第18話 約束
──早く起きてと、誰かに言われた気がする。
ずっと、終わりのない深い眠りに就いていたような、随分長い暗闇だった。
その暗闇は段々と薄くなり、白に近くなっていく。
自分の身体の感覚を徐々に取り戻して、私は指先を少しだけ動かす。
眠りから覚める時だと自覚して、ゆっくりと目を開けた。
「──アイヴィ嬢?」
ガタンと何かがぶつかった音がしたと思ったら、ライナスとレグラン、コニーがそれぞれ驚いた顔をしながら私の顔を覗き込んだ。
私の手が誰かの手に握られる感覚もある。
どうやら自分は死ななかったようだと、彼らの顔を見て安心した。
──何よ、見世物じゃないのよ。何なのよ皆して変な顔をして。
そうセリフが頭に浮かぶのに、唇がパクパク動かせるだけで声が出ない。
……喉が、乾いたわ。
砂漠のように乾燥していて、声が出せない。
困っていたらライナスが察してくれたらしい。
私の身体を抱き起こし、水の入ったカップを私の口にゆっくりと流し込む。
注がれる水を少しずつ飲み、潤いを取り戻したところで唇を閉じた。
ライナスはカップを置くと、私をもう一度寝かせてくれる。
何だか、ライナスと初めて出会った時のことを思い出すわ。
あの時もこうやって、あなたは私に水を飲ませてくれたわね。
思い返しながらライナスをじっと見ていると、心配そうな眼差しを返される。
「大丈夫か、アイヴィ嬢」
「……あ、……た……」
当たり前じゃない。何を心配してるのよ。
そのセリフはライナス達に伝わることはなかった。
どうやら喋る力もないみたい。
随分身体が弱っているわ。
……当然ね。
聖女の力を……私の生命力を一気に使ったのだから。
生きているのが幸運なくらいだわ。
私が上手く喋れないでいると、ライナスは首を横に振る。
「無理に話さなくていい。まだ辛いだろう。休んでくれ」
……また、私の手が誰かに握られる。
この手は誰なのかしら。
もしかして、ライナスだったりする? ……まさかね。
そう思いながらも、手の主にありがとうと伝える代わりに少しだけ握ったら、その手は強く握り返してくれた。
それからもう少しだけ眠らせてもらった。
次に起きた時に、コニーから私が五日間眠っていたこと、グラーレウスの民が毎日私の目覚めを祈りに来てくれていたこと、そしてライナスがほとんど眠らずにずっと側に付いていてくれたことを聞いた。
「殿下が? ……確かに聖女の私に死なれたら困るものね。でもそこまでとは思わなかったわ」
「あ、あの、ち……違うと、思います。王太子殿下は……アイヴィ様のことを、心から心配されている、ご様子でした。ず、ずっとアイヴィ様のお手を、に……握っていらして」
私はベッドの上でコニーに重湯のような流動食を食べさせてもらっていた途中で、思わずごふっと咳き込んでしまう。
想像したらカッと顔に熱が一気に集まり、コニーから顔を見られないように、咳がひどいふりをして俯く。
そんなに心配してくれていたの?
ずっと私の側に付いていてくれただけでも驚きなのに、更に……て、手をにぎ……握って……!?
ならさっきの手も……ライナス!?
恥ずかしさのあまりしばらく顔を上げないでいたら、余程変なところに食べ物が入ったのかと勘違いしたコニーが私の背中を慌てて擦った。
「だだ、大丈夫ですか!? アイヴィ様!」
「だ、大丈夫よ。もう大丈夫だから」
俯いたままコニーから渡されたナフキンで口を拭いて、浅く息を吐く。
「今、殿下は休まれているのよね?」
「は、はい! アイヴィ様がお目覚めになってご安心されたのか、ようやく眠りに就かれたそうです!」
「そ、そう……」
多分ライナスのことだから、あの時私の身体よりも民を救うことを優先したことに対して、自責の念に駆られているんじゃないかしら。
そうよ、絶対そうだわ。
私の手をに……握っていたのも、きっと申し訳ないって思う気持ちからだわ。
そうよそうよ、深い意味はないわ。
そこまで心配をかけたなら、あとでライナスを安心させなきゃ。私はもう元気だと。
それから、ライナスは正しい選択をしたと肯定しようかしら。
要らぬ罪悪感を私に持って欲しくないものね。
食事を終えた私はその後身体を清め、絶対安静だと言い張るコニーを説得して、外の風に当たる許可を得た。
外へ出る前にコニーに清楚な白いワンピースドレスへ着替えさせてもらっていると、私の身体を見たコニーが躊躇いながら切り出す。
「……ア、アイヴィ様、随分痩せられましたね」
「え?」
コニーの指摘にドキッと心臓が嫌な音を立てて、ザワザワと胸が騒ぎ出す。
五日も眠っていたなら痩せるのは当然だけど、不完全な聖女が残したメッセージが、私の頭にこびり付いて離れない。
『腕も足も痩せ細り、自力で歩くことすら出来ず、寝たきりの身体になってしまったから』
痩せたのは死に近付いた印のような気がして、恐怖心が喉元までせり上がる。
それを誤魔化すように強がることで押し込めた。
「……五日も寝ていたんだもの。痩せて当然よ。いいダイエットになったわ」
「あの、あの……少し痩せすぎなので、栄養のあるもの、つ……作りますね」
コニーは私を着替えさせ終えると、早足でパタパタと部屋から出て行った。
ドレスを着た自分の身体を見て、胸元もお腹周りも足も腕も全て細くなったと自覚する。
多分、この痩せ方は五日眠っていたせいだけじゃない。全身が細くなっているんだもの。
きっとどれだけ食事をしようが元に戻ることはないわ。
「…………」
部屋に一人でいると気が狂いそうになり、私は誰かの姿を求めてそっと部屋を出る。
「誰か……いないの?」
しかしタイミングが悪かったのか、レグランや護衛などの姿はない。
コニーも食材を買いに行ったのか、キッチンに向かうも誰もいなかった。
「…………」
私は仕方なく当初の予定通り外へ出て、風に当たることにする。
ドアを開ければ花が足元に山ほど積まれており、何これ? と少し先へ進んでから振り返る。
色とりどりの花が家の周りをびっしりと取り囲んでいた。
グラーレウスの民が私の目覚めを祈りに訪れていたとコニーが言っていたから、きっとこの花は祈ってくれた気持ちの数なのだろう。
……その花は、先程までの恐怖心を鎮めてくれる。
私の力が、大勢の人を救えたのだと可視化されて嬉しくなる。
本来犠牲になるはずだった人の身体だけでなく、大切な人を失うかもしれなかった周りの人の痛みも救えたのだ。
良かった。
あの時祈りを捧げて、本当に良かった。
心からそう思い、目元をじんわりとあたためながら微笑んだ。
目に浮かんだ涙を、人気のない村の中を歩いて夜風で消してしまおうとする。
道中、作物を育てる土の臭いが鼻を抜けて、私の心を落ち着かせる。
あまり離れてしまうと私がいなくなったと騒ぎになるかもしれないから、家からそう遠くない、小高い丘の上に立って風を浴びることにした。
丘から見える村の景色をしばらく見ていると、後ろから地面を踏む足音が近付いて来て、私は振り向く。
「外に出て大丈夫なのか」
そこにいたのは、起きてから間もないのか、ほんの少し髪の毛の乱れたライナスだった。
彼の寝不足はまだ解消されていないようで、その顔にいつもの覇気はない。
「平気よ。随分心配してくれたみたいじゃない」
「ああ。私が止めなかったばかりに君の身を危険に晒してしまった。……すまないと、思っている」
ライナスは私に頭を下げ、謝罪してみせる。
すぐにやめてと言葉で制した。
「あなたが止めていても私は聖女の力を使ったわ。あなたが気に病むことじゃないから」
ライナスは頭を上げて私の顔を見る。
それでもまだ負い目を感じているようだった。
「……少し痩せたな」
「まあね。丁度ダイエットしようかと思っていたところなの。努力しなくて済んでラッキーだったわ」
「本当に君は……」
私の軽口に、ライナスは呆れたように息を吐く。
ただ、私の様子がいつもと変わらないからか、少し安心したようにも見えた。
「時間を使わせたわね。早くノノメリアへ向かわないと。明日には出発するわよね?」
急いでノノメリアへ行かなくてはならないのに、私が倒れたせいでかなり遅れが出てしまっている。
身体も動かせるようになったし、一日でも早くと思ってそう言ったのに、気に入らないとばかりにライナスの片眉がピクリと上がった。
「何を馬鹿なことを。まだ君は目が覚めたばかりだろう。出発は早くても二日後だ」
「そっちこそ何言ってるのよ。急いでノノメリアへ行かないといけないのはあなたが一番よくわかってるでしょ。あなたが行かなくても私は行くわよ」
いや、ライナスなしでは行かないけれど。というか行けないと思うけれど。
それほど強い意志、というか意地で行くと伝えると、ライナスはこめかみに手を当て、はぁ……とあからさまなため息をついた。
う……私はもう平気だから早く行こうって言いたいだけなのに、こんな言い方してごめんなさい。
もちろん私の本心がライナスへ届くことはない。
「君はどこまで私を困らせる。大人しく休むことも出来ないのか」
「あら。ハイルドレッドの立場を考えたら私の言い分の方が正しいんじゃないの?」
「いや。君の体調が第一優先だ」
「だから。私はもう大丈夫だって言ってるでしょ」
お互いに引かず、衝突する。
どちらかが折れるまで話が終わりそうにない。
ライナスは続ける。
「強情だな。君の大丈夫は大丈夫じゃないことはさすがに理解している」
「あなたこそ強情よ。誰が何と言おうと明日出発す──」
私のセリフは、強制的に途切れた。
ライナスが私と距離を詰めたかと思えば、その手は私の頬に触れ、撫でるように親指を動かす。
ライナスの蒼い瞳に、驚き固まって動けない私の情けない姿が映り込んだ。
「……どうしたら言うことを聞いてくれるんだ」
まるで懇願するような、そんな目付きで私を貫くライナスから目が離せなくなる。
どうして、そんな目をするの。
こんなの、聖女としての私じゃなくて、私自身のことを大事に想ってくれていると……勘違いしてしまうじゃない。
緊張で、呼吸が止まっていたことに気付く。
息を吸って落ち着こうとするも、身体に染み付いたジェナの性格が、ほとんど無意識に私の口を喋らせる。
「──か、過保護なのよ。馬車で移動するだけじゃない。中で休めば問題ないでしょ」
「なら、私の許可なしに聖女の力を使わないと約束してくれ。……何度も君が倒れる姿を見るのは……心臓に悪い」
ライナスの手が触れる私の頬が熱くなる。
それはライナスの体温が私に移って熱いのか、それとも私の頬から熱が出ているのか自分ではわからない。
ただ私に余裕などなく、ライナスの頼みに素直に頷いた。
「……わかったわよ。約束するわ」
ライナスは私の返事にホッとしたのか、僅かに口元を緩め、優しい眼差しで私を見つめる。
その瞬間、きゅう、と胸の奥が絞られるような甘い痛みが走り、全身の体温が上がるような感覚に襲われる。
──ダメ。勘違いしたらダメ。
ライナスは優しいから。私が聖女だから心配してくれているだけ。この眼差しに意味なんてないの。
心臓を打つ音が早くなっていることなんて無視して、私は急ぎライナスから目を逸らした。




