第2話 悪役令嬢の性格を持った聖女
目を覚ますと、視界に映ったのは一面の白だった。
……ああ、ここは天国なのかしら。
処刑されて転生してまた死んだの?
私の人生忙しいわね。
というか、すぐ死ぬなら転生なんてさせないでよね。振り回されるこっちの身にもなってよ。
「気が付いたか」
「ひいっ!?」
不貞腐れながら私を転生させている誰かに心の中で文句をぶつけていると、突然視界の端にさっきの王太子の姿が現れる。思わず声を出して驚いた。
王太子……ライナスにため息をつかれた。
「君はつくづく失礼な人だな。まるで化け物でも見たかのように」
「……失礼致しました。てっきり私は死んだのだと思っていたものですから」
視界に映っていた一面の白は天蓋ベッドの布の色だったらしい。
意識がほとんどはっきりした今、ようやく自分がどこかの部屋の一室で横になっているという状況を理解する。
起き上がろうとすると、ライナスが身体を支えてくれた。
「君は過労で倒れたようだ。死に至るような病などではない」
「過労……」
ただの過労と聞いて、幾分か安堵する。
転生した新たな身体が、重い持病持ちだったら嫌だなと思っていたから。
ところでここはどこなのかしら。
王太子のライナスがいるということは、もしかして……。
きょろきょろと辺りを見回すと、部屋に置いてあるドレッサーの鏡の中にいる女性と目が合う。
ミルキーブロンドのふわふわとした髪、ハチミツのような瞳の色。
見た目十六、七歳くらいの可愛らしい雰囲気の人がそこにいた。
きっつい吊り目で底意地の悪そうな顔だったジェナとは正反対の、清楚系で優しそうな顔付き。
頬に手を当てると、女性も同じ動作をする。
どうやらこの姿が今世の私なのだと理解する。
それから更に部屋を見回す動作をすると、私の疑問を察したライナスが答えてくれた。
「ハイルドレッド王城、客間の一室だ。しばらくはここで身体を休めるといい」
「! いえ、そこまでご迷惑をおかけするわけにはいきませんわ。動けるようになったらすぐにお暇致します」
「……悪いが、君を帰せない事情が出来たんだ。アイヴィ嬢」
「……え? あい、……何ですって?」
突然ライナスの口から飛び出した聞き覚えのない名前に、言葉を詰まらせつつ聞き返す。
ライナスは腕を組んだ。
「君が身に着けていたペンダント、悪いが調べさせてもらった。そこに君の名前の刻印と、伝説にしか存在しない宝石がはめ込まれていてね」
「はあ……」
あのおもちゃみたいな宝石が伝説の宝石?
到底そうは思えないのだけど……何かの間違いじゃないの?
曖昧に相槌を打つ。ライナスは淡々と説明を続けた。
「ハルモクリスタルと言うものだが、それは五百年に一度しか現れない、聖女の存在が持つものだとされている」
「はあ……。……はあ?」
せいじょ?
せいじょって……聖なる女って書くあの聖女?
前世の世界で司祭くらいはいたけれど、聖女なんてファンタジックな存在はいなかった。
この世界は魔物や聖女なんてワードが当たり前に出て来るところなんだと認識する。
「だがもしかしたら、君は偶然ペンダントを拾っただけの可能性もある。そう思って君の手にこの宝石を触れさせてみたんだ」
ライナスは懐からペンダントを取り出すと、私の手を取って宝石部分に触れさせる。
すると、宝石からパアッと青い光が放たれる。その眩しさに、反射的に目を細めた。
「! 何……!?」
「このハルモクリスタルは聖女が触れると青く光ると言われている。他の者にも触らせてみたが全くと言っていいほど何の反応も見せなかった」
つまりそれって……それって──。
ライナスの言わんとしていることを理解し、顔をピクピクと引き攣らせる。
「君は本物の聖女だ。アイヴィ嬢」
「う、嘘……」
悪役令嬢の次は、聖女……!?
また面倒くさそうな役割引いてるじゃないの!!
処刑される時、次は平凡で穏やかな人生を送りたいと確かに願ったはずなのに、神様は全く聞き入れてくれなかったらしい。
姿も見たことのない神様に対して、私は恨みを募らせる。
拳をわなわなと震わせていると、ライナスは更に追い打ちをかけてくる。
「聖女が現れたという噂は、君が眠っている間に国内外へ広く知れ渡ってしまった。当然ハイルドレッド国王の耳にも入り、他国に君を奪われる前にと手を打たれた」
「て、手を打たれたって……?」
「君は私の正式な婚約者となったよ。アイヴィ嬢」
「…………。…………へえ、婚約者に……。……へえ……」
前世ジェナの時は王子に愛されず、ヒロインに取られたのだけど。
もしかして今世はそのヒロイン枠になったとでも言うわけ?
ジェナがなれなかったから可哀想にと神様は同情でもしてくれたってこと?
──もしそうなら、本当にいらないことをしてくれたわ、神様。
私はヒロインになんてなりたくない。
この世界が何かの物語の世界なら、名前すら出て来ない脇役……いえ、その辺を歩いている平民にでもなりたかったのよ。
それが聖女だの王太子の婚約者だの、冗談じゃない!
「──断固! 拒否するわ!」
溜まりに溜まった不満が爆発して心の声がついに漏れる。ハッと我に返るも遅かった。
ライナスの青い瞳が驚きに染まる。それでも、私の文句は抑えられなかった。
「いきなり聖女だとか言われても訳わかんないのよ! 王太子と婚約ですって? 冗談じゃないわ! そんな面倒に巻き込まれるくらいなら、聖女なんて辞めてやるわ!」
ああああ、待って待って!
さすがに王太子相手にこの口の利き方はまずいわ!
これじゃ悪女ジェナの振る舞いよ!
違うのよ、もっと柔らかめに伝えたいの、本当は!
冷や汗が大量に出る。
幸いにもライナスは怒りよりも驚きの方が勝ったようで、私の態度を嗜めたりはしなかった。
「……残念だが、聖女は君の独断で簡単に辞めたり出来るようなものではない」
「そんなことはわかっているわ。なら強硬手段に出るだけよ」
何、強硬手段って何?
自分で言ってるけど私は理解してないわよ?!
私に染み付いたジェナの性格が、私の意思を押し退けて勝手に口走ってしまう。
さすがにライナスも私の言動を見過ごせなかったのか、片眉を吊り上げて不快感を露わにする。
「強硬手段……だと?」
「ええ。聖女が何をするのか知らないけれど、私は一切聖女としての役目は果たさないわ。あなた達が私のことを尊重出来ないのならね」
お、脅しているわ!
今王太子相手に脅しをかけているわね、私!?
終わったわ。このままじゃまた首から上がなくなる。おさらばよ。
さようなら、私の首。短い付き合いだったけど、あなたなかなかいい首だったわ。
ああ、処刑への扉が確実に開いた音がしたわ。アーメン。
心の中で十字を切る。
ただ、すぐに首は取られなかった。ライナスは思考しながら太腿を指で不規則に叩く。
「……。尊重か……。君の望みは何だ?」
「私は平穏に暮らしたいの。聖女とか王太子妃とかそんな面倒事に関わりたくないのよ。誰かの都合で振り回される人生を歩むくらいなら、死んだ方がマシよ」
うそうそ、死にたくはないわ!
面倒事に巻き込まれたくないのは本当だけど、死にたくはないのよ。
単なる誇張表現だから無視して頂戴、王太子。ならばお望み通り死ねとか言わないで、お願い。
「しかし、君が聖女の立場を捨てて平穏に暮らすというのは現実的ではない。王家の保護下から外れれば、君の力を狙う輩から日々逃げ惑う生活になると思うが」
「……そんなに聖女という存在は大きいものなの?」
「ああ。聖女がいるその間は、あらゆる憂い事から解放され、国の繁栄を必ず約束されると言われている。今も諸外国が君の存在を喉から手が出るほど欲しがっているはずだ」
「…………」
すごくざっくり言ってしまえば、聖女は最強の後ろ盾みたいなもの?
国が抱える悩みを解決してくれる上に繁栄まで導いてくれるなんて、そんな上手い話はないわ。
何て便利な存在なのかしら、聖女。国家に一台欲しいわね。
この認識で合っているなら、それは当然皆聖女を欲しがるでしょうね。
ってことは、やっぱりすごく面倒くさい立場だわ、聖女。降りられるなら今すぐにでも降りたいわ、全力で。
「平穏に暮らしたいというのが君の望みなら、私と結婚し、王家に身の安全を確保されるのが一番マシな選択だと思うが。恨むなら、聖女という立場に生まれた自分を恨め」
無表情で冷たくバッサリ切ってくるライナスに、怒るよりもむしろ納得してしまう。
そうね。正論だわ、ライナス。
聖女に転生してしまった自分を恨むべきね。間違いないわ。
何でよりにもよって聖女を引いてしまったの、私。
転生先にくじ引きでもあったなら、今回の転生先はとんだ貧乏くじだわ。運が悪い私のせいなのね。
……自分を恨んでみたけれど、何か違うわ。
やっぱり聖女に転生させた神様を恨むべきじゃないの? 私のせいじゃなくない?
いえ。そんなことより、この人は私と婚約することに異議はないのかしら。
ほとんど無表情であんまり何考えてるのかわからないわ。
「……あなたは、それでいいの?」
「ん?」
「突然現れた聖女だとか、自分で言うのもなんだけどそんな胡散臭い存在と婚約だなんて、抵抗ないわけ?」
五百年に一度しか現れない聖女だなんて、眉唾ものだと思うのだけど。
この国は聖女に対する信仰心でも厚いのかしら。
ライナスは私の顔を見たまま沈黙を作る。かと思えば、急にギロッと睨み付けてきた。
「もちろん抵抗などない──わけないだろう、バカめ」
「バッ……!?」
突然露呈したライナスの口の悪さに、私は意表を突かれる。
ライナスは大きくため息を吐きながら不満をぶちまけた。
「仕方ないだろう。聖女を手に入れたら我が国の繁栄は約束されるのだから、君との結婚は必要不可欠だ。私に結婚を拒む選択肢は存在しない」
「…………」
「聖女と言うからどんな出来た性格の女性なのかと期待していたが、蓋を開けてみればプライドだけは無駄に高いその辺の貴族の女と態度が何ら変わりない。そんな君と結婚だなんて、願い下げだと言いたいくらいだ」
「今言ってるじゃないの、ムカつくわね」
あああ、王太子相手にムカつくはまずいってば! また勝手に口走っているわ!
好き放題言ってくれるライナスに少しムッとしたのは確かだけど、元はと言えば私の態度が悪かったのが原因なのだから怒る筋合いはない。
というか、どうしてこんなにジェナみたいな言動をしてしまうのかしら……!?
ライナスは私の失言を不快に思ったのか、私を睨み付ける眼光に鋭さが増す。
「安心しろ。私と結婚さえしてくれたら、君に王太子妃としての役割を求めるつもりは一切ない。聖女として働いてくれたら、あとは趣味でも恋愛でも何でも君の好きにするといい」
わあ、浮気も公認するってサラッと言っちゃったわね、この人。
割り切った関係でいきましょうってことなんでしょうけれど。
……でもその方が私としても都合がいいかもしれない。
聖女としての仕事さえすれば、衣食住と安全を確保してくれるし、プライベートに口も出されないなら悪くない条件だと思う。
この条件を蹴って聖女を投げ出したところで逃亡生活が待っているだけみたいだし……。
きっと今回の人生では、これが一番平穏に暮らせる方法なのだわ。
「──その言葉、忘れないで頂戴ね。もし私に聖女以上のことを求めたら、他の国に亡命してやるから」
……ああ、もう! 素直に了承すればいいのにまた勝手に口が!
いえ──わかったわ。
これ多分、前世で長年ジェナを演じたせいで、もうすっかりジェナとしての振る舞いが骨の髄まで染みわたってしまったのだわ。
ここへ来た当初は猫を被ったジェナだったのね。不満が爆発して、本性が出てきたのだわ。
そうよね。よくよく考えたら心の中の声でさえもジェナみたいな口調なんだもの。これは重症だわ。
今の今までそんなことすら気付かなかったくらいに、もう私の中にジェナはすっかり馴染んでしまったのね。
となると、下手に憎まれ口を叩きすぎて、ジェナみたいに敵を作りまくってしまう可能性もあるんじゃ……?
ダメよ! それだけは絶対に避けなきゃ! もう首をはねられるのはお断りよ!
つまり私は、悪役令嬢ジェナの性格のまま、聖女の役割をこなさないといけないの……?
悪とは正反対に位置していそうな、聖女を。
──それって難易度、高すぎない?
新たに見つかった問題は、私の頭痛の種になる。
ひどく重いため息が、口から無意識に零れた。