い、心を痛めた。



次回更新は金曜or土曜になります。完成次第投稿致します。

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