第24話 信じる心
聖女アイヴィが姿を消してから数日が経った。
さよならと、別れの挨拶をしに来たアイヴィの悲しげな表情が頭から離れず、ライナスは日々苦しんでいた。
イソトマ族がアイヴィを攫った理由は不明だが、きっとアイヴィに何か良からぬことをさせようとしているに違いないとライナスは踏んでいた。
そうでなければ、人に弱味を見せようとしない彼女が、泣きそうな顔をして自分の元へ来るはずがない、と。
一刻も早くアイヴィを助けに行きたいのに、ワイバーンが消えた方向を聞き取り、走り……ただ追うことしか出来ない状況に、ライナスは酷く苛立っていた。
がむしゃらに馬を走らせるライナスに、レグランが並走する。
「ライナス様、そろそろお休みになられては?」
「そうやって休んで、私はアイヴィ嬢を逃してしまった。彼女はきっと私に助けを求めていたはずなのに」
「冷静になられて下さい。馬も兵もかなり疲弊しています。ここで休まなければ、アイヴィ様の元へ辿り着くのも難しいですよ」
「うるさい! なら私一人で行く。馬ならその辺の街で乗り換えたらいいだろう」
「ライナス様……!」
頭に血が上り、冷静さを失うライナスをレグランが引き止めようとした時、突然空から紙がパラパラと小雨のように降って来る。
ライナス達は馬を急いで止めた。
空を見上げると、鳥型の魔物が大量の紙を撒いている姿があった。
ライナスは馬から降りて地面に落ちた紙を拾い、書かれた内容を読む。レグランもその横から覗き見た。
「何だこれは……?」
「! ラ、ライナス様……これは」
そこには新聞の見出しのように、『ハイルドレッド王太子婚約者・聖女アイヴィ、ノノメリア王女の病を治したのち、昨今の魔物暴走の原因である瘴気を浄化。ハイルドレッドに平和をもたらす』と書かれていた。
紙に穴が開くのではないかと思うほど、ライナスは書かれた内容の文字を何度も読む。
そして怒りに震え、ぐしゃりと紙を潰した。
「どういうことだ……!? イソトマ族の奴ら、一体彼女に何をさせた!?」
「瘴気を浄化……。アイヴィ様は瘴気の存在をイソトマ族から知らされて、放っておけなかったんでしょうか」
さよなら、とわざわざアイヴィが言いに来たのは、瘴気を浄化したら自分の命に関わると思ったからなのか。
身体の弱い彼女は死を覚悟したのではないかとの考えに至り、ライナスは額に手を当てて目を瞑る。
「……聖女の力を、勝手に使うなと約束したんだ。君の倒れる姿を見るのは心臓に悪いと……」
「…………」
元々自己犠牲の強いアイヴィなら、ライナスとの約束よりも人々を救うことを優先しそうだとレグランは思うが、口には出さなかった。
きっとそのことはライナスもよくわかっているだろうと思ったからだ。
「私は彼女が苦しみながら人を救うのを、ただ横で見守ることしか出来なかった。……聖女なんてもうやらなくていいと、止めることさえせずに」
止める時間はいくらでもあった。
聖女の役割を全うしようとする彼女の意思を尊重して止めなかったが、無理矢理辞めさせるよう自分が手回しすることだって出来たはずだと、ライナスは自分を責める。
聖女の祈りを捧げ、何度体調を崩しても一切弱音を吐かなかったアイヴィが、あの日わざわざ自分に会いに来た。
自分の頬に触れて、目にいっぱい涙を溜めて、別れを惜しむように。
アイヴィは人に縋るような性格ではない。
それでもあの時、アイヴィの中には確かに迷いがあったように見えた。
あの時自分が彼女の手を捕まえられていたら。
ライナスは何度そう思ったかわからない。
「私は……何もしていない。彼女を止めることも、支えることも、助けることも、何も……」
後悔を口に出せば、どれだけ自分が情けない男であるか、ライナスは思い知らされる。
「…………」
ライナスの懺悔のような話を黙って聞いていたレグランは一度深く息を吸うと、珍しく声を張り上げ、ライナスを叱咤する。
「しっかりなさって下さい、ライナス様! アイヴィ様が死んだとはまだ決まっていません! それに、あの人がそんな簡単にくたばるとお思いですか!?」
「……レグラン」
「私は思っていませんよ。ライナス様に対してあれだけ大きな態度を取るような図太い神経の持ち主が、そこまでヤワだとは思えません」
「…………」
自分の主であるアイヴィに対し、何とも酷い物言いをするレグランだが、彼もまた、アイヴィが生きていることを信じたいのだとライナスは気付かされる。
そうだ。こんなところで嘆いている場合ではない。早く彼女の元へ行かなければと、ライナスはいつもの冷静さを取り戻した。
「……探しに行こう。アイヴィ嬢を」
「はい。休憩を取った後なら、いくらでもお付き合い致します」
しっかり休憩を求めるレグランに、ライナスはふっと頬を緩める。
「心強いな。頼む」
ライナスがレグランの肩を叩けば、レグランは表情を緩めた。




