第19話 中指に嵌めた指輪
翌朝。
私の希望通り、ノノメリアに向けて出発することにした。
私達の出発を見送ろうと、グラーレウスの民が村まで詰めかけ、口々に礼の言葉を叫ぶ。
「聖女様! ありがとうございました!」
「どうかお気を付けて、聖女様!」
「グラーレウスが復興したら、またお立ち寄り下さい! その時は盛大に歓迎させて頂きます!」
「せいじょさま! またねー!!」
大人から子供まで、何百人という規模でわざわざ来てくれたグラーレウスの民に、私は心の中で感謝しながら手を振る。
そろそろ馬車に乗り込もうかと思ったタイミングで、背後からレグランに声をかけられた。
「アイヴィ様。どうしてもアイヴィ様に直接お礼をしたいと言う民がいるのですが」
そう私に耳打ちするので、承諾の意を込めて頷くと、レグランは群衆の内の二人に目配せをする。
すると夫婦のような雰囲気を醸し出した、年配の男女が私の前へ恐縮しながらやって来た。
「聖女様、我儘を聞いて頂きありがとうございます。どうしても、聖女様に直接お礼を申し上げたくて」
男性は妻らしき女性と共に深く頭を下げる。
「私の妻は、聖女様がお救い下さらなかったら死んでいました。目の前で火傷に苦しむ妻を腕に抱き、私はただ泣くことしか出来なかった。……聖女様があの時いらっしゃらなかったと思うと、私は……」
話している途中に、鮮明に思い出したのか、男性は涙ぐんで鼻をすする。それにつられて妻も目に涙を浮かべた。
すみません、と男性は謝りながら私に小さな箱のようなものを差し出した。
「こんなもんじゃ、礼にもなりませんが……どうか、受け取って下さい」
──平民がくれるものなんて、この私が受け取るわけないじゃない。
そんなものいらないわ。今すぐ捨てて頂戴。
「ぐっ……!」
そんなジェナの悪意に満ちたセリフを、私は握りこぶしを作って自分の頭に思い切り当てて、衝撃で黙らせる。
突然目の前で自分を殴った聖女の奇行に、夫婦は動揺を隠せない。
「せ、聖女様!?」
ズキズキと痛む頭を擦りつつ、適当に誤魔化す。
「ああ、私の頭に虫がいたのよ。驚かせたわね」
酷い言い訳だけど、男性は納得してくれたらしい。
「あ……そうでしたか。ご気分を害されたのかと思いました」
「まさか。礼なんていらないけれど、そこまで言うなら貰ってあげるわ」
小箱を受け取れば、夫婦は嬉しそうな笑顔を向けてくれた。
……危なかったわ。この笑顔をぶち壊してしまうところだった。
夫婦の笑顔を何とか守れたことに安堵しながら、自分で殴って痛む頭を優しく撫でた。
「体調は本当に大丈夫なのか?」
「あなた、それさっきから何回目? いい加減しつこいわよ」
グラーレウスの民に出発を見送られた馬車の中。
起床してから今に至るまでに、既に十回以上は聞かれたライナスの質問に、言い方は死ぬほど良くないけれどつい咎めてしまう。
ライナスは折れるどころか表情も変えずに淡々と正当性を説明した。
「君自身に体調管理を任せたら、またすぐに倒れかねんだろう。しつこくても何度でも聞くが」
「勘弁してよね……」
心配はありがたいけれど、このままだと一日中体調を聞かれるかもしれないと危惧した私は、話題を切り替えることにする。
「グラーレウスはこれから大変ね。復興にはしばらく時間が掛かるでしょ」
グラーレウスの今後を危惧すれば、ライナスは軽く頷く。
「君が祈りを捧げた時に結界も張られたし、魔物があの街を襲うことはない。城から復興要員の兵士も招集したから、少しずつ建て直してもらうことを願う」
私は自覚がないものの、グラーレウスの民を癒してと願った時、同時に結界も張られたらしい。
どちらにせよ結界は張らないといけなかったので手間は省けたけど、その分私へのダメージは大きく、五日間も眠る羽目になったようだった。
「ええ、そうね」
「グラーレウスが元に戻ったら、一緒に買い物へ来よう。君は何か欲しいものがあったんだろう?」
私がグラーレウスで買い物をしたいと言ったことを、ライナスが覚えていたことに少し驚く。
ただ上手く返すことは出来ずに、言葉を濁す。
「……ああ、まあ……そうね」
「その時には君の欲しいものを教えてくれるといいが」
「……その時には、きっと……」
私の欲しいものは、必要なくなっていると思うわ。
あれだけ被害を受けたグラーレウスが復興するまで、私が生きているとは思えないもの。
あなたと一緒にグラーレウスへ行くことはないのよ。
「ん?」
ライナスは言葉の続きを促すけれど、私は小さく首を横に振った。
「……何でもないわ。気が向いたら教えてあげる」
ライナスはそうかと相槌を打つと、それ以上は追求して来なかった。話題を転じる。
「そういえば君は、先程民から何か貰っていなかったか? 中身は確認したのか?」
「いえ、まだよ。今から見ようと思っていたのよ」
「待て。私が開けよう」
ライナスは私の手から小箱を取って代わりに中身を見てくれる。
危険なものでも入っていないか確かめようとしてくれたのだろう。
「…………」
「? 何、変なものでも入ってた?」
「……いや。そうではない」
箱を開けたライナスが一瞬固まったものだから、意外性のあるものでも入っていたのかと思う。
しかし、ライナスが人差し指と親指でつまむように取り出したそれは、普通のものだった。
「指輪だ。魔除けが込められている」
「へえ……見た目は普通のシルバーリングだけど」
「内側に魔除けの刻印がされている。手を貸してくれ。私が嵌めよう」
「えっ」
ライナスは有無を言わさず、片手で私の左手を取り、もう片方の手で指輪を嵌めようとしてくれる。
さながら結婚式の指輪交換のようで、何だか緊張してドキドキと胸打つ鼓動が早くなる。
ただ、結婚式と異なるのは、指輪の嵌める場所だった。
「中指、なのね」
「中指は魔除けに効果的だと言われているからな」
「嵌まるかしら」
痩せて指が細くなってしまっているから、ブカブカにならないかという私の心配は無駄に終わった。
「……ピッタリだわ。あのおじさん、私の指のサイズ知っていたのかしら」
「もし合わなければネックレスにすればいいと思ったんだろう。ネックレス用のヒモも箱に入っていた」
「ああ、なるほどね」
さすがにおじさんに私の指のサイズを読む超能力はないわよね。
窓から差す日光に指輪を当てて、よく観察する。
何の変哲もない指輪だけれど、私はとても気に入った。
……別に、ライナスが指輪を嵌めてくれたからとか、そんな邪な理由ではないわよ。
って、誰に言い訳してるのよと自分で自分に心の中で突っ込んでいると、不意にライナスが私へ質問を投げる。
「結婚指輪は、どんなデザインがいいんだ? 私はシンプルな方が好みだが、君は派手な方がいいだろうか」
「…………。結婚、指輪は……」
私は……嵌めることはないから、聞かれても意味が無いわ。
ライナスは私との結婚を思い浮かべてくれているのだろうけれど、その未来にきっと私はいない。
一瞬考えただけなのに、心が何かに蝕まれるように痛み、私は眉を顰める。
──どうして、傷付いているの。
近い将来、自分が死ぬのが怖いから?
いいえ、違う。死ぬことへの恐怖心なんかじゃない。
……ただ、ライナスの隣に立つ未来が私にはないのだと自覚して、少し寂しくなっただけだわ。
「……いらないわ。指輪はあまり好きではないの」
そう答えれば、ライナスは悩ましげに目を伏せる。
「そうか。好きではないのか。だが、結婚指輪を作らないわけにはいかないからな……」
「……また指輪を作る時にでも聞いて。その時はきっと、答えられると思うわ」
──答える人は、私ではないけれど。
ライナス、あなたが結婚指輪をその手で嵌める相手は第二の聖女。つまり、ホンモノの聖女よ。
私は……ニセモノだから、この指輪で充分なのよ。