第21話 葛藤
目の前の洞穴から出る瘴気は、私にとって本物の毒と変わりない。
私は慄いて瘴気と距離を取りながら、男に訊ねる。
「……そもそもその話が本当だという証拠は? 私のこと騙してるんじゃないの?」
疑えば、男は肩を竦める。
「いやいや、アンタを騙して俺達に何のメリットがあるんだよ……。単純に俺達イソトマ族は魔物を助けてやりたいだけだ」
「じゃあここはどこなの? あなた達のアジトじゃないの?」
「ちげえよ。魔物から瘴気の存在とこの場所を教えてもらったんだよ。俺達が住んでんのはこっからだいぶ離れた森の中だ」
男の言う通り、ここに誰かが住んでいるような形跡はない。
魔物を自在に操っているし、少なくとも魔物と話せるっていうのは本当みたいだけど……。そんなに簡単に信じていいものか悩む。
「とにかく急に浄化しろとか言われても困るわ。私は聖女の力……神聖力? を勝手に使うなと王太子殿下から言われているのよ」
ライナスと勝手に力を使わないと約束したのだから、そんな簡単に破るわけにはいかないわ。
男は王太子の存在を出されて、困ったように頭を掻いた。
「そう言われてもよ……アンタが浄化してくれねえと、また魔物が暴走して街を襲うかもしんねえぞ?」
「…………」
それは確かに困るけれど。
この瘴気が魔物をおかしくさせている原因だって言うのが本当かわからないとは言え、目の前の男が嘘をついている様子はない。
でも私の独断で聖女の力を使うのは、ライナスとの約束を裏切ることになる。
だけど男の話が本当なら、この瘴気を消さないとまた新たな被害者が出てしまう……。
あああ、一体どうしたら……!?
困り果てて頭を抱えていると、男は手を合わせて頼み込んで来る。
周りにいた他の人達も一斉に頭を下げて来た。
「頼むよ! 無理矢理攫ったのは悪いと思ってるけど、もうアンタしか望みはねえんだ!」
……困ったわ。本当に困ったわ。
魔物が暴走している原因がこの瘴気だと言うなら、聖女として放っておくわけにはいかない。
でも多分……瘴気を浄化したら私確実に死ぬわよね。
グラーレウスで多数の民を救い、同時に結界を張っただけであれだけのダメージを負ったのだから……。
この明らかにやばそうな瘴気を消して生き残れる自信がないわ。
最悪瘴気を消し切れなくて私が死んでしまったとしても、第二の聖女が出てくるはずだからそこは何とかなるとは思う。
でもそうなるとノノメリアの王女を救うのは間に合わないかもしれない。
聖女として生きると決めた時、死ぬ運命は受け入れたわ。
でも……ライナスに出来るだけ迷惑をかけたくない。せめて、ノノメリアの王女だけでも救えたら……。
「……先に、ノノメリアへ行かせて欲しいの。ノノメリアの王女殿下が原因不明の病に侵されているのよ」
「ん? それなら瘴気消してから行けばいいだろ? 何でわざわざ……」
「それだと私の身体が持たないかもしれないのよ」
「……?」
男は私の言っている意味がわからないと、怪訝な表情で首を傾げる。
「どういうことだ? もう少しわかりやすく説明してくれねえか」
「……私は、普通の聖女じゃないの」
死が近いのなら、もう私の秘密を隠す必要はない。
だから私は男に話すことを決める。
「自分の命を削ることでしか神聖力を使うことが出来ない、『不完全な聖女』なのよ」
「な……!?」
私の告白に、私を取り囲んでいるイソトマ族が一斉にざわめく。
嘘でしょ? そんなまさか……と動揺を口にして、私の話をすぐには飲み込めないようだ。
男も驚愕したようで、これ以上ないほど目を開いている。
何度も瞬きを繰り返し、言葉が中々出てこないのか口を開けて空虚だけを放った後、ようやく男は声を出した。
「う、嘘だろ……? ……あ、もしかして逃げるための口実か? そんなことしなくても俺達は瘴気さえ消してくれたら無事にアンタを帰すって……」
「残念ながら嘘じゃないのよ。私が一番信じたくないけどね。手っ取り早く証明するなら、その瘴気に私が触れたら一発でわかるわよ。多分死ぬから」
「死ぬって……。ならアンタがノノメリアへ行ったらもうここへは戻って来ねえだろ? アンタだって死にたくねえだろうし」
「いえ、戻って来るわ。私は聖女だもの」
男から目を逸らさずに堂々と言い放つと、男は動揺と困惑が入り混じったように視線を忙しなく動かして、額に手を当てる。
「いや、そんなの信用出来るわけ……。てか、その話が本当ならさすがに俺達だってアンタに頼めねえよ……。なあ?」
男が仲間のイソトマ族に同意を求めると、全員が首を縦に振った。
「あら。人のこと拉致しておいて随分生ぬるいこと言うのね」
「そこは悪いと思ってるって。手段を選んでる暇がなかったんだ。元々俺達イソトマ族は人を傷付けないことを信条としてる。暴力とか脅迫とかそんな賊みてえなことはしねえよ。……アンタを拉致した時のことは除いてな」
信条に背くほど切羽詰まっていたのだと男は説明する。
私の周りにいるイソトマ族をぐるりと見回した。
「その割にはこうして私を大人数で取り囲んで逃げられなくしたり、圧を感じるのだけど?」
「そんなつもりじゃ……。この洞窟にも魔物はいるからよ、瘴気に当てられた魔物がアンタを襲ったりしたら危険だから、守ってるつもりだったんだ」
私が圧を感じると言ったからか、周りを取り囲んでいたイソトマ族が急に私から距離を取った。
……どうやら本当に守っているつもりだったみたいね。
何か……ごめんね。
イソトマ族が申し訳なさそうに私の方をチラチラと見て来るものだから、彼らを疑っていたことに罪悪感を植え付けられる。
「そ、そう……。なら私が穿った見方をしていただけね。とにかくそういうことだから、ノノメリアへ先に行きたいの。王女殿下を治療したらここへ戻るわ」
「ノノメリアへ行くのはいいけどよ……アンタここへ戻るってマジで言ってんのか? 瘴気消そうとしたら死ぬんだろ?」
「死ぬのが確定なわけじゃないわよ。多分死ぬと思うだけで。だってこの瘴気放っておいたら色んなところで被害出るじゃない。私に無視しろって言うの?」
「そういうわけじゃねえけど……アンタ死ぬの怖くねえのか? いくら聖女だからってそれでいいのか?」
死ぬのが怖くない人間がいるならここへ連れて来て欲しい。何なら私と代わって欲しい。
死ぬ運命を受け入れたからって、死ぬのが怖くないわけないじゃない。
ジェナとして処刑された時、私がどれだけ怯えたと思ってるのよ。足の震えで地震起こす勢いだったのよ。今でもあの恐怖は鮮明に覚えているわ。
「……怖いわよ。めちゃくちゃ怖いし死にたくないわよ。聖女でも人間なんだから当たり前じゃない」
「ならよ……」
「うるさいわね。私は聖女として生きるって決めているの。外野がいくらごちゃごちゃ言おうが、決めたことは曲げないわ」
「アンタ強情だなあ……」
男は眉を下げて困ったようにため息をつく。
瘴気を消して欲しいから私を攫ったくせに、私の事情を知った途端に同情して瘴気を消す依頼を取り下げようとした男は、とても悪人には見えなかった。
うーん……と悩みに悩んだ末、男はやっと頷いた。
「わかったよ。アンタが覚悟決めてんならもう何も言わねえ。ノノメリアに連れて行ってやる。──俺はレダ。イソトマ族のまとめ役みてえなモンだ。よろしくな」
レダが握手を求めてくる。
しかしジェナの性格上、身分が低い者と握手することを拒否してくる。
私は岩のように動かなくなった手を必死にギリギリと動かし、レダの指先を摘むように握って何とか応えたのだった。